最終話 一つの結末の形らしい。
ぽわぽわとした夢心地の中、悠は慶二に頬をぺちぺちとされて、ようやく悠は自分を取り戻した。
「あれ……僕」
次第にはっきりしてきたので様子を伺えば、慶二の腕に抱き支えられていた。
どうやら、暖かな安らぎを覚えていたのはこれが原因らしい。
「目、覚めたか?」
「ええと……」
軽く意識を失っていたようだ。
悠は彼から離れ身を起こす。
「――さっきのって」
先ほどまで、痺れるようなスパークが悠の身体を支配していた。
……思い出すだけで身体の芯からじわっとしたものが溢れ出てきそうになり、慌てて頭を振る。
そんな悠に対し、慶二はそっぽを向いたまま言う。
「美楽さんが呼んでる。……平電さんも帰って来たみたいだ」
「う、うん」
みっともないところを見せてしまったのかもしれない。
心配になり、慶二の顔を窺えば――
「いや……自分と戦ってただけだから気にしないでくれ」
彼は泣きそうな顔をしてそう言った。
◆
悠たちが一階のリビングに向かえば、美楽に椅子へ座るように指示される。
悠の隣には慶二。
テーブルを挟んで両親と向かい合った状態である。
「いやあ、慶二君とは久しぶりな気がしますねぇ。無理を言って帰ってきた甲斐がありました」
「は、はあ」
大仰に嬉しそうにする平電に、何故か慶二が気圧されている。
もしかしたら久々で戸惑っているのかもしれない。
平電は仕事の都合、帰宅時間が遅い。
隣の家とはいえ、自然と出会うタイミングは限られる。
その上、父の休日となれば、悠は友人を呼ばないようにしていた。
たまの休みぐらいゆっくりしてもらいたい。
子供なりの気配りだ。
――そんな父が、仕事を早めに切り上げてまでする話とは一体なんだろうか?
「……それで、大切な話って何なの?」
「ああ、そうですね。そろそろお腹もすく時間帯ですし、早めに本題に入りましょう」
少し不安に思い悠が促せば、それを察したのか平電も大きくうなずいた。
「悠が慶二君とお付き合いしたと聞きまして」
「……お、お父さんっ!?」
世間話でもするようにさらりと言う平電。
がたりと悠の椅子が物音を立てた。
「あれ、違いましたか?」
あわあわしながら立ち上がった悠を見て、平電はとぼけた風に小首を傾げる。
勘違いだったかな――なんて言いたげな、きょとんとした顔である。
「いや、あってます」
すると、慶二がきっぱりと断言した。
彼は顔を引き締めると、平電の方へ向き直り
「……今日から悠と正式にお付き合いさせてもらってます」
深々と頭を下げた。
「あ、そうですか。いやあ、美楽さんの勘違いでなくてよかったですね」
「え、えっと、なんか軽くないですか?」
拍子抜けしたかのような慶二。
どうやら、ドラマのような激しいやり取りを想定していたらしい。
「いえいえ。慶二君なら小さいころから知ってて安心ですから。悠の相手として適当ですし。なんなら、お義父さんと呼んでくれてもかまいませんよ?」
「……流石にまだ早いと思います」
まだ恋人となって一日も経ってないというのにあまりに気が早くて、悠も慶二も困り顔となる。
「まあ、本題に戻りましょうか」
そんな二人を無視して平電は続けた。
「悠の性別が変わったとき、下手に騒がれないよう『魔法』をかけたといいましたよね。それについての説明です」
「『魔法』の?」
「ええ。実のところ、私がしたのはメディアに取り上げられないよう小細工をしたぐらいです」
「……どういうこと?」
「そうね、それがこの間言えなかった最後の一つなのよ」
意味が分からないとばかりに悠が疑問の声を上げれば、美楽が答える。
「悠、私は大分前に夢魔には二つの力があるって話したわよね。覚えているかしら?」
「確か――」
一つは呪歌。
体育祭までの間、悠は散々悩まされたのだ。忘れられるはずがない。
もう一つ――。
悠は頭を捻る。
さらっと語られただけだったので強く印象に残ってはいなかった。
魔力の吸収ではないようだ。
性別が変わるのも、あくまで偶発的な事象のはず。
一体なんだっただろうか?
そんな悠を見かねたのか、美楽が答えを口にする。
「魅了、よ。見つめることで、好きになってもらうため、相手の認識を書き換えるの。つまり――」
彼女は最後まで言わなかった。
だが、暗に仄めかしている点は変わらない。
「じゃあ、もしかして学校の人たちが僕が女の子になっちゃっても騒がなかったのは……?」
「――そうね。悠の力よ」
母は悠をしっかりと見据えていた。
「始業式でわざわざ壇上であいさつするように言ったのもそのため。きっとあの後、魔力がなくなっちゃったでしょ?」
こくり。
悠は頷くしかない。
彼女には心当たりがあった。
時折、ふと膨大な魔力が失われ、制御不能なままふにゃふにゃとしてしまう。
それは決して始業式のときだけではない。
実夏や美楽とリバーシティに出かけ、ナンパな男に絡まれたとき。
悠は彼にどこかへ行ってほしいと強く願い、それは現実となった。
他にも、慶一の友人たちから愛子を庇おうとしたとき。
不発ではあったものの、急速に魔力切れに陥った記憶がある。
悠を襲ったのは、足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚。
――もし、それが真実だとすれば、自分は友人たちを無意識のうちに操り人形にしていたのではないだろうか?
