主の熱(後編)
決闘を申し込まれた、金の貴公子は・・・・。
庭園に群がる客たちの姿を、
二階のバルコニーから青いドレスを纏った夏風の貴婦人が見下ろしていた。
トールマン伯爵の夜会には夏風の貴婦人も呼ばれており、
他には南部から白の貴公子が参加していた。
白の貴公子も又、貴婦人たちに囲まれ乍ら、窓から庭園の騒ぎを見下ろしている。
夏風の貴婦人は主催者で在るトールマン伯爵とシャンパンを飲み乍ら話していたが、
くっと口の端を吊り上げると、言った。
「トールマン伯爵」
「何かね??」
伯爵が夏風の貴婦人を見ると、彼女はにこりと微笑んだ。
「今から一興、御披露致します」
そう言うと、夏風の貴婦人は白の貴公子に視線を送った。
白の貴公子は其の視線に気が付くと、
「少し失礼します」
と言って、貴婦人たちの輪から出て夏風の貴婦人の下へ来る。
「何だよ??」
迷惑そうな顔で言う白の貴公子に、夏風の貴婦人が顎で庭を差す。
「あんた、相手して来なさい」
白の貴公子は、あからさまに嫌な顔をする。
「何で私が・・・・ああ云うのは夏風の貴婦人の十八番だろ??」
だが夏風の貴婦人は、にんまりと笑う。
「私は今日は、レディだから」
青いドレスの裾を広げて見せる。
「翡翠の貴公子は、どうしたんだよ?? 来てないのか??」
「あいつは今日、具合悪いの」
「狙って休んでるんじゃないのか?? いつも、あいつには夏風の貴婦人、甘す・・・・」
じぃーっと橙の猛獣の様な目に見詰められ、白の貴公子は其の先を飲み込んだ。
だが夏風の貴婦人は、いつになく女らしく首を傾げて見せる。
「あんた、目立つの、好きでしょう??」
にぃぃ・・・・と笑う鬼女の姿に、白の貴公子は従うしかなかった。
貴族のバジャル家と翡翠の館の名誉を賭けて何やら決闘と云う事になってしまったが、
金の貴公子は足下の剣を拾えずに居た。
「ちょ・・・ちょっと、たんま・・・・」
「たんま、きかないねー!!」
首を横に振る金の貴公子に、バジャリアンは細身の剣を突き出す。
「さぁ!! 剣を取り給え!! 金の貴公子!!」
「いや・・・・あの・・・・」
金の貴公子は内心パニックであった。
真剣を使った決闘など、自分に出来る筈がない。
それどころか、刃物はフォークとナイフ以外は持った例しがなかった。
そんな自分が、こんなに注目を浴びて取り囲まれて、一体何をどうすれば良いのか??
剣を拾えば、間違いなくバジャリアンは斬り掛かって来るだろう。
金の貴公子は内心おたおたとし乍ら、其の場に固まっていた。
すると。
金の貴公子の足下の剣を、誰かが拾い上げた。
振り向くと、其処には白く長いストレートヘアの同族が居た。
「御相手、私が仕りましょう」
腕を伸ばして剣を構えたのは、白の貴公子だった。
思わず金の貴公子の顎が外れそうになる。
「邪魔立てするか!! 白の貴公子!!」
声を張り上げるバジャリアンに、白の貴公子は前に出ながら言う。
「此の金の貴公子は御恥ずかし乍ら、剣の心得が有りません。
貴殿も初心者の様な者を相手にしては、御名に傷が付くでしょう。
ですから此処は、私、白の貴公子が御相手仕る」
堂々と剣を構える白の貴公子に、バジャリアンは暫したじろぐ。
「だ、だが・・・・此れは、翡翠の館と我がバジャル家の決闘。そなたには関係が・・・・」
「翡翠の貴公子は私たち同族にとって兄、師匠とも呼べる存在。翡翠の館の名誉は我等の名誉。
其れを守るのも我等の務め。御相手仕る」
「ぬううう・・・・」
バジャリアンは唸り声を上げると、剣を振り上げた。
「では、そなたを斬って、汚名を晴らすまでだ!!」
バジャリアンの上段斬りを、白の貴公子は両腕で剣を持って受け止めた。
そして素早く横に流して身を躱す。
バジャリアンは次々と剣を振り下ろしてきたが、
白の貴公子は剣先でいなして左右に身を躱して行く。
「速い・・・!!」
思わず誰かが叫んで、金の貴公子も食い入る様に白の貴公子を見た。
白の貴公子は白銀の貴公子や翡翠の貴公子に劣るとは云っても、格闘、剣術、
弓技を修めた男である。
中でもフェンシングを得意とする白の貴公子の剣術は、剣先で突く様な技が華麗だ。
バジャリアンの豪剣を受けては躱す白の貴公子・・・・
だが余興も此れまでだと云わんばかりに強くバジャリアンの剣を弾くと、反撃に転じた。
速く細かい動作で、バジャリアンの剣を責め立てる。
バジャリアンは防戦になると、必死に白の貴公子の突きを剣で受けていたが、
遂に其の手から剣を弾き飛ばされた。
「おお!!」
観衆が一気に声を上げる。
バジャリアンの剣は空高く跳ね上がると、くるくると回って地面に落ちた。
勝負は此処で決まりだった。
パチパチパチパチ!!
