少年と少女のおつかい・11
「本当にありがとうございました」
千佳の母親は何度も頭を下げた。お礼にと財布を出そうとする手を玖凪が慌てて止めた。
「わわ、いいです。貰えませんよ」
「でも、何もしないわけには……そのぬいぐるみだってお金がかかったでしょうし」
「いえ、気にしないでください。お礼をいただきたくてやったわけじゃありませんから」
それでも納得できない母親は思案顔になり、やがて妙案を思いついたらしく腕に下げていたビニール袋を玖凪に差し出した。
「それじゃあ、代わりにこれを。どうか受け取って」
「あ、これは……」
玖凪と秋水が中を覗き込むと、渋い緑色の和紙に包まれたパックが入っていた。和紙の切れ目には『紅梅堂』のシール。
「ね、これならいいでしょう?」
「……わかりました。美味しくいただきます。ありがとうございます」
ビニール袋を受け取った玖凪は、母親にぴったりとくっついている千佳に目を向けた。しゃがんで千佳と同じ高さに目線を合わせると、おもむろに千佳の両頬を親指と人差し指で柔らかくつまんだ。
「ふ、ふあ! おねえちゃん?」
「ふふ、千佳ちゃん、ちょっと笑顔になったね」
むにむにと千佳の頬をつまみ、パッと離す。
それを横でぼんやりと眺めていた秋水は、とある急激な変化に目を奪われた。
――それは、玖凪の目。
指を離したのがトリガーとなったかの如く、ガラリと、玖凪の目にこれまでとは異なった雰囲気が宿った。
優しいだけではない。厳しいだけでもない。ただ、彼女の話を聞かなければいけないという気にさせる目。相手を引き込んで離さない目。
その目で千佳を見つめ、玖凪は自分の考えを紡ぐ。
「あのね。千佳ちゃんが前に住んでた街、とっても素敵なところだったんだと思う。千佳ちゃんを見てると、大好きなんだなってすぐにわかるもの」
玖凪の横顔からは、クレープを食べて満面の笑みを浮かべたりクレーンゲームで失敗して悔しがったりした女子高生らしさが嘘のように抜け落ちていた。
神秘的とすら思えるその横顔に、秋水は釘付けになった。
そして、この奇妙な感覚を当てはめるためにはどんな言葉を使うのが相応しいのか、考えずにはいられなかった。
「でもね、私はこの街の良いところ、いろいろ知ってるんだ。で、この街は千佳ちゃんの街に負けないくらい良いところだと思ってる。千佳ちゃんがそれを知らないままなのはもったいないなって」
ああ、そうか。
これは――『凪』だ。
彼女の名前の通り。
凍てつく空。
鏡の海面。
清々しいほど静寂で、穏やかでいながら凛と張りつめた空間。
この既視感は、自分が初めてこの世界に来たときの――。
「きっと、この世界には素敵なものが隠れてる。それを探すのを諦めないでほしいんだ」
自分に向けられた言葉のように錯覚して、秋水は虚を衝かれた。
忘れるはずもない。この言葉は、5年前にも。
玖凪と姉は外見的に似ているところがほとんどない。髪の色や長さ、目の色と形、当然のことながら記憶の中の姉は5年前のままなので、背丈も違う。
――それなのに、一瞬だけ、玖凪に姉の面影が重なって見えた。
「ちょっと探してみよう。もし見つかったら、かおちゃんやきっちゃんに教えてあげようよ」
実際に言葉を向けられていた千佳は魅入られたかのように玖凪の目を見ていた。自分の中で整理がついたのか、最後に「うん」と呟きコクリと頷いた。
「よかった。それじゃあ約束だよ」
玖凪の表情に年相応の笑顔が戻る。
魔法が解けたような、時間の流れが正常に戻ったかのような、不思議な感覚がその場に満ちた。
こうして、迷子の女の子捜しは終わりを迎えることになった。
母親に手を引かれて行く千佳を、玖凪は大きく手を振りながら見送った。その際、ちゃっかりコトリ弁当の存在をPRすることも忘れなかった。
「さて、私たちにできることはここまでですね」
玖凪は手を下げながらそう呟いた。
? 『ここまで』とはどういう意味だ。
秋水の視線に気がついたのか、玖凪は補足を入れてくれる。
「あ、今のは『千佳ちゃんがこの街を好きになってくれる手助けが』ということです。今日私たちに出来たのはあくまでも導入みたいなもので、実際千佳ちゃんがこの街の良さに気づいてくれるか、それとも前の街に拘るのか、それは千佳ちゃん次第ですから」
自分のお節介な行動に意味がないかもしれないことを淡々と評価している。
「それは、お前にとっては残念なことじゃないのか」
「ん、まあそうですけど。でも、心配はしてませんよ。この街が千佳ちゃんのお気に入りになれなかったとしても、この先それになれる場所や物は必ずあります。一度好きになった経験があれば大丈夫。好きが一つである理由なんてどこにもないんですから」
本人はこう言うが、秋水は先ほどの別れ際の会話を思い出しながら、おそらく玖凪が残念に思う結果にはならないだろうと思った。
「千佳ちゃんもそうですけど、私としては寒凪さんのほうもどうかなーって思っているんですが」
「……は?」
気がつくと玖凪は秋水のことを見つめながら屈託のない笑みを浮かべていた。――岩城公園に向かう際、浮かべていたものと同種の笑みを。
「いかがでしたか? 導入コースは?」
ここまで言われて、秋水はようやく、千佳のためのツアーが自分のためのツアーでもあったということを悟った。
「千佳ちゃんがメインだったので、寒凪さんが気に入りそうなところにはあまり行けませんでしたけど。ホントはもっといろいろあるんですよ」
面と向かって「悪くなかった」とは、なんとなく言いづらい。その結果口から出てきたのは。
「お前が気にすることじゃ、ない」
「はい」
「後は自分で探しておくから」
「……はい!」
大きな目を細めてにっこりと笑う玖凪。
――ああ、なんというか、本当に……変なやつだ。
玖凪の顔を直視できず、秋水は歩道のほうへ目を逸らすと当初の目的地へ向かって歩き始めた。
「……?」
が、玖凪が追いついてくる気配がないので不思議に思って振り返る。
10メートル先、先ほどとまったく同じ位置に玖凪はいた。
玖凪はとある方向をじっと見ていた。気のせいでなければ、それは看板が落ちたビルのある方向だった。
「どうかしたか?」
「あ、いいえ。なんでもありません」
玖凪はなんだか腑に落ちない顔をしていたが、最終的にはゆるりと首を横に振った。
「それでは、帰りましょうか」




