八話:太陽になりたい
私は太陽になりたい。
全てを照らし、遥か空より光を注ぐ道標。誰かが心折れて暗闇に堕ちたならば、空を見上げればそこにある偉大なる太陽となって、その堕ちた背中に光翼を生やして飛翔できるように。
生きやすい方向性を示すことで、それぞれの独自性を活かして生きる土台を作り上げられるように。
私は太陽になりたかった。
「で、なにこれ」
アンバーオックスに呼び出されて、私は使われていない教室にいた。そして、椅子に拘束されていた。
放課後の空き教室は、すっかり夕闇に包まれていた。空の地平線から差し込む最後のオレンジの光が、床に長い影を落とし、屋上のコンクリートの上の埃が淡く浮かび上がる。
教室に備え付けられた時計の針が静かに時を刻む音だけが、世界に響いていた。
「うるさいわね、剥ぐわよ」
「何を!?」
「拷問は初めてだから、勝手がわからないのよ。黙りなさい」
「拷問するならせめて何か聞け!! 黒髪クール清楚系のサイコパス!! 神!」
「私は別に黒髪クールを装っているわけじゃないわ。そもそも神って何? 神聖なる存在を嘘つき呼ばわりなんて恥知らず」
「神を嘘つきだと認識している時点で、アンバーオックスも異端だよ!!」
アンバーオックスは窓際に体重を預けて、黒髪を指で強く握りしめていた。長いストレートの髪が、指の間からこぼれ落ちる。
赤い瞳は外の空を睨み、唇を固く結んでいる。肩が微かに上下し、息を荒げていた。普段のクールで凛とした仮面が、今は脆く剥がれかけ、代わりに苛立ちと羨望、そして深い疲れが顔を覗かせていた。
「なんで、私は拘束されているのでしょうか? このまま顔に袋を被せられて、金属バットでボコボコ、みたいな流れですか。アンバーオックス様」
「そんなことしないわよ、私を一体何だと思っているの?」
「フレンド?」
「ええ、その通り。だからこういう悪ふざけに付き合ってくれても良いでしょう。貴方はリコンフィグと少し似ているから、本体に出来ないことをかわりにするのにちょうどいいわ」
「アンバーオックスの趣味はともかく、それは真唯本人にやってよ! 私を代用品にしないで!」
「嘘よ。びっくりするかなって」
「おめでとう! めちゃくちゃびっくりしたよ!!」
空き教室に呼び出されたと思ったら、椅子に縛り付けられてびっくりしない人間がいるだろうか? いやいない。
というか、ノリ良いな。アンバーオックス。いつもは冷静でクールなイメージがあったけど、こういう冗談もするんだ。
「で、私に何の用なの?」
「アンバーオックスがそれを言うんだ。呼び出されて、拘束された私が言う台詞だと思うけど」
「前に言ってたじゃない。私の心を知りたい、って。好きなように質問しなさいよ。ほら早く。なんかあるでしょ?」
「なんかアンバーオックス、リコンフィグの悪い部分抽出したみたいになってるよ」
「空気悪いわね、ここ」
「アンバーオックスは空気読めてないよ」
「このまま縛り付けて帰ろうかしら」
「それはもう性格を通り越して、人間が悪いよ」
私の拘束が解いて、隣の席に腰を下ろしたアンバーオックスは言った。
私は桃色のボブヘアを軽く揺らしながら、静かにアンバーオックスを観察していた。紫の瞳は穏やかで、えくぼがわずかに浮かぶほどの柔らかな表情。でも、その視線は決して押しつけがましくなく、ただそこにいることを伝えるだけだった。
長い沈黙が続いた。アンバーオックスが先に口を開いた。
「……インフェクションは、ほんとにずるいと思う。羨ましくて、憎々しい」
声は低く、刺々しかった。言葉の端々に棘が絡みつき、吐き出すたびに空気が少し冷たくなる。
「みんなが自然に寄ってくる。笑えば『癒される』って言われて、誰と話してもすぐに打ち解ける。空気が柔らかくなって、誰も傷つかない。私は……」
アンバーオックスはそこで言葉を切り、机の端を強く叩いた。かすかな音が教室に響く。
「口を開けばいつも刺々しいって言われる。顔も仏頂面だって。論理ばっかり持ち出して、理屈っぽく攻撃する堅物と誤解されて、距離を置かれる。ユーモアを出しても人を見下していると言われる。直したいって、何度も思った。何度も試した。でも無理だった。変わらない。この性格は、私の呪いみたいなものだって、もう諦めた」
自嘲の笑いが漏れた。でも、それはすぐに苦い表情に変わった。赤い瞳の奥で、羨望の炎が激しく揺れている。
「インフェクションみたいに、みんなを自然に繋げて、心理的安全性なんて言葉じゃなく、本当に安全な空間を作れちゃう人を見ると……胸が焼けるみたいに悔しい。なんで私にはできないんだろうって。努力しても、報われない。生まれつき、こうなんだろうなって」
アンバーオックスの指が震え、髪を乱暴に掻きむしった。声が少しずつ大きくなり、最後には掠れていた。
「私がいなくても、アイツには貴方がいる。私の存在や意思は、無意味だった。何もできず、何もできない」
私は黙って聞いていた。表情を変えず、ただアンバーオックスの言葉を一つ一つ受け止めてる。紫の瞳が、夕陽の残光を映して優しく光る。さらに長い沈黙が落ちた。