拍手喝采。
白の貴公子は観衆に一礼すると、バジャル家の付き人に剣を返し、もう一度、観衆に微笑み返す。
其の華麗で晴れやかな白の貴公子の舞台に、夜会の客たちは感極まった様に拍手を続ける。
喝采の中、白の貴公子が小声で金の貴公子に声を掛けた。
「いつまで突っ立ってるんだ。中に入るぞ」
「お、おう」
金の貴公子は頷いたが、まだ目も口も開いた儘、閉じる事が出来ないでいる。
白の貴公子の事をずっとライバル視してきたが、
実は物凄くいい奴じゃないのか?? と思えてくる。
窮地に陥った自分を助けてくれた上に、あんな見事な勝負を見せてくれるとは・・・・。
それも翡翠の館の為に・・・・。
呆然としている金の貴公子に、白の貴公子は階段を上がり乍ら言う。
「勘違いするなよ。今のは、ショーだ。誰が翡翠の貴公子を、兄や師匠に思うかよ。
あんな田舎侍」
吐き捨てる様に言うと、白の貴公子は黄色い声を上げる貴婦人たちの輪の中へと、
にこやかに戻って行った。
それから夜会は盛り上がり、なかなか決闘話に終止符がつかず、
金の貴公子がサロンから抜けられたのは夜も遅い頃だった。
金の貴公子は、どんなに遅くとも帰るつもりだったが、
深夜の路は危険だとミッシェルが言うので、結局、南部で一泊して帰る事になった。
そして翌朝、金の貴公子が帰路に就いている頃、翡翠の館には思わぬ客が来ていた。
月光を紡いだ様な長い髪の青年と、青銀の波打つ長い髪の少年だ。
月星兄弟である。
いや、星光の貴公子は決して子供ではないのだが。
「そろそろ気になって来てみれば、やはりか」
皓月の貴公子は、ぼそりと言うと、寝台に横たわる翡翠の貴公子を見下ろす。
「やはり去年のあの日の事が引っ掛かっていたのですね」
「であろうな」
晧月の貴公子と星光の貴公子は翡翠の貴公子の晧い顔を見ると、頷く。
もう熱は大分引いており、頬は桜色に染まっているだけだ。
嵐の様な一日の熱に魘されていた翡翠の貴公子・・・・何故、彼が、そんな状態になったのかは、
二人には予想がついていた。
「此の急に冷えて来た時期に、翡翠の貴公子さんが熱を出すだろう事を、
他の方は気付かれていらっしゃるのでしょうか??」
星光の貴公子が言うと、皓月の貴公子は口の端を吊り上げる。
「夏風の貴婦人は気付いておろう。あれは目敏い女だ。
だが、ハプスブルク家を燃やした張本人の赤の貴公子は想像もしていないであろうな。
あれは、でぐのぼうだからな。気付いていれば今頃、此処へ来ている筈だ」
言い乍ら、皓月の貴公子は翡翠の貴公子の額の布を取ると、桶の水で冷やして、再度、
彼の額に乗せる。
すると翡翠の貴公子の瞼がぴくりと動き、ゆっくりと押し上げられた。
翡翠の瞳が、ぼんやりと覗く。
「翡翠の貴公子。此れが何本だか判るか??」
手を差し出してくる皓月の貴公子に、翡翠の貴公子はゆっくりと眼差しを向けると、小さく言った。
「二本だ・・・・何故、此処に??」
問い掛けてくる翡翠の貴公子に皓月の貴公子はピースを辞めると、真顔で言う。
「酒だ。旨い酒を飲みに来たのだ」
白々しい皓月の貴公子の言葉に、だが翡翠の貴公子は、
「そうか・・・・」
と小さく呟いた。
皓月の貴公子は毛布の中へ手を入れると、翡翠の貴公子の手を握る。
「翡翠の貴公子。そなたを楽にしてやろう。毎年こうなっては辛かろう」
