第2話 「今だけは泣いてもいいよ」 その4
午前九時四十分。
無事に真中高校を脱出したカイエンは、片側二車線の道路を走る。
しかし高校を脱出しても地獄が終わる訳ではなかった。
街のいたるところから黒煙が登っている。
警察署や病院などの、人が集まるところでウィルスは猛威を振るっていた。
人に噛みつくヒトを止めようとした警察官が噛まれて、新たなゾンビとなる。
病院にある遺体安置所の遺体が起き上がり、近くにいた人に噛みつく。
駅に停まった満員電車から降りてきたゾンビ達が、ホームにいる人々に襲いかかっていた。
カイエンが走る道路にも、乗り捨てられたり、炎上してる車が多数放置されている。
そこかしこで、悲鳴が聞こえている。
歩道、車道問わずに、生ける屍達が生者の肉を求めて彷徨っていた。
そして新鮮な肉を見つけると一目散に走って追いかけていく。
運転手がゾンビ化したタクシーが、美雨達を乗せるカイエンに突っ込んできた。
熊気は車を操作して、それを危なげなく回避する。
タクシーはそのままコンビニに突っ込んだ。
美雨は外の光景に目が離せなくなっていた。
だからしばらく舞に呼ばれている事に気がつかない。
「……雨。美雨」
「あっ、はい!」
呼ばれている事に気付き、慌てて首を舞の方に向ける。
「美雨。顔を伏せて。あまり見ないほうがいい」
「……はい」
美雨は言われて顔を伏せる。
彼女の視界に映るのは忠実の血がついた制服だ。
美雨は親友の事を思い出して、再び悲しくなってくる。
無意識に、プレゼントされた仔犬のキーホルダーをポケットから取り出して握りしめていた。
しばらく一定の速度で走っていた熊気がいきなりアクセルを全開にする。
突然加速したので、美雨の身体が前につんのめる。
「きゃっ!」
舞が素早く美雨の身体を支えながら、勇気に話しかけた。
「どうした? いきなりスピードを上げて」
「後をつけられています」
「本当か?」
それを聞いて美雨以外の三人の目つきが鋭くなる。
翼がサイドミラーで後方を確認する。
「確かに、白のSUVが二台。追ってきてるな」
舞もさり気なくバックミラーを覗く。
翼の言うように、二台のランドローバー・ディフェンダーがカイエンの後をつけていた。
熊気がアクセルを踏んで距離を離すと、ディフェンダーも速度を上げて追いかけてくる。
舞はバックミラーから目を離すと、翼に尋ねた。
「この車に武器は?」
「後部座席の下」
舞は美雨に場所を空けてもらってから座席を開ける。
そこは隠しスペースとなっていて、二丁のサブマシンガンが収められていた。
得物はP90。とてもコンパクトな銃だ。
しかしこの銃が使う五・七ミリ弾はライフル弾並みの貫通力を持っている。
舞とヒョウはそれを取り出し、五十発入りのマガジンを装着して薬室に初弾を装填した。
「ヒョウ、持っているグロックのマガジンを翼に」
「了解。ほらっ、翼」
翼は二人から残りのマガジンを受け取る。
「拳銃、役に立つかね」
翼の口からそんなつぶやきが漏れた。
「P90は二丁しかないんだ。我慢しろ」
舞に窘められて、翼は「へ〜い」と言いながら、新しいマガジンを装填していた。
そんな問答をしているとバックミラーを覗いていた勇気が鋭く警告する。
「来る!」
二台のディフェンダーは先ほどよりも距離を詰めていた。
そして二台の助手席の窓が開く。
窓から現れたのは、全身黒ずくめで顔を覆面で隠した人間だった。
舞が美雨に話しかける。
「美雨。聞いて。今から銃撃戦になる。頭を下げていて」
美雨がチラリと後ろを見ると、黒ずくめの男達が、銃のようなものを構えていた。
「あの人達は一体?」
舞が美雨の質問に答える。
「テロリストだ」
「テロリスト?」
美雨は自分で口に出しても実感が湧かない。
自分がテロリストに追われる理由が全く思い当たらないからだ。
「そうだ。奴らはこっちに攻撃してくる。早く頭を伏せるんだ」
「う、うん」
美雨は返事をすると頭を下げて、頭を守るように両手を置いた。
舞がそれを見届けたすぐ後、ヒョウが警告を発する。
「ヤバイ! 伏せて!」
ヒョウの声を聞いて、美雨以外の三人はすぐに頭を下げる。
その直後に、窓ガラスが、ガンガンガンと音を立てる。
車が着弾の衝撃で揺れる。
後ろの二台から銃撃されたのだ。
「この車の防弾ガラスで防げたって事は、敵の銃は五・五六ミリか七・六二ミリのどっちかね!」
ヒョウが頭を上げながら推測する。
翼がサイドミラーを覗きながら答えた。
「あれは七・六二ミリだ」
「なんで分かるのよ」
「あいつらの持ってるアサルトライフル。あれはVZ58だ。しかも近代化改修されてる」
「よく分かるわね」
翼は数十メートル離れた敵の持つ銃をサイドミラーで確認していた。
「俺の眼を甘く見るなよ」
翼はヒョウの方を振り向くと自分の両眼を指差した。