アンバーオックスは息を吐き、視線を逸らした。心を許す気など、毛頭ない。こんな弱音を吐いたこと自体、後悔が湧き上がり始めていた。
「……こんなこと、言っても無駄よね。貴方に理解できるわけない。でも、知りたいって言ってたから教えて上げたわ。どう? 感想は? 何か言ってみなさい」
呟くように言って、アンバーオックスは立ち上がろうとした。逃げ出すように。その時、私が静かに口を開いた。
「……アンバーオックスは苦しいと思っているんだね、人付き合いを……リコンフィグとの関係を」
声は羽のように柔らかく、でも確かに届ける想いを乗せる。責めたり、同情したりする響きは一切なく、真っ直ぐ伝える。
「アンバーオックスが頑張ってるのは伝わる。でも現実はそうはいかない。その理想と現実との軋轢で苦しんでいる。リコンフィグや、私が絡むのもそうだし、他の人からの否定も入れば……そりゃあガタガタになるのも納得できる結末だと思う」
ただ、事実を認めるような穏やかさ。アンバーオックスは動きを止め、肩がびくりと震えた。でも、すぐに振り向かず、窓の外を見続けた。
「人に評価されるかはおいておいて、私の感想を言わせて。インフェクションはアンバーオックスのそういうところ……嫌いじゃないよ。むしろ、すごく信頼できるって思ってる。言葉がまっすぐで、嘘がないから。どんなに厳しくても、そこにアンバーオックスの本気が詰まってるって、すぐにわかる」
アンバーオックスはゆっくりと振り返った。赤い瞳に、警戒と疑いが強く宿っている。涙など、零すつもりはない。
唇を噛み、声を抑えたような表情だ。
「そんな慰めに意味はないわ。私が人間として異常なのは自覚している。理屈ばっかりの勉強しかできない頭でっかち。善意の正論は誰にも届かない」
「だろうねぇ、そういうものだよ。人間ってやつはさ」
私は小さく頷き、ゆっくりと身を乗り出して、アンバーオックスの机に手を置いた。触れず、ただ近くに。
「羨ましいって気持ちも、本当のことだよね。私はできることを、アンバーオックスはできない。それはきっと事実だと思う」
「マウント?」
「かもしれない。でも逆に考えれば、私ができるならアンバーオックスもできるんだよ。これは先天的な問題ではなく、後天的な技術の問題だから」
「どういうこと?」
「私はね、アンバーオックス。中学時代は陰キャで、虐められて、不登校だったんだよ」
「陰キャで、不登校? 貴方が?」
信じられない、という顔をするアンバーオックス。
「私は不登校から回復するときに王国の支援を受けて、技術を学んだ。私は勤勉に行動した結果、今がある。それは、アンバーオックスは勉強方法さえ分かれば、対人摩擦を最小限にできることを意味している。アンバーオックスは努力できるタイプの人だからね」
「…………」
「アンバーオックスはどんなに辛くても、鋼みたいに立ち続けて、一度決めた人を絶対に離さない。私なんか……すぐ『これ以上は無駄』って、切り捨てちゃうのに。喰らいついていく。だからアンバーオックスは凄いんだよ」
アンバーオックスの瞳がわずかに揺れた。でも、すぐに目を逸らし、壁を見つめた。
「そんな風に言われても……嬉しいなんて、思わない」
声は冷たく、拒絶の色が強い。心の扉は固く閉ざされたまま。でも、肩の震えが少しだけ収まっていた。
私は微笑みを浮かべたまま、静かに続けた。
「私の言葉を疑わしいと思うなら、無理にとは言わないよ。でも……もしアンバーオックスがいつか望むなら、一緒に考えてみたい。少しずつでいいから、アンバーオックスが少しでも楽になれる道を」
アンバーオックスは唇を強く噛んだ。喉がごくりと鳴り、視線が床に落ちる。
「解決なんて、約束できない。ただ……アンバーオックスの気持ちに、ずっと寄り添っていたいと思ってる。辛いとき、弱音を吐きたいとき、隣にいるよ。それだけでもいいなら……いつか、私がアンバーオックスに力を貸すことを許してくれるまで、待ってるから」
アンバーオックスの指が、机の上で固く握りしめられた。涙が一筋、頰を伝いそうになったが、必死に堪えた。赤い瞳は潤んでいるのに、顔を上げない。
「……今は、貴方の言葉を信じられない」
小さな、掠れた声。拒絶の言葉。でも、そこにわずかな揺らぎがあった。
「ありがとう、なんて言えない。まだ……心を許せない」
私はただ頷き、手をそっと引いた。距離を保ちながら、隣に座り続ける。教室に再び沈黙が落ちた。
「少し胸を貸しなさい」
アンバーオックスは私に抱きついてきた。
「え、なに、私はまだ母乳出ないよ?」
「気持ち悪い冗談ね。良いから、人の温もりを貸しなさい。ここは黙って私からの歩み寄りを受け入れなさい」
「……分かった。いいよ、おいで」
夕陽が完全に消え、薄暗い闇が二人を包む。でも、その闇の中で、アンバーオックスの息が少しずつ落ち着いていくのがわかった。
心の扉はまだ固く閉ざされている。でも、ほんの小さな隙間から、温もりが漏れ始めていたのかもしれない。
夜の帳が下りる頃、教室にはまだ二人の気配が残っていた。言葉はもう交わされない。ただ、静かな時間が、ゆっくりと流れていく。




