09・揺れ惑う姫
「姫様、ではこれでよろしいですか?」
護衛の少年・季彩は伝言の内容を頭で復唱しながら、美琴に再度確認をした。
頷く美琴を確認した後、羽を羽ばたかせ飛行行動に移る。
「季彩、気を付けてね」
「はい。お任せ下さい」
季彩が”偵察活動”に飛び立って行くのを見送ると、美琴は祈る様に両手を組んだ。
(理世…)
「姫、中に戻りましょう?あまり外におられますと、弥未様が…」
「…そうね。戻りましょ」
不安そうに辺りを見回す世話係の少女、瑠璃を優しく促すと、美琴は玻璃鐘城内にある自室に戻って行った。
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美琴は理世の居場所を把握しようと、色々画策していたものの、弥未の見張りが厳しく理世の行方は一向に掴めなかった。
蟻人達の王国は、地底に広く広がっている。
地底に居る事は分かっているのだが、”地底の何処に”居るのかが分からず、出入口も相当数存在する為に理世が外出する際に何処の出入り口を使っているのかも分からない。
そもそも、自分の状況を顧みても、理世が外出を許されているのかどうか、といった所だった。
落ち込む美琴を見兼ねたのか、季彩は危険を承知で己の偵察活動範囲外を飛び回って情報を集めてくれた。
そこで、偶然見つけたのだ。女王が小高い丘の木の下に居る所を。
美琴から容姿を聞いていた訳では無かったが、羽も触角も無い、華奢な身体に愛らしい顔。
何よりも、目を伏せて長い睫毛が被さっているその姿が美琴に良く似ていたので直ぐに分かった。
丘の下では、羽付きの男達が兵の訓練をしている。
にも関わらず、女王の周囲には見張りの姿は無い。
理由は直ぐに分かった。
女王は、太い木に打ち込まれた鉄杭に、鎖で繋がれていたのだ。
◇
季彩は意を決して地上に降り、腹這いになって背後から忍び寄った。
「…女王様」
「ひゃあっ!」
いきなり声をかけられて驚いた理世は悲鳴を上げた。
季彩は慌てる。羽付きにバレたらただでは済まない。
「女王、お静かにお願いします。僕は季彩と申します。姫の使いで参りました」
正確には”まだ”姫の使いではないが、女王を怯えさせない為だ、仕方が無い。
「お姉ちゃんの!?」
女王は鎖をジャラ、と鳴らしながら後ろを振り向こうとして寸前で止め、さり気なく身体を動かし反対側から少し丘を登った位では季彩の姿が見えない様に自身の位置を修正した。
その様子を見て、季彩は思わず微笑む。
流石、姫様の妹君だ。とても聡明でいらっしゃる。
――季彩と世話係の瑠璃は、美琴から”姫と女王”の正体について既に聞いていた。
まさか、異世界の”ニンゲン”と言う種族だったとは。
蜂でも蟻でも無いお二人が、何故それぞれ蜂人と蟻人を惹き付けて止まないのかは不明だが、これまで記録書でしか見た事の無い”無垢の姫”もきっと”ニンゲン”だったのだろうと思う。
「はい。…あの、女王。ところで何故、その様な…?」
鎖に繋がれて、とは言えずに言い淀む。
「…理世が、もう相手を決められる事が分かってから、急に皆が変わったの。カイザーさんは私の身体をあちこち咬むし、クーゲルさんやシュバルツさんやアルメーさんは自分を選べって脅して来るし、フォイアーさんは割と普通に襲って来るし…」
今の所、身体はまだ無事なんだけど。
そう呟く女王の姿に、季彩は痛まし気な顔をする。
「女王…」
「理世もどうしたら良いのか分からなくなって、怖くて泣いちゃって、”触らないで嫌い!”って叫んじゃったの。そしたら、鎖で繋がれる様になっちゃった…」
季彩は頭を抱える。これは困った。先ず、姫に何と言おう。女王の現状を知ったら姫はきっと怒り狂う。
しかし、そこで焦って行動を起こすと今度は姫が危なくなる。
主との間に”卵”が出来るまでは、姫はまだまだ他城の者に狙われているのだ。
姫が危険な目に遭う事を、主は決して許さないだろう。
万が一、そんな事になろうものなら、側近の自分と言えども命で償う羽目になる。
