4・吹き荒ぶ煽り風①
魔法界の季節には、春夏秋冬とは別の古い呼び方がある。白の季節「シルクオール」と黒の季節「ダライウッド」の主に二つ。冬と春に当たるのが前者で、夏と秋に当たるのが後者となる。古代文化に倣った改暦の動きや地球基準の暦がこちらにも流れてくる以前は、日付の付け方も最大三十一日ではなく、二分割でまとめられておよそ百八十日あったのだというのだから、なかなか愉快な話である。
ところで主に二つといったのは、実は第三の季節も存在しているからなのだが、ここでは省いておく。
昔ながらの感覚で言うなら、現在はダライウッドの五巡。晴れの日でも寒さが気になってくる季節。教室の窓向こうの空はすっかり鉛色で、暗雲に包まれ、昼と夜の区別が難しい。少し前から風もやや強めなのが吹いてきて、修復の痕跡だらけの教室にも風がヒューヒューと入り込んでいた。
「今日は一日中悪い天気なのだそうよぉ。雲ばかりで、まるで機嫌がよくないみたい。洗濯物を渇かしている子がもしいたら、警告してあげてねぇ~」
リブラはちょっと考えて、教科書を教卓の前に置いた。
「授業が終わる前に、天気について少し復習しましょうかねぇ。大事な時だし、ちょうどいいかもしれないわぁ。――では、リブラからの出題、第一も~ん! 私達の生活に欠かせない太陽を雲で覆い隠してしまうのは、誰の仕業と言われているでしょう。解答は二パターンあるから、今回は両方挙げてみてねぇ」
誰にしようかなと迷って、赤いリボンが目についたリブラはミントを指差した。ミントの耳がぴくりと動く。ミントはすぐさま頭の中で言葉をまとめると、イスから立ち上がった。
「第一に、太陽の守護神でもある光の聖守護獣テレサ自身です。第二が闇の聖守護獣デオで、テレサによる恵みのすべてを妨害しているのだと考えられています」
答え終わると、ミントは座った。リブラは「簡潔で素晴らしい答えね~」と拍手を送った。
「補足する点があるとするなら」 突如アッシュが口を出す。「テレサって奴は以外と良い性格してて、上機嫌と不機嫌の起伏の差が激しい。特に脆弱で鈍臭い奴を決して許さない質で、そういった輩をど突き回し、蜂の巣にする事によって、結果オレら下々への恩恵に繋がっている。現在は格好の餌を見つけた事で、ここ数週間の好天を維持していた……こんなところか」
アッシュは得意気に言った。アッシュの元に、二種類の顔が集まる。
ミントは「呆れた……」と口にした。根も葉もない事を言い出したと思ったリブラとカルラは、不思議そうにする。
「アッシュ君は想像力が豊かなのねぇ。確かに、お空を昇る太陽を見ると、今日も頑張りなさいって励まされているような気がするわよね~。先生、その発想は好きよぉ」
でも、テストにその答えは書いちゃダメよ~。リブラはやんわりと注意した。そんな事はアッシュにも分かっていた。ズタボロになって頭をずっとフラフラさせている優兎の目を覚まさせたかっただけなのだから。
アッシュは「悪い悪い」と睨みをきかす優兎に謝った。
「ではでは、リブラからの出題、第二も~ん! 曇りがテレサ様の機嫌なら、台風や嵐は誰の機嫌が原因でしょう?」
リブラは優兎を指した。しかしこの問題、簡単なようで実は優兎にとっては解答が不可能な問題であった。それというのも、授業に途中参加の優兎は習っていないのだから。その事を、例によってリブラは忘れているのだろう。
けれども、優兎は慌てる素振りなく立ってみせた。
「台風はエアリースです。嵐は鬼……――間違えました。テレサとエアリースの二体によるものだと言われています」
優兎の声は、まるで寝言のように覇気がなかった。それでも点数をしっかりもらえる解答に、リブラは拍手する。優兎だって、単に魔法界へ招かれただけの客ではないのだ。ここの生徒にしてほしいと言った手前、基礎的な部分であればしっかりと自主学習している。
ただ、通常状態なら勉強の成果があったと喜びを噛み締めているところだろうが、今の優兎にそんな元気はなかった。朝食の時間帯になるまでこってり扱かれた優兎は、ひとたび風が吹いただけで倒れそうなほどくたくたになっていた。
「残り時間にまだ余裕があるみたいだから、三問目いっちゃいましょうか~。皆さん、教科書を開いてくださ~い。えっと……、そうそう、百二十ページねぇ。季節が巡る事を神話にした古代語の文章よぉ。これをカルラちゃんに音読してもらおうかしらぁ~」
リブラは教科書のページを生徒達に見せながら言った。カルラは立ち上がる。相変わらずの小声だったが、優兎よりはハキハキとした声だと言えるだろう。古代語については完全に不勉強である優兎は、どんどん耳が遠くなり、集中力を失った。
拍手の音で、いつの間にか音読が終わっていた事に気付く。次はジールが指名された。ジールに任された問題は、カルラの読んだ古代語文の翻訳だった。
「光神、地表に出でし時。地神、種を蒔き、風神運びて、火神、此れを育てる――」
成熟は黄金を生んだ
疲れた火神 寝転ぶと
地表は黒こげ 影神来る
火神は去り 地神 風神 大慌て
氷神はすべてを流す
この世が白銀に沈んだ時
光神 再び天より昇る
ジールは教科書も見ないで答えてみせた。リブラと共に、優兎までもが感心する。
ひとまず全員が発言したところで、授業終了の鐘は鳴った。午前の部が終わって、優兎が脱力からイスにもたれかかっていると、アッシュとジールから昼食の誘いがかかった。優兎は快く応じた。
だが、イスから立ち上がった途端、優兎は前のめりになって机に手を付いた。歩き出すと足元は覚束なかった。
「おいおい……。そんな様子じゃあ、いつ転んでもおかしくないぞ。しっかりしろよ」
アッシュは頭を掻いた。優兎は頷く。
「心配かけたくないし、自分でも気を付けてるんだけどね。でも、今日はずっとこんな調子で……。体力というより、精神的な疲れが溜まってる。何て言うのかなー……夏休みの宿題を、最終日に一気に仕上げてブラックホールに放り込むとこんな感じに……ん?」
あれ? さっき僕、何て言ってた? 重そうな瞼をこすって、優兎は二人に尋ねた。記憶が吹っ飛んでいるらしい。
「優兎、何か冷たい飲み物でも奢るよ。少しは頭の働きもよくなると思うんだ」
優兎の様子を見かねて、ジールは言う。
「奢り? ……んふふ~、そんな事言っちゃっていいのぉ~? 一番高い奴頼んじゃうかもよ~。ケラウノスとかオーディンの槍とか頼んじゃうかもよぉ」
「分かった。トイレへ行こう」
「ジィィィィル!」
頭の回らなくなった優兎の言葉に、ジールの目がギラリと光ったのをアッシュは見逃さなかった。どこの水を飲ませる気なんだとか、今の優兎はどんなものでもエリクサーの味がするとか言いそうだからやめろとか、必死に擁護している。ここで密かに注目すべきなのは、おかしくなった優兎でも毒づくジールでもなく、アッシュの口から「エリクサー」という単語が出た事である。日常的に耳慣れない単語を使って来たり、聞いてもいないのに教えて来たりするので、優兎と付き合う事による影響、ひいては侵蝕が現れている証と言えるだろう。




