36・女王の願い
「ただいまー…」
理世はアトラスの工房から戻り、店奥のカウンターに入ると疲れた様に座り込んだ。
作りたい物も決まった。交渉は上手く行ったし、後はデザインを考えるだけ。
「痛い…」
ブラウスの袖を捲り、飛竜に掴まれた手首を見る。
白い肌にくっきりと浮かぶ赤い痕に、理世は小さく溜息を吐いた。
ちょっと軽い感じだけど、悪い人ではないとは思う。
傭兵と言う荒っぽい職業の割には洗練された雰囲気だし、街の女の子達にも人気あるし。
でも、ちょっとしつこ過ぎるのには閉口する。
毎日の様に口説いて来るのも、靡かない理世にモテ男としての意地があるんだとは思う。
…それにしたって、理世まで攻略範囲に入れてくれなくても良いのに。
「1回、ご飯に付き合えば満足してくれるのかなぁ」
理世が断るから意地になってるだけなのだろうから、言う通りにしたら興味を無くしてくれるのだろうとは思う。
正直、そんな時間は無いのだけど…。
「面倒だけど、次に誘われたら行っておこうかな」
そう独り言を呟いていると、「すいませーん」と店に客が入って来た。
「はーい、いらっしゃいませー」
理世は先程までの疲れをすっかりと忘れ、元気よく客の応対を始めた。
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「なぁカイザー。最近フォイアーの奴、何か変じゃねーか?」
「うんうんー僕もそう思う。元々キビキビした動きじゃないけど、より一層ぼんやりしてるよね」
シュバルツとアルメーに言われるまでもなく、フォイアーの様子がおかしい事には気が付いていた。
だが、特に何も行動に移さなかった。いや、移せなかった、と言う方が正しい。
それは自分自身も”おかしい”からだった。
何かがずっと、頭の片隅に引っ掛かっている。
それを思い出そうとすると、酷い頭痛に襲われるのだ。
そして必ず、誰かの声が頭の中に響く。聞き覚えのある声。今一番聞きたい声。
だが、どうしても思い出せない。
(オレは一体どうしてしまったんだ。女王以外の事を考えてしまうなんて)
その女王・ナーデルは巷では”歴代女王の中で最も美しい”と言われている。
物腰も優雅で上品、言葉遣いも丁寧で申し分のない女王だ。
…ただ、多少変わっている。
今回、女王が現れた気配を感じ取り、全員で迎えに行った際の出来事。
女王は草原の真ん中にふわりと立っていたが、「あら、貴方方が配偶者候補なのですね、ごきげんよう」と優美にお辞儀をした後、5人をじっと観察するかの様に見つめ始めた。
無言で見つめられ続け、次第に居心地が悪くなって来た所で女王は「はい。では皆様、これから配偶者を選ぶにあたりまして、先ずは皆様が今、一番行きたい所を教えて下さいな。判断材料の一つにしたいと思いますの」といきなり訳のわからない事を言い出した。
そこで各々、戸惑いながらも”行きたい所”とやらを決めていったのだが。
フォイアーの様子がおかしくなったのは、本人が希望した甲虫人の街・シェラックにある”銀蘭の丘”に行ってからだ。
「銀蘭の丘、か…」
「そうなんですの。それで、わたくし聞いてみたんですわ」
「はい…え…!?」
突如聞こえた涼やかな声に、カイザーは思わず飛び上がった。
考え事をしていたとは言え、ここまで接近されるまで気付かなかったとは。
「あら、ごめんなさい。驚かせてしまいましたわね。それで、フォイアーさんなんですが最近同じ夢を見るそうなんですの」
「夢、ですか?」
「ええ。池の辺に居る”誰か”を抱き締めた所で目が覚めるそうなんですが、その瞬間の幸福感と目が覚めた後の喪失感との落差で、頭がおかしくなりそうだと仰ってました」
カイザーは絶句した。まさか、そこまで追いつめられていたとは思ってもいなかった。
そして直ぐに激しい後悔に襲われた。何故、もっと早くに話を聞いてやらなかったのか。
「そこで、試しにわたくしを抱き締めて頂きました」
「なっ…!?」
どうしてそうなる。
女王に心酔しているクーゲルが知ったら怒り狂うのではないか、と心配しつつ全く嫉妬心が湧きおこらない自分にも少し驚く。
「その”誰か”は、わたくしではない様でしたわ」
「女王。奴の言う事を真に受けては…」
「いいえ。必ず何か意味がある筈です。…そうですね、カイザーさん。貴方には話しておきましょうか。何故、わたくしが”貴方方の行きたい所を教えて”と言ったのか。それは貴方方全員の顔に”後悔”が浮かんでいたからです。わたくしはそれが何故なのかを知りたかった。そして、それを一緒に解決して行こうと思ったからなのです」
