10・囚われの女王
蜂人の少年・季彩は再び、女王・理世に会うべく管轄の偵察ルートを外れた飛行を行っていた。
美琴に言付かった伝言はしっかりと頭に刻み込んでいる。
先日女王を見かけた小高い丘に近付いて行くにつれ、季彩はゆっくりと飛行高度を下げ、地表ギリギリを飛びながら慎重に進んで行った。
「!?」
季彩は瞬時に地面に身を投げ出し、丈の長い草に身を隠す。
女王が繋がれている木。女王の影も見えるが、側にもう一つ人影があるのが確認出来る。
(どうしたものだろう)
ここからは微妙に会話が聞こえない。季彩は暫し迷った後、ジリジリと匍匐前進で進んで行った。
女王の状態を知る為にも、会話は聞いておいた方が良い。
時間をかけて数十㎝進んだ所で、やっと女王と羽付きの会話が聞こえて来た。
「リセ、寒くはないですか?毛布をもう1枚、持って来ましょうか?」
「いいえ、大丈夫です、ありがとうございます…」
「…貴女も強情ですね。私を選びなさいとあれだけ言っているのに。またカイザーに咬まれたのでしょう?匂いの強さから察するに、背中ですか?」
「…はい」
(クーゲルか…!)
季彩は眉を顰める。あの神経質そうな顔の男は、羽付きの中でもお館様を特に嫌っていた奴だ。
そのクーゲルは、柔らかい敷物の上に座っている女王の前に跪き、腰を抱き寄せ顎を掴んで顔を近付けている。
「アレは気に入ったモノに咬み傷を付ける癖があるんです。貴女に対しては度を越した執着を見せていますから、今に傷だらけになりますよ?」
「…でも」
「もしかして、それを期待しているんですか?まさか、カイザーに咬まれたくて?」
「違います…!」
そのネチネチとした物言いに、女王は泣き出してしまったのか、しゃくりあげる声が聞こえる。
「…そんな可愛らしい泣き顔を見せて。今度は私を誘惑するつもりですか?」
赤茶の羽付きは女王をそっと押し倒し、その上に圧し掛かる。
「や…嫌っ…!」
女王の涙声が聞こえ、季彩は奥歯を噛み締めた。どうする?ここで出て行き、女王を救うべきか?
槍での格闘戦なら何とかなるかもしれない。奴の武器は確かショットガン。発動させる前に高速で近付き、首を刎ねれば何とか――
「クーゲル!!」
突如鳴り響く銃声に、季彩はビクリと身を震わせた。
長身の男、カイザーが鬼の形相で走り寄り、長い足を振り上げ、女王を押し倒しているクーゲルを蹴り飛ばす。
「っ!カイザー…!」
「クーゲル…!」
睨み合う二人の羽付きに、季彩は陰ながら目を白黒させる。
何だこの光景は。一体、蟻人達に何が起こっている?
カイザーは女王を抱き起し、その目元に唇を寄せ、零れる涙をチュッと音を立てて吸った。
「大丈夫か、リセ」
「は、はい…」
咳き込みながら立ち上がったクーゲルは、眼鏡の奥の瞳に殺意にも近い光を宿しながら、右手に青い炎を揺らめかせる。
(まさか、仲間に銃を向ける気なのか!?)
張り詰めた様な空気が流れた瞬間、「止めて…」と言うか細い声が聞こえた。
「二人共止めて。皆待ってるんだから、訓練に戻って」
カイザーの腕の中から顔を覗かせ、ポツリと呟かれたその声に羽付きの男達は動きを止める。
クーゲルは青い炎を消し、小さく舌打ちをしながら「…分かりました」と言うと、コートの裾を翻し、丘の下へと向かって行った。
◇
「リセ。誰を夫にするのか、もう良い加減に決めてくれないか。オレ達もそろそろ限界なんだ」
カイザーは理世を抱き締めたまま、その頬に唇を寄せる。
無言のまま、応えない少女に溜息を吐きながら「…終わるまで待ってろ」と毛布を手繰り寄せ、その身体を優しく包むとゆっくりと立ち上がった。
「…オレ達には制約がある。女王の許可無く、無理矢理その身体を奪う事は出来ない。逆に言えばその直前までの事なら出来る。それすらもオレ達は我慢してるんだ、お前の為に。頼むからこれ以上オレ達を焦らして弄ばないでくれ」
「違う!私は…!」
理世は言いかけ、悔し気に唇を噛む。
カイザーは人差し指で理世の頬を軽く撫でると、クーゲルの後を追い、丘を下って行った。
◇
しゃくりあげながら溢れる涙を子供の様に拳で拭いながら、泣き続ける女王の姿に季彩は胸を痛めた。
今日は帰った方が良いだろうか。
