35・蟻は砂糖菓子の夢を見る
第二部です。
大体数日おきの更新になるかと思います。
蟻人の若者・フォイアーは自室の窓辺に座り、ぼんやりとしていた。
女王に『何処か行きたい所は?』と聞かれた時に、どうしてあの銀蘭の丘を選んだのか、自分でも良く分からない。
甲虫人の街には何度か行った事はあるし、偶然シーズンに当たった時には銀蘭だって目にしていた筈だ。
ただ、今回丘の上から咲き乱れる銀蘭を目にした時、何とも言えない違和感に襲われた。
何かが足りない様な感覚。
(最後に銀蘭を見たのは、いつだったかなぁ…)
両手を顔の前にあげ、じっと見つめる。
途端に増す違和感と、訳の分からない喪失感。
何か、とても大切なものをこの手に掴んでいた様な気がする。
(どうしちゃったんだろう、ボク…)
違和感に日々気を取られている為か、この所妙な夢まで見る様になった。
――小さな池の、水面を覗き込んでいる小柄な人影。
近付き、その人影をそっと後ろから抱き締める。
途端に、全身に満ち溢れる幸福感。
甘い香りの髪に口付けると、その人影が振り返りそして――
『 』
いつもそこで目が覚める。
この夢の後は、泣きたい様な叫びだしたい様な、何とも言えない気分になるのだ。
「あんな所…行かなきゃ良かった…」
フォイアーは最早癖になってしまっている、大きな大きな溜息を一つ吐いた。
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「リッカ、大丈夫?あんまり無理しないで」
「はい…でも、もう納期までそんなに時間無いし…」
――今はリッカと名乗っている少女・理世は取引先に卸すアクセサリー作りに行き詰っていた。
取引先である雑貨店店主の蝶人・立葉に「布以外の材料を使って、今までにないアクセサリーを作って」と言われてから今日に至るまで、全く材料もデザインも思い浮かばないのだ。
納期は3週間後に迫ってきている。
それまでにデザインを決めて、それに使用する材料の調達。
そして試作をして、立葉に確認をして貰って最終仕上げをする、と言う過程を踏まなければならない。
正直、ギリギリな所だ。
(”今までにない”って言うのが…)
花や果物をモチーフにしたものはこれまでに何度か作った。
木の実や金銀、宝石などでつくったらとても可愛いネックレスやブレスレットが出来そうだ。
ただ、全て布で仕上げているとは言え、この両者は何度も作っている。
”今までにない”と言うのとは違うのではないだろうか。
理世はお気に入りの銀色のストールを身体に巻き付けながら、商品棚に額をくっ付け、小さな溜息を吐いた。
このストールは以前、”彼”に買って貰ったもの。
本当は捨てようか迷った。
”彼”を思い出すかもしれないし、そもそもこれはジーンから購入した物なのだ。
売った記憶の無いジーンに怪しまれる可能性があった。
でも、お気に入り過ぎてどうしても手放せなかった。
案の定、ジーンには「あれ!?これウチのじゃない!?いつ買いに来たの!?」と驚かれたが、「やだ、面接の時ですよー」とこれまたごり押しで何とか凌いだ。
肩からずり落ちるストールを直しながら、ん…?と思う。
「これだ!」
「わぁっ!何!?」
――ストールをお洒落に留めるブローチなんてどうだろう。
それに、此方の世界のアクセサリーでブローチは見た事が無い。
ピンと土台の部分は刀鍛冶屋のアトラスさんに作って貰おう。
そうと決まったら早くデザイン画を描かなきゃ。
ううん、アトラスさんに直接お願いした方が早い!
