7・郵便屋
部屋についた後、まだ時間があったので、早速借りてきた本を読む事にした。三冊の本の題名は「ジャックス・モール物語1」、「基本的な魔法知識」、「魔法界図鑑①」。優兎は「基礎的な魔法知識」の本を読……もうとして、パラパラはぐっただけで止めた。さっきの恐怖体験のせいか、何となく物語の本に逃げたくなっていた。
魔法台での移動速度を考えて目覚ましをセットし、ページをめくる。舞台は魔法界。主人公のジャックス・モールの冒険譚であるらしい。魔物や土地の話も出てくるので、少し読んだだけでこれは当たりだなと思った。
(ふあ……、ん、そろそろ行くか)
あくびを一つして本を閉じると、郵便屋があるという七階へ向かう。七階も六階同様に廊下は明るくて、少しホッとした。
(ふわああ……、あー、初日にいろんな事があり過ぎて、流石に眠くなってきたな)
ゴシゴシ瞼を擦る。時差や目新しさによる興奮状態のせいでリズムが狂わされているが、優兎は普通に夜更かしをしている状態なのだ。
しかしガラス窓で囲われた通路に差し掛かった途端、優兎の目はシャキッと冴えた。外へ出て行きたい衝動に駆られ、どこかに出口はないかと探す。――あっ! あるじゃないか! 優兎は取っ手を引いて、飛び出した。
夜空の海に瞬く星々に、流れ行く雲。肌寒さを凌ぐ程の絶景であった。見上げながらくるりと回って息を吸い込み、風を受けると、自分もあの空の一部になれたような感覚になる。
「へえ、魔法界の月って、ちょっと緑がかってるんだなあ」
柵に肘をついて、天体観察。光る砂粒を拳の中から零したかのような空に浮かぶその姿は、綺麗なまんまるではなく、少しボコボコとした感じで、クレーターの模様もはっきりしていた。
「月の神様っていうのがこの世界にもいるんだっけ。――よし! これからも良い出会いが待っていますように! 怖い思いは嫌だから、何事もなく平穏に過ごせますように!」
手を合わせて、風変わりな月に祈りを捧げる。が、その内照れくさくなってきて、「なーんちゃって……」と笑みを零した。
「良い出会いって、何の事でしょう? あ、ひょっとして恋ですか?」
「え? いやあ、そういうわけじゃ――ってうわああああ!?」
ひょっこりと隣りに寄って来た生物に驚き、優兎は柵を背にずり落ちる。
目を瞬かせてよくよく見ると、その生物は黄色いウサギだった。赤いサスペンダーズボンを履いていて、二本足の爪先立ちになっている。
「月の神? ほ、本物?」
ウサギという接点で判断し、優兎は素っ頓狂な声で尋ねた。ウサギの片耳が折れる。
「? 紙? えっと、予定表を貰いに来た生徒さんですよね?」
「予定……ハッ! そうです!」
「やっぱり! 戸を開けた音が聞こえたので、もしやと思いました。ささ、ここは少し冷えるので中へどうぞっ!」
ぴょんぴょんと軽やかに跳ねながら誘導するウサギ。優兎は屋内に戻り、案内に従う。
着いた場所はログハウスだった。不思議だ、石造りの建物の中に、暖かみのある木造建築があるなんて。
「お邪魔します……」と遠慮がちに言って戸口の小さめなドアを開けると、目の前に飛び込んできたのは、天上まで積み重ねられた紙束と箱だった。うわ、どうなってるんだ? かろうじて通れる道は作られているが、まるで迷路のようになっていた。
迷路の終わる先には大きな作業用デスク。そこには誰も座っていない。
「ブラウニーさぁん! 生徒さん来ました! 預かっていた封筒どこでしたっけ?」
ウサギはデスク横の迷路壁に頭を突っ込んで話しかけた。優兎が除いてみると、デスクの横にはコ型に棚で囲まれた狭い空間があって、そこにもう一匹灰色のウサギが座っていた。背中を丸めて黙々と作業をしている。
「ブラウニーさん? あれ、聞こえてないのかな? ブラァァァァァウニィィィィィィ――」
「うるさいわい! そう何度も言わなくとも聞こえとるわ!」
しわがれた怒声が返ってきて、思わずビクッとする優兎。小さな鼻眼鏡と歳相応の顔が見えたかと思えば、すぐに机に向かってしまう。
「ウォッホン。一応確認を取るが、君の名前は?」
老ウサギはペンを動かしながら言った。
「……優兎と言います。ユウト・テルアキ」
「そうか。――まだ印を押していなくてな、ちょっとそこにでも座って待っていてくれ。今やっている作業を終えてしまいたい」
そこと言われても、めぼしいものと言ったら大きなデスクしか見当たらないが。
「これに座って良いんですか?」
「ああ。勤務する時に記念にと大層な作業デスクを贈られたが、穴蔵ウサギの獣人には、こっちの狭い空間の方が落ち着くでな」
老ウサギは懐中時計を懐から取り出して、十分近くかかると断りを入れた。優兎は別に構わないと返した。
「何か飲みますか? 外は寒かったでしょう。ベル・チーズティーとニンジンのヒゲ茶、どちらがお望みで?」
若い方のウサギがデスクによじ上って聞いてきた。
「? じゃあえっと、最初の方で」
「ご一緒におやつもいかがです? チーズケーキとチーズマシュマロサンドは?」
「(チーズばっかりだな?)最初の方で」
「了解です。――あ、ボク、タルトって言います。タルトホテト・フライ。そこのウサギはブラウニャー・カウダさんですよ」
タルトは小さい体で小さなだるまストーブのようなものを持ち出すと、デスク上に置いてヤカンをかけた。引き出しから紅茶の袋を取り出し、パッパとカップに粉を入れる。
