三章その7
『ホスト部』の元部長、北大路ヒデキが山田リリコを庇うように立って続けた。
「それとも、痛い目に遭わねーと分からねータイプかぁ?」
――熊がモップを持ってるみたいだな……。
茶色いファーのコートを着ていて、気の強さが顔にまで表れている山田リリコ。その前にいる北大路ヒデキは、細身で背が高く、明るい茶色の髪にはパーマがかかっている。
――クマとモップのカップルで、クマモップルだな、うん。
そう胸の内で命名し、シンは地面に紙を放った。右足を後ろに引き、半身に構えて体を上下させる。
「痛い目に遭うのは勘弁なので、殺す気で反撃しますねー」
「こ、この人数に勝てると思ってんのか?」
「んじゃ、武器使いますねー」
シンはブレザーのポケットに手を突っ込み、ボールペンを取り出して握り締めた。
「じょ、上等じゃねぇか!! おいお前ら、やるぞ!!」
「あー……。人数的に厳しいんで、ツイッター組は動かないでください。向かってきたら結構しんどい目に遭うと思ってください」
「こ、こんな奴の言うことなんざ、無視しろ! あいつのスマフォを奪っちまえば――」
ヒデキの話を遮る形で、シンは間延びした声を発する。
「画像はネットのアドレスに送ってあるんで、スマフォを壊しても無駄ですよー」
「だ、騙されんな! あいつが言ってることは全部ハッタリだ!」
「つーか、何でみんな一緒じゃねーと駄目なんですか? もしかして先輩、喧嘩は初体験な感じですか?」
そう問いかけて挑発すると、北大路ヒデキはあっさりと乗っかった。
「ご……、ごちゃごちゃごちゃごちゃうっせぇんだよテメェは!! そんなにしてぇなら、やってやろうじゃねぇか!!」
「あ、よろしくお願いします」
体を揺らしながら軽く頭を下げ、北大路ヒデキを迎え撃つ態勢を整える。
――とりあえず、一発は我慢しねーとなー……。先に殴ったら停学確定だろーし……。つーか、何でピーカブースタイル?
北大路ヒデキは、ひょろ長い体を丸めて両腕で顔をガードしていた。デンプシーロールでもするのかと思わせるような構え方である。
――身長的に考えて、俺の方が合ってる気がすんだけども……。
そんな感想を抱いたところで、ドタドタという足音が聞こえてきた。首だけで振り返ると、建物の陰から飛び出してきたリキと目が合う。
彼は露骨に嫌そうな顔をしていた。本気でやり合うつもりだと察したようだ。近づくのを拒否するように、丸太のように太い脚を止めている。
「何でお前がそんな顔をすんだよ……」
シンが構えを解くことで、リキはようやく動いた。歩み寄って紙の束を渡す。
その一方で、ヒデキも構えるをやめていた。青くした顔をリキに向けている。恐怖しているのは彼だけではなく、他の部員たちも同じだ。
「さ、さ、さ、沢下は卑怯だろうがッ!」
「ですよねー。まーでも、リキは手を出さないんで大丈夫ですー」
A4用紙をぺらぺらとめくりながら、シンは興味なさげに言った。
するとヒデキは、『ホスト部』の部員たちに目をやった。それから軽く頷き、恐れを振り払うように大声を放つ。
「テ……、テメェの言うことなんか信じられっかよ! ああもう、何か冷めちまったな。こんな奴を相手にしててもつまんねぇし、部室に戻ろうぜ」
「……あー、ちょっと良いですか?」
「な、何だよ。け、喧嘩ならやらねぇぜ?」
背を向けていた北大路ヒデキが、向き直ってから続ける。
「沢下のせいで気分が削がれちまったしな」
「しなくて済むならそれに越したことはねーので、そっちはどうでも良いです」
横に立つリキが「やる気満々やったやんけ」と呟いたのを無視し、シンはリリコを一瞥してからヒデキに問いかける。
「そういえば先輩、彼女さんとはどうなんですか?」
「……あ? 何でテメェにそんなこと言わなきゃならねぇんだ?」
「あーすみません、質問が悪かったですね」