「・・・・??」
翡翠の貴公子は、ぼんやりと皓月の貴公子を見ていたが、
「目を閉じるがいい。そして私の言う通りに思い描いてみるのだ」
そう言われて、翡翠の貴公子は素直に目を閉じる。
皓月の貴公子は翡翠の貴公子の手を握った儘、語り出した。
「そなたは今、森の中に居る。緑の美しい森だ。樹々の囁き、鳥の声、草木の香りがする。
そなたは其の中に居る。感じるか??」
「・・・・感じる」
素直に頷く翡翠の貴公子に、皓月の貴公子は目を細める。
「足下を見るがいい。そなたの足下には、沢山の枯れ木や枯れ葉が落ちておろう??」
「・・・・・」
「よく目を凝らして見るがいい。美しい緑の絨毯の上に、沢山の枯れ木が落ちておろう??」
「ああ・・・・落ちている」
「其れを一箇所に集めるのだ。手でもいい。箒を使ってでもいいぞ」
「・・・・・」
翡翠の貴公子は目を閉じた儘、言われた通りにイメージしていく。
足下の枯れ木や枯れ葉を手で集めると、森の中がすっきりしていくのを感じる。
「集めた」
翡翠の貴公子の言葉に、皓月の貴公子は更に誘導を続ける。
「では、集めた其れを、紫色の炎で燃やしてしまおう。
紫の炎は不要なものだけを燃やしてくれるから、森に広がる事はない。
だから安心して集めた其れを燃やしてしまって、大丈夫だ」
紫の炎で・・・・。
翡翠の貴公子は枯れ葉を紫の炎で燃やすイメージをした。
集めた枯れ葉に、ぽっと火が灯る。
だが其の炎は紫ではなく・・・・血の様に赤い赤い炎だった。
「赤い・・・・」
翡翠の貴公子の呟きに皓月の貴公子は目を瞠る。
翡翠の貴公子の全身が強張り、途端にガタガタと震え出す。
呼吸が急に荒くなり、彼は苦悶の表情を浮かべ乍ら呟く。
「燃えない・・・・枯れ葉は燃えない・・・・火が・・・・赤い火が森を燃やしていく・・・・」
途切れ途切れの翡翠の貴公子の言葉に、皓月の貴公子は不味いと思った。
「翡翠の貴公子、聞け。今から翡翠の館の御前の寝室へ帰る。
私の合図と共に、そなたは戻って来て、目を開けるのだ」
1、2、3。
パン!! と皓月の貴公子が手を叩いた。
翡翠の貴公子はバッと目を見開いたが、直ぐに疲れきった様に目を閉じて首を項垂れる。
皓月の貴公子は翡翠の貴公子の手首から脈を取って、彼の呼吸を確かめる。
「兄さん」
星光の貴公子が心配そうに声を掛けてきたが、皓月の貴公子は落ち着いた声で言う。
「大丈夫だ。もう安定してきた。急激な緊張で意識を失くしてしまっただけだ」
「そうですか。良かった」
星光の貴公子が安堵の表情を浮かべると、皓月の貴公子が言う。
「翡翠の貴公子の夢を見てみるがいい」
「はい」
星光の貴公子は翡翠の貴公子の手を取ると、目を閉じて読み取ろうとしたが、
「此れは・・・・」
眉間に皺を寄せると、駄目だと云う様に目を見開いた。
「こんなに酷いモザイクは初めてです。全く読み取れない」
「であろう」
皓月の貴公子は枕に顔を埋めて眠る翡翠の貴公子を、じぃっと見る。
星光の貴公子は辛辣な表情で言う。
「よっぽど去年の事が傷になっているのですね」
だが皓月の貴公子は静かな口調で言った。
「いや・・・・其れだけではあるまい。此のモザイクは、翡翠の貴公子のものだけではない。
何か別の・・・・」
其処まで言い掛けた時、勢い良く寝室の扉が開け放たれた。
