主の熱(前編)
或る朝、翡翠の貴公子が高熱を出し、金の貴公子は・・・・。
冬目前は異種も馬の如く走る・・・・そんな笑い話が貴族たちの間で飛び交う季節。
今年も変わらず異種たちは多忙であった。
机に山積みの書類、会議では今年一年の決算に冬季までの決定会議、年末の復活祭の段取り、
接待や公務参列、其の他諸々が、どっと増えてくる。
文字通り、目の回る様な忙しさである。
普段ならば暇を理由にふてくされている金の貴公子も、
此の時期は接待に駆り出されていた。
金の貴公子としては美しい貴婦人との接待だけを受けたいのが本音だったが、
デスクワークや会議に追われている翡翠の貴公子は全ての接待を受けきれず、
翡翠の館の主代理として金の貴公子が接待を受けていた。
此の日の朝も東部議事堂に出席する為、翡翠の貴公子は一人で早い朝食を摂っていた。
金の貴公子は、まだ寝ている。
翡翠の貴公子は食事を三分の一ほど残すと、支度をする為に二階へと上がって行った。
メイドが食器を下げると、執事がミッシェルに言った。
「ミッシェル。主様の寝具の状態は今、どうですか??」
ミッシェルは今朝の主の寝室を思い出し乍ら言う。
「えっと・・・・特に変わった様子は在りませんでした。
毛布は薄手と厚手を一枚ずつ。あと薄手の掛け布団を一枚です」
「もう少し温かめの物に替えておいて下さい」
「はい、判りました」
ミッシェルは直ぐに一人の若いメイドと共に翡翠の貴公子の寝室へ行くと、
手早く毛布類を取り替え、また直ぐに一階に下りて外へ出ると、
主が乗って行く馬車の荷物点検をする。
準備が整うと、翡翠の貴公子は馬車に乗って議事堂へと向かった。
本日は、今年の決算と年末の復活祭についての会議だった。
当然、夏風の貴婦人も出席している。
他には赤の貴婦人が居る。
「聖誕祭は例年通りで問題ないだろう」
「聖誕祭時期は、取り分け通商権の証明を厳しくしなければ」
「南部では船を使ったパレードをするそうだ。東部でも何か・・・・」
「聖誕祭期間の税金の引き上げは、どうしますかね??
近年、農場では此の時期に合わせて、家畜の飼育数を増やす所も在る様だがね」
「ううむ・・・・なかなか例年通りと云う訳にはいきませんな」
次々と問題を挙げてみせる貴族たちの中、夏風の貴婦人も発言する。
「年々農家の出荷率が上がっていますが、上限も決めた方が良いかも知れません」
夏風の貴婦人の言葉に、皆が目を丸くする。
「上限?? 上限など決めなくて良いだろう。商人が儲ければ納税額も上がるのだ」
そうだ、そうだ、と口々に言う貴族たちに、夏風の貴婦人は落ち着いた声で言う。
「近年、聖誕祭に売り尽くしの商売をする農家や商人が増えてきています。
ですが聖誕祭の後は長い冬。何ヶ月も凌いでいくだけの蓄えが民には必要です。
農家や商人は自分たちが冬を凌ぐ分の蓄えは取って置きますが、
民衆の冬に必要な分の保管数が甘い所が増えてきています。
去年の冬、食料不足に陥った民の町が六ヶ所出ました。
其の様な事態が起こらない様、取り計らう事も必要でしょう」
「だが上限を決めるとなると、商人や農家からブーイングが出るに違い在るまい」
「そうですね。なら冬の蓄え分は一度議会で買い取ると云う方法も在ります。
そして流通の途絶える冬の前に、民が飢えない様に上手く分配していくなど。
勿論、ほぼ仕入れ値で売って議会では利益は殆ど得ません」
はっきりとした口調で提案する夏風の貴婦人に、貴族たちは鼻息を荒くする。
「利益が無いだと?! 一体、誰が只働きをするのと云うだ?!」
夏風の貴婦人は平然と答える。
「私たち異種と議員の方々です」
だが其の言葉に貴族たちは憤慨する。
「ふざけるな!! 我々は今、税金を納めているのだぞ!!」
「税金なら、私たち異種も民も納めています」
「我々の納める税金の額は民衆とは桁が違う!!」
「其れは其れだけの収入が在るからだと思いますが」
「ええい!! 夏風の貴婦人では話にならん!! 翡翠の貴公子!!