友情を感じさせるありがたい心遣いも。
ともすれば、出会いさえも――。
「一応勘違いしないよう言っておくけど、悠が血に目覚めたのは女の子になってからよ。それまでの友達には何も関係ないわ」
娘の考えることなどお見通しらしく、美楽が釘を刺す。
美楽は、慶二が昔話をしたときにもそう言っていた。
だとしたら、それまでに培った人間関係は間違いなく悠自身が築いたものだろう。
しかし、悠の心に安堵が訪れることはない。
それまではよくても、それからはどうなる?
一香や愛子、藤真といった新しい出会いは――?
夢魔であることを告白しても、受け入れてくれた親友たちは――?
「……それを悠に伝える意味はあるんですか?」
愕然とする悠を見かねてか、慶二が不服を申し立てたのはそんなタイミング。
慶二の怒りも当然である。
もし、ごく自然に魅了が働いてしまうのなら、予防なんて出来るはずがない。
友人と笑い合っていても、ふとした瞬間に疑ってしまう。
この事実は、悠の将来に暗い影を落とすに違いない。
「そうですね。慶二君の言うとおりです。このまま生きていくだけなら教える必要はないでしょう」
「なら……!」
平電は相変わらずのほほんとした物言いで、慶二が食って掛かる。
「でも、悠は知っておかなければならないんです。知らず知らずに力を使ってしまうということは、とても不幸なことですから」
「言っておくけど、無意識の内なら大した影響はないわ。相手を操るなんて、意識して多大な魔力を向けないと出来ないから。始業式のときは、全校生徒を一度に書き換えたのが原因ね」
悠は、その裏付けとして愛子の存在を思い出す。
彼女は悠が女の子になったことを有り得ることだと改変されていても、納得はしていなかった。
だからこそ、剥き出しの怒りを向けていたのだから。
「……そういう意味では、慶二君を選んでくれてよかったのよ。あなたは悠の魔力の影響を受けない男の子だったから」
美楽がぼそり。
――そうだ、慶二には夢魔の力が通用しないのだ。
幼馴染の少年が自分に告白してきたのは、呪歌や魅了に誘惑されてではない。
そう考えるだけで、彼女の胸がすっと楽になる。
それを後押しするように、今の慶二の瞳は強い意思を湛えていた。
悠の視線に気づいたのか、彼は大人しく席に着く。
そんな二人を見て満足したのか、平電が改めて口を開いた。
「勘違いしてもらっては困りますが、このタイミングで話をしたのは決して意地悪をしたいからじゃありません。……悠に、一つの選択肢を提示するためです」
「……選択肢?」
父の言葉に、つい悠から怪訝な声が漏れた。
「ええ。……もう聞いていると思いますが、悠はハーフなこともあり、非常にアンバランスな存在です」
「う、うん」
それに関しては数日前に美楽から聞いたばかり。
莫大な量の魔力を欲してしまうのは、あやふやさが原因だという。
「恐らく、このままでは力の制御も困難でしょう。ですが、私の魔術を使えば、美楽さんと同じぐらい力の弱い状態に固定出来るはずです。魔力の消費も格段に減るでしょうね」
平電が真っ直ぐに悠を見つめてくる。
おっとりとした父には珍しい、真剣な表情。
悠は息を飲み――冷静に考えて疑問が浮かぶ。
「……じゃあ、僕が夢魔に目覚めてすぐやってくれてもよかったんじゃ」
確かに、平電の提案はいいことずくめに思えた。
だが、それ故に不可解だ。
それこそ、始業式が終われば悠が力を使う必要はない。
慶二の負担も大きく軽減されたはず。
だというのに、一月以上経ってから提示するのだから。
「勿論、メリットだけではないんですよ。この魔術にかかってしまうと、悠の性別はずっと固定されます。今だと女の子のままですね。そして、解くこともできません。だから、今の今まで秘密にしていたんです」
……父の言葉は、男の子だった悠との永遠の決別を意味した。
「このままでいい」と「ずっとこのまま」では全く違う。
人生を左右する、重大な選択肢。
決めてしまえばもう後戻りはできない。
自然と、悠は尻込みしてしまいそうになる。
――回答保留による先延ばし。
それも人生においては一つの手段なのだから。
「あ……」
――だが、彼女の手を何か暖かいものが包み込んだ。
視線をやれば、そこにあったのは慶二の手。
女の子になってから、ずっと触れ合ってきた優しいぬくもり。
「……言っただろ、お前を守りたいって」
「……うん」
頭を上げ、見つめ合う。
幼き夢魔の瞳に映るのは、幼馴染で――親友で――恋人。
彼の姿を見れば、答えは決まり切っていた。
「……お父さん。決めたよ、僕」
「そうですか……。慶二君……娘を、頼みますね。悠も、後悔はないですね?」
平電は穏やかに、しっかりと、念を押す。
「うん。僕は慶二とずっと一緒にいたい。それは変わらないと思うから」
今度こそ悠の瞳に迷いの色はなかった。