一呼吸置き、シンはヘラッと笑って二の句を継いだ。
「そこにいる山田先輩を含めた、四人の彼女さんとはどうなのかって聞いてるんです」
「な……、何の話をしてんだよテメェは」
「先輩の話をしてる感じです。『女テニ』と『吹奏楽部』、あとは『チェス部』ですよね?」
「……聞こえなかったのか? 俺は、何の話をしてんだって訊いてんだよ。質問する前にこっちの質問に答えろやクソガキッ!!」
ヒデキは癇癪を起していた。その激怒ぶりに驚き、周囲にいた者たちが目を見張る。
何かが始まる――。
皆が皆、そんな風に思っているようだった。硬い表情でこちらを見ている。
ヘラヘラと笑う、不気味なピエロ。
そんな様を見せるシンが、楽しげな声でヒデキに問う。
「覚えはありませんか? 今の部活の並びに」
「あぁあぁ、まったくねぇな! つぅか、話にならねぇな!!」
「そうですか。んじゃ、山田先輩に訊きますねー」
「あ、あたし?」
唐突に話を振られたからか、山田リリコは警戒するように身構えていた。
「はい。先輩はあれですか、浮気されてることを知った上で付き合ってるんですか?」
質問の宛て先は、山田リリコにしていた。
その返事が来るよりも先に、北大路ヒデキが地面を踏みつけて怒鳴る。
「勝手なこと言ってんじゃねぇよッッッッ!! リリコ、あんな奴の話なんざ――」
「テメーは黙ってろッ!!」
北大路ヒデキに怒声を浴びせ、威圧するように一歩前に出る。それに合わせる格好で、彼は後ろに下がった。
仕切り直すための間を挟み、シンは改めてリリコに問いかける。
「どうなんですか?」
「あんたは、ヒデキが浮気してるって言いたいわけ?」
「そうなりますね」
シンが小さく頷くと、リリコは声高に笑いはじめた。
「あはははは! いきなり何の冗談よ。ヒデキが浮気? そんなことするわけないじゃん」
「知らないってことで良いんですね?」
「知らないも何もないっしょ。浮気してないんだからさ」
山田リリコは明るい口調で言った。顔を強張らせている北大路ヒデキの方を見なかったのは、確認するまでもないと思っているからだろう。
彼氏を信じる、無垢な彼女。
その姿が痛々しく見え、思わず目を伏せる。
――根はいい人なのかもしれねーな……。やり口は俺と同じくらい酷いけど、そもそも先にやったのは俺なわけで……。
罪悪感はあった。ただ、終わらせる気はなかった。
復讐の連鎖を今すぐ断ち切るには、復讐できなくなるほどの復讐をするしかないからだ。
――鳴海ならこういう時、『復讐は復讐しか生まないからやめなさい』とか言うんだろーなー……。
色白な彼女の顔を脳裏から追い出し、山田リリコを見据える。
「……そうですか。けど、浮気してないなら――」
三十枚近い紙の中から一枚を抜き、シンは肩の横で振りつつ続けた。
「――この写真はおかしくないですか?」
写真に写っているのは、北大路ヒデキと山田リリコ、ではない別の女子だ。二人は恋仲だと伝えるように、口づけを交わしている。
画像の出どころは、北大路ヒデキのホームページ、ブログである。
昨日の深夜、ツイッターで彼のブログが面白いと聞き、見たいと頼んでアドレスを手に入れ、そこにあった写真を印刷したのだ。
口づけ以外には、首に腕を回し合ってピースサインをしていたり、頬をくっつけ合っていたりなど、どれもカップル然としたものばかりである。
それらの中の一枚、浮気を決定付ける写真を見せたからか、山田リリコと北大路ヒデキは口を開いたまま固まっていた。二人の周りにいる部員たちも、唖然として言葉を失っているようだった。
そうなっていないのは、『ホスト部』の現部長だけだ。
ほくそ笑んでいた彼を見やり、シンは内心で頭を抱えた。
――俺もかー、俺もはめられてたのかー……。ブログの話をしたのは、わざとだったのかー……。立場的に手が出せねーから、俺にやらせた感じかー……。