君は、どう考えているのだ?!」
いきり立った貴族の一人が翡翠の貴公子を指差すと、
翡翠の貴公子は少し俯いた格好で顔を上げなかった。
「翡翠の貴公子?? どうされたのかね??」
議長に問われて、翡翠の貴公子は漸く顔を上げた。
「・・・・??」
ぼんやりとした彼の表情からは、明らかに話を聞いていなかった事が判る。
「君ぃ!! 不真面目じゃないか!! 今は会議中なんだぞ!!」
「・・・・済みません」
叱咤されて、翡翠の貴公子は済まなそうに謝った。
だが直ぐに会議は火の点いた貴族たちが激論を飛ばし、昼には休憩に入った。
控え室に行く途中、夏風の貴婦人が肘で翡翠の貴公子を突き、彼の顔を覗き込んだ。
「あんた、具合でも悪いの??」
「?? いや??」
翡翠の貴公子は首を振ると、異種の男子控え室へと入って行く。
夏風の貴婦人の隣に居た赤の貴婦人が、きょとんとした顔で言う。
「最近、忙しいし、普通に眠かったんじゃないの??」
「どうかしら・・・・」
夏風の貴婦人は控え室に入ると、どかりと椅子に座った。
其の彼女の顔は何処か浮かない。
「もう、そろそろ、注意しておかないと・・・・」
其の言葉の意味を赤の貴婦人が理解する事はなかった。
夕方、翡翠の貴公子は屋敷に帰宅すると、湯浴みをして金の貴公子と一緒に夕食を摂った。
食事中は、いつも金の貴公子がべらべら一方的に話している。
翡翠の貴公子は普段通り黙々と食事をしていたが、ナイフとフォークを置くと、
ナフキンで口許を拭いて立ち上がった。
「あれ?? 主?? もう食べないの??」
金の貴公子が言うと、翡翠の貴公子は無言で食堂を出て行ってしまった。
「な~んだ。残すなら俺が・・・・」
主の皿に残っているビーフコロッケとポテトにフォークを伸ばす金の貴公子を、
「金の貴公子様。みっとものうございます」
やんわりと一喝するのは、執事。
「何だよー!! 勿体無いじゃないか!!」
主の皿を下げて行くメイドに、金の貴公子は未練たらたらな顔になる。
だが翡翠の貴公子の何処かぼんやりとした行動は、まだ続いたのだった。
翌日、翡翠の貴公子は執務室に篭って、デスクワークに耽っていた。
金の貴公子は主の部屋に居座ってみては飽きてくると屋敷をうろつき、其れも飽きてくると又、
執務室に戻って来る。
だが机に居るであろうと思われた主の姿は其処には無かった。
見ると、いつも金の貴公子がごろごろしている長椅子で翡翠の貴公子は横になっていた。
主が長椅子で寝ているなんて珍しいな・・・・と金の貴公子は思ったが、起こすのは悪いと思って、
窓辺に座って静かにしていた。
翡翠の貴公子は夕方近くまで、椅子で眠っていた。
そして漸く目を覚ますと、むくりと起き、それでも、ぼんやりとしている。
其処へ金の貴公子が声を掛けてきた。
「おはよ。よく眠ってたな。疲れが溜まってるんじゃないの??」
「・・・・・」
翡翠の貴公子は答えず立ち上がると、寝室の方へと歩いて行く。
そして扉の所で振り向いて言う。
「夕食は要らないと、ミッシェルに言っておいてくれ。俺は、もう寝る」
パタリ、と寝室の扉が閉められた。
よっぽど翡翠の貴公子は疲れているのだろうと、金の貴公子は思った。
金の貴公子が夕食の事をミッシェルに伝えると、ミッシェルも、
「最近、御忙しいから、御疲れなのかも知れません」
と言った。
だが執事だけは押し黙った儘、いつもより頑なな表情を浮かべていた。
翌朝、屋敷内が慌しいのに気が付いて、金の貴公子は目を覚ました。
メイドがバタバタと走る音が聞こえる。
金の貴公子が欠伸をし乍ら部屋を出て来ると、
桶やタオルを持ったメイド達が主の部屋に入って行くところだった。
「何か在ったの??」
金の貴公子が問うと、メイドが眉を顰め乍ら言った。
「主様が熱を出されたのです。今回も酷い高熱で・・・・」
そう言うと、メイドは主の部屋へと入る。
金の貴公子は一気に目が覚める気がした。