「いやあ、今日は本当に忙しくって。夕ご飯まだだったんですよ~」
言いながら、チーズでいっぱいの冷蔵庫からチーズの乗った皿を取り出す。そして火の炊かれているストーブのドアを開いて、皿ごと中に入れた。オーブンも兼ねているらしい。
ややあってタルトから提供されたのは、プカリと浮いた香草の奥から仄かなチーズの香りを忍ばせる甘めの紅茶に、焼き目のついたチーズが被さった手頃サイズのケーキ。中央のくり貫きにもチーズソースがたっぷりと。その名のまんまなチーズケーキに「そう来たか……」と面食らいつつも、手づかみで頬張ってみる。デザートというよりは惣菜ケーキといった感じだった。
「はふっ。ここの世界の手紙って、全部鳥の形になって飛んで行くんですか? ――んっ、あ、僕、こことは別の世界から来ていて、その……っ!」
何でそんな事を聞くのか問われる前に説明しなくてはと、あわあわする。タルトはニッコリ。
「大体の話は聞いてますよ。うーん、一般的に多いのは鳥ですね。空を飛行しても普通の鳥として同化しやすい上に、誰かに踏んづけられる心配もないでしょう?」
「はあ、なるほど」 優兎はホッと胸を撫で下ろす。「手紙には鳥に変形するよう魔法がかけられているんですか?」
「魔法というよりはおまじないですね。魔法とおまじないの違いについては?」
「知らないです」
「魔法による効力は、一時的なものが殆どなんです。一方でおまじないは、インクや液体・パウダーなどといった形で魔力そのものを人体や物体に移し込むので、効力が長期的なんです。特に物体は壊れるまで永続です。校内で扱っている封筒は、『鳥の姿になって送り先に届くように』という印が染み込んだ業務用なんです」
あそこに明日朝一番に校外へ届ける予定の手紙鳥がいますよ、とタルトは天井からぶら下がっている鳥かごを指した。手紙鳥は三羽いて、一・二羽は本物のそれと同じように、棒の上に止まって首や羽やらを動かしていた。三羽目はカゴの扉を開けて、目の前の紙束に着地し――え?
「うわあ! 鍵かけるの忘れてましたあっ!」
「タルト! お前またドジを踏みおったな!?」
「すみませんブラウニーさ――ああっ! ヤカンのところはダメぇ! 燃えちゃう~! しっし! 優兎さん、そっち行きました! 手伝って下さい~!」
「ええ!?」
バタバタと羽ばたいて、優兎の頭上に乗る手紙鳥。捕まえようとすると、窓の方へ飛び立った。
「あれ、外に逃げ出したらどうなるんです?」 優兎はデスクを降りた。
「予定より早く送り主に届くだけです。けど! 流石にこんな時間は迷惑になっちゃ――げふぅ!」
窓のところにいた手紙鳥を捕まえようとして、窓ガラスに顔を打ち付けるタルト。飛びかかられる前に、デスクの上へと飛び移ったのだ。
その後、手紙鳥は冷蔵庫の上や隣りの部屋、ブラウニーの頭の上に乗っかったりと転々とし、ちょっとした騒ぎになった。鳥になって手紙が空を飛ぶなんて便利なもんだ、と思っていた優兎だったが、ここまで鳥を模しているのも考えものだなと思った。
「バカ弟子が迷惑をかけたな、許してやってくれ。それとほれ、例の手紙じゃ」
騒ぎが集束した後、ブラウニーは仕事を一区切りさせる前に、優兎の事情を終わらせる事にした。タルトは「反省します~」と言いながら床に散らばった紙を拾い集めている。
「ああ、わざわざ……。僕は別に気にしてないですから。捕まえられてよかったです」
「はいっ! 上着を使用したスライディングキャッチ、お見事でした!」
「タルト! まったく、調子のいい奴め……」
しかし、渡された手紙に優兎はキョトンとする。
「あの、封筒が二つあるんですが?」
「赤色の方は君宛じゃろ。こっちに届いておった。部屋についてる郵便開けには、直接封筒は入れられないようになっている。校内のポストに入れられて、こちらに届いてから印を押さない事にはな」
「中身は見ませんよ? でも、危険物とか怪しいものとか、そういったものが入ってないかチェックするんです」
(ふむふむ。校内と言えども、しっかりしてるんだなあ)
ブラウニーとタルトの言葉を受けながら、その場で封を開けた。
『魔法界へようこそ。無事に魔法界へ来られたようで、胸を撫で下ろしているよ。
だけど平穏な日々はきっと長くは続かない。魔力を吐き出して快方に向かっているなら、早急にこの世界から出て行くこと。君はここにいてはならない。目をつけられないうちに、逃げて欲しい』
(校長先生からかな? 改めてこんな手紙を送ってくるなんて、あの人は本当に出来た人格者だ――ってああ、マズい、僕も家族宛に手紙書かなくちゃな)
優兎はそろそろ部屋へ戻ることにした。紅茶もケーキ皿も空にすると、ウサギ達に手を振ってドアを開ける。
ガラス窓の向こうの世界は、相変わらずの美しさであった。
(今日は本当にいろんな事があった……。校長先生と電車で話をして、夜の東京に行って、初めてのお店に入って、魔法台に乗ってこの世界へ来て――)
書きたい事が、この空のように星の数程あって、どうまとめたらいいのやら。便箋が軽く二枚は埋まりそうだ。優兎は物書きの腕の見せ所だな! と気を引き締めながら、魔法台に乗ったのだった。
――7・郵便屋 終――