蟻人共もなかなかの鬼畜揃いの様だが、尊敬する主・弥未もまた恐ろしい男であるのだ。
「女王。今回の様な外出は、どの程度の頻度なのですか?」
「週に1回。訓練の日だけ。後はずーっと、自分のお部屋に居るか、誰かのお部屋に連れてかれて咬まれたり脅されたりご機嫌取られたり抱き締められたりしてるだけ」
「そ、そうですか…」
「ねぇ、お姉ちゃんは元気?」
「はい。お元気でいらっしゃいます。女王をとても心配していらしゃいますよ」
「そう。良かった。早く会いたいなぁ…」
「…馬追月まで後2ヶ月ですから。どうかお気を強く持って下さい」
え、と女王が声をあげる。
「知ってるの?ソレ…?」
「はい。姫様から伺いました」
そう。と頷くと、女王は「良いなぁお姉ちゃんは。季彩さんみたいに信頼出来る人が近くに居て。理世には誰も居ないもん…」と項垂れた。
「女王、僕がまた来ます。姫にも伝えますから」
「ありがとう。でも、こんな状況だっていうのは絶対に言わないで。心配かけたくない」
「かしこまりました」
そう告げると、季彩はそっと後退り、慎重に距離を取るとそのまま飛び去って行った。
◇
季彩は城に戻り、頼まれた通りに詳細は誤魔化しながらも女王の発見を美琴に伝えた。
涙を流しながら喜ぶ美琴に、多少の罪悪感を覚えながらも「早く会いたい、とおっしゃってました」と付け加える。
「私も…。ねぇ、理世大丈夫だった?元気そうだった?」
「え、えぇまぁ…」
しどろもどろになりながらも、美琴の後ろで訝しげな顔をする瑠璃に、そっと目配せをする。
瑠璃は一瞬目を見開いたが、心得た様に「姫様。そろそろお茶の時間に致しましょう。頑張った季彩には甘いお茶を淹れてやりますから」と美琴を別室に連れて行った。
程無くして戻って来た瑠璃に、女王の詳細を伝える。
「チッ!あの変態蟻共!」
乱暴な口調で蟻人を罵る瑠璃を宥めながら、季彩は「姫様には内緒だよ?何とかして女王と姫様が会える様にして差し上げたいんだけどなぁ」と頭をガシガシと掻く。
「アンタにはちょっと危険だけど、暫く伝言をやり取りしてお二人が会う算段を整えるしかないわね」
「うん、そうだな」
季彩と瑠璃は、顔を見合わせ大きく頷き合った。
◇
(あぁ良かった…理世…!)
美琴は溢れる涙を拭おうともせず、ただ妹の無事を喜んでいた。
季彩は元気そうだと言っていた。酷い目にあっていないかと心配をしていたけど、とにかく良かった。
2ヶ月後に迫る馬追月。新月の日にあの石門を潜れば、これまでの生活が返って来る。
(でも…)
美琴は馬追月が近付けば近づく程、ある種の気の重さが圧し掛かってきていた。
自分の気持ちが”帰りたい”ではなく”帰らなければならない”と言う思いに変化しつつある事に、気付いてしまったからだ。
元の世界では、施設からいきなり名家の孫娘になり、特に美琴は跡取りとして厳しい教育を受けていて、なかなか友人を作る機会も無かった。
学校のクラスメートに囲まれていても、元からの家柄が良い者達ばかりで価値観が違い過ぎ、美琴は心からの笑顔は浮かべていなかった様に思う。
玻璃鐘城で、弥未や季彩達と過ごす時間が増えるにつれ、心安らぐ時間も増えていった。
姫、姫様、とチヤホヤされているから居心地が良いと感じているだけなのかもしれない。
それでも、ここは次第に美琴にとって大切な場所になっていた。
(それに…)
弥未。あの美しくて恐ろしい男。
彼は美琴を奪われる前に、と先制して他城に攻撃を仕掛け、既に鈴目城と鼈甲城は落としていた。
それぞれの城主・紋と倭は激しい戦闘の末弥未に倒され、”弥未配下の仮城主”となり姫争奪戦からは退いている。
”一般の雌”を妻に迎える事は可能な為、子孫を残す事は出来るが、いずれは姫の産んだ子供に城を明け渡す事になるのだ。
美琴は両手でそっと、自分の身体を抱き締めた。もう自分は、何度もこの身に弥未を受け入れている。
”卵”を腹に抱く日も、そう遠くないかもしれない。
(ごめん理世。お姉ちゃんは、一緒には帰れないかも…)
美琴の目から、先程流した安堵と喜びの涙とは違う涙が、一滴零れ落ちて行った。