三章その9
「誠に言いにくいことなのでござるが――」
「んじゃ、そのまま黙っておこう」
「――小生の力不足により、ミナ嬢が大ピンチなのでござる!」
制服姿のハンナが真剣な表情で訴えても、シンは机から体を起こさなかった。腕で枕を作り、静かに目を閉じる。
図書館裏から逃げ帰ってきた、暗がりのパソコン室。
その室内に、服部ハンナの大きな声が響き渡る。
「き、聞いてほしいのでござる!! 本当の本当に大ピンチなのでござる!!」
「ちゃんと聞く……。ちゃんと聞くから、続きは夢の中で頼む……」
「……主がそのような態度を取るのであれば、小生にも考えがあるのでござる」
「おー……、何だー……?」
シンがあくび混じりに問うと、ハンナは刺々しい声を返した。
「主に恥ずかしい写真をいっぱい撮らされた――、とミナ嬢に告げ口するのでござる」
「聞こうじゃないか」
くるりと椅子を回転させ、シンは真面目な顔付きで指を組んだ。
「さ、さすがはミナ嬢でござるな……。ものぐさ状態の主を、こうも簡単に動かすとは……。最早、嬢ではなく、姫の領域でござるな」
「そういうのいらねーから、とっとと話してくれ。んで、寝る」
「御意。ちなみに主は、『支部争規定』の内容を覚えているでござるか? 『支給額の増減』と『連合』についてのところなのでござるが……」
「ああ、問題ねーぜ」
何度も読み返していたのもあり、すぐに思い出せた。
〝一、支給額の増減は順位によって決め、増加は二十四の部までとする〟
〝一、連合は八以上、四十以下の部が集まった場合のみ、認めるものとする〟
〝一、連合に参加した部は共同体とし、支援部費の増減幅は一律にするものとする〟
頭の中に三つの文章を並べ、彼女が唇を動かすのを待つ。
「支給額が増えるのは二十四の部で、減るのもまた二十四の部。結果によって受け取る額は変わるものの、第三文化棟全体に支給される額は同じ。それを四十八万円とするなら、開戦前は、どの部も一万円を持っていることになるのでござる」
ハンナは一呼吸置いて続けた。
「終戦後、一位が一万五千円を受け取れば、四十八位は五千円。二位が一万四千円なら、四十七位は六千円――。そんな形で支給額が決まるのでござるが……、今回は連合同士の戦いになっているのでござる」
「そうだな」
「仮に、『撲滅連合』が負けたことにすると、下から十一番目までを独占してしまい、そのマイナス分を、十一の部で平等に受け持つことになるのでござる」
――何で負けた方……?
疑問に思ったが、口には出さなかった。話が続きそうだったからだ。
「その一方で、『理想連合』が負けた場合は、下から三十七番目までを独占することになるのでござるが、そこにはプラス分も含まれており、それで打ち消して残ったマイナス分は、『撲滅連合』が負けた時と同じになるのでござる」
「あー……、確かにそうだな」
ルールを使って勝負し、ルールの外を狙う。
そんなイメージでいたのもあって、各連合の勝敗後については一度たりとも考えたことがなかった。
「そのマイナス分を、『理想連合』は三十七等分して受け持つ故、被害が少なくて済むのでござる。逆に言えば、勝った時の取り分も少ないのでござるが、マイナスよりはプラスの方が良いに決まっているわけで……」
「まあ、そうだな」
「現状から考えて、『理想連合』が勝つのは目に見えており……、そのせいで……」
電気を点けていないパソコン室と同じくらい顔を暗くし、ハンナは弱り切った声で結論へと繋げた。
「ミナ姫が大ピンチなのでござる……」
「んあ? 何で鳴海限定なんだ? ピンチなのは『撲滅連合』全体だろ」
「代表者になってしまったのでござる……」
「……へ? 『撲滅連合』の代表者って、『リア充を撲滅する会』の部長じゃなかったか?」
シンが首を捻る一方で、ハンナは首を横に振った。
「あれは仮決定であり、本決まりではなかったのでござる……。それを決める会議が先週の金曜日に行われたのでござるが、皆が皆、負けた時の責任を取るのを嫌い、まったく手が上がらずで……。結局、その日には決まらず、土曜日までもつれ込み……」
「鳴海が気を遣って立候補した、って感じか……」
「その通りなのでござる……」
左右の拳を握り締め、ハンナは悔しげな顔を伏せた。
「……鳴海らしいとしか言いようがねーな」
「そうなのでござる……、ミナ姫は優しい故……。い、一応その会議で『負けた時は全員の責任にする』という話になったのでござるが……」
口をつぐんだハンナに代わり、
「表では〝みんなの責任〟にして、裏では〝鳴海のせい〟にしそうだな」
と話を継ぎ、シンはため息をついた。
「『探偵部』の先輩方も、主と同様の見解を示しており、それを防ぐための手を皆で考えているのでござるが……」
「そっちを考えるんじゃなくて、勝つための作戦を考え方が良いんじゃね?」
ハッとして目を逸らしたハンナに、シンは続けざまに問う。
「ちなみになんだけど、作戦とかはどうなってんだ?」
「案自体は出ているのでござるが、作戦と呼べるものはないに等しくて……。結局それも、ミナ姫任せになっているのでござる……。そこで一つ、主にお願いが……」
「おやすみ世界」
シンは言いながら机に突っ伏した。
「……主は、自分の世界をおやすみさせたいのでござるか?」
「なあ服部、俺のお願いも聞いてくれないか……?」
「こ、今回は小生の番である故、そんな悲しそうな顔をしても駄目なのでござる!」
「でも俺、このままだと廃人になっちゃうぜ……?」
