第01話:英雄は、誰かのために行動する
「おい、ミラル。鏡の角度がズレてるじゃねえか。俺の男前が台無しだろうがッ!」
ガランの分厚い手が、僕の頬を容赦なく張り飛ばした。
宿屋の薄暗い土間。激しい衝撃に視界が揺れ、口の中にじわりと鉄の味が広がる。
「……っ、すみません」
僕は短く謝罪し、腫れ上がる頬の痛みを堪えながら、虚空に創り出した鏡の角度を微調整する。
僕の固有スキル『英雄の鏡』。
それは魔力で空間に鏡を創り出し、光を集めて火を起こしたり、このように他人の身だしなみを整えたりする程度の、戦闘には一切役に立たないゴミスキルだ。
「チッ、謝って済む問題じゃねえんだよ。無能なのに鏡としての役割すらできねぇのか、普通の鏡の方がまだ使えるぞ」
パーティのリーダーである剣士のガランは、整えたばかりの髪をかき上げながら冷たく吐き捨てた。
「ほら、さっさと荷解きを終わらせろ。それが済んだら、村をぐるっと回って防壁の柵の状態を全部チェックしてこい。夜までに終わらなきゃ飯は抜きだからな」
「そんな……村を一周するなんて、日が暮れてしまいます」
「口答えすんのか? お前みたいな役立たずのゴミスキル持ちを、英雄である俺の専用鏡として拾ってやった恩を忘れたとは言わせねえぞ!」
「ぐはっ……!」
ガランの重いブーツが、僕の腹部を容赦なく蹴り飛ばした。
息を詰まらせて冷たい土間に転がる僕を見下ろし、ガランは鼻で嗤う。
「さっさと行ってこい、ゴミが」
その言葉に同調するように、周囲のメンバーたちも一斉に下品な笑い声を上げた。
理不尽な命令と暴力。だが、僕には痛む腹を押さえながら、黙って彼らの背中を見つめることしかできなかった。
ゴミだと嗤われ、便利屋として、時には八つ当たりの道具として扱われ続ける日々。
――好きでこんな人生なんじゃない。
鏡に誰かを映すだけじゃない。僕自身が、誰かを守れる本物の英雄になりたいと。子供のころは、本気で思っていたんだ。
大人になったら誰でも貰える『固有スキル』に期待していた。善良な人間を誰も泣かせない英雄になるんだって本気で思っていた。でも、僕には英雄になるためのスキルを引き当てる運がなかったんだ。
ガランに命じられるまま、僕は日が暮れかけた村の外周を歩き、壊れかけた防壁の柵を一生懸命に修理していた。
「お前さん、どうしてあんなパーティの中で我慢しているんだ?」
不意に背後から声をかけられ、振り返るとそこには村長の老人が立っていた。
「……僕に出来るのは、こうして柵を修理する事くらいですから」
自嘲気味に笑って答えると、老人は静かに首を振った。
「お前さんは、村のために行動してくれている。立派な『英雄』だと思うがね」
ハッとして顔を上げると、老人は答えを聞かずに、すでに夕闇の中へと姿を消していた。
◇ ◇ ◇
王都から数日離れた辺境の村。
ゴブリンの群れが接近しているという報せを受け、僕たち『銀の牙』パーティはこの村の防衛依頼を受けていた。
「クソッ、ホブゴブリンやゴブリンエリートまでいやがるぞ! 話が違う!」
未明の村の広場は、凄惨な血の匂いと悲鳴に包まれていた。
押し寄せるゴブリンの数は、数十匹という事前情報通りだったが、その質が予想を超えていた。ガランは、ギルド情報の詳細確認を怠っていたのだ。
「おいミラル! お前はここで光でも反射させて目眩ましになれ!」
「えっ……ガランさん、無理ですよ!?」
「足止めのお前がいりゃあ、俺たちは安全に逃げられるからな。せいぜい立派な『囮の英雄』として役立てよ、お前は俺達の英雄だぜ。おらッ!」
ドンッ、と強烈な蹴りが僕の腹に叩き込まれた。
ガランが僕をゴブリンの群れの真っ只中へと力任せに蹴り飛ばし、仲間と共に一目散に逃げ出していく。
泥の中に倒れ込んだ僕が見上げた先で、逃げ遅れた小さな子供に、1匹の大きなゴブリンが錆びた鉈を振り下ろそうとしていた。
「やめろッ!」
僕は痛む腹を抱え、考えるよりも先に飛び出し、子供を庇って目を閉じた。
だが、痛みは訪れない。
「――そうだ。英雄とは強さではない。誰かのために行動する者が英雄なのだ」
目を開けると、そこには村長の老人が立っていた。
その手には、ただの使い古された木の杖。老人は杖を上段に構え、一歩、音もなく踏み込んだ。
次の瞬間、杖が銀色の閃光となって空間を裂いた。ゴブリンの巨体が、甲高い風切り音と共に真っ二つに両断される。
だが、無理な動きが老いた体に限界以上の負担をかけたのか、老人はその場で片膝をついた。
周囲からは、仲間を殺されて激昂した残りのゴブリンが殺到してくる。
(この人を、死なせたら絶対に駄目だ……ッ!)
何年も押し殺してきた僕の渇望が、強烈な熱となって弾け飛んだ。
己の命を賭してでも誰かを守り抜く。その揺るぎない『覚悟』が、僕と老人の魂を完全に同調させていく。
僕は無意識に、虚空から一枚の鏡を展開していた。
他人の身だしなみを整えるだけの、戦闘では何の役にも立たない小さな鏡。
だが、その鏡面が、命を賭して誰かを守ろうとする老人の『本物の英雄の背中』を真正面から映し出した瞬間――鏡の表面にピキリとヒビが入り、眩い黄金の光が溢れ出した。
鏡は音もなく光の粒子となって、僕の瞳へと吸い込まれていく。
――外側を映す鏡は、もういらない。答えは最初から、僕の中にあったんだ。
【システムメッセージ:対象を『英雄(剣聖)』と確認】
【対象との『覚悟』の同調を確認しました】
【スキル『英雄の鏡』発動――英雄スキル『剣聖』を完全模倣します】
脳内に響く無機質な声と共に、老人の『骨格』と『魔力経路』の情報が、暴流となって僕の脳髄へと流れ込んでくる。
僕は、老人が見せた構えと一寸の狂いもない、完璧な動作で地面を蹴った。
僕の身体は風そのものとなり、横薙ぎの一閃が10匹以上のゴブリンを同時に薙ぎ払う。
血の雨が止み、朝靄が広場を包み込み始める。
膝をついた老人が、僕の目を見て絶句した。
「……見ただけで学んだのか。そしてその目は、まるで澄み渡った鏡のようだな。私の生涯をまるで問われているような……」
老人は震える手で僕の肩を掴んだ。
「ミラル君と呼ばれていたな。私はもう弟子を取るつもりはなかった。だが……君の目を見ていると、この剣の極意を、託すべきだと魂が言っている。この衝動は一体何なのだろう……」
僕には、村長の疑問への答えは分からなかった。でも、僕が憧れた本物の英雄の姿を鏡に映して気づいた。
――鏡は、誰かを映すためだけの道具じゃない。自分自身の在り方だって、整えることができるんだ。
未熟だった僕は知った。英雄とは誰かに希望を与える光なのだと。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
答えを見つけたミラルの本当の戦いはこれから始まります。まずは事態が大きく動く第3話まで読んでみてください!
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