5・暗闇の追跡者②
ドドドドッ! ドドドドドーッ!
「あひゃあっ!」
ティムの体が横に流される。波に運ばれているようだ。もの凄い力で床から引き離され、ティムは悲鳴を上げた。
けれども、悲鳴は悲鳴でも、恐ろしさから来るそれではない。驚きから来る悲鳴であった。不思議な事に、ティム達はどんどん追跡者の元から遠ざかっていくではないか。
それに、今ティム達を乗せて動いているものは……?
「うへっ! ペっ! ペっ!」
チィムは自分の口に飛び込んでくる粒を吐き出した。食べられたものではないけれど、口内に広がるジャリジャリとした舌触りと、懐かしさを覚えるふくよかな匂い――
これは土だ! 土がボクらを運んでいるんだ!
ティムは唖然とした。ティムの目の前ではベリィが土の上でくるくると回り、弄ばれている。その際、体内の光があちこちに当てられて、一瞬だけミジュウル・バイ・シュリープの姿が見えた。一体だけだ。黒壁の一部が茶色に光り輝き、中心に同色の魔法陣を浮かび上がらせていた。
「お化けさん!」
ティムは叫んだ。自分にカードの在りかを教えてくれたシュリープだろうか。ティム達はシュリープと真逆の方向に流されていく。無意識にベリィを掲げると、光はもう一度亡霊の姿を捉えた。目を凝らすと魔法陣から土が溢れ出ていて、床に広がると、ボコボコとまるで沸騰しているかのように蠢いていた。あれは……魔法?
魔力を含んだ土はどんどんティム達の方に集まってくる。そして先端――ティムのいるところに集まると、カチカチに固まっていった。二人が土の海に溺れずにいられるのはこういうわけである。土で作られた波は盛り上がったり下がったりを繰り返しながら、一直線に突き進んでいた。
しかし、追跡者は小さな獣人を奪われたとはいえ、みすみす逃しておくつもりはなかった。標的を捉え損ねた悔しさを力一杯声に出すと、腕を振り回して自分の邪魔をしたシュリープを思いっきり天井へ叩き付けた。
容赦のない攻撃に、強固であるはずの天井は表面に亀裂が入り、シュリープの周りだけパラパラと崩れた。当のシュリープは天井から剥がれると、力なく落ちていった。
当然魔力を与える存在がいなくなった今、対象物とのリンクは切れる。生きているかのように動いていた土は魔力の流れが途絶えると、バランスを崩してただの土に戻ってしまった。ティムとベリィは運ばれていた時の勢いがついたまま放り出されて、すぐそばの壁に激突した。
「痛っ!」
ティムはダンゴムシのようにまるまって、背中を摩った。次から次へと身の回りで起こる出来事に、頭の中は混乱している。『かーど』を手に入れたと思ったら黒くて大きいお化けに追っかけられて、それから危ないところを魔法の土が助けてくれて、でもすぐに土が崩れてボクらは転がって……。
ティムはゴホゴホと咳をした。考えている暇はないか。例え一時は逃げられたとしても、あの黒いお化けはまだボクらの事を諦めてはいないだろう。きっとまた追ってくる。早くお兄ちゃん達のところへ行かなくちゃ……!
ティムの思った通り、こちらに黒いお化けが近付いてくる気配がした。ズルズルと引きずるような音と、背中を撫でる邪気が気持ち悪い。ティムは壁を支えにして立ち上がった。
ところがどうした事か、ティムはビクッと反応すると、壁から手を引いて後ろにひっくり返ってしまった。ティム自身にも何が起きたか分かっていない。突然、壁がブルブルと震えたのだ。
ティムは恐る恐る壁に触れた。やはり、間を置いて何度も震動している。上の方からは、自分に徐々に近付いてくる音とは別の響きが聞こえた。トントンと耳を叩いて入り込んでしまった土を落とし、耳を澄ませる。ドゴーン! パラパラ……。ドゴーン! パラパラパラ……。何か重みのあるものが叩き付けられている音と、崩れる音がする。
震える音の正体を探るため、ティムは目を回してフラフラ踊っているベリィを拾い上げた。下から上へと照らされた箇所を見上げていく。この壁は記憶に覚えがあった。
ティムは言葉を失って目を丸くする。途端に「壁」は「扉」であったと脳内で訂正された。
扉の端に小さな箱とスクリーンが取り付けられている。そう、ティムが目にしているものこそが、優兎達のいる部屋へと繋がる扉だったのだ。
扉は前に見た時よりもボロボロに傷ついていた。表面に左斜めの太い線が、かぎ爪のように何本も刻まれている。おそらく追跡者が暴れ出した時にこちらも被害を受けたのだろう。カードを使用する為の装置は無事だ。スクリーンの方は少しばかり攻撃を食らったのか、ガラス面はクモの巣状のひびを作っていた。
それでもかろうじて息を繋いでいるようだった。バチバチと飛び散る火花と、黒と灰の混じる画面の向こうから、雑音に紛れて優兎達の声が聞こえてくるのだ。何度も耳にしたいと願った声にやっと辿り着けて、ティムはポケットの中のカードをギュッと握り締めた。ああ、自分は本当に役目を果たしてここまで戻って来たんだな……、と実感したのだ。
だが、安心するにはまだ早い。あまりの嬉しさに忘れるところだったが、敵はすぐそこまで迫って来ているのだ。喜んでいる場合ではない。優兎にカードの使い方を教えてもらわなくては。
「青目のお兄ちゃん! かーどはどうやって使えばいいの!?」
焦って、ティムは自分が扉の前にいる事を省いてしまった。当然、いきなり声が聞こえたものだから、優兎達は動揺した。そして右側からやって来た攻撃を、頭を引っ込めて回避すると、ようやくジールから返答があった。
『ティム? そこにいるの?』
「うん、ボク! カードを見つけて戻って来たんだよ!」
『ティム、もういい、無茶すんな! そんなもん関係無しに戻って来い!』
「いいから!」 ティムはアッシュに吠えた。「早く教えて!」
画面を通して、ティムの方に余裕がない事が充分伝わった。ニーナが危ないと言っていたのは本当らしい。優兎はジールとアッシュの間をすり抜けて扉の真ん前に立ち、そしてカードを機械に読み込ませる方法を教えた。カードのどちらの面が表裏か、切れ込みに差し込んだ後、どう動かすべきなのかを優兎側についている機械を参考にし、ティムやベリィにも分かるよう詳しく話す。しかし音声の乱れと共に、ティムは敵の攻撃を避けなければいけなかったので、なかなか集中出来ず、同じ説明を何度も要求しなければならなかった。
ついにはスクリーンの方にも追跡者の手が伸びて、ガシャンと壊されてしまった。ティムが目をやると、画面からは光が消えていて、焦げ臭い匂いを放っていた。ティムは悲嘆の混じった声にならない悲鳴を上げる。どうしよう、連絡が取れなくなっちゃった!
正体不明の黒いバケモノはカードを機械に通す暇を与えてくれない。よって扉は開かれないまま。自分は避けるだけで精一杯……。
もう、ダメだ……。とうとうティムは力尽きて倒れてしまった。立ち上がる力は残っていない。目の前もぼんやりと霞んできた。
甲高い咆哮が闇の中を突き抜ける。追跡者は勝利を確信したのだ。
そして横から伸びて来た手に、ティムは捕まった。水色の輝きに彩られた指が優しく包み込むようにティムに触れると、一体どこにそれだけの力があったのか、ティムは喉がいかれてしまうくらいの大きな叫び声を上げ、怒り狂い、床を引っ掻き、やがてはパタリと倒れて動かなくなった。




