4・校長室へ②
手を摩りながら魔法台に乗った優兎は、角張った部屋へと移動した。指輪室と同じで窓らしきものは見当たらず、シーンと静まり返っている。
屋根のない魔法台の真ん前には大きな両扉。その左手には一つの彫刻が飾られていて、優兎は思わず目を見張った。一メートルはくだらない大きさで、彫り込まれたラインが繊細でとても立派だ。材質は大理石のように品のある輝きを放っており、真っ白なユニコーンの形を取っていた。
彫刻はいなないているポーズで迫力満点。今にも動き出しそうである。
(これ、モデルはユニ? よく出来てるなあ……)
モデル元が何であれ、芸術品の美しさには素直に感服し、心を奪われる。優兎は無意識に彫像に近付いていた。アップで見上げると、繊細な仕事に威圧感が加わる。
しかし、これはこれで素晴らしいのだが、どうにもその一体だけでは物足りない感じがした。
「気に入ってくれたかの?」
優兎はハッと我に返って、横に首を動かした。いつからいたのか、そこには校長の姿が。室内であるからだろう、いつものシルクハットやマントなどは外していた。
「はい、とっても……」 優兎は戸惑いながら返した。「ここは展示場の一部ですか?」
「ふふふ、違うな。わしの趣味の一つは芸術品を飾って楽しむ事でな。大層な腕を持つ彫刻家に巡り会ったもんで、この殺風景な場を彫刻で飾り立ててもらう事にしたのじゃよ」
「ああ! それでユ……テレサ神の彫刻があるんですね!」
「まだ完成はしとらんがな。他の五体も頼んであるから、いずれ飾るつもりじゃよ」
物足りないと感じた理由はこれだ。なるほど、確かに部屋全体で見ると一カ所だけ豪勢で偏っていた。
「さて、この場では何だ。中へ入ろうか」
校長が先導し、自動で扉が開いた。この扉も随分な大きさで、この場に彫刻が揃ったらますますピッタリな雰囲気を作り出す事だろう。優兎は名残惜しむように彫刻を見てから校長の後に続いた。
「まあ適当に掛けてくれ」
校長室に入って一言。優兎は恐れ多く感じながら高価そうなソファに腰を下ろした。校長とは何度も話をしているはずなのに、この部屋に入った途端、妙に体が引き締まって緊張してきてしまった。
気分を紛らわす為に、優兎は室内を観察した。壁には沢山の絵画や古い地図が見られる。それから奇妙な仮面に、大きな暖炉の上には小さなボトルシップ、ガラスケースに入った大砲のような機械など、目を奪われるようなものから何だあれ? と思ってしまう一品まで様々なものが飾られている。中には木彫りのクマやダルマ、こけし人形、招き猫などの見知った民芸品もいくつかあった。
「ええっと、僕に何の御用ですか?」
一通り堪能した後、優兎はようやく話を切り出した。
「今は待つのじゃ。直に分かる」 校長は言った。「これ、食べるかの? ポルケット島産の、火山岩を真似たお菓子じゃと。土産に貰ったんじゃ。そこのラテ・ゼリィも出て来るがよい」
にっこりと笑って、優兎にお菓子の入った缶を差し出した。ベリィの事はとっくに気付かれていたようだ。お菓子を二個掴み、一つは半分に割ってベリィに渡した。見た目は真っ黒焦げなのに、噛み締めると油で揚げた麺のようにバリッと香ばしい。適度な塩加減がクセになる。ベリィも食べカスを零しながら夢中になって頬張った。
もう二個程貰おうと手を伸ばした時、扉の向こうから羽音が聞こえてきた。扉が勝手に開いて飛んできたのがちゅん子であると分かるのに、数秒とかからなかった。
「キュー、呼んできたぞ。うう、さぶっ!」
「ちゅん子!」
「よう! しばらくぶりだな優兎。瑠奈ちゃんが学校へ行ってる間に一仕事さ。キュー」
