41・二人の妹
「ただいまジーンさん!」
百足便に乗り、街に灯りが灯り始めた辺りで理世はシェラックの街に帰って来た。
店の中に入り、大きく声をかけると、奥の方から慌てて走って来るジーンが見えた。
「お帰りリッカ!大丈夫だった!?」
「はい!交渉は無事に成功しました!仕入れ値は曲げて貰えなかったんですけど、糸じゃなくて反物で売って頂く事になって。そうすれば他にも色々作れるし、元は取れるかと…」
嬉しそうに報告をする理世に対し、ジーンはいやいや、と顔の前で手を振る。
「ううん、そうじゃなくて。仕事の方はリッカなら何とかなると思ってたよ。そうじゃなくて、飛竜の奴が…」
ジーンは朝方の飛竜の様子を思い起こす。
あのやり取りの後、一人不安に駆られていた所でアトラスが店にやって来た。
彼から先日鍛冶工房に来た時の飛竜の話とアトラスの懸念を聞かされ、ジーンの不安は膨れ上がっていた。
「アイツに会った?何かして来なかった?」
「あ、えと、会いましたけど、大丈夫です。もう付きまとわないでって、はっきりお願いしましたし」
「そんな事言ったの!?」
あの状態の奴にそんな言い方したら却って怒らせるんじゃ。
ジーンの不安を他所に、「本当にもう、大丈夫です」と理世はふわりと微笑んでみせた。
”異界の強制力”で抑え込んだのだ。
『二度と近寄らないで』と言ったからには、もう纏わりついて来る事はないだろう。
(悪い人ではないから、別に好きな人見つけて幸せになってくれると良いな)
ふと、理世は何かを思い出しかけた。
が、直ぐにそれを頭から振り払った。今は余計な事を考えている時間は無いのだ。
――あまり物事を突き詰めて考えない性格や危機管理能力の無さ。
この時の理世の対応は、後に理世の人生を再度大きく動かす事になるのだが、今の理世はそれを知る由もなかった。
◇
1週間後、蛾人の里から絹の反物が届いた。
姉に会う前の注文だったので一反だけ頼んでいたのだが、少し考え届けてくれた工房の蛾人に追加で二反、お願いをした。
「リッカ、大丈夫なの?」
購入金額は金貨14枚。
理世は貯めていた給金をほぼ使い切り、後は細かい材料を買うお金が残っているだけになった。
「だ、大丈夫です…。アトラスさんにピンも作って貰ったし、後は完成させて立葉さんに試作品のどれかを選んで貰えばお金も入りますから…」
ジーンはそんな理世を見やり、ふぅ…と小さく溜息を吐いた。
「もう、仕方ないなぁ…。良いよリッカ。食事はアタシんちで一緒に食べよう。それで食費は浮くでしょ?アンタって子は、絶対ご飯抜いて無理しそうだもん」
「えぇ!?だ、大丈夫ですってば!ご飯もお店の仕事もちゃんとやりますから!」
「駄目。アンタには妹と同じ目に遭わせたくない」
理世の頭をポンポンとしながら、ジーンは少し寂しそうに笑った。
「あ…妹さん…」
理世の触角と羽の、元の持ち主。
確か早くに亡くなったと、”以前”聞いた。
「そう。あのね、そもそも布地屋って、あの子がやりたがってたの。お店開きたくてずっと頑張ってた。でも頑張り過ぎちゃって、病気になったの。アンタって見た目も中身も似てるから、心配なんだよ」
「は、はい…」
理世はジーンの優しい眼差しに、別れたばかりの姉を思った。
死別した訳ではないが、自分もまた、失っているのだ。姉を。
今更のようにジワリ、と込み上げる涙を懸命に堪える。
それを見たジーンは、慌てて指を伸ばして涙を払ってくれた。
「ごめんごめん。怒ってる訳じゃないんだよ?アタシも後悔があったからさ。やっぱり本当の姉妹じゃないから、弱音を吐けなかったのかなぁ、なんて思っちゃって」
「え…?」
「義理の妹なんだ。親を亡くして一人ぼっちだったあの子を、ウチの親が拾って来たの」
成程、と理世は得心した。
