7・のっぽからの贈り物②
程なくして、変化が起こった。辺りは不気味さを覚える程に静まり返り、やがてはホール全体がブルブルと震え出した。瓦礫が崩れる音や床が振動しない辺り、どうも震えているのは空気らしい。優兎の足元から眩い程の光が溢れ出す。優兎は堪らず腕で遮って後ずさりした。他の五人は今度は何が起こっているんだと騒いだ。
網膜を焼き付くさんばかりの輝きが和らぎ、止まっていた時間が再び動き出したようにさわさわと葉擦れの音が聞こえ始めると、優兎は瞼を開いた。目の前には月光の柔らかなスポットライトに照らされたユニが立っていた。陶器のようにつるりとした螺旋状の角、風の力を借りずにふわふわなびくたてがみ、夜でも尚輝きを損なわぬ美しき毛並みの中に、優兎と同じ青色の瞳が引き立っている。姿を見るのは二度目だというのに、その凛々しさやオーラに、優兎は初めてユニを見た時の感動を再度味わった。
だが、その感動も長くは続かず。ユニが鋭く先端の尖った角で、優兎の額を突いたのだ。
「うげッ!?」
『美しいものを美しいと思うのは厳然たる事実だが、今は惚けている場合ではないぞ』
「だからって、こんな酷い仕打ちを……うわ! 血が! ――というか、普通に登場出来ないわけ?」痛みで我に返った優兎は、怒りを交えた声を上げた。
『神の降臨シーンだぞ。泣いて喜べ』 澄ました様子でユニは言った。『現地でそのまま力を使えば、媒体となる貴様の身が保たんからな。面倒を挟まず発揮する為にわざわざ出向いてやったんだ。ありがたく思え。……まあここは日本人らしく一時間程土下座でもして、締めにハラキリするくらいの一発芸は見せてもらおうか』
ユニはニヤリと笑って、綺麗に生え揃った歯を見せた。……そうだった。外見はどれだけ立派でも、内面とは決して比例しない事の手本となるような奴だった。優兎はズキズキ痛む額を摩りながら溜息を漏らした。
「優ちゃん、お話中のところごめんなさいね。えっと、この方は?」
「前に言ったろ? 森の精だって」
アッシュの小声に対し、ミントはあんたに聞いてるんじゃないわよ、と睨んだ。優兎はユニの要求を無視する事に決めて、話した。
「光の聖守護獣、テレサだよ。僕はユニって呼んでる。言うタイミングがなかっただけで、別に隠してたわけじゃないけど、僕、光の聖守護獣のオラクルになったんだ」
見てる限り特別感は一切ないけどな、という言葉が出かけたが、アッシュは空気を読んだ。ミントは驚いて耳をピンと立たせた。
『駄弁はそれくらいにしておけ』 ユニはシュリープ(極)を見上げた。『生還したい奴はボクから半径二メートル以内に、走馬灯も拒否するような早さで四肢をもがれて死にたい奴は、その辺をほっつき歩いていろ』
素直に優兎達がユニのそばに集合したのを見届けると、ユニは呆れたようにフン、と鼻を鳴らしてシュリープ(極)に向き直った。特別な呪文を唱えるわけでもなく、舞うでもなく、ただじっとしている。ニーナとティムは揃って何もしないの? と視線を交わしたが、優兎を含めた魔法使い達には分かった。
ユニは自身の魔力を撒いている。魔法に長けた使い手ならともかく、つい最近魔法が開花したばかりの優兎でも分かるという事は、そこそこに濃度があるということ。現に確証として、鳥肌と共に小さな魔法陣――青痕がぽつりぽつりと指先や甲に現れていた。ニーナとティムも自身の異変でようやく察したようだった。
魔力は薄霧のように広がり、天井や壁や床、更にはこのホール外の通路、部屋など、至る場所へと染み込んで行った。しばらくそのような状態が続くと、魔力の流れは絶たれ、あちこちで巨大な爆発が起こった。真っ白な閃光と合わせて壁面や天井などが爆破されて、目の前に出現した大きな渦に飲み込まれていく。
飛び散った破片や風は当然優兎達の方にも降り掛かって来て。細かい破片が通り雨のように降り注いだ後に、管から火花を散らした巨大な機械がぶつかって来ようとしていた。四人の魔法使い達は焦る。あんなに重そうなもの、バリアなんかで防ぎきれない!