「句を詠む前に、小生のお願いをきいてほしいのでござる!」
大真面目な顔で訴えたハンナを見て、シンはゆっくりと体を起こした。怒気を孕ませた声でまくし立てる。
「そっちの俳人じゃねーよ、何でいきなり俳句が読みたくなっちゃうんだよ! あーでも、読みたい気分ではあるけどな! 『泣きたいよ、泣かせてくれよ、ホトトギス』ってな!! つーか、お願いって言うな! 脅しって言え!!」
「ぎょ、御意! そ、それでは、小生の脅しの内容を大発表するのでござる! 小生が主にやってほしいことは、ただ一つ!」
大きく息を吸い込んでから、ハンナは続けて言った。
「ミナ姫を元気づけてほしいのでござる!!」
「あーっと……。元気な奴を元気づけるとか、普通に無理じゃね?」
「図書館裏での姿を見て言っているのであれば、あれは主の前だったからでござる。今日の昼休みの間は、ずっと暗かったのでござる……」
「俺の前でもそうなってほしいんだけども……」
「……冗談を言っている場合ではないのでござるッッッッ!!」
ハンナに怒られ、シンは顔に引きつった笑みを貼る。
「じょっ、冗談とかじゃなく、本気で言ってたりするんだけども……」
「だとしたら、なお悪いのでござるッッッッ!!」
「はい……、すみませんでした……」
素直に怒られておけばよかった、と悔やみながら彼女の話を聞く。
「土曜日に代表者となり、二日続けて行われた作戦会議中はいつも通りだったのでござるが……。今日は朝から暗くて……、昼はもっと暗くて……」
「作戦が思いつかなくてーって感じか」
「恐らくは。作戦会議の時に妙案が出てこなかった故、一人で考えている、と言うより、考えさせられているのでござる……。小生もいくつか案を出してみたものの、使えるかは別の話で……」
ハンナは下唇を噛んで下を向いた。
彼女が言った『力不足』は、この件に対しての言葉だったようだ。
「使える作戦、かー……」
外からは淡い水色の横長長方形に見える、三階建ての第三文化棟。
各階には、教室と同じ広さを持つ部屋が八つある。部室の数はその倍で、それらは南北の階段とトイレに挟まれている。
そんな造りになっている第三文化棟を頭に浮かべ、シンは難しい顔で続けた。
「いろいろと考えてみたけど、何が使えて何が使えねーのかはさっぱりなんだよなー……」
「そ、それは、小生には話せない代物でござるか……?」
「いや、普通に話せる。つーか、明日くらいに話そうと思ってたし」
シンは言いながらカバンに手をやった。筆記用具とノートを机の上に置き、第三文化棟の絵を書いて説明する。
それを終えて一息ついたところで、彼女が瞳を輝かせて言う。
「さ、さすが……、さすがは我が主なのでござる!! この策であれば、『理想連合』の者たちをほふれると思うのでござる!」
「そうできれば良いんだけどなー……」
野球やバスケットボールの作戦風に言うと、レイドアンドレイド。急襲もしくは奇襲を重ね、その間に敵を減らしていき、最後は数で上回って押し切る寸法だ。
うまくいけば勝てるが、そうなる保証はどこにもない。
――なんつーか、ちょっと気持ちが分かっちゃった感じだなー……。自分が考えた作戦で負けたら、きついもんなー……。それに加えて代表者とか、勇者すぎんだろ……。
彼女らしいと思う一方で、学習してほしいとも思った。
そのあとで脳裏に浮かんだのは、『夏の陣』を前にした鳴海ミナの姿だ。
友人と一緒にいれば明るく振る舞うが、一人になれば暗い雰囲気を漂わせる。図書館で一度目にした時は、握り締めていた本を見ずに虚空を見つめ、泣くのを我慢するかのように唇を引き結んでいた。
今の彼女はその時よりも酷い状態にあるのだろう。友人の服部ハンナが気づけたことがそれを証明している。
――まーでも、作戦さえ思いつけば立ち直れるわけだし、とりあえずは待ちって感じで良いよな。
そう結論づけた後、不意に湧いた疑問を口にする。
「鳴海を元気づけろってのは、作戦の案を持っていくってことで良いんだよな?」
「それも含め、でござるな。主と話せばミナ姫は元気になる故、話すことが最も重要とも言えるのでござる」
「あーうん、そだなー。分かる分かる」
平板な声を返すと、彼女は目を丸くしていた。
「わ、分かるのでござるか!?」
「分かるに決まってんだろ。鳴海の奴、俺を八つ裂きにすると元気になるもんなー」
「……主は一度、本当の意味で八つ裂きになった方がよい気がするのでござる。さすればいろいろと気づけるようになると思うのでござる」
ハンナの突き放すような物言いに怯み、シンは顔に強張った笑みを貼る。
「あーっと、どうしてそうなっちゃったんだ……?」
「何にせよ、お願いの件、お頼み申したのでござる」
「おっ、おう……」
深く訊いては駄目だと察し、話を本筋に戻す。
「つーか、鳴海が作戦を思いついて、元気を取り戻したらどうすんだ?」
「そうなった時は、陣中見舞いをしてほしいのでござる」
「結局、行かねーと駄目ってことな……。んじゃ、日曜くらいで良いか?」
「行くタイミングは、主にお任せなのでござる」
「……ちなみに、行かなかった場合は?」
確認しておこうと思って問うと、彼女はニコリと笑った。ブレザーのポケットから携帯電話を取り出し、無言でそれを指差す。
シンもニッコリと笑ってから、絶望の色に染まった目を床に落とした。
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