8・花畑にて②
休んだ後、五人は再度歩き始めた。しかし、いくらもしないうちにみんな、休む前よりも足取りが重くなっていた。気温が更に上昇した気がするのだ。熱によって皮膚がジリジリと網の上で炙られているようだった。
自分の気のせいだろうか? ……いや、絶対違う!
(本っ当に性格ねじ曲がってるんだから!)
悪口を言った(思った)お返しのつもりだろうか? それにしたってみんなを巻き込まなくったっていいじゃないか! 優兎は口を歪め、イライラしながら歩を進めた。
足場の崩れやすい斜面を下り切ると、やがて一面に黄色い花の咲いたところへと出た。ススキのように細くて長い花びらが、風でサラサラとなびいている。
「わあああいっ! キリアドローの花だあっ!」 ティムは目を輝かせて花の方へ走り寄った。「あっちにはスイーティリアの花も! あんなにたくさん! ガレェさんがよくボクにお土産としてくれたけど、自然に咲いているのを見るのは初めてだ!」
大喜びで、ティムはナズナとスズランを合わせたように花を沢山つけているスイーティリアの花を摘み取り、ポシェットに詰めた。「じいちゃん用と、これはミルティーさん用と……」なんて呟いている。
「キリアドロー……獣人語で『糸』っていう意味があるのよ。そのまんまね。スイーティリアは『旅立ち』だったかしら。別名『涙の花』。若いうちのスイーティリアは風が吹くと、花を覆っている殻がポロポロと剥がれていくから、こうして茎を揺らしてみると面白いのよ」
ミントは花を一本摘んで、茎を揺らした。すると薄い袋状の殻が剥がれて飛んで行った。
ミントは殻がなくなった花びらから漂う香りを楽しんだ。
「獣人語、ねえ。そういやあ気になってたんだがよ。〈ヘヴランカ〉で最初に会った住人は、獣人語使ってたよなあ。それなのに、村長やティムはなんで魔法界語を使えんだ?」
「あらアッシュ、知らないの? 獣人の中には人間よりも獣に近い者、獣よりも人間に近い者の二種類のタイプに別れてるのよ。獣に近いタイプは鳴き声の混ざった魔法界語である獣人語を言語にしているけれど、人間に近いタイプはもっと脳が発達しているから、獣人語は勿論、魔法界語も覚えられるの」
「ミントは人間に近い方?」
「ええそうよ、ジールちゃん」
熱風のような風が吹いた。優兎も一本だけ花を摘み取る。ふと、妹の事を思い浮かべた。黄色は瑠奈の一番好きな色なんだ。見ていると明るい気持ちになれるから、らしい。ティムのように帰る時に一本、持って行ってあげようか?
いや、その時にはもう枯れているか。優兎は花を手放した。花は風に乗って飛んで行き、やがて黄色の海に飛び込んでいった。
「今んとこは問題無しだな」
突然アッシュがぽつりと呟いた。
「問題無し?」
ジールがオウム返しする。
「ああ。だってそうだろ? ティムが怖がるような生き物は出て来てねえし、魔物だっていねえじゃねーか」
「まあね。でもさ、嵐の前の静けさって事もあるんじゃない?」
「滅多な事言うなよ。平和な光景そのものじゃ――」
グワアアアアアッ!
刹梛、この場に相応しくない音が響いた。誰かが狙って脅しをかけているわけでも、ましてや誰かの腹が鳴ったわけでもない。それは咆哮だった。
「アニキぃ……前にもこのパターンなかった?」
「しっ! 静かにして!」 ミントはジールを制した。「何かがこっちに近付いて来るわ」
その場にいた四人は、花と花の間に身を隠した。ちょうどスイーティリアの花は、しゃがむと見えなくなるくらいの高さがあった。息を潜め、声のした方向にじっと目と耳を傾ける。
慎重に顔を出すと、五十メートル先の木々の間に、何かが蠢くのが見えた。大きい! ここからでは姿がよく分からないが、とにかく図体が大きいと言う事だけは明らかだった。牛ぐらいはあるだろうか。ドシンドシンと音を立てて、こちらに近付いてきた。
「! そういえば、ティムは!?」
大変な事に気付いて、優兎は声を上げた。他の三人もハッと我に返る。早急にキョロキョロと辺りを探し始めた。
「あ! あそこよ!」
ミントが指を指した。その先にティムの丸い耳が見えた。呑気に鼻歌を歌っているようだ。
ティムの近く、十数メートル先に奴はいた。まずい! 早く連れ戻してこなければ!
