百二話 一言でいえばエクスタシー。
「それで、今日は初めて照り焼きを作ったんだけど……」
「香ばしくて旨かったぞ?」
「……良かったぁ」
夕闇の中、悠は慶二の言葉に対し、屈託のない笑顔で応えた。
二人がしているのはお弁当や授業の話。
普段と何ら変わりない、他愛のない会話である。
だというのに、悠はそれが心躍るものに思えて仕方がない。
――手を繋いでいるからだろうか?
自問自答して、彼女は心の中で否定する。
それならば、魔力供給のときに言葉を交わすのと同じはず。
今悠が浸っているのは比べ物にならない高揚感。
薄暗いはずの世界が何故か華やいで見える。
多分、それは隣に心を通わせた想い人がいるから。
自然と笑みが零れてしまうのも仕方のないことなのだ。
――もっとこの時間が続けばいいのに。
いじましく彼女はそう願うのだが、叶うはずもない。
それどころか体感的にはあっという間に自宅に着いてしまった。
手を繋いでいる分、二人の歩みはいつもよりずっと遅いのにである。
恐らくは二割増しほど時間がかかっているはず。
楽しければ楽しいほど、時間というものは早く過ぎ去ってしまう。
なんとも名残惜しくて悠は口を尖らせた。
勿論、魔力供給を行うためすぐさま別れるというわけではないのだが――。
と、そんな少女をニヤニヤと見つめるものが一人。
「あ……」
「おかえり、悠」
玄関で待ち伏せしていた美楽だった。
「う、うん。ただいま」
悠は何事もなかったかのようにぱっと手を放す。
しかし、当然もう手遅れ。
「慶二君も。……仲直り出来たみたいね」
「は、はい」
完全に見抜かれてしまっているようだ。
二人は狼狽えつつも家の中へと入る。
「この後、悠は魔力を貰うのかしら?」
「そのつもりだけど」
「そう……。なら、それからでいいから大切な話があるの。慶二君、申し訳ないのだけど悠と一緒に付き合ってくれる? そろそろ平電さんも帰ってくると思うから」
疑問形――の割に、美楽からは有無を言わせぬ雰囲気が漂っている。
「……わかりました。別に急ぐ用事もないですし」
慶二が頷いたのは、それに押し負けたからではないはず。
そう悠は思いたい。
◆
悠の部屋の前。
慶二は一人、壁にもたれるようにして座り込む。
悠は先ほど、着替えると言い残し自室に入って行った。
リビングで待っていてくれてもいいと言われたのだが、彼は断った。
今、美楽と二人きりになるのは恐ろしい。
そう考えたため。
出迎えの際、彼女の瞳に宿っていたのはどう見ても好奇心だった。
間違いなく、様々な方向からからかわれる。
君子危うきに近寄らず。
慶二が避けたのは当然であろう。
この場に悠がいないのをいいことに、慶二の口から「はぁ」とため息が漏れる。
別に、暇だからではない。
緊張が原因。
告白を受諾された数時間後に想い人の両親と対面とは。
見知った顔とはいえ、緊張しない方がおかしい。
それに、自分が居合わせる必要のある大切な話というのも気にかかる。
自然と不安になるというもの。
だが、男には意地がある。
というか、悠のことだから気に病んでしまうかもしれない。
想い人にそんな姿は見せたくないと考え、隠れて嘆息しているというわけだ。
「お、お待たせ」
扉が開き、悠が姿を見せる。
上下共に長袖。厚手のジャージだった。
「いや。大して待ってないぞ」
慶二は室内へ入ると胡坐を組む。
一方、悠は正座からお尻をぺたんとつける所謂女の子座り。
そして、いつものように手を繋ごうとして――悠の手が震えていた、
どうしたことだろう?
慶二が意識してしまうことは多々あれど、彼女が魔力供給にこのような反応を示すのは珍しい。
「大丈夫か?」
心配になり声をかければ、悠の顔は目を反らす。
何か問題になることをしたのだろうか。
慶二は不安を隠せない。
すると、悠が彼の横へと移動し、耳元で甘く囁いた。
「……あ、あの。恋人同士の魔力だと……その」
彼女は、まるで焦らすように言いよどむ。
残念ながら、それだけでは慶二にはわからない。
つい小首を傾げそうになり――もう少し耳朶を擽る細やかな声が聞いていたくてやめた。
だが、そんな慶二に爆弾が投下される。
「……凄く、気持ちよくなっちゃうみたい。だから……はしたない姿を見せても嫌わないでね?」
◆
想いの籠った魔力は何よりもご馳走。
数日前美楽の語った夢魔の秘密である。
――実のところ、悠は直前まですっかり失念していた。
いや、もしかしたら考えないようにしていたのかもしれない。
思い出すだけで、身体の中心から切ないものが込み上げてくるのだから。
理性を焼き切るような甘美な電流。
あのとき、慶二が魔力を送ってきたのは、偶発的だからか少量だった。
その上、悠自身、供給の直後で満たされていた。
だというのに、筆舌に尽くしがたい悦楽に襲われたのだ。
少女の口から熱い吐息が漏れるのは、恐怖からか――期待からか。
悠には自分でもわからない。
でも、確かなのは、駄目になってしまうということ。
多分、その間そこにいるのは悠ではなく、一人の夢魔だ。
優しくも熾烈な炎に呑みこまれれば、抗うことなどできるはずがない。
だから、事前に断ったのだが――そんなもの、気休めにもならなかった。
「ひにゃぁぁっ……!」
全身を内側から魔力に愛撫され、悠は子猫が甘えるような声でただただ喘ぐことしかできない。
自分というものが流されて消えてしまいそうで、悠は潤んだ瞳で上目遣いになりながら、慶二の逞しい腕に必死で縋りついた。
結果として、愛おしい彼の体温が灼熱となりさらに身を焦がす。
――悦びの涙が滴り落ちて床を濡らした。
「慶二……慶二……っ」
夢魔を蕩けさせる痺れが、ぞぞぞと背筋を這い回る。
その感覚に苛まれ、悠はうなされるように叫んだ。
昂ぶりすぎて、辛い。
怖くて、苦しくて、死んでしまいそう。
だというのに、逃げられない。
お腹に力をいれようとしても、甘くとろとろに溶かされてしまう。
いや、逃げようと思えない。
悠は、しなやかな指を必死に絡め、慶二を貪欲に求め続けていた。
焦燥は甘みを引き立てるスパイスでしかなく、ますます彼女は虜になっていく。
――そもそも、逃げるという表現自体適当ではないのだ。
実のところ、慶二はいつでも悠が供給を絶てるよう力を緩めている。
もし、彼女がすっと手を引いてしまえば、その場で魔力のやり取りは終わるだろう。
今、掌を合わせているのは紛れもなく彼女の意思である。
「あ、あぁぁあぁっ……!」
何かが爆発しそうで、悠の声が一オクターブ高く跳ね上がる。
悠の内側でうねり続ける何か。
「も、もう……やだぁっ……!」
言葉とは裏腹に、悠の身体はそれを今か今かと待ち望んでいた。
少女の体がぴくんと跳ねたのと、臨界ギリギリまで高まったうねりが爆ぜるのはほぼ同時。
「――――っ!」
声にならない嬌声と共に悠の視界が白く染まり――。