名も資格もない場所で
夜明け前。
王都から少し離れた旧街道沿いに、朽ちかけた見張り小屋があった。
屋根は半分崩れ、壁にはひびが入り、扉も歪んでいる。
もう何年も使われていない。
地図にもほとんど載っていない場所だ。
だから――
役所の目も、軍の巡回も来ない。
「ここなら、しばらく大丈夫そうですね」
俺は中を見回して、息をついた。
埃はあるが、雨風はしのげる。
セラは壁に背をつけたまま、外の気配を探っている。
視線の動きは無駄がなく、完全に“仕事中”のそれだ。
でも――
もう彼女に任務はない。
(妙だな)
暗殺者が、次の仕事を探していない。
「何を考えている」
不意にセラが言った。
「顔に出ている」
「そんなに分かりやすいですか?」
「分かる」
あっさり言われる。
「俺たち、今どこにいるのかなって」
「制度の外」
即答だった。
「国の外ではない」
「そこ、重要ですね」
「重要だ」
セラはうなずく。
「国の外に出れば敵になる」
「だが制度の外なら、無視される」
その言い方に、思わず笑ってしまう。
「無視って、楽ですね」
「危険だがな」
「でも自由でもある」
少しだけ、彼女の声が柔らいだ。
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朝。
街道を歩く。
武装は最低限。
目立たない格好。
俺たちは今、“いない方が都合のいい人間”だ。
だからこそ、誰も深く見ない。
「俺」
歩きながら言う。
「制度に文句を言う側になると思ってました」
「ならなかったな」
「はい」
「不満は?」
「ありますよ」
即答する。
「でも、怒ってはいません」
セラが横目で見る。
「不自然だ」
「そうですか?」
「普通は怒る」
「慣れてるだけかもしれません」
「切られたのに?」
「切られる前に、自分から降りましたから」
セラは少し黙る。
「それが、お前の主体か」
「多分」
自分で決めた。
それだけは、確かだ。
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昼。
小さな村に着く。
宿に泊まる金も、身分証もない。
だから納屋を借りることにした。
対価は、力仕事。
「男が力仕事?」
農夫が少し驚く。
この国では珍しい。
「やれますよ」
試しに荷車を押し、薪を割り、重い袋を運ぶ。
農夫の表情が変わる。
「あんた、変わってるな」
「よく言われます」
笑うと、向こうも笑った。
ここでは、制度は関係ない。
ただ、働けるかどうかだ。
(こういう場所もあるんだな)
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夜。
納屋の中。
藁の匂いが強い。
焚き火の小さな炎が揺れている。
セラが火を見つめたまま言った。
「これから、何をする」
「正直、まだ決めてません」
「無計画だな」
「はい」
素直にうなずく。
「でも、一つだけ決めてます」
セラが顔を上げる。
「“誰かの代わりに切られない”」
「どういう意味だ」
「俺がここで消えたら」
少し言葉を選ぶ。
「“制度の外に出る”って選択肢が、また危ないものになる」
「ああ」
セラは理解したようにうなずく。
「見本になるつもりか」
「ロールモデルは嫌ですけどね」
「嫌がりながら立つ」
「最悪ですよ」
「合理的だ」
その言い方が妙におかしくて、少し笑った。
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しばらく沈黙が続いたあと、セラが言う。
「私は今、無職だ」
「ですね」
「雇われてもいない。命令もない」
「最高じゃないですか」
「不安定だ」
「俺も同じです」
セラが小さく息を吐く。
「同類か」
「光栄です」
少し間があってから、彼女は言った。
「しばらく同行する」
「理由は?」
「観測」
即答。
「お前が制度の外で何をするのか、見たい」
「それ、監視じゃないですか?」
「どちらでもいい」
言い切られた。
「逃げません?」
「逃げない」
「殺しません?」
「殺さない」
「今は」
焚き火がぱち、と弾ける。
俺は手を差し出した。
「じゃあ、仮契約ですね」
セラは一瞬迷ってから、その手を取る。
冷たい手だ。
でも、拒絶はない。
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翌朝。
また歩き出す。
肩書きもない。
資格もない。
守られてもいない。
だが、切られてもいない。
制度の外。
そこには、まだ名前のついていない選択肢が転がっている。
拾うかどうかは――
これから決めればいい。