「わ、我々は、後悔など…!」
「いいえ。何かを後悔しています。特にカイザーさん、貴方とフォイアーさんにはとても強い後悔が見られました。後悔を引き摺ったままの殿方とは、生殖行為は行えません。…既にフォイアーさんには、わたくしの候補から外れて頂きました。しかしこの事は他の方々には内密でお願い致します。彼の”誰か”を効率良く探すには、わたくしの配偶者候補のままでいて頂いた方が良いですから」
美しいドレスに身を包んだ、美しい女王。
その愛らしい唇から紡がれる衝撃的な言葉に、カイザーは言葉を失った。
「…カイザーさん。貴方の後悔も深そうですわね。でもわたくしは…貴方の後悔が解消されて、本当の貴方を見せて下さる日が来る事を、心から願っております」
そう微笑む女王の顔が少し寂し気に見えたのは、気のせいだろうか。
カイザーは何も言う事が出来ないまま、ただ立ち去る女王の背中を見つめていた。
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アトラスの工房に行ってから2日後。
理世は既に幾つかのデザインを完成させていた。
モチーフはやはり花にした。この街に多く咲く銀蘭の花。
依頼主の立葉に確認を取って、「素敵な物が出来上がるなら、生地を使って頂いても大丈夫」と許可を貰った。
そこでストールに使用していた銀の生地を花びら型に小さく裁断し、繋ぎ合わせて行く。
「うーん…何か違う…」
イメージとしては、小さめのコサージュの様なブローチを作りたいのだ。
だが、何と言うかこれだと艶が足りない気がする。
ストールの様に大きめの状態ならとても華やかなのだが、小さくなると何かが違う。
「シルクって、存在するのかなぁ。うん、カイコって蛾だし…」
蝶人が居るんだから、蛾人も居る筈。
理世は早速、店内を整理し開店前の準備をしているジーンに聞いてみた。
「ねぇジーンさん。絹糸って、何処で手に入ります?」
「蛾人の里で手に入るよ。でも、結構高い山の上に在るから、アタシらの飛行能力じゃ1日がかりだけど。何、リッカ、絹糸使いたいの?」
まぁ機織り機はあるけど…と言いながら、整理の手を止めジーンが理世に近寄って来た。
「はい、今回のアクセサリーのイメージに合うんですよね…」
「そっかー。でも絹糸は仕入れ値が高いんだ。おまけに、気に入らないお客にはどんなにお金積んでも売らないって話だよ?だからアタシの店でも扱ってないの」
売値が高くなっちゃうし、ご機嫌損ねて取引打ち切り、なんて事になる可能性があるんだもん。
ジーンは肩を竦めながら、再び店内に戻って行った。
「…」
理世は内心頭を抱えた。
値段とかご機嫌伺いも気になるが、一番は”蛾人の里”に辿り着けない事だ。
(飛べないんじゃ、意味無いじゃない…!)
布地や洋服を扱っているのはジーンの店だけではないし、他にも何軒か洋服屋もある。
そこが絹糸を扱っていたらお願いして絹糸を譲って貰うと言う手もあるが、そうすると仲介料がかかる事になるし、場合によっては譲って貰えない時もあるかもしれない。
コストと安定した仕入れの為には、やはり直接出向いて交渉するのが一番なのだ。
しかし、そこに辿り着けないのでは最早どうしようもない。
「絹糸は、諦めるしかないか…」
理世はレジカウンターに突っ伏して小さく呻く。
「リッカ、そこまで絹糸欲しいなら行くだけ行ってみれば?飛べばタダだけど、お金払って”百足便”か”飛蝗便”を使えば4時間位で着くし」
(え!?)
何、ムカデ便にバッタ便って!
…と驚いたが顔には一切出さず、「そうですね、時間も無いですし…」としたり顔で頷く。
「そうしなよ。何ならこれから行って来たら?この時間だと飛蝗便はまだ運行してないから百足便だね」
「でも、今日は商工会の会合ですよね?お店番しないと」
ジーンはあぁ、と言う風に片手を振り「それがね、ヒラタさんが体調崩しちゃってさ、延期になったんだよ。だから行って来て良いよ」と、ご丁寧に時刻表を渡してくれた。
「ここから一番近い停留所はムグリさんの雑貨屋の斜め前だよ」
「わかりました、ありがとうございます!」
理世は時刻表と財布を斜め掛けバッグにしまうと、「では行ってきます!」と元気に店を飛び出して行った。




