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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
最終章・エピローグ
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エピローグ・4

 「さっ、『桜庵さくらあん』じゃないですか! いいんですか、本当にいいんですか!?」

 サイドカーに乗った玖凪くなぎは最初、借りてこられた猫のようにそわそわしていたが、目的地に近づくたびに場所の目星をつけたのか別の意味でそわそわし始め、店の外観が見えて予想が外れていなかったことを確認するとキラキラした瞳を秋水あきみずに向けた。

 これまで見た中で断トツぶっちぎりの煌びやかな笑顔だった。

 「そんなに大騒ぎする店なのか?」

 「そりゃそうですよ! 『桜庵』のこしあんは和菓子好きなら知らない人がいないほどの甘味の極致です! つぶあん派も唸る芸術品ですよ」

 「……はあ」

 「でも市街地からは距離があるし、バスの便も良くないし。足がない一介の高校生にとって気軽には行けないお店だったんです」

 であれば、わざわざこのバイクを借りてきたかいもあるというものだ。

 店内に入ると、丁寧に活けた花に竹の装飾、風情のある調度品が出迎えた。それでいて何処かモダンな雰囲気があるのは、店内を広く見せるために最適な場所に配置してあるテーブルと椅子のセットがスタイリッシュな形、ビビッドな色をしているためだろう。古さと新しさが互いを壊すでもなく調和している空間は、確かに特別な甘味を食すにあたり多幸感を増してくれる効果を有していた。

 「どうしようかなっ、何にしようかな」

 店の奥にある個室に通されると、玖凪は独り言を呟きながら嬉しそうにメニューをめくった。和紙でできたページが行ったり来たりを繰り返す。

 しばし目を閉じ瞑想状態に入った玖凪は、注文を取りに店員が来たと同時に刮目し最終的に

「抹茶フルーツクリームあんみつデラックス!」

全メニューの中で一番豪華、そして当然一番値段が張るものを選び、

「これに白玉追加で」

さらにメニューにはない追加トッピングまで注文した。

 早い話が全部乗せ……上級者の貫禄だった。

 満足げな顔をしていた玖凪は、ここでようやく自分のことをジッと見つめる秋水の視線に気づく。

 「――あ」

 ボッと顔から火が出る。欲求に素直になりすぎたことを恥じたのか、今さらのように、

「あ、いや、あの、やっぱり豆かんで」

とか言い出した。

 「いいから、そのまま頼め」

 「す、すみません。いいです。調子に乗りすぎました」

 「いいから」

 不毛な押し問答の末、結局玖凪が折れて注文はそのままになった。

 コップの水を口に含めながら待っていると、改めて玖凪が訊いてきた。

 「よかったんですか? その……連れてきてもらった上に、遠慮なく頼んじゃって」

 何を今さら。感謝するのはこちらのほうだというのに。

 「お前がいなきゃ、俺はここにいなかった。あんみつ程度で済むなら安いものだ」

 バイクを借りて、玖凪が喜びそうな店を探して、迷わないように念のため一度訪問して――長い付き合いの未知みちが「秋水くんって実はすごくマメだったんだねぇ」とその意外性に驚くほど慣れないことをした秋水だが、そうするのが当然というように身体が勝手に動いていた。

 玖凪にしてあげられる最適を自ら選んだ。

 「そんなことは……むしろ、足を引っ張ってしまったし。ご迷惑をおかけしたかなあって」

 玖凪は照れたように微笑み、次に蛇の群れを思い出してしまったのか苦々しい顔をする。

 「しばらく細長いものは無理そうです」

 本人はこう言っているが、秋水は知っている。さっきこの席に案内される途中、他の客が頼んだ羊羹――竹筒に入っていて自分で押し出すタイプのもの――に玖凪が目を光らせ、物欲しそうな顔をしていたことを。

