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赤の理由 青の盾  作者: 賢木 緋子
第5章・青の盾
51/57

青の盾・5

 「――来ます!」

 晩餐の間の盾を解除した玖凪くなぎが声を張り上げた。

 秋水あきみずは全神経を玖凪の調整に捧げる。

 (総魔力量は150で維持。盾2つに50、魔力探知に50、自己回復に50――!)

 余剰は残さない。玖凪の能力を最大限引き出してみせる。

 「やれ!」

 「はい!」

 青の双眸が玖凪の意志に呼応して神秘的に輝く。

 ぱちん!

 光の粒子を散らしながら、前に伸ばされた玖凪の左手の指が小気味よい音を鳴らした。

 盾を展開し直す場所は決めていた。晩餐の間と本棟をつなぐ渡り廊下を抜けたすぐ先――右翼1階部分の廊下と2階に続く階段下の2カ所。

 2つの進路を塞ぎ、敵の出方を窺う。

 「! やっぱり駄目です!」

 魔力探知で姿の見えない敵の動向を探っていた玖凪が悲鳴を上げるのと、右翼で起きた激しい破壊音が響いてくるのはほぼ同時だった。

 屋敷が振動し、迫り来る危機を全身に伝えてくる。

 「あの人――1階廊下の天井に穴を開けて、2階に上がる気です!」

 「2階に侵入された時点で床に空いた穴を盾で塞ぎ、1階部分の盾2枚を解除、2階の階段と廊下に1枚ずつ展開。3階に上がってきたら同じ方法で対処だ」

 「はい!」

 間を置かず、再び破壊音と衝撃が屋敷を襲った。

 「――行きます!」

 また玖凪が指を鳴らす。見えない右翼で秋水の指示通りに盾の場所が切り替わった。

 元々優れていた玖凪の魔力探知の才能は、《赤戒せきかいくさり》によって索敵レーダー並みの正確さを得ることに成功した。

 秋水には分からないものを、玖凪は把握している。今や玖凪は見えずとも、寸分の誤差なく敵の位置や屋敷の空間を認識出来ていた。

 まさしく神の目。偶然にしては出来すぎた天稟。2人が揃って可能になった規格外な戦術。

 「今のうちに下へ!」

 3階部分に侵入されたことを感知した玖凪が、秋水の手を引いて走り出した。

 屋敷左翼奥の階段を駆け降りる。玖凪の履いている茶色のローファーが忙しなく大理石の段を打ちつける音が吹き抜けに反響した。

 「寒凪かんなぎさん、盾を6枚出すことはできますか!」

 「6枚!?」

 前を流れるように走っていた玖凪が無謀な要求を突きつけてきたため、秋水は絶句する。

 「この作戦で1番怖いのが、中央階段で一気に間を詰められることです。だから、左翼で一度近くに引き寄せた後に完全に動きを封じて、時間を稼いでいる内に右翼まで移動して距離を取らないと!」

 「理屈は分かるが……」

 攻撃されても壊れない最低限の硬度、瞬間移動を妨害する性能。これを維持したまま6枚もの盾を出すためには魔力が不足する。

 魔力探知の精度は生死を分ける。そちらの魔力を盾に回すわけにはいかない。

 となれば――。

 「回復がままならなくなるぞ」

 玖凪が機敏に走り回れているのは自己回復に多めに魔力を供給しているため。これはその場しのぎのドーピングに他ならない。

 減らせば当然、不調を押している玖凪の身体を激しい反動が襲う。

 「大丈夫です。やってください!」

 タンッ、と最後の一歩は一際大きな音を響かせた。

 長い下り階段の末、1階にたどり着いた玖凪はくるりと向きを変える。スカートのプリーツが場違いなほど優雅に舞った。

 暫し逃走者の2人が追跡者を待ち構えるという奇妙な構成が生まれる。

 「――――来た!」

 階段の真上、3階部分に黒い影を感じ取った瞬間、玖凪が反応した。

 「寒凪さん、お願いします!」

 (盾6つに80、魔力探知に50、自己回復に20――!)

