エピローグ・3
午後3時過ぎ。
部活が終わった帰り道、玖凪は河原に来ていた。
数日前、秋水を追ってくぐり抜けた『門』はすでに消滅している。川の水量も平常に戻り、心が洗われるような穏やかな風景が広がっていた。
日光が反射してキラキラと輝く水面を眺めながら、玖凪は歌を口ずさむ。
見えるでしょうか、私の歌が
聴こえるでしょうか、私の想いが
虹のような鮮やかなグラデーションの帯が空に昇っていく。真昼に見るオーロラは、太陽と調和して温かく一面を覆った。
「すごいなぁ……」
出したのが自分にもかかわらず、玖凪は空にかかった光の膜をぼんやりと見上げて他人事のように呟いた。
その目は夏の海の色をそのまま写し取ったような、サファイアブルーの輝きを湛えていた。
『世界の狭間の狭間』での戦いの後、玖凪の髪は青から黒に戻ったが、目の色だけは強い薬を使った副作用のように青色のままになった。といっても、誰からも指摘されないところから鑑みるに、どうやら一般的な人々にはこれまで通りの黒に見えているらしかった。
そしてこれも副作用なのか――青い目を得てから玖凪には摩訶不思議な、しかしこれまでずっとそばにあったものを見ることができるだけの眼力が備わっていた。
意図せず手にしたものを鑑定するように、検品するように、ただ独りで空を見つめ続ける。
「ここにいたのか」
後ろで聞き覚えのある声がして、玖凪は振り向いた。
「……寒凪さん? もういいんですか」
青い瞳が向けられた先には、出逢ったときから変わらない鮮やかな赤色があった。
おそらく玖凪の青を認識している数少ない人間である寒凪秋水は、普段とあまり代わり映えのしないシャツにカーゴパンツというラフな恰好をしてそこに立っていた。
違うところがあるとすれば、憑き物が落ちたようなさっぱりとした表情を見せていることか。
「どうしてこちらに?」
「そりゃ、あれを見ればわかる」
秋水は上空を指差した。玖凪が発生させた光の膜が漂っている。たしかに、遠目からでもわかるいい目印には違いない。が、
「いえ、あの、私が聞きたかったのは『どうやって』ではなく『何故』のほうだったんですが」
「あれ、オーナーに借りたんだが」
いまいち会話がかみ合わないまま、秋水は遥か後方、河原沿いの道を指差した。
ネイビーを基調とした乗り物が停まっている。玖凪がいささか自信のある視力を駆使して見てみれば、それはサイドカー付きのバイクだった。弁当配達のときにつかうバイク――宣伝のため、大きな目立つ字体でお店の名前と電話番号が書かれている、正直プライベートでは絶対に乗りたくない代物――とは雲泥の差である。
ちなみに後から知ったことだが、このバイクは琴弾夫妻が若かりしころ青春を共に過ごしたかけがえのない古参の友であり、聞いたら長すぎて途中で寝てしまうほどの大長編の大冒険を繰り広げたらしい相棒であり、実際借りるにあたりその武勇伝を聞かされ後半に秋水は無我の境地に辿り着いた。そんなバイク。
何故わざわざサイドカー付きのバイクで。体調も良くなったばかりなのに。
部活が終わる時間に迎えに来てくれたとか。
…………ない。
ないないないない!
心に一瞬浮かんだ自惚れを、玖凪は全力で弾いた。高校と下宿は大して離れていない。そんな都合のいいことはない。意味もなく顔が赤くなる。すごく図々しいこと考えた私!
こちらの気持ちを知ってか知らずか、おかまいなしに秋水は言った。
「乗れ」
その後続いた言葉は、突如降って湧いた棒高跳びの選手の如く玖凪の想像を軽く越えてさらに吹っ飛ばした。
「なんでも好きなものご馳走する」
秋水は真面目で、何処までも真顔だった。