だが、優兎らが巻き込まれる寸でのところで、ユニが頑丈なバリアを張ってくれたので助かった。その機械は薄ら白いバリアにぶつかると、たちまちに粉砕されて渦の中に消えていった。助けてくれる気があるのなら何でもっと早くにバリアを張ってくれなかったんだ、と心臓をバクバクさせた優兎が聞くと、ユニはしたり顔をチラつかせた。
しかし、庇護となる対象は優兎達だけではなかった。驚いた事に、ユニはシュリープ(極)にも防御の膜を張り巡らせていた。先の魔力の散布と照らし合わせると、つまりユニはシュリープ達にではなく、この聖堂に対して破壊活動を行っているという事になる。
「ユニさんユニさん、どうしてシュリープさん達を解放するのではなく、聖堂を壊すんです? 建物がなくなっちゃいますよ」とニーナ。
『それがボクの狙いだからだ。奴らが解放されるのは、現世に留まる理由をなくした時だ。この場所を徘徊しているのならば、ここには満足に死に切れぬ記憶が残されているのだろう。現に肉体も閉じ込められているのだからな。――ならば壊してしまえばいい。簡単な事だ』
ユニは思い返しながら続ける。
『何も知らん貴様らは、愚かにもここを「聖堂」などと呼んでいるが、実際の姿は違う。かつて最終期頃に、魔力を濃縮した結晶体を作り出そうという動きがあったのだ。そこの中二病(優兎)は賢者の石だと読んだようだが、実情はもっとくだらん。ただの乾電池だ。――だが、凡そ非合法なやり方だったと見受ける。その頃には格差社会がピークに達しており、自分さえ良ければ他者の尊厳は踏み躙っても構わないとの風潮も強かった。にも関わらず、中途半端に祭壇なぞ作って免罪符を立てたつもりになりよって……腹立たしい。それでこの始末とは、とんだ笑い種だな』
ユニは渦の中から黒色の小さな煌めきを抜き取った。結晶だ、と認めた直後、ユニ以外の全員の肌に青痕が増殖して黒ずんでくる。
優兎は三センチ程のそれに見覚えがあった。
「それ、像の中にあった……?」
『偽造工場の中に本物が紛れ込んだようだ。不思議に思わなかったか? 一個人の怨念がなぜあれ程まで肥大化し、変貌を遂げたのだと』
「そんな……。だってそれ、すごく小さいじゃないか」
『聖守護獣本体の一部に等しい聖遺物だからな』
言いながら、結晶の魔力を吸収する。ユニによって結晶は美しい群青色となり、黒ずみの引いた優兎の目の前に回転しながら浮遊した。
『そら、禁忌を承知で作った駄作なんぞよりも希少で価値があるものだぞ。電池どころか、一世代くらいは小遣い稼ぎなんぞ不要の生活が保証出来よう。……欲しいか?』
貧乏人に対して札束を見せびらかすような物言いだ。優兎は静かに首を振った。ユニは他の者達の顔色も窺ったが、その表層の奥に見られる真意は一様に拒絶と受け取れるもの。その中でニーナだけは一瞬尻尾を振って違うリアクションを示したものの、ブンブンと首を振りまくって自分を叱りつけた。ユニは目を細めると、結晶の魔力をすべて吸収して消滅させた。
魔力を容易に通さないというトルロード鉱石を使っているというのに、〈ハルモニア大聖堂〉は普通の家屋のように容易く壊れてしまう。僕らの時はあんなに時間が掛かったのに、と優兎は唇を引き結んだ。
大きな渦が天高くまで伸び、風が止んだ頃には、聖堂は影形もなくなっていた。その代わりに、ユニは粉砕した材料で跡地に新たな白い塔を建てた。曰く、『都合のいいゴミ処理場がないから』という理由で作られたその塔は、たった一間しかないながらも、校長室の芸術品に威張り散らせるだけあって、センスの良さが垣間見えた。白の色調や壁際の像の装飾は控え目な印象だが、あくまでそれらはメインを引き立てる皿でしかないといったふうで、自然と目線は中央にそびえ立つ、巨大なモノリスへと移ってしまう。地下深くまであった薄気味悪い穴も、綺麗に埋め立てられていた。
