3・虫のいい話⑥
そんな折、仕事が終わった気になっていた優兎達の元へ、ふわりと一匹の蝶がやって来た。透き通るような白い胴体と、水面に一滴の青インクを垂らしたような色彩の広がりを見せる羽を持っていて、ボロボロと崩れていく羽先が儚げで美しい。ケージの中で蠢くどの種よりもコレクター向けに相応しい上等者であろう。
だが、この蝶が三人の真上で不審な影を落とした時、場は騒然となった。
「しまった! 魔蝶だ!」アッシュは蝶に近い優兎を突き飛ばし、魔法を仕掛けようとする。
「えっ、何? 敵襲!?」
「そいつが撒き散らす粉に触れるな!体の自由がきか、な――」
忠告する途中で魔法陣が消滅し、アッシュは膝をついてしまった。だらんと項垂れる横で、ジールは粉を吸い込んでしまったらしく、吐き出そうと咳をしている。
動ける優兎がバリアを出して覆い、仰ぐと、ようやく青い蝶の存在に気付いた。一瞬あまりの美しさに、一連の騒ぎとは無関係なのではないかと騙されそうになったが、よく見ると、目が生気を失っている。羽の裏面には白地に血痕のような青の斑点が滲んでいて、只ならぬ危険な香りを漂わせていた。
「(得体のしれない蝶だ)二人共! 〈クリア〉で治すから、僕の近くに!」
魔蝶からの突進を防ぎつつ後退して、ダウンした二人との距離を縮める。バリアを維持しながら状態異常の回復魔法を使えればいいのだろうが、経験不足が足を引っ張りそうな為、どちらかに一点集中しなければならない。タイミングを計ってバリアを解除し、かろうじて動けるアッシュの〈衰弱〉を治すと、敵の処理を任せた。
「気を付けろ! そっちにもう一匹いるぞ!」
「!」
ジールの処置を終えた優兎は、すぐさまアッシュの声を拾い上げる。草原の中で不自然な青を見つけるのに、数分と掛からなかった。大きな二枚羽がもがくベリィを下敷きにしていて、舌なめずりするようにストロー状の吸収菅を伸ばしている。人間でない小さな生き物にも、見境なく毒牙に掛ける気らしい。
――考える間もなく優兎は動いていた。標的を直視したまま光り輝く細長いものを出現させ、握り込むと、次の瞬間には振り下ろしていた――
だが、同時に横から魔蝶を大口開けてかっさらっていく存在がいた。サメの形をした小ぶりのバナナだ。上向きにバクリ! と魔蝶を丸呑みすると、術者の元へぴょんぴょん軽やかに跳ねて帰っていく。
バナナシャークをすくい上げたジールの目には、ドサッと気が抜けたように尻を落とす優兎の姿が映った。
「優兎! 大丈夫!?」
「うん、僕もベリィも無事だよ。アッシュの方は――よかった。倒したみたいだね」
「俺が聞きたいのはそういう事じゃなくて……」
大丈夫か――ジールが思わず発したこの言葉は、無事の確認というより、心のケアを優先するものだった。イワダヌキ討伐の際、手に掛ける事に最後まで悩み苦しみ、抵抗していた優兎が、剣を振るいかけた……ように見えたのだ。
「優兎、本当に何ともないの?」
「うーん、多少は鱗粉を吸い込んじゃったかも。念の為〈クリア〉使っておくよ。ベリィもいるか――って、痛っ!?」
ベリィの名を口にした瞬間、優兎は右足首に小さな頭突き攻撃を食らった。視線を落とすと、何やらプリプリ怒っているベリィが。
「……しまった。もしかして、信じてほしいって言ったそばから助けちゃった事に関して怒ってる?」
気まずそうに口にすると、ベリィは頬を膨らませて、左足首にも頭突きしてきた。当たりらしい。
「ごめん!」、「無意識だったんだ!」、「次から気を付けるから!」などと言い訳しながらちょこまか逃げ回る様は、ジール視点からすると拍子抜けするほどの平常運転ぶりであった。無意識であったと喚いている通り、気付いていないのか、それともジールの見間違いだったのか。というのも、彼が目撃した現場というのは、復帰したて且つ優兎の後ろ姿づてに行われていたので、正直、クロスカリバーだろうという思い込みが邪魔しているのか、そもそも光を放つものが本当に剣だったのか、突き詰めると不明瞭であった。
バナナシャークが魔蝶に噛み付いていたシーンははっきり覚えているので、どちらにせよ留めは刺していない事になるし、魔蝶という存在がすでに生命としては死んでいる状態。「深掘りしても良い事ないか」という結論に至ったジールは、ひとまず自分の気のせいだったで胸に仕舞い込む事にしたのだった。
――後に優兎はこの、無自覚に封じた記憶をこじ開ける事となる。
「あんまり手ごたえなかったな」と思っていたと――
――3・虫のいい話 終――