 「しばらくそこから動かないでください!」

 秋水が魔力配分を変更するのと同時に、玖凪の指が音を弾く。

 「く……っう!」

 ぐらり。玖凪の身体が傾ぐ。が、床を踏みしめて倒れることなく耐えきった。

 「おい! あまり無理するな!」

 「今無理しないでいつするって言うんですか」

 上を見直すと、階段の隙間から淡い青の光がわずかに漏れていた。戻って確認する気も余裕も一切ないが、3階にはガードナーを閉じ込めた立方体が生じているはずだ。

 1階エントランスに入り、右翼へと向かう。

 エントランスは屋敷の顔に相応しい装飾が施された開放的な空間だった。場の主役である中央階段は、他の階段の倍以上の幅がある。光沢がある大理石の階段を引き立てるように、真紅のビロード絨毯と金の手すりが絶妙な位置で配置されていた。壁の彼方此方で生えているように見えるは可憐な花を模したガラス製の照明。絢爛でありつつ上品なエントランスは、秋水の記憶の中にあるものと何一つ変わっていなかった。

 「はぁ……は……っ」

 玖凪は覚束ない足を必死に動かしている。やはり回復を減らした反動が来ていた。息は絶え絶え、左腕は力なく垂れて動きにつられて揺れているだけ。

 「辛抱しろ、右翼に着いたらすぐに切り替えを――」

 玖凪に手を引かれていた秋水が前に出て、位置が入れ替わる。苦しむ彼女を慮った秋水は彼女の顔を窺い――そこにあった予想外の表情に目を疑った。


 玖凪は熱を帯びた瞳を輝かせて爛々としていた。


 「寒凪さん、私、ちょっとおかしなことを言います」

 熱にうかされたように、玖凪は言葉を発する。体調が良くなっているはずもない。疲労は限界を超え、しかも死の足音という恐怖が迫っている。が、

「今、すごくだるいし、怖いし、自分でもホントのホントにわけがわからないんですけど」

歌を歌っていたとき以上の生気を漲らせて、白南風しらはえ玖凪は言い切った。

 「嬉しいんです。力をここまで役に立つことに使えて……!」

 水を得た人魚のようだった。

 玖凪の一言は、彼女がままならない力に対して如何にコンプレックスを抱いていたか、それを秋水に再認識させるには十分すぎた。そして、秋水の想像以上に重度だったということも。

 防御と魔力探知。生き残るためにはまさに誂え向きの能力。それらをこのタイミングで扱えていることで、玖凪の中ではどの感情よりも喜びと興奮が優先されているのだった。

 「…………っ」

 広いエントランスの中央に到達する。強さと脆さを内包した少女は、艶やかな青い髪をたなびかせて中央階段前にある飾り模様の床を跳躍した。

 一枚の絵画のように、その光景は秋水の網膜に鮮烈に焼きついた。

 胸が痛い。締め付けられる。

 綺麗なドレスを纏わずとも、煌びやかなアクセサリーなどなくとも、生に対する気高さと力強さは玖凪を引き立てた。屋敷のエントランスは、もはや青い姫君のために用意された舞台装置だった。

 「切り替え準備! 6枚を解除し、3階廊下と階段前に2枚展開」

 しかし、いつまでも見惚れているわけにはいかない。豪奢なエントランスを駆け抜け、屋敷の右翼に入る。

 瞬時に魔力の配分を切り替え、盾の負担を減らした。

 「ふ、ぅ」

 玖凪の顔色がわずかに明るくなる。ふらついていた足も持ち直した。

 「これで1周、ですか」

 右翼奥、渡り廊下の手前から晩餐の間を眺めつつ、すぐ傍の上り階段に足をかける。頭上にはガードナーが開けた大穴があった。木材が無惨にも引き千切られ、床にささくれ立った破片が落ちている。