「主ー!!」
跳び込んで来たのは、礼服姿の金の貴公子だ。
「うわ!! 何で皓月の貴公子が?! 星光の貴公子も?!」
「見舞いだ」
短く答える皓月の貴公子に、金の貴公子は珍しく顔を輝かせる。
「何だ、御前、いいとこ在るじゃん!!」
金の貴公子は寝台に駆け寄ると、翡翠の貴公子を覗き込む。
「主~、大丈夫か~~??」
そっと翡翠の貴公子の額に触れてみると、熱は大分下がっていた。
もしかしたら自分が居ない間に死ぬなんて事は・・・・等と想像までしていた金の貴公子は、
大きく胸を撫で下ろす。
「翡翠の貴公子は先程、目を覚ました」
「ええ!! そうなのか!? よ、良かった・・・・!!」
思わず目元が潤るむ金の貴公子に、皓月の貴公子が問い掛けた。
「翡翠の貴公子は、よく発熱するのであろう??」
金の貴公子は頷く。
「そうなんだよ。原因は、よく判らなくてさ・・・・でも執事や夏風の貴婦人は、
今回は予想してたんだってさ。夏風の貴婦人が此の時期は要注意だって言ってたんだけどさ、
此の時期って何なんだよ?? 御前、知ってる??」
「さぁな」
皓月の貴公子は知らんふりをする。
今回、翡翠の貴公子が熱を出したのは間違いなく、
去年の聖誕祭での出来事が関与していたのだろう。
翡翠の貴公子が倒れるであろう事を予想していた夏風の貴婦人が、
敢えて通常通りに彼に業務をさせていたのは、
変に去年の事を周りに勘繰られない為の計らいであったのだろうと、
皓月の貴公子には想像がついていた。
だが此の発熱は来年も在るかも知れない・・・・と皓月の貴公子は思った。
先程、心理療法をしてみようと思ったが、上手くいかなかった。
其れ程、去年の事が拭えない深い闇となっているのか・・・・??
そう考えて、皓月の貴公子は否だと思った。
何かが邪魔をしている・・・・。
皓月の貴公子は胸中で考えると、椅子から立ち上がった。
すると金の貴公子が、ぽかんとした顔で言う。
「あれ?? 帰るのか??」
「まだ帰らん。旨い酒を出して貰おうか」
「御前・・・・本当、食えない奴だな。言っとくけど、泊まりは駄目だからな!!」
金の貴公子はビシリと言うと、もう一度、翡翠の貴公子を振り返る。
安らかに眠っている彼の姿に、又じーんとなると、
「主の分のスープも作って貰おう」
嬉しそうに部屋を出て行く。
皓月の貴公子は長椅子に座ると、くっと咽喉を鳴らした。
「知らぬが幸せと云うものか」
さぁ、いつまで、そう暢気で居られるかな??
御前の主は此の綺麗な見かけに寄らず、内側は穏やかではなさそうだ。
「其の事に一体、いつ気付くのであろうな??」
尤も教えてやるつもりは針の先程もないが。
翡翠の貴公子の内側に巣食った何かが、今後、同族の未来に大きく関与してくるであろう事を、
皓月の貴公子は微かに、だが、はっきりと感じていた・・・・。
この御話は、これで終わりです。
後半に出てきた「聖誕祭」は、
「ゼルシェン大陸(大人向け)」の「聖誕祭と壊れた異種の誇り」です。
気が向かれたら、そちらも読んで戴けたら嬉しいです。
このノーマルの「ゼルシェン大陸編」を順番通りに読まれたい方は、
「夏の闘技会」から読まれて下さいな☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