ジーンは明らかに鍬形系なのに、里の蛾人も姉の夫も理世を「玉虫」と呼んでいた。
確かに、”以前”のジーンから渡されたのも触角と羽だけで、角は無い。
「だから、アンタももっと甘えて良いんだよ?リッカ」
「わかりました…。ありがとう、ジーンさん」
うん、と笑うジーンに、理世はギュッと抱き着いた。
一瞬驚いた様な声をあげたものの、直ぐに抱き締め返してくれたジーンの顔を見上げながら、理世は覚悟を決めた。
話しておこう。この人には。
例え信じて貰えなくても、妹さんの事で後悔を抱えているこんな優しい人を何時までも騙してはおけない。
「ジーンさん。聞いて貰いたい事があるんです…――」
********
蟻人の女王・ナーデルは自室で真剣に考えていた。
自分の配偶者候補の5人。
その内の一人、フォイアーは候補から外した。
彼はどうやら”夢”の人物に恋焦がれている様で、その様子が余りにも痛ましかったからだった。
女王として生まれたからには、子孫を残す、と言う何よりも優先すべき仕事があるのはわかっている。
一刻も早く配偶者を選び、卵を産み、生まれた子達を慈しみ守り育てなければならない。
でも、候補の羽付き達も女王たる自分が慈しむべき存在だと、ナーデルは思っていた。
クーゲル、アルメー、シュバルツの3名に関しては、抱いている”後悔”の種類が何となく見えた気がしたので、配偶者としてほぼ確定するつもりでいる。
つまるところ、この3名は”己の無力さ”に後悔をしている様だった。
それが何に対してなのかはわからない。本人達ですらわかっていないのだ。
――”行きたい所”を聞いた時、クーゲルは訓練場を一望出来る丘の上に行きたいと言った。
丘の上の巨木をじっと見つめながら、『何故こんな所に来たいと思ったんでしょう』と首を傾げていた。
巨木の幹には、何か楔の様な物を打ち込んだ痕があった。
アルメーは雁城の近くに行きたいと言い、城主の樹星が亡くなり代替わりした雁城を無言で眺めていた。
シュバルツは”女王の部屋”に行きたいと言った。
部屋に案内してやったナーデルに恐縮しながら部屋をぼんやりと眺め、訓練中の事故で失った腕の部分をずっと撫でていた。
そしてカイザー。
いつも冷静で堂々としていて強くて、後悔など無さそうな顔をしている彼。
彼の後悔の深さはフォイアーの比では無いのではないかと思っている。
彼だけは、未だに良くわからない。
行きたい所を聞いても「オレは特にありません」と言うだけで、何も言ってはくれないのだ。
ナーデルは彼が表情を顔に乗せた所を見た事がない。
唯一、変化があったのはフォイアーが夢に苦しんでいる話をした時位だ。
そもそも、彼は仲間以外にあまり目を向けないのだ。
女王である自分すらも、まともに目が合った試しがない。
(そう言えば、あの時はとっても珍しかったわ)
フォイアーが行きたいと言った銀蘭の丘がある、甲虫人の街・シェラック。
そこに行った時、大勢の観衆の中から突如飛び出して来て、ナーデル達の目の前で転んでしまった甲虫人の可愛らしい娘。
甲虫人にしてはかなり華奢で小柄なその娘は、ナーデルの目から見ても愛くるしい顔立ちだった。
カイザーはその娘をチラと見た後直ぐに前を向いていたが、少女の全身を見て怪我がないか気にしていた様に思う。
後でさり気なく聞いてみた所、「オレがですか?」と心底驚いた様な顔をしていたので、恐らく無意識だったのだろう。
カイザーの後悔を祓ってやったとしても、彼の事を選ぶつもりはナーデルには無い。
何となく、カイザーもそれを望まない気がするからだ。
(どうすれば、貴方を救ってあげられるのかしら。わたくしに出来る事は、もう無いのかしら)
ナーデルは細い指を顎にあてながら目を閉じ、それでも考える事を止めようとはしなかった。




