第十章 紅倉の入院
ううー…ん……、と美咲が目を覚まし、慌ててきょろきょろした。
「蛸の化け物！……」
「先生が退治しました。ご協力ありがとうございます」
芙蓉に助けられて立ち上がり、美咲はハッと思い出してショートパンツの前を触ったが、芙蓉がちゃんと閉めてあげていた。
「ごめんなさいねー、怖い思いさせちゃって」
と紅倉は困った愛想笑いで誤魔化しながら言った。
「ほら、テレビって、演出が派手じゃないと、ウケないじゃない？」
ね？と首を傾げる紅倉を、
「演出……ですか？……」
美咲は怪しむ目で見たが、
「おおーい、先生！ 芙蓉さん！ ご苦労様ー」
等々力がニコニコ手を振ってやってきた。
「等々力さん、撮影はどんな感じです？」
「バッチグー！」
等々力は指で丸を作ってニカッと笑った。
「蛸の化け物とは傑作ですなあ。大蛸に絡みつかれる美女！ いやあ、こりゃあシリーズ最高視聴率いただきですなあ！」
「ちょっとやり過ぎでした？」
「いやいや、先生が倒れたときにはまさか！と焦りましたがね、いやあ、ハラハラドキドキ、傑作です！ 今道さんも、良かったですよおー？ ホラーに美女は付き物ですからなあー」
誉められて、おだてられて、美咲もすっかり『ま、いっか』と、ヒロインを演じた嬉しさを感じてウフッと笑った。
いつも通りニコニコと笑っている紅倉だが、
「先生？」
と芙蓉は心配そうにじいっと見つめて尋ねた。
「お体、なんともありません？」
「うん？」
紅倉は芙蓉の視線を避けるように視線を泳がせ、
「先生、」
と芙蓉は詰め寄った。
そこへ
「おーーい」
と、スタッフに付き添われて入山渚子が階段を降りてきた。
「渚子さん！」
芙蓉は紅倉を気にしつつ渚子の下へ走った。
「芙蓉さん」
渚子は芙蓉に笑顔を見せた。芙蓉は深刻な顔で尋ねた。
「渚子さん、脚は？」
「脚。うーーん…、大丈夫…みたいですよ？」
芙蓉はひざまずいて渚子のすらりと伸びる右脚を子細に観察した。白く滑らかな曲線を描いて、健康そのものだ。
触れて、霊体の感触を探ってみたが、汚染されたり、切断されたりした様子はない。
「どうして……」
たとえ霊体が元に戻っても肉体のダメージは時間を掛けなければ快復しない。霊体もそうなのだが……。何故か？その答えの見当が付いていながら芙蓉は疑問を口にした。
渚子は当時の記憶を思い出して言う。
「幽霊に襲われて、すごく怖くてすごく痛くて、きゃあって大声で悲鳴上げちゃったんですけど、なんか……、今思い返すと痛いのって思い出せないんですよね？ なんか、自分でそう思い込んでお芝居していたみたいに……。もしかしてわたしって名女優？」
と、渚子はあっけらかんと笑った。
芙蓉は青くなった。「つらら女」の事件で先生が使った手だ。しかし、今回は…………
芙蓉は再び走り、紅倉の下へ帰った。
「先生、脚見せてください」
「嫌よ、恥ずかしい」
「いいから見せなさい！ 等々力さん、ライト！」
等々力がカメラに装着したライトをつけると、芙蓉は紅倉の下にかがみ込み、右脚の綿のパンツの裾を膝上までめくり上げた。
「先生……………」
芙蓉は泣きそうになった。
首なし女の背後に現れた紅倉の霊体は右脚が付け根からなかった。
「先生はあらかじめ……」
駐車場で入山渚子をあっちこっちと方向を決めていたとき、自分の霊体からもぎ取った右脚を、渚子の右脚に重ねておいたのだろう。
自分の霊体を自分の手でもぎ取るなんて、最高の霊感を持つ先生なら尚更、……どれほどの苦痛だっただろうと思う。
「先生……」
芙蓉は先生を責めた自分の態度を後悔し、痛々しく青黒くなった脚を抱きしめ、頬を寄せた。
紅倉は笑って言った。
「いいのいいの。わたしは平気。ほら、わたしって感覚鈍いから。ぜーんぜん、大丈夫よ？」
「大丈夫なわけ、ないでしょう？」
太ももに頬をすり寄せる芙蓉の頭を、紅倉は撫でて言った。
「仕方なかったのよ。どうせ、誰かが犠牲にならなくちゃならなかったんだから。犠牲者を選ぶなんて、わたしはしたくないもの」
「わたしを……、選んでくれれば良かったのに……」
「あなたをこんなひどい目に遭わせるなんて」
紅倉は芙蓉の額に手をやり、上向かせた顔を優しく見つめ、
「わたしには耐えられないわ」
と微笑んだ。
芙蓉は立ち上がると、ぎゅうっと紅倉を抱きしめた。
『愛してます、先生。
先生はわたしの全てです』
と言う思いを込めて。
それから一週間、芙蓉と紅倉はホテルの滞在を延長した。
芙蓉は犠牲者の若い女性たちの往診に病院を回った。怨霊が成仏（正確にはまだかもしれないが）し、解放された霊体はそれぞれ持ち主の下に帰ってきた。しかし切断された霊体が馴染み元どおりになるまでしばらく時間が掛かる。肉体のダメージも徐々に直っていくだろうが、何より精神的なショックが大きい。芙蓉は彼女たちに寄り添い、きめ細やかな愛情で傷ついた心を癒してやるのだった。
さて、何故か（？）ご機嫌な芙蓉はホテルに帰宅すると、今度は紅倉の治療に掛かる。本当は紅倉も病院に入院すればいいのだが、頑なに嫌がるし、紅倉が入院なんてすればまたどんな心霊事件を引き起こすかも知れない。
「さあて、お手当てしましょうねえー」
芙蓉は嬉しそうに手をパチンと合わせ、ベッドに寝かせた紅倉のバスローブの裾を開き、裸の脚にアロマオイルを塗って、べたべたと、隅々まで念入りにマッサージしてやった。
紅倉は、
「うーーん…、恥ずかしい……」
と頬を染め、芙蓉は、
「今さら恥ずかしがる仲でもないでしょう？」
と頬を紅潮させた。
「どういう仲なの？」
「いっしょにお風呂に入っていっしょのベッドで寝る仲です」
「美貴ちゃんちょっと浮かれ過ぎよ？」
「いいじゃないですか、バカンスなんですから」
そう、先生といっしょにリゾート地でバカンスを過ごせるなんて夢のようだ。
マッサージを終えると芙蓉はクイーンサイズのベッドに、紅倉の横に並んで寝た。
穏やかに白い天井を眺め、言った。
「同性同士で結婚できるのって、どこの国でしたっけ？」
「さあ？ わたしは外国に出る気はありません」
「じゃあ愛人のままでかまいません」
しばらく無言でいると、紅倉が芙蓉の手を握ってきた。
「馬鹿な子ねえ」
「それでも、かまいません」
ぎゅうっと握り返し。
「ありがとう」
「どういたしまして」
芙蓉は微笑んだ。
芙蓉は、幸せだ。
おわり。
二〇一〇年七月作品