まっすぐ暖炉の元へ飛んで行ったちゅん子は、校長が移動させておいたちゅん子専用の止まり木で羽休め。「ご苦労じゃったな」と校長が労を労うと、もう一人、部屋に入って来た者がいた。知らない人だ。だがその優美な姿に優兎は目を奪われた。長身で絹のように滑らかで輝かしい長髪、白い肌に整った目鼻を持ち、柔らかそうなフサフサの、毛皮のついたコートを身にまとっている。
一目見て、優兎は綺麗な女性だ、と思った。しかし声を聞くとそれは間違いであった。
「元気そうだな、コーネリアル。久方振りだ」
男性はふっと品良く口角を上げる。
「うむ。会えて嬉しいぞ」
校長も笑みを返した。
男性は優兎の隣りに腰を下ろした。ひざの上に手を置き、背をピンとさせている優兎に対し、彼は長い足を組んでもたれた姿勢だ。いかにも場慣れしているふうである。
この人を待っていたというのだろうか……? だとしたら、ますます自分が招かれた理由が分からない。
「校長先生、この方は?」
我慢出来ずに聞いた。すると校長が何か言う前に、貴族のような身なりをした男性は優兎にぐっと顔を寄せて来た。うわ、近くで見るとホントに顔いいなこの人。両の青い瞳がとても綺麗だ。
「目を潰してやろうか」
「へ?」
「見惚れるのは結構だがな、いつまでも寛大でいると思うなよ。まだボクに気付かぬか」
え? 顔を離していく男性を優兎はキョトンと見返した。その内段々と彼の言葉の意味が染み渡ってきて、優兎は「あーーー!」と叫んだ。
ユニ!
「どうしちゃったのユニ、その姿! 変なものでも食べた!?」
「違うわッ! 元々聖守護獣は姿を変える事が出来る。人間の姿でないと、校長がうだうだうるさいのだ」
そりゃあユニコーンが堂々と校内を闊歩していれば目立つよな……と優兎は思った。
「(でもそうか、こっちの世界でも神様が姿を変えて人前に現れるって神話はあったか)人間以外にも出来る?」
「さてな。だが堂々と世界を回るにはこの姿の方が都合がいい。動物や魔物の姿は反って面倒だ。人間共に食料や腕利きの勲章として狙われるのはごめんだからな」
ユニは続ける。
「それにこのボクがその辺の動物や魔物なんぞに変身するだと? 冗談ではない。それこそゲドロやブブ―ヘップなんぞ……うぐ、ボクがあんな下劣な奴らに変身するだなんて、想像すらしたくもない!」
「人間はいいんだ」
「一目で同じ空気を吸うのも恐れ多い程の天上人であると見抜けるだろう?」
「見抜けたけど、今の評価は奈落を這いずる四つ足のナニカだよ」
そんな二人のやり取りを、校長は一人、愉快そうに眺めていた。
「――ところでユニよ。扉の前にお主をモデルにした彫刻があるのだが、どうかのう」
校長もソファに腰掛けながら言う。彼も「ユニ」という、優兎が名付けた新しい名前を使った。
ユニはああ、あれのことか、と不愉快そうに呟いた。
「……前足の長さが違う。左前足が短すぎる。目と目の間が三センチ狭い。毛量は足らんしもっと長い。そもそも石膏で固めたかのようにごわついている! 神は細部に宿ると知らんのか? 角の角度は二度程上げろ! それだけで印象が全く変わって来るわ! それと――」
ユニはキッ! と鋭い目付きで校長を見つめた。
「ボクはもっとスリムだ!」
イラついた様子でズバズバと辛口評価(おまけに細かい)を下すユニに、優兎は呆れた。すごい力の持ち主である事は認めているが、つくづく苦手なタイプだな、と思う。冷酷だし自己中だしナルシストだしで、幻滅する場面ばっかりだ。ここの世界の神様ってみんなこうなのだろうか?