「ちょっと出かけて来まーす!」
「え!?ちょっと、リッカ!?」
猛ダッシュで店を出て行く理世を見送りながら、「しょうがないなぁ…」とジーンは呆れた様に笑った。
◇
「アトラスさん!」
「おう、どうしたリッカ?」
――この街で刀鍛冶を営んでいるアトラスは、巨大な角を持ち、体格の良い甲虫人の中でも一際大きい身体を持っている。
妻を早くに亡くし、ヘラとクレスと言う双子の姉弟を男手一つで育てている、気の良い中年の男だ。
「リッカお姉ちゃんどうしたの?」
「リッカー、遊ぼうぜー」
まだ幼い二人に纏わりつかれながら理世はアトラスに直接切り出した。
「アトラスさん、お願いがあるんです!”ブローチのピン”を作って欲しいんですけど…」
「何だそれ」
「えっと…」
理世は身振り手振りと、途中から気を利かせてヘラが差し出してくれた紙とペンを使って何とか説明をし、理解をして貰った。
「出来なくはねーけど…随分繊細なモンだなぁ。ちょっとばかり時間かかるけど良いか?」
「…1週間で出来ないですか?」
「はぁ!?」
アトラスは渋い顔で理世を見る。理世は真面目な顔でアトラスを見る。
「…何個?」
「ピンに金属の土台がくっついたのが5個と、ピンのみが10個は欲しいです」
ったく、仕方ねーな。
何だかんだ言って面倒見の良いアトラスはそう苦笑いすると、「わかったよ」と両手を挙げて降参のポーズを取った。
「ありがとうございます!」
理世は手を叩いて喜び、アトラスに深々と頭を下げた。
「えぇと…料金なんですけど、金貨3枚と銀貨1枚でどうですか?」
――こちらの世界の貨幣価値は非常にわかりやすくて、理世にはとても助かっている。
円やドルの様な単位は存在せず、金貨・銀貨・銅貨・石貨・貝貨を何枚、と言う形で支払う。
その価値も品物から察する所、金貨は大体1万円位の価値で、銀貨が5千円、銅貨が千円程度と続き、石貨が百円、貝貨が五十円以下な感じだ。
「馬鹿だなぁリッカ。もうちょっと値切れよ。そういう純粋なトコも可愛いけどな」
金額交渉をする理世の背後から、笑いを含んだ軽薄そうな声がかかかる。
「あ、リッカにフラれまくってる飛竜兄ちゃんだ」
「クレス、しつれいだよ。飛竜お兄ちゃんはリッカお姉ちゃんに何回フラれてもあきらめない”ふくつのおとこ”なんだから」
「…ぶっ飛ばすぞテメーら…」
飛竜と呼ばれた、憮然とした顔の若い男は理世より頭一つ分背の高い、クシャクシャとした水色の髪に黒い眼球、青緑の虹彩を持つ蜻蛉人だ。
背中の長い四枚羽は今はきれいに畳まれており、武骨な剣が剣帯で斜めに固定されている。
飛天派と地走派が和平を結んだ事により、地走派の甲虫人が多く暮らすこの街にも蜻蛉人や蝶人などの飛天派も訪れる様になった。
飛竜はそんな飛天派の一人で、職業は傭兵。
街を訪れた時、偶然お使いに出ていた理世に一目惚れをして以来、毎日の様に理世を口説いてくるのだ。
「…飛竜。リッカを揶揄うな。お前はそういうトコがダメなんだよ」
「う、うるせぇ…!」
顔立ちは甘く、細身ながらも程良い筋肉の付いた均整の取れた身体。
街でも女達に良く声をかけられている。
今までも恐らく女に不自由した事は無かっただろうが、リッカには苦戦している様だった。
(しかしなぁ…)
「リッカ。報酬は金貨2枚で良い。1週間後に取りに来てくれ」
「本当ですか!?ありがとうございます、アトラスさん!」
嬉しそうに微笑む理世の頭を優しく撫で、「ほら、もう行けよ。お前の事だ、どうせ思いついて直ぐ飛び出して来たんだろう。ジーンが心配してるぞ」と言外に”ここから早く立ち去った方が良い”と促す。
リッカは素直で可愛らしい娘だが、男の本気に気付かない鈍い娘でもある。
仕事に夢中なのもあるが、モテる飛竜に揶揄われていると思っているのだ。
男の雰囲気が次第に焦燥に駆られたものになりつつある事に全く気が付いていない。
「あ!そ、そうです…。ではお願いします、アトラスさん」
礼を言った後、クルリと踵を返す理世の腕がガシリと掴まれる。
「…待てよリッカ。なぁ、食事位付き合ってくれても良いだろ?」
「ごめんなさい、飛竜さん…。私、今ちょっと忙しくて」
「忙しくたって飲まず食わずじゃないよな?そんな長い時間連れ回したりしないし、ちゃんと送るから」
「あの、本当に時間が無いの…。ご飯を食べる時間も惜しい位なんです。ごめんなさい失礼します」
掴まれた腕を振りほどき、ペコリと頭を下げて帰って行く理世を無言で見つめる飛竜。
その何処となく粘着質な光を放つ視線に、アトラスは危険な兆候を感じ取った。
出来るだけ軽い調子で飛竜に近寄り、その肩を軽くポンと叩く。
「…お前は良い男だよ、飛竜。リッカは中身がまだまだ子供だし、仕事の納期が迫って周りが見えなくなってんだ。大人のお前が余裕を無くしてどうするよ」
「…わかってるよ」
不貞腐れた顔で工房を出て行く若者を、アトラスは笑顔で見送った。
飛竜の姿が見えなくなった途端、大きく溜息を吐きながら難しい顔で腕組みをする。
プライドを傷付けない為に敢えてあんな風に言ったが、本当に周りが見えなくなっているのは奴の方だ。
「ジーンに知らせておいた方が良さそうだな」
――この街で商売を営む者が必ず所属する商工会。
その会合が明後日に開かれる。そこで話しておこう。
何なら他の連中にも。
アトラスは首をゴキゴキと鳴らしながら、急ぎリッカから頼まれた作業に取り掛かった。