もうやだこの学校、と思って嘆息する。
白い息が冷たい空気の中に溶けたところで、シンは気を取り直してリリコに訊く。
「これで分かってもらえましたか? 山田先輩は、騙されてたんですよ」
「い、い、い、いい加減にしとけよクソガキイイイイィィィィッ!!」
ヒデキは怒鳴るのと同時に、こちらに向かって駆け出した。
視線がずれていると気づき、狙いは写真だと思って横に放る。予想通り、彼は前傾姿勢になってそちらに足を進めた。
――一難去ってまた一難ってな。
ヒデキが写真を手にして地面に倒れ込む一方で、シンは持っていたすべての写真を宙にぶちまけた。
そのうちの一枚が風に流され、山田リリコの足元に落ちる。拾い上げた彼女に、北大路ヒデキが目を見開いて叫ぶ。
「ちがっ、違うからな、リリコッッッッ!! 合成だ、合成写真だッッッッ!!」
ヒデキを無視し、リリコは悲しげな顔をシンに向けて問う。
「あんたはさ、ヒデキの浮気相手が誰かってのを知ってんのよね……?」
「はい、知ってます。教えることも可能です。それとは別に、あの人が『理女研』の情報を『新聞部』に流したことも知ってます」
「う……、そ……? し、『新聞部』の奴ら、あたしには何も……」
「誰が情報を漏らしたのかって訊いたからだと思います。名前の方で訊けば答えてくれると思いますよ」
さらりと言ってのけたシンを、リリコは驚きを湛えた瞳で見つめる。
「な、何で、ヒデキが……、そんなこと……」
「俺を潰したいのに、『理女研』がうまくやれてなかった。だから『新聞部』に記事を書かせて『リア充を撲滅する会』に俺を襲わせた――。あくまで予想ですけど、こんな感じだと思います」
予想は、当たっていたようだった。
北大路ヒデキは、地面に膝を付けたままばつが悪そうに顔を歪めていた。山田リリコも同じように顔を歪ませていたが、彼女の頬には涙があった。
「そんなことしたらさ……、追い込まれるのはあたしらじゃん……? ヒデキはさ、それが分かっててやったわけ……?」
「俺を潰すことしか考えてなかったんじゃないですか? そこら辺は直接、本人に訊いてください。あーあと、へこんでるところ申し訳ないんですけど」
「まだあんの……?」
「はい。ここからはお願いっつーか、命令になります――」
シンは酷く冷たい声音で続けた。
「――『理想連合』を解散させろ。それができねーなら、今持ってる情報すべてを学園中にばらまく」
「い、一週間前に解散とか、できるわけ……」
驚愕と動揺。
リリコの顔には、それらが色濃く反映されていた。目を剥いて口を開けっぱなしにしている。『理想連合』に属している他の者たちも似たような面持ちだ。
そんな彼らの前で、シンはヘラッと笑った。
「それはあれか、ばらまけってことか?」
「ま、まだ決めたわけじゃ……。てかこれ、命令じゃなくて脅迫じゃん……」
「どう捉えるかはそっちの勝手だ。はっきりしてんのは、あんたらに今後はない。まともな学園生活は二度と送れねーってことだ。つーか、どっちにすんだ? あ、ばらまかれて学園中の笑い物になりたいなら、今すぐにでも――」
シンは笑みを残したまま冷淡な声で続ける。
「――ご希望通りにしてやるよ」
直後、地獄絵図が完成した。
山田リリコの顔からは、感情の一切が抜け落ちていた。こちらにおぼろげな瞳を向けているが、何も映っていないように見えた。北大路ヒデキは戦意喪失といった様子で、地面にへたり込んだままうなだれている。
助け舟は、どこからも出てこなかった。
情報を握られている者も、握られていない者も、皆一様に凍りついてしまったかのように固まっている。顔を引きつらせたまま短い呼吸を繰り返すばかりである。
恐怖と絶望が生んだ、暗黒の空間。
それをぶち壊したのは、聞き覚えのある声だった。