果して、当人達はこの生まれ変わった塔をどう思うだろうか。優兎はシュリープ(極)の方に視線を移した。シュリープ(極)はやけに大人しくしていて、体となる黒壁を上斜めに傾けており、頭をもたげているふうに見えた。優兎も天を仰ぐ。天井は自然光が降り注がれる作りになっており、今は室内からでも明るい夜空が一望出来た。……ああ、月や散りばめられた星が綺麗だ。雲一つない。
首の裏を摩りながら目線を戻す。するとある変化が起きていて、あ! と声を上げた。
シュリープ(極)の体の色が、薄くなっていた。向こう側の景色がシュリープ(極)を通して透けて見え、青白い炎のような揺らめきが立ち上っている。優兎意以外の五人はもうとっくに気がついていたようで、移り変わる様子を見届けていた。
シュリープの瞳は月を移していた。どこか安らいでいるようにも取れる表情だ。その内ぼわっと揺らめきが更に噴き出し、黒壁のてっぺんにいたシュリープからどんどん色が薄くなって、天に昇り始める。
どのシュリープも魂となり、中に色を灯していた。あれは多分、自らの持っていた魔法の色だろう。空中でシュリープは色を解放してやり、自分達は月の輝く空に向かって、色はなぜだかゆっくりと降下して行き、それぞれ別の場所へと旅立って行った。
「本で読んだ事があるよ」 ジールは静かに言った。「魔法使いの命が尽きた時、霊魂と魔法は別々になっちゃうんだって。霊魂は軽いけど、魔法は重いんだってさ。多くはそのまま落ちて自然に帰っちゃうけど、運が良ければ他の魔法を持たない生物の元へ行って、新たな主に宿る」
「昨日まで魔力のなかった奴が、急に魔法を使えるようになったっていうのも、それが関わってんのか?」アッシュは問う。
「魔法が開花するのは個人によるものだから、単に発現が遅かったってのが殆どだと思うけど……この景色を見ちゃうと、そういう巡り合わせもあるんだろうね」
「……誰か、必要としている人に引き継がれるといいわね」ミントは空を見上げたまま微笑んだ。
蒼白い月の光を浴びながら、シュリープ達は続々と上空へ舞い上がって溶けていく。その最中で解放されて、降下して行く色とりどりの光景は、まるで流星群のように美しかった。その様子を、六人の子供達は静かに見守り、瞳に焼き付けた。皆、心穏やかな表情をしていた。
シュリープ(極)の体が残すところあと僅かとなった時、そのまま仲間と一所に飛び上がらず、優兎達の元へと飛んで来た者が一人いた。「のっぽだ」とジールは驚いて言った。
のっぽは飛ぶ事を楽しんでいるかのように、優兎達六人とユニの周りを巡る。躍動感ある動きなので、のっぽの幼くて元気な声が今にも聞こえてきそうだ。あっちこっち飛んで、一人一人の顔を覗き込んでいる。
のっぽがある者の前にすーっと浮かんで来た時、一つの輝きを落とした。それはふわりふわりと雪のように舞い落ちていって、手を差し出した者の手の平に収まった。
「え? え?」
ティムはその小さな手の中にある輝きとのっぽを交互に見て、目を丸くした。のっぽはティムの眼前から動かない。
「地の魔法だわ!」 ミントが光の正体を明らかにした。「大地を操る事の出来る力よ」
なぜのっぽがティムに自分の魔法を落としたのか。その意図は誰かが言わずとも全員分かっていた。ティムはもう一度のっぽを見つめると、光を慎重に自分の胸へと押し込んだ。
瞬間、ティムの全身が力を受け入れて歓喜するかのように光り輝いた。ティムはわっと泣き出した。
「ううう、ありがとう! ありがとう! ボク、君の気持ち、大事にするからあっ!」
ティムは涙を拭わずに、ポロポロ零しながら感謝した。今、ティムの目には一人の少年が映っている。色素の薄いボサボサの茶髪と日に焼けた肌を持ち、耳に小さなピアスをしている子だ。のっぽというあだ名に似合わず、背丈はニーナよりも少し低いくらいだった。
少年は一本歯の抜けた口でニッと笑った。ティムも歯を見せて笑い返した。
ふわりと一段階舞い上がった後、今度は優兎に対して笑顔を作った。そうして満足したのっぽは、どんどん上昇していった。のっぽの行く先に、二つの魂が待っている。二つの魂に迎えられると、のっぽ達は静かに空の向こうへ消えていった。
—— 7・のっぽからの贈り物 終——