熱・・・・今回も・・・・其の言葉が金の貴公子に、以前の主の発熱を思い出させた。
金の貴公子は翡翠の貴公子の寝室に跳び込んだ。
「主!!」
寝室には執事とミッシェル、二人のメイドが翡翠の貴公子の寝台の傍に居た。
寝台の上の翡翠の貴公子は顔が赤く染まり、汗を流し乍ら魘されている。
金の貴公子は寝台に駆け寄ると、翡翠の貴公子の手を握った。
其の手は驚くほど熱かった。
意識は無い。
「な、何で、こんな事になってるんだよ?! 医者は?!」
「御医者様は今、呼んでおります」
落ち着いた声音で言う執事に、だが金の貴公子は噛み付く様に言った。
「こんなになるまで、どうして気付かなかったんだよ!!」
執事を責め立てる金の貴公子をミッシェルが止めた。
「す、済みません!! 気付かなかったのは僕で・・・・此処、数日、主様、食欲がなかったのに、
僕、疲れているだけだと思ってて・・・・でも、
ポフェイソンさんは気付いていらっしゃったんです。
ポフェイソンさんは主様に体調の御加減を訊いていらっしゃったんですが、
主様は大丈夫だと仰ってて・・・・」
ミッシェルの言葉に、金の貴公子は翡翠の貴公子が食事を残したり、
長椅子で随分と寝ていたのを思い出して、顔を真っ赤にした。
一番近くに居ながら気付かなかったのは自分だった事に、金の貴公子は今、
初めて気が付いたのである。
思わず口篭る金の貴公子に、だが執事が慎み深く言う。
「主様の御様子の変化を金の貴公子様に申し上げなかったのは、私の考えの足りなさでした。
誠に申し訳ありませんでした」
いつになく深々と一礼する執事に、金の貴公子は両手を振る。
「いい、いいよ!! ごめん・・・・俺も、つい怒鳴っちゃって・・・・
主の様子に気付かなかった俺が馬鹿だった・・・・」
深く反省する金の貴公子に執事は顔を上げると、
「つきましては」
と、もう、いつもの口調で言う。
「金の貴公子様。此の事態を夏風の貴婦人様に、直ぐに御知らせ下さい」
「お、おう」
金の貴公子は頷くと、羽根で在る金の鷺を窓辺に出す。
と同時に彼の額に金の紋が浮かび上がる。
執事は、もう用意していたのか、
胸元からメモ紙が入っているであろう銀のホールを取り出して渡してくる。
金の貴公子が金鷺の足にホルダーを付けると、金鷺は窓から大きく舞い上がった。
翡翠の貴公子に何か遭った時は、羽根で直ぐに夏風の貴婦人に連絡する事になっているのだ。
金の貴公子が翡翠の貴公子の傍に戻ろうとすると、更に執事が言った。
「金の貴公子様。実は夕方から、主様が出席する夜会が在るのです。
主様が此の様な御容態の以上、金の貴公子様に翡翠の館の代表として行って戴きたいのです」
「そ、そうか」
いつもなら面倒臭がる金の貴公子だったが、今回は素直に頷いた。
「行くよ。判った」
で、場所は??
金の貴公子が訊ねると、執事は落ち着いた口調で答えた。
「南部のトールマン伯爵の御屋敷です」
「南部?!」
思わず目を剥く金の貴公子に、執事は付け加える。
「南部と言いましても、割り合い境界地に近い処に在る御屋敷です」
「でも、遠いじゃないか!!」
「まぁ・・・・そうですね。御帰りは深夜になられるかと思います。
南部で一泊されて来ても・・・・」
「するかよ!!」
主がこんな大変な時に、悠々と宿になんか泊まっていられるか!!
金の貴公子は鼻息を荒くする。
「つーか!! 今から支度しなきゃならないんだろ?!」
いつになく飲み込みの早い金の貴公子に、執事は頷く。
「朝食の方を直ぐに御用意させますので、軽く食べられて下さい」
「判ったよ!!」
金の貴公子は腹を決めた様に言うと、翡翠の貴公子を振り返る。
そして、ぎゅっ・・・と彼の手を握る。
「主・・・・俺、直ぐ行って直ぐ帰って来るから・・・・」
翡翠の貴公子は顔を赤らめた儘、肩で荒く息をしている。
医者は、もう直ぐ来る様だが、こんなに熱が高くて大丈夫なのだろうか??