迷いながらも、羽付きが居なくなった事で気を緩めた季彩はそっと近づいて行く。
「…っ女王!?」
――悔し涙を流す、女王の噛み締めている唇から血が溢れていた。
「大丈夫ですか!?」
心配で思わず声を出してしまった。慌てて己の口を手で押さえる。
「あ、き、季彩君…」
「女王、血が…!」
理世は何処かぼんやりした顔で、「血?」と首を傾げる。
「はい、唇から…」
ふぅん、と興味無さそうに呟きながら「ねぇ季彩君」
「何でしょう?」
「お姉ちゃんはどうなの…?あの綺麗な男の人がお姉ちゃんの旦那さん候補なんだよね?他の”強い雄”が襲って来たりしてるんじゃないの?それがずっと続くの?」
「いえ、お館様が先制して二城、陥落させたので脅威は軽減しています。それに、姫が”卵”を宿したら他の雄は姫を手に入れる権利を失いますので…」
卵…と理世は口の中で呟いた。
「…理世、悪い女なのかなぁ。でも、理世は人間なんだよ?それで、まだ中学生なんだよ?何で見ず知らずの大人と、しかも相手人間じゃないのに結婚?をしなきゃなんないの?そんなの嫌!家に帰りたいに決まってるじゃない!」
季彩は俯く。姫もそう思っているのだろうか。
でも、お館様と一緒に居る姫は、とても嫌々笑っている様には見えない。
しかし、この女王が辛い思いをしているのも確かだ。あの羽付き達の物言いは、確かに勝手が過ぎる。
「…あの人達は理世の事なんて見てないの。欲しいのも理世じゃなくて”女王”。でも理世は、あの人達の都合の良い女王になんかなるつもりは無い」
理世は涙を拭い、ついでに唇の血も拭った。
「女王。姫からの伝言です。”10日後の満月の夜に会いたい”と。満月の日は僕達すごく眠くなるんです。なので、その時に何とか外に出られれば…」
「分かった。何とかする」
「僕が、姫をこの辺りまでお連れします。ちょっと先に、大岩が3つ連なってる所がありますから其処でお話されると良いと思います」
姫に夜光石の帯留めを付けて頂きますから、それを目印にして下さい。
理世は頷いた。毎日浴場でシュタヘルとメーアに身体を洗われるのも慣れた所で、色々と情報取集をしていた。その中で、女王の居室には緊急時の脱出通路がある事を聞いていた。
この事は伝統的に雌の蟻人にしか知らされず、雄は羽付きを含め知る事は無い。
例の2ヶ月後の新月の日も、理世は此処から脱出するつもりだった。
「では、僕はこれで…」
「待って」
理世は丘の下を見る。羽付き5人組も、流石に訓練中はこちらを注視してはいない。
――鎖に繋いでいる安心感もあるのだろうが。
理世は背後を振り返り、草の間から顔を覗かせる季彩をじっと見つめる。
「…ねぇ。季彩君。理世を見てどう思う?」
「は?どう、と仰いますと…?」
「蜂人の姫は、”強い雄が手に入れる”のよね?って事は、羽が無いといけない蟻人と違って、一応皆に権利があるのよね?」
季彩は少し考える。まぁ、そういう事にはなるのだろうが、自分はお館様に敵うなど欠片も思ってはいないし、玻璃鐘城の他の面々もそうだろう。…しかし、この質問の意味は何だ?
「季彩君。理世の事、見て?」
女王の要求通り、その顔をじっと見つめる。
姫様とは少し違う顔立ちだが、とても愛らしい事には変わりが無い。
(姫は”綺麗”だもんな。女王は”可愛らしい”。姉妹だけあって雰囲気は良く似てらっしゃるな。そうだなぁ、僕は女王のお顔は結構好きだ。あぁ、見れば見る程、可愛らしくて、愛くるしい。抱き締めたく――)
「!?」
季彩は我に返った様に顔を背けた。
あ、あれ?何だ今の。女王に対して、僕は何を思ったんだ?
相手は女王だぞ?蟻人の。僕は蜂人なのに、何故??
――何故、女王に心惹かれてるんだ??
「じょ、女王。今のは…?」
「季彩君。お姉ちゃんによろしく伝えてね?会うの楽しみにしてるって、伝えておいて」
「か、かしこまりました…」
あたふたと飛び去って行く季彩の後ろ姿を見送りながら、理世は自分の予想が正しかった事を知った。
やっぱり。理世の思った通り。
あの人達が自分達の事しか考えてないなら、理世だってそうする。
もう、絶対に自分の事しか考えない。
理世は、丘の下に目線を戻し、やがて薄っすらと微笑んだ。