その間にもディフェンダーからの銃撃がカイエンのボディを削っていく。
ヒョウが舞に向かって声を荒げる。
「このまま撃たれっぱなしも嫌になるんだけど!」
「分かってる。こっちからも反撃する」
舞は熊気に指示を出す。
「敵に気づかれないように速度を緩めてくれ」
「了解」
熊気は銃撃を避けながら、乗り捨てられた車の間を縫っていく。
そして少しずつアクセルを緩めた。
ディフェンダーの一台が反対車線に出て、カイエンに横付けしてきた。
舞が横に付いたディフェンダーを指差す。
「ヒョウ。あの車を攻撃」
「任せて」
舞が射撃位置に着くと同時にディフェンダーの後部座席から武装した男が出てくる。
男が先にVZ58を発砲した。
ヒョウの目の前の防弾ガラスに着弾。
弾は貫通しなかったが、驚いたヒョウの心臓が跳ねる。
ヒョウは熊気の方を向いて叫ぶ。
「やってくれるじゃない! 熊気。一瞬でいいから、遮蔽物に隠れて」
熊気は頷くとカイエンを、横転してるトラックの陰に隠した。
横付けのディフェンダーからの銃撃は全てトラックに吸い込まれる。
ヒョウはその間に後部座席の窓を開けながらP90を構える。
二台ともトラックを通り過ぎた。
通り過ぎると同時に、ヒョウは視界にディフェンダーを捉えている。
そして相手が再び撃つよりも早くP90の引き金を引いた。
十発撃って引き金から指を話す。
弾丸は後部座席の、VZ58を撃とうとしていた男に着弾。
男は血塗れになって車の中に吹き飛んだ。
それを見てヒョウがガッツポーズを取る。
「ヨシ!」
舞が指示を出す。
「ヒョウ。次は運転席!」
「任せて!」
ヒョウは素早く運転席に狙いをつけると、数発の短連射を繰り返す。
放たれた弾丸は運転席の窓を貫通して、運転手を穴だらけにする。
ディフェンダーはそのまま止まっていた車に激突した。
敵のディフェンダーは残り一台。
その一台の助手席や後部座席から、武装した男達が身を乗り出す。
手に持っているVZ58を構え、カイエンに弾丸の雨を浴びせる。
何発かが、リヤタイヤに突き刺さる。
舞は翼に確認を取る。
「この車のタイヤはランフラットタイヤか?」
「その通り」
ランフラットタイヤは穴が開いても、しばらく走行が可能なタイヤの事だ。
舞は後部座席の右に着く。
「ヒョウ。左から銃撃して。私はこっちから攻撃する」
ヒョウは頷くと、開けっ放しの窓から身を乗り出す。
舞も窓を開けて、同じく身を乗り出した。
かなりの速度で走っているので、舞の赤い髪がたなびく。
それを気にすることなく、舞はP90を撃つ。
ヒョウも同じように撃つが、中々有効打にならない。
敵のディフェンダーも防弾加工を施されていた。
ディフェンダーからも反撃が来る。
舞やヒョウを掠めて、七・六二ミリ弾が飛んでいく。
二台は走りながら銃弾をばら撒いた。
五・七ミリと七・六二ミリの弾丸が交錯する。
埒があかないので、舞は一度頭を引っ込めた。
「ヒョウ!」
銃弾が飛び交う中、舞はマガジンを交換しながらヒョウを呼ぶ。
「何、どうしたのよ?」
ヒョウも頭を引っ込めて、再装填しながら尋ねた。
「翼にP90を渡してくれ」
「何で?」
「俺をご指名かい?」
翼が振り向く。
金髪でイケメンの彼が「ご指名」というとまるでホストみたいに決まっていた。
「翼。カッコつけなくていい」
舞がピシャリと窘める。
「スンマセン。それで?」
「敵の運転手を狙う。お前なら狙撃できるだろう?」
「なるほど。お安い御用です」
ヒョウは「ちゃんと当ててよ」と言いながらP90を投げ渡す。
翼は銃を受け取った。
「分かってる。任せてくださいよ」
舞が後部座席から顔を出す。
「私が援護する。熊気、出来る限り車を揺らすな!」
「了解」
熊気は塞がってない車線に入り、カイエンを直進させる。
その間も後ろのディフェンダーから撃たれ続ける。
カイエンのリヤゲートは銃弾でボロボロだがまだ貫通してはいなかった。
窓から身体を出した舞は、P90をフルオートでばら撒く。
弾は当たらないが、敵の銃撃が止んだ。
「翼!」
舞が鋭く叫んだ。
「お任せ下さい」
翼は助手席から身を乗り出し、ストックをしっかり肩に当て、ほお付けして銃を安定させる。
そしてディフェンダーの運転席を狙って、セミオートで引き金を引いた。
一発の五・七ミリ弾がディフェンダーの防弾ガラスを貫き運転手の眉間を貫く。
運転手を失ったディフェンダーはガードレールにぶつかって止まる。
それを見て舞は熊気に指示。
「止めろ!」
カイエンが止まり、舞とヒョウが降りる。
二人は、まだ生きていた敵に、冷静にトドメを刺した。
セーフルームの位置を知られるわけにはいかないからだ。
「行こう。ヒョウ」
「ええ」
二人は戻ると車を発進させる。
追っ手がこれ以上いないことを確認してから、セーフルームに向かうのだった。