第三話 『人と物』
「あ、あああああああああ――」
ギルド長が壊れた。
カイモスはテーブルに突っ伏し、真っ白な顔をして壊れたラジオのように、ただ口から自然と漏れ出す謎の怪奇音を鳴らすマシーンと化している。
原因は、テーブルを囲う他の二人。駆け出し冒険者と王国騎士団の団員である。しかしながら、二人ともそっぽを向いて何とも不服そうだ。
「こいつが、いちいち出しゃばってこなけりゃ、こうはならなかったのによ」
「はあ? 元はといえばお前がアリニアに手を出してこなけりゃ――」
少し前からこの調子である。
喧嘩した二人の生徒をどっちが先だ、どっちが悪いだ。裁判する生徒指導の構図そのものである。
「君らが下敷きにしたのは赤の王派閥の貴族。幸い軽傷で済んだけど……よりによって赤……ただでさえ煙たがれてるのに、これで何か言われたら……あぁ、ホントに頭が痛いよ……」
言葉通りに額を抑え、深刻と書かれていそうな顔をするカイモス。好物の酒すらジョッキに並々残っている。明日には槍が降るだろう。
と、そんな重ためな空気のテーブルに向け、受付窓口から一人の女が笑いを隠しきれずに話しかける。
「どうしたんスかギルド長。二日酔いっスか?」
「いや、だとよかったんですけど……あと、いま話かけないでください。これからどうするか考えてるので……」
眉間のしわを一つ増やして、マイアーの空気の読めない質問に答えるカイモス。アルコールも切らして、沸点はいつもより下がっているらしい。
今しがたカイモスの堪忍袋の緒切断しかけたマイアーは、続けて標準を駆け出し冒険者に向ける。
「――それに、見てたっスよハルさん。見事なぶっ飛びっぷりでしたっスね」
「は、はは、そうっスね……」
ハルはうまく笑うことができず、ヒクヒクと引きつった口元はアパレルブランドの店員に試着を提案された際のコミュニケーション障害の人間を彷彿とするが、それはどちらかといえば合コンで自分にまつわる余計な昔話を語る同性の幹事に向けられるものに近い。
そして沸騰寸前の二つのヤカンを眺めながら、マイアーはもう一つのコンロの火をつける。
「あと、ジークさん。さっきのあれなんすか。キャッハハハ!」
「うるせえぞ、マイアー!」
「うわ、こーわ! イブちゃんにやってたみたいにやってよ――これはマイアーさん、今日もお美しい。 ってさ、キャッハハハ!」
世界から争いを無くすために、最も手っ取り早いのはすべての人間の共通悪を作り出すことである。というが、どうやら本当らしい。
この女ァ……。
少なからず、そのテーブルを囲む男どもは一瞬だけ共通した意志を持っていた。
と、この中で最も大人であるカイモスが早々に冷静さを取り戻し、口を開いた。
「――というか私もさっき見てて思ったけれど、ジーク君変わったよね。明るくなったというか、気さくになったというか、アンノ達と居た時はもっとこうツンツンしてたのに、随分丸くなっちゃって」
「いや……こうしたほうが女に好かれるって……団員に聞いただけだ」
「それで、見境なく女性に手を出しまわるようになって、今度はアリニアさんと?」
「ちげえわ!!」
”あーはいはい”とでも言いたげな顔をしたカイモスにテーブルを叩いて抗議するジーク。だれしも、憶測だけで勝手な誤解を起こされるのは腹立たしくごめん被りたいものであるが、ジークからはそんな心情が読み取れる。
「じゃあ、どうして?」
カイモスの質問にジークは顔を下に向け、酷く険しい表情をした。尋常ならざるジークの様子に、流石のハルも息をのむ。空気がどこか重々しくなってきたとき、金鎧の騎士は口を開いたのだ。
「団長が……怪我を……」
「団長って、あのティリア団長?」
「あぁ、この前、武器の手入れをしていた時、団長が指先を切っちまった……」
