34・それぞれの今と、これからの道
「リッカ!リッカごめん!打合せ時間、30分間違えてた!急いで店に戻ってくれる!?」
「わっ大変!直ぐに戻ります!」
「金額はリッカがそれで良いと思うので良いから!段取りはいつもと一緒!」
「はーい!」
店主と共に馴染み客への納品を手伝っていた、光沢のある緑の触角と羽を持つ、甲虫人の少女が矢の様に駆け出して行く。
”ジーンの布地屋”は以前までは布地だけを取り扱っていたのだが、この少女を雇ってからは店の洋服や小物も扱う様になった。
それを自分の店にも置きたい、と言うお客が増えてこうした打ち合わせが頻繁に繰り返される様になったのだ。
少女は、銀蘭が咲き乱れる丘の下を駆け抜けて行く。
遠く丘の上に、満開の銀蘭を見に来たのであろう人影が見えた。
チラ、と横目で輝く花弁を見る。途端に胸が、微かに痛んだ。
(ダメダメ。前を向いて行かなくちゃ)
少女リッカ――理世は、何かを振り払うように頭を振ると、店に向かって急ぎ足を進めた。
********
皆の”記憶の改変”を行った後、理世は蟻神と草原の真ん中に立っていた。
先ず自らの身体をチェックする。特に変わった感じは無さそうだった。
「ありがとう。蟻神様」
「…いいえ。理世さんは正式な女王の座から退いたとはいえ、”異界の人間”である事は変わらないですから、誰か好きな男性が出来たら普通に卵は産めますし、その子孫は高い能力を持つ事になります。結婚は良く考えて下さいね」
「わかった」
「呼び出しには今後は応じませんからね?」
「フフ、りょーかい」
――会うのもこれで最後ですから、何処か行きたい場所があれば送ってあげますよ。
そう言う蟻神に遠慮なく甘え、理世は甲虫人の街へと連れて来て貰った。
どこか名残惜し気な蟻神と別れ、真っすぐジーンの店へと向かう。
ジーンに作って貰った触角と羽を装着し、店の前まで向かう。
当然ジーンの記憶も無い筈だ。理世はどう接触したものかと迷っていた。
そっと店に近寄ると、お客と話しているジーンの声が聞こえた。
「何かね、変なんだよ。ここの所泊まりで来る様な業者はいない筈なのに、ウチの二階に誰か引っ越して来る様な形跡があるの。ポットやカップや食器類の新品が揃えて置いてあって。でもそんな覚え無いし…」
「えぇ!?誰かに部屋貸したんじゃないの?」
「アタシもね、ここんとこ忙しかったから忘れてんのかなぁって思って、書類とかひっくり返して探したの。でも賃貸契約書なんて見当たらないんだよね」
咄嗟に理世はこれだ、と思った。
「あの!」
急に声をかけて来た甲