幸い、向こうはまだ彼に気がついていないようだ。だがこのままにしておけば、いずれ接触してしまうだろう。
そして更に、奴は優兎達をゾッとさせるものを見せた。口らしき部位から、何かキラリと光るものが垂れ下がっていた。あれは何だ? 目を皿のようにして、その謎の物体に注目する。その正体は――
金色の、髪の毛。
「――ッ!!」
優兎は危うく叫ぶところだった。アッシュ、ジール、ミントも一足遅れて気付いたようだ。顔色が蒼白になっている。
髪の毛は前の晩、ティムの家に泊まっていたという人間のものではないだろうか。
「ティム!」
優兎は声量を極力落として叫んだ。しかしティムは花を集めるのに一生懸命になっているらしい。こちらの方を見向きもしなかった。
奴はどんどんティムに近付いて行く。まずい、まずい、まずい!
『助けに行けばいいだろう? アホめ』
ユニが皮肉めいた口調で言った。何だよ! まだ怒っているのか!? 優兎はギリッと歯ぎしりした。
言われなくったって、そうするつもりだったよ!
「優ちゃん?」
「ミント、ベリィを頼むよ」
鞄を下ろして、キョトンとしているミントにベリィを預けた。三人にとやかく言われる前に、さっさと花をかき分けてティムの元へ目指す。時折鋭利な草で皮膚が切れたが、今はいちいち傷口を舐めてる場合ではない。助ける事だけに集中しなければ!
『ほうら、早くしないと奴と接触するぞ。――ふむ、カウントしてやろう。泣き虫が食われるまで、あと十三・五メェェェトルゥゥゥ……十二・九メェェェトルゥゥゥ……』
(ユニ! ちょっと黙っててよ!)
『十・六メェェェトルゥゥゥ……九・九メェェェトルゥゥゥ……』
(~~ッ! 人でなし! ろくでなし! かぶと虫ッ!)
優兎はユニを無視する事にした。しかし気持ち的に余裕はない。聞きたくもないのに聞こえてしまうカウントが刻々と減っていくのに、焦っているのだ。手がブルブルと震える。しっかりしろ、僕ッ!
「ハァー、はっ、ハァーッ……てぃ、ティム!」
ここでやっと自分の世界から戻ったらしい。ティムは耳をピクッとさせて優兎を見た。
「うん? 青目のお兄ちゃん、どうしたの?」
よかった。この様子だとまだあいつには気付いていないみたいだ。
「ティム、そろそろ出発するよ。みんなのところへ行こう」
なるべく自然な感じの言葉を選んだ。「ティム! 見て! 怪物が僕達に近付いているんだ!」なんて言えるわけがない。ティムに大声を出されでもしたら、完全に気付かれてしまう。
ティムは首を傾げた。
「もう行くの? まだ来たばかりだよ? それに村の人全員分、採ってない」
「全員分!?」
少し出し過ぎたと思い、パッと口元に手をやった。
「そうだよ。カーズさんに、メラフィスおばさんに、ミヤさんの赤ちゃんに、あと……」
一体何人いるんだ!?
「ごめんねティム。こっちにもいろいろと事情があるんだ。急がないとなくなっちゃうかもしれないんだ」
僕らの命が。
ティムはそうなの? とまた首を傾げた。幾度も頷く優兎に、しゅんと肩を落とす。「分かったよう」と言って、花の束が飛び出たポシェットの口を止めた。
「……あれ? お兄ちゃん、何で立たないの?」
ギクッ。優兎が膝をついたまま進んでいくのを疑問に思ったようだ。
「か、かくれんぼ……いや、みんなとゲームしてるんだ! 見つかると負けなんだよ」
我ながら苦しい言い訳だなと思った。
「ゲーム? ボクもやっていい?」
「じゃあ、ティムもしゃがんでね」よし!と思わずガッツポーズ。
「ああ、後ろは振り返らないでね。絶対に!」
「後ろ?」