しかし校長は顔色一つ変えず、「なるほど、それなら作り直させよう」なんて言っている。この人は凄い。
「余談はこれくらいにして、さっさと本題に入れ。まさかとは思うが、あの"塑造"の意見が聞きたかったわけではあるまいな?」 ユニは長い足を組み替えて言った。
「それもあった。だが、もちろん真の目的は違う。――ユニよ。なぜオラクルが優兎君に変わっている? 優兎君が狙われた理由と関係があるのか?」
校長はそれまでと違い、真剣な顔つきになった。彼の言葉にユニは眉間にしわを寄せ、優兎は再び緊張した。
「……狙われた理由に関しては知らん。だが、優兎の星で貴様と戦った奴らと一昨日ボクに歯向かってきた小娘は、同じ類いの意志を感じたな。中心にいるのが共通する者だと見ている」
「一昨日も狙われたのか。どんな子じゃ?」
校長に問われて、ユニは自身の住処に侵入して来た少女の事を話した。軽くあしらっていたが、ユニ自身も他の魔法使いと違う雰囲気を感じ取ったと話した。
「そうか、そんな事が……。ふむ、少女については気を付けていかんとな」 校長は顎髭をいじった。「して、前述した件については」
「……」
「ユニ、話してくれ」
「……」
「だんまりを貫くなら、わしはもうアレの仲介はせんぞ」
「それで優位に立ったつもりか。浅はかな」
「老いぼれの精一杯の反抗じゃよ。お主、どれだけ長い間放置で済ませたと思っている。……頼む。わしには優兎君を無事にご家族の元へ帰さなければならないという責任がある」
「フン、知った事ではないな」
頭を下げる校長に、踏ん反り返るユニ。優兎は動かぬ両者に戸惑った。
「……あの、校長先生。先生はどうして僕がユニと顔見知りなのを知っているんですか?」
進展する様子が見られないので、優兎は語りの間、ずっと気になっていた事を尋ねた。
「まずは天気じゃ。ユニはこの世界の太陽を創造したという伝説があるからの。ユニに何かが起これば、こ奴の創造したものにも影響が出るらしいのじゃ。その一つである太陽が顔を出した、という事は、ユニに何か変化が起こったという証拠じゃよ」
のう、ユニ? と校長は聞く。ユニは反応無し。校長は構わず続けた。
「ユニに影響を及ぼすとしてまず考えられるのは、オラクル関連じゃ。校内のエルゥ族が話しておったよ。目の色が変わった子供がいる、とな」
校長は優兎を見てニコリと笑った。なぜかユニの表情が強張った気がした。
「それで僕に辿り着いたわけですね」
「アッシュ君やジール君と共に外出していた事も調べさせてもらった。それでも半信半疑じゃったがな。ユニが君に目をかける理由が思い浮かばん」
「でしょうね」
「だが、君とこうして再び相見えた事で本当だったのだと確信したよ。彫刻を見た君は、すぐにあれがテレサ神であると理解した」
「あ!」
「例え名前を耳にしていたとしても、あの一体のみではアートかただの魔物と予想するじゃろうて。目の色と合わせれば、充分な根拠に足るな。初めて会った時の君の目は、親譲りの、茶色みのある黒じゃった。それが今はユニと同じ青じゃ。その色もよく似合っておる。祝福を授かったのじゃろう? なぜ優兎君に許したのか、いろいろと思うところはあるが、同意の上なら何も言うまい。君を狙う者がいる以上、その力はきっと助けになるだろう」
校長は和やかに言う。反して優兎は眉をひそめた。祝福? 話には聞いた事があるけど、祝福なんて受けた覚えはない。ましてやそれらしき事も……強いて言うなら水晶に触れはしたけれど、それはユニが優兎をバカにする為の策略だった。優兎の隣りでユニはそっぽを向いている。
「ええっと……祝福って、何の事ですか?」
「うん?」
「僕も疑問に思っていたところなんです。どうして僕がオラクルというのになっているのか。だって僕、そんな大層な力も持たないごく普通の一般人ですし」
すると、辺りに再び沈黙が生まれた。柔らかかった校長の表情が硬くなる。
「……ユニ、説明してくれんかのう」
校長はジロリとユニを睨んだ。
「優兎君、君には少しの間席を外してもらいたい。いいかな?」
優兎は校長の様子に困惑しながら、無言で頷いた。この場から即刻立ち去らねばならない雰囲気が漂っていた。優兎は校長と、「余計な事を……」とこちらを睨むユニを残して、部屋の外に出た。
優兎の背後で扉が閉まる。……何かまずい事でも言ったのかな。扉に耳を押し当てて会話が聞こえないか試してみたが、無駄だった。防音対策はバッチリらしい。優兎は諦めてひんやりと冷たい床に体育座りした。
どこか元気のない優兎に気付いてか、上着のポケットからベリィが顔をのぞかせた。小さな口の周りに、先ほど食べたお菓子のカスを引っ付けている。それを見た優兎はふっと笑みを零して、指でカスを落としてあげた。