 メンタル強すぎだろ。

 「それに、私は寒凪かんなぎさんに謝らなければならないことがあります」

 すっと玖凪の表情に影がさした。

 後ろめたそうに、それでも目をそらすことなく、玖凪は秋水に告白した。

 「私、寒凪さんの過去を見ました」

 「――そうか」

 玖凪の一言ですべてを察した秋水は、反対に目を伏せる。

 「悪かったな。あんなもの、見たくもなかっただろう」

 「……どうして寒凪さんが謝るんですか」

 玖凪の言葉に微かな怒気が混じる。これは秋水に向けられたものではない。白南風しらはえ玖凪は秋水を襲ったこの世の理不尽に対して、やり場のない静かな怒りを感じているらしかった。

 「……寒凪さんは、後悔していますか」

 沈黙の後、玖凪は問うた。

 秋水が顔をあげると、『凪』の目がこちらを真っ直ぐに見ていた。

 こちらのすべてを丸々映し出す鏡面。もしかしたら、自分はこの目を見たくて――その目で見てほしくて、玖凪を誘ったのかもしれないとふと思った。

 「していない、と言えば嘘になる」

 秋水は正直に答える。

 これまではずっと、5年前の惨劇をどうやったら回避できたのかということばかり後悔していた。だが今回の騒動で、それに加え惨劇後の行動も誤っていたということが判明してしまった。

 身に降りかかった災厄に対し、毅然と対応して一族の義務を果たしていれば――6人の罪人を裁いていれば、奴らが脱獄することも、再び自身が狙われることも、関係のなかった人間が傷つくことも、そして――ガードナーを殺すことも、なかった。

 トドメをさしたのは未知だが、致命傷を与えたのは秋水だ。この後悔はずっと、秋水の人生に重い十字架としてのしかかり続けるだろう。

 これは、一度魔術から逃げた罪であり、魔術を使って生きることを選んだ代償だった。

 「ガードナー(あの人)は、やっぱり」

 ぽつり、と玖凪が呟いた。

 「……寒凪さんは、優しいんですね」

 そして、恵みをもたらす慈雨のような表情で

「私は、あの人が死んで嬉しいとは言いません。でも、寒凪さんが死ななくてよかったと、心から思っています。寒凪さんが死ぬより、ずっといい」

 はっきりと言い切った。

 「最期を見なかった私に、資格があるのかは判りません。でも、私も背負います。私の生も、あの人の死の上にあるのだから一緒です。寒凪さんだけの責任にしません」

 それは何よりも力強い宣言だった。

 「何度でも言いますよ。私は寒凪さんの存在に救われているんです」

 玖凪は気づいているだろうか。彼女が想像しているより何倍も、その言葉が秋水を救っているということに。秋水は首筋――自身が《赤の隷属》を発動させたときに傷は治っている――に軽く手を触れた。

 あまりにも玖凪の物言いがストレートなので、素直に礼を言うのも憚られた。そんな感情を隠すために秋水の口から出たのは、一聞感謝とは関係がなさそうな一言だった。

 「……敬語」

 「はい?」

 「敬語じゃなくていい。歳も同じだし、敬語を使われる理由もない」

 突然の要望に玖凪は戸惑って何度か瞬きをした。秋水が赤い目で強く要求してくるのに耐えられなくなったのか、言葉遣いを努力して改める。

 「わかりまし……じゃなくて、うん、わかった。寒凪くん」

 注文した甘味がテーブルに到着したので、玖凪の意識はたくさんのフルーツや寒天、白玉にアイスがこれでもかと盛り付けられた豪華な器に釘付けになった。手を合わせたかと思えば次の瞬間には木製の匙を掴み、抹茶のアイスをゆっくりと掬っていく。

 生を謳歌している玖凪の笑顔が中庭からの陽光に照らされて輝くのを見て、秋水は無意識に口元を緩めると自分が注文したわらび餅に手をつけた。

 「……わらび餅も美味しそう、だね」

 「……頼んでやるからまずはそっちを食べろ」

 季節は桜の頃から移ろうとしていた。青々とした木々の葉が清風に揺れ、初夏の訪れを晴れやかに予告していた。

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