「は?」
「は?」
これはまた、とんでもない魔法を放ってきたものだ。唾でも付けてろとでも言いたくなるが、あまりの衝撃にカイモスとハルの頭の中は一瞬にして真っ白になる。すかさず、カイモスは誤信を避けるために新たな質問を投げかける。
「えっと、それで……アリニアさんとどんな関係が?」
「あの女は腕の一本程度ならば治すこともたやすいと聞いた。今回は少しで済んだが、もしもの事を考えれば、あの女は団長のそばに置いていた方がいい。だから、来た」
この街でハルの不死身を知っているのは、アリニア、ソー、アンノ、ドルの四人であり、他の人間はアンノが流したアリニアの治癒魔法のカバーストーリを信じている。どうやら、ジークはその噂を耳にしたようだ。
きっかけはどうであれ、それなりに頭で考えた結果、ジークは過程をすっ飛ばして合理的な判断をしたと言えるかもしれない。カイモスは、頭を小刻みに降って理解を伝える。そして、もちろんハルは黙っていない。
「アリニアは俺のパーティ仲間だ。だから――」
「だから何だよ……さっきも言ったが、銅三等級程度にはもったいねえだけじゃねえか。お前らが能力にかまけて、全滅するとも分からねえ。だから、騎士団に入れば、うまく使ってやるっつってんだ。それともなんだ、譲れねえ理由でもあんのか?」
ジークはハルの言葉を遮り、一切ターンを渡すことなく畳みかける。どうやら彼の口には潤滑油でも塗っているらしい。
「ああ、金か? お前ら冒険者らしいじゃねえか。言い値で出してやるよ。何なら代わりの女も用意してやる。だからお前は黙って――」
――ガコオオン!
椅子から勢いよく立ち上がり今度はハルが、椅子の倒れる音で無理やりジークの話を遮った。ジークは聞き分けのない冒険者に何とも呆れ顔である。
しかしながら、その冒険者の形相は鬼も泣いて謝るほどの強烈な憤怒に満ち溢れ、ギラギラと突き刺すようにジークを睨む。
「お前ふざけんなよ! アリニアは物じゃねえ! 金がどうだとか使うだとか、さっきからお前が気に食わねえ!」
「……あ? なんだよ」
外の音が聞こえるほどに静かな時間が流れる。
――ギィイ……。
一触即発。その場の空気が単なる言い合いから色を変えかけた時、ギルド会館の扉から一人の男が現れた。後ろにはアリニアとソーを連れている。
「うるせえな。外まで聞こえてんだよ」
「おお、アンノ。助かったよぉ。二人とも……」
カイモスは溶けるようにして、溜まっていた空気を一気にテーブルに向かって吐いた。
二人といったが、アンノを省いての二人であり、それはアリニアとソーのことであった。カイモスは二人に対しアンノを探し連れてくることを頼んでいたらしい。
現れたアンノにジークは目を背け、その様子を見てハルは疑問符が浮かぶ。そしてそんなことを他所にアンノは淡々と話し始める。
「話は聞いた。それでどうすんだジーク」
「どうするって、何だよ? 馬車の件なら俺は――」
「今回は赤の王派閥。それに絡んでるのがお前だと知られれば、お前のところの団長もただじゃ済まないだろ」
「それは……」
テーブルに近づきながら話すアンノにジークの言葉が詰まる。舌の油は枯れ、なんだかさっきよりも顔の影が濃くなった気がする。
簡単にジークをねじ伏せ、アンノは話を続ける。
「これは、穏便に済ます必要がある。面倒なのはお互い様だ。金と女はそっちに使え」
「――! ケホッ、ケホ……」
と、すっかり安心しきったカイモスがジョッキの酒を含んでいた時、何かを思いついた様子で、咽始める。
「いいこと考えた!」
目をキラキラさえながら立ち上がっかカイモスを見て、アンノとジークの顔が曇る。長い付き合いこの二人には察しが付くらしい。カイモスがろくな事を思いつかないことに――。