 左翼で再度轟音が上がった。ここにあるのと同じ穴が、音の発生場所で新たに作り出されていることは想像に難くない。

 「…………?」

 「どうした?」

 階段の途中で玖凪が足を止めた。

 「なんだか……変な感じが……」

 怪訝そうに辺りを見回した玖凪は、危険を察知してさっと顔色を変えた。

 「寒凪さん! 避けて!」

 「うぐっ!?」

 玖凪は秋水に体当たりをすると自分の身体ごと壁面に押しつけた。

 柔らかい感触。消毒薬と花の香が混ざった匂い。わけのわからないまま触覚と嗅覚を刺激された秋水は、一拍置いて玖凪の肩越しにそれを見た。

 玖凪の背中スレスレを黒い弾丸が猛烈な勢いですり抜けていったのを。

 「今のは……!」

 バッと弾丸の流れていった先に目を向けると、階段の側面にひび割れを作りながら黒い靄が空気中に溶けていくところだった。

 「仕掛けてきた。この遠距離で――!」

 玖凪によれば、ガードナーは「魔力探知には自信がある」と豪語していた。こちらの精度に敵うはずはないが、ガードナーも魔力探知で大体の位置を探ってきている。

 この状況の場合、攻撃の手段があるほうが圧倒的に有利だ。

 「すみません、相手の場所と盾に気を取られて、気づくのが遅れました!」

 「今、奴は何処に?」

 「左翼の2階から1階に降りようとしています。さっきの蛇は3階から1階まで中央階段を通って――――いけない!」

 一度は身体を起こしかけた玖凪が、再び密着する。時間差で放たれた別の蛇が宙を駆けていった。不躾にも美しい大理石に穴を穿っていく。

 「このままじゃ進むこともできなくなります……!」

 「仕方ない、魔力に少し余剰を作る。攻撃が来たらその分で防御を」

 「はい!」

 本当は余剰を作りたくない。魔力を無駄に遊ばせるくらいなら、探知か回復に充てたいに決まっている。

 玖凪と魔力探知を共有しているわけではない秋水は己の不甲斐なさに唇を噛んだ。

 自分はあくまでも才能の増幅器。この作戦の要ではあるが、同時に足手まといでもある。

 不意打ちが来れば玖凪は気づいても秋水の反応が遅れる。即時性が求められる状況では、玖凪の意志で自由にできる魔力を残しておく他ない。

 ――ヒュッ。

 風を切る音。

 3階に到達した途端、廊下で出迎えたのは容赦ない弾丸の嵐だった。

 「ああもう!」

 秋水の前に滑り込んだ玖凪は指を鳴らす。

 廊下の形に合わせた長方形の盾に攻撃がぶつかり、破裂音と衝撃が同じ数だけ生まれた。

 「挟み撃ちするつもり……?」

 玖凪は眉根を寄せる。

 怒涛の攻撃の裏で、ガードナーは背後を取るように着々と右翼へ忍び寄っていた。

 「盾を展開したまま押し切れるか?」

 ここで足止めされていれば追いつかれる。

 不規則な衝撃に震える盾を支えながら、玖凪は深く頷いた。

 「まかせてください!」

 空色の盾は強い光を発するとわずかに厚みが増した。伝わる衝撃が和らいだのを確認した玖凪は、盾を維持したままブルドーザーの如く廊下を突っ走る。

 「ったああああああああ!」

 見えない盾の向こう側で一際激しく悪意がぶつかる音。それはいい加減諦めろという声のない脅しそのもの。

 が、玖凪は意に介さず、速度を緩めるどころかむしろ上げていく。ほとんど見分けのつかない壁とドアと絨毯――廊下の風景が速やかに後ろに流れていった。

 念のため、通り過ぎた廊下にも盾をはって安全を図る。

 角を曲がり、中央階段前を通過。左翼に戻ってまた角を曲がり、

「っふ、う……!」

ここでようやく玖凪は手にした盾を解除することができた。

 「まさかここまで集中的に攻撃してくるなんて……」

 乱れた息を整えながら玖凪が呟く。

 予想はしていたことだった。使用できる魔術の種類は敵のほうが幅広い。時間が経てば経つほど対策されて不利になる。それにしても――

(誘導されている……?)

 秋水は自分の内側から染み出てくる胸騒ぎに顔を曇らせる。

 相手の行動パターンの変化が想像以上に早い。もうしばらくは距離を空けたまま比較的安全に逃げられると思っていたのに。

 迂回した遠距離からの攻撃。ガードナーが中央階段を使わずに右翼へ回ったこと。

 真意が不透明な、不可解な行動。繋がっているはずの糸がまだわからない。

 背筋に冷たいものが走る。見えない包囲網がじわじわ狭まっている気配がした。

 それでも逃げて時間を稼ぐしかない2人はまた左翼奥の階段を下る。

 突如、

「――――!」

階段と2階廊下手前の2カ所がくすんだ銀色の壁で封鎖された。

 隠れていた得体の知れない闇の一部が姿を現し牙を剥く。

 「――なっ!」

 「意趣返し、のつもりか……!」

 胸騒ぎの正体を見た秋水は悟る。そして、ガードナーのポリシーやキャラクターを今さらながら思い出した。

 無駄を嫌う性質。目的のためには手段を選ばないが、段取は吟味する男。

 そんな奴が獲物を単純に追いかけ回すことをよしとするわけがない。

 「まずい!」

 仕掛けられた罠は、玖凪の盾とはまったくの別物であった。すなわち、

「防御します!」

攻撃の手段を持ち得るということ!

 2枚の銀色の壁から一斉に蛇の弾丸が湧き出た。

 「くぅっ!」

 すんでのところで盾を出した玖凪は、1枚の盾で2方向からの攻撃を防ぐ。そのかわり、左翼の最奥、行き止まりに追い込まれてしまう。

 進路が、完全に断たれた。

 「寒凪さん! そこの大穴は使えませんか?」

 しかし、首だけで後ろを振り向きながら、玖凪が訊ねた。

 廊下行き止まりの真の奥、そこにガードナーが開けていった大穴が存在していた。下には大広間の家具類と花模様の絨毯が見える。ここから1階に降りることは可能だった。

 「少しずつ後退します。タイミングを見計らって、飛び降りましょう」

 じりじりと下がってくる玖凪に合わせて、秋水も後退する。

 「まだ――もう少し……」

 ふと、

(…………?)

秋水はまだ自分の中に違和感が残っていることに気がつく。

 その最後の疑問に至ったのは早いほうだったのか、遅すぎたのか。気づいたのは幸せだったのか、不幸だったのか。

 どのみち、取れる手段が存在しないという意味では、そんなもの些細なことだったかもしれない。

 何故。

 何故、白南風玖凪はこの場に用意されていた罠に気がつかなかったのか?

 (まさか……!)

 足元から昇る不穏な冷気に固まる。

 そうだ、明らかにおかしい。魔力探知に割り当てた魔力量は変えていない。普通に考えれば、玖凪がこんな罠を見落とすはずがない。

 ガードナーが用意したのは、この罠だけではない?

 もっとタチの悪い、大掛かりなものが――。

 「寒凪さん、行きますよ!」

 大穴の縁まで後退してきた玖凪が声を上げるのと、秋水がガードナーの真意を悟ったのは同時だった。

 「駄目だ!」

 制止も虚しく、玖凪の身体が大穴をくぐり抜けて下に落ちていく。手を離すことのできない秋水も当然のように後を追って落下する。

 形を持たない、しかし確かに執拗に漂っていた紫煙の匂い。

 目の前に現れた光景は大広間ではなく、一番近づいてはならなかった始まりの晩餐の間だった。

 「えっ!?」

 一瞬にして左翼から右翼へ。予想外の場所に、玖凪が思わず声を漏らした。

 2人は重力に従って赤い床に向かって落ちていく。

 しゅるり、闇の中から幾本もの黒蛇が飛び出してきて、罠にかかった獲物に群がった。落下途中の玖凪を絡め取って、宙に固定する。


 固く結ばれていた手が、ほどける――。


 「白南風!」

 独り床に墜落した秋水は受け身をとって素早く立ち上げるものの、そこから何もできずに立ち竦む。

 《赤戒の鎖》の加護をなくした玖凪は、ぐったりと四肢をぶら下げていた。

 玖凪を捕らえた蛇の大樹の根元には、薄汚いコートを来た男――ガードナーがうっすらと笑みを浮かべて佇んでいた。

 彼は、遊びの鬼に相応しい一言を使って無情にも終了を告げる。


 「つーかまえた」

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