序章 ep1
「ミーリャ! こっちだ」
「い、いたいよう。とうさん!」
父親は、娘の手首を握りし駆けだした。その背には小ぶりなリュート。頭には羽飾りのついた三角帽子。吟遊詩人だ。
同じように三角帽子をかぶった娘はまだ五つになるやならず。手を引く背の高い父親の歩幅に、遅れないように精一杯走っていた。
炎にまかれた街の中をあてもなく逃げ回る。今夜たどりついたばかりの知らない土地だ。どこへ逃げたらいいのかわからないまま、人の流れのまま走っていた。
夕刻までは、にぎやかな酒場でリュートを手に、楽しい歌を聞かせていた。客たちは、たまにしか聞けない吟遊詩人の詩に耳を傾け、酒をくみかわしていた。
楽しかった夜が更け、人々が寝床に転がり込んだ頃、街は炎に包まれた。
「青鬼だ!」
「ギュールズの奴らが攻めてきたぞ! 逃げろ!」
街のあちこちから悲鳴があがった。
「とうさん、あおおにって、わるいやつら?」
「青鬼なんていない。ギュールズは悪いひとたちでもない」
「あおおにが、ひをつけたって」
「誰かが火をつけたのかもしれない。でもそれがギュールズの人たちかどうかなんてわからない」
そう言った父親の横顔は、いつもより厳しい表情を浮かべていた。
青鬼という言葉は、旅をしていると、ミーリャも耳にしたことがあった。
人のものを盗んだり、家に火をつけたりする、北の国に住む悪い人たちだ。みんなそう言っている。しかし、その話になるとミーリャの父親はいつも『青鬼なんていない』と言い切った。
「だって、おうち、いっぱい、もえてるよ」
息をきらしながら、父親にそう話かけると、さらに険しい顔つきになった。いつも優しい顔で笑いかけてくれるのに、今日ばかりは違っていた。
「ミーリャ、走りながら喋るな。舌を噛むぞ」
「…でも、あっ!」
父親の言葉に答えようとしたミーリャは足元に転がっていたがれきに躓き、派手に転んでしまった。足首をおさえてうずくまったところに、派手な火の粉が巻き上がった。そしてみしみしという嫌な音。火のついた家の壁が、ミーリャに倒れかかろうとしていた。
「ミーリャ!!!!」
父親は背負っていたリュートを道へ転がし、娘と壁の間に体をすべらせた。まだ火のついたままの壁が父親の背にのしかかった。
「とうさん!」
「ううっ…ミーリャ、無事か?」
ミーリャが父親の下から抜け出ると、力尽きる寸前で壁の隙間から父親も這い出した。
「とうさん、背中に火が」
ミーリャは自分の三角帽子を脱いで、父親の背中を叩いて火を消した。何度か叩いているうちにミーリャの三角帽子が朱く染まっていた。
「ち…?! とうさん、だいじょうぶっ…」
「ああ…」
そう答えたものの、燃え落ちた壁の下から這い出た姿のままほとんど動けなくなっていた。
「…ミーリャ、リュートは?」
十一弦のリュートは、吟遊詩人の商売道具だ。なによりも大切にしていることをミーリャは知っていた。
「あ、あそこ」
道のかたわらに、父親のリュートがあった。普段は肌身離さず持ち歩いているが、自分を助けるために、ぞんざいに投げ出したのだ。
ミーリャは、そのリュートを手に取り、父親の元に持って行った。
父親は重い体を起こし、なんとか地面に座り込んだ。
リュートを包んだ布を開くと、ざっと全体をさすり、大きな傷がないのを確かめるとほっとしたように息をついた。
「ミーリャ、おいで」
父親はあぐらをかいたその膝の上にミーリャを乗せると、娘を背から抱え込むようにリュートを構えた。
まわりの家々は次々と炎にのみこまれ、舞い散る火の粉がだんだんと激しくなっていく。
「ミーリャも手を添えて、リュートを構えて」
「とうさん、こんなときに…」
「こんな時だから」
「今から聴かせるのは、ぼくとミーリャだけの秘密だよ」
そう言うと、大きく息を吸い込んだ。