まさか死んだりはしないだろうな・・・・と内心、青ざめる金の貴公子。
だが執事にやんわりと急き立てられて、金の貴公子は主の寝室を出た。
金の貴公子は数刻の間、馬車に揺られ、南部のトールマン伯爵邸に到着した。
今回の夜会には、ミッシェルが付き人に付いて来てくれていた。
夜会は、まだ始まったばかりなのか、
徒っ広い前庭には続々と貴族や大富豪の馬車が入って来ている。
金の貴公子が、
きっちりとグリーンの礼服を着込んでミッシェルと共に邸宅の玄関へ向かって歩いていると、
一人の貴族らしき若い男が近付いて来た。
「やぁやぁ。此れは、翡翠の館の御方かな??」
声高らかに話し掛けて来たのは、坊ちゃん刈りの蜂蜜色の髪の二十二、三歳の青年だった。
臙脂色の上着からは、膨らんだ派手な白い襞襟が出ている。
金の貴公子は初対面だったが、取り敢えず、にこやかに微笑んで挨拶を返した。
「こんばんは。翡翠の館の金の貴公子です」
すると青年は辺りを見回して言う。
「おや?? 翡翠の貴公子は何処かな?? 一つ御挨拶でもと思ったんだけどね??」
「翡翠の貴公子は今日は体調が悪くて・・・・俺が来ました」
金の貴公子が素直に答えると、青年は目を丸くし、くっくと咽喉を鳴らした。
「異種とも在ろう御方が、御自分の体調管理も出来ないとは、失笑ですな!!
いやはや女みたいな顔をしていると思っていたら、其の通り軟弱な男の様ですな。
実は女じゃないのかな??」
明らかに揶揄する青年の言葉に、金の貴公子はカチンときた。
思わず言い返そうとする金の貴公子・・・・だが其れよりも早く、
「無礼です!!」
声を張り上げたのは、背の小さなミッシェルだった。
ミッシェルは眉間を此れでもかと云うほど近付けると、青年を睨み上げる。
「失礼ですが、貴方と翡翠の館とは直接、御縁がない筈!! 何を根拠に、
其の様な無礼な発言をされるのですか?! まるで愚者そのものの様な口振りですね!!」
間に割って入って来るミッシェルに、青年は眉根を跳ね上げる。
「君は使用人に見えるが」
「僕は翡翠の館の執事見習いです!!
例え、どんな御方で在ろうと、主様を卑下する様な事を言う愚弄な方を、僕は許しませんっ!!」
きっぱりと言い放つミッシェルに、青年は米神に血管を浮かび上がらせる。
「貴様・・・・使用人風情で、高貴なるバジャル家の嫡子、
此のバジャリアンで在る私を愚弄呼ばわりする気か!!」
「します!!」
「お、おのれぇ・・・・!!」
バジャリアンは身体中を震わせると、金の貴公子を指差した。
「勝負だ!! 金の貴公子!! 勝負しろ!!」
「え、え?! 俺?!」
金の貴公子は思わず慌てたが、バジャリアンは鋭い眼光で金の貴公子を睨む。
「此の様な侮辱は、生来、初めてだ!! だが使用人を斬ったとなっては、
バジャル家の名が穢れる。ならば金の貴公子、今君に決闘を申し込む!!」
大声で表明するバジャリアンの声に周囲がざわめく。
「おお、決闘だ」
「決闘が始まるらしいぞ」
わらわらと弧を描いて夜会の客たちが集まって来る。
思わぬ事態に、金の貴公子は背中に冷や汗が流れるのを感じた。
だが、カラン!! と剣が足下に投げられる。
「取れ!! 金の貴公子!! 我がバジャル家と、翡翠の館の名誉を賭けた勝負だっ!!」
この御話は、まだ続きます。
夜会で、決闘を言い渡された金の貴公子は・・・・?
この「ゼルシェン大陸編」を順番通りに読まれたい方は、
「夏の闘技会」から読まれて下さいな☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆




