滲み出す影・1
忘れもしない、否、忘れようとしても忘れられない。
ずらりと並んだ燭台の蝋燭に火が灯る。
ぽ、ぽ、ぽ、ぽ、と。左側から順番に、一定のリズムで。
右端までくると今度は折り返して火が消えていく。
火の気がなくなった、と同時にすべての蝋燭が一気に燃え盛り、先ほどのものはウォーミングアップだったとばかりに複雑な点灯・消灯を始めた。
左右の両端から波のように点灯。一つ飛びで消灯したかと思えば、次はその逆。中央の蝋燭から細い火柱が上がって、他の蝋燭に火が移る。
揺らめく炎のイルミネーションは、常人には真似出来ない芸術の域に達していた。
しかし、それを行っている少女も、その傍らにいる少年も、さも当たり前のようにぼんやりと眺めていた。
「姉さん」
「なーに」
「蝋燭が熔けるよ。もったいない」
その日はその一族にとって一年に一度の特別な日だった。
親族全員が屋敷に集い、いつも以上に豪華な食事をする日。――食事会の後に大人たちは今後の一族や国の在り方について話をしたり、魔術を強化する儀式のようなものを行ったりしていたようだが、幼かった少年にとってはただ『楽しい日』という認識だった。
「ちょっとは落ち着きなよ。まだ時間あるんだから」
蝋燭で遊ぶのを止めた姉に少年は言う。食事会が開かれるのは夜だったため、日中は暇を持て余すしかなかった。好奇心旺盛な姉はいつにも増して目を爛々とさせていた。
「だって、今日はダリアとか叔父様伯母様もいらっしゃるでしょう? 会うのは一年ぶりだもの、落ち着けというほうが無理よね」
「だからって、いきなり屋敷の中で魔術の練習始めなくても……」
「貴方こそ、さっきから部屋の中を何往復すれば気が済むのよ」
本当のところ、普段は姉を諫めることが多い少年もこの日ばかりは気持ちが浮き立つのを止められなかった。
他の地域で暮らしている従姉妹や叔父夫妻、大叔父。豪華な食事も楽しみだったが、それ以上に親族と久しぶりに会えることが嬉しかった。彼らがもたらしてくれる他地域の話は、姉弟にとってこの上なく貴重でどんな物語よりも面白いものだった。
「あーもう、早く夜にならないかなー」
窓のへりに腰掛け、両脚をジタバタさせる姉。この日のために特注されていた、いつもの2倍はフリルが施されたドレスが華やかに舞った。
「お嬢様、はしたないですよ」
声に振り返ると、部屋の入り口にメイドが立っていた。
落ち着いた桃色の長髪を結い上げている若い女性。まだあどけなさの残る顔立ちには健康的な艶がある。白と黒を基調としたメイド服はシンプルなものだが、メイド服にするにはもったいないほど上質な生地が使われていて、着る者の所作に応じた美しさが表れる作りになっていた。屋敷には複数人のメイドがいたが彼女はその中でも一番若く、姉弟にとっては気軽に話ができる相手だった。
「だって、暇なんだもの。脚でも動かさないとやっていけないわよ」
唇を尖らせる少女を見て、メイドは困ったように笑う。
「せっかくのドレスが、お食事会の前にシワシワになってしまいますよ?」
「いいもの。気にしないもの。なんだったらこれで体術の特訓しちゃう」
「それだと私が怒られるんですよねー。うーん、そうだ」
何かを思いついたらしいメイドは、部屋の中に入ってきて姉弟に耳打ちをした。
「もし暇を持て余していらっしゃるのであれば、一つお願いがございます」
「ん? なあに?」
「お二人で、おつかいに行ってきてくださいませんか?」
「おつかい?」
姉は自分の後ろにあった窓へ振り向き、外の景色を見た。
吹雪というほどではないが、真っ白な雪がちらついていた。
「おつかいって、何を買ってくるの」
尋ねた少年に、メイドはにっこりと微笑んだ。
「お食事会の後に出す予定の菓子類でございます」
「お菓子?」
おそらくは外の雪を見て外出するのに抵抗があった姉が、『菓子類』という言葉に釣られた。
「はい。今回のお食事会では、シェフがデザートを用意しております。ですが、それとは別に、夕食後も軽くつまめる菓子類を外で買って用意する予定でございました。せっかくなので、お二人がお好きなものをご自分で選ばれたほうがよろしいかなと思いまして」
「うん、選ぶ選ぶ!」
現金な姉だと思ったが、屋敷の中にいても退屈であったし、悪くない提案だった。
「では、決まりですね。コートをお持ちします」
コートをスッポリと纏った姉弟は、雪の中おつかいに出た。
「では、お気をつけて」
メイドが門のところで見送りをしてくれた。
「よし! 何を買おうかしら。ダリアたちが知らない、新しいお菓子は必須よね。いろいろ買って驚かせるんだから」
すっかりお菓子のことで頭がいっぱいになった姉に引っ張られて街に向かう。
メイドは姉弟から完全に見えなくなるまで門の前に立っていた。
「なんだか、いつも以上ににこにこしてたね」
屋敷が見えなくなってから、少年は前を走る姉に話しかけた。
あのメイドは、少年が見る限り笑顔を絶やしたことがなかった。茶目っ気があり、姉弟が困らせても笑って済ませてしまうメイドだった。
「うん? そうかしら?」
お菓子のことで心ここに在らずの姉は、あからさまに適当な返事をした。
「うん、まあ、あれじゃないかしら。『本当だったら雪の中自分で買いに行かなきゃいけなかったけど、子どもたちが行ってくれてラッキー』みたいな?」
適当な割には案外あり得そうな話だったので、少年はそれで納得した。
頭の隅に引っかかった疑問は消え、少年の思考は姉と一緒に買うお菓子の種類にシフトした。
もう過ぎてしまった話に『もしかして』を持ち出すのはあまりに意味がない。
しかし。
少年が気づけたとすればこの時点の他にはなかった。
とはいえ、このときの少年にそれが出来たかといえばそれは無理な話でもあった。
少年は何も知らず、何にも気づかず、ただ姉と一緒にお菓子を買って戻ってきた。
そして――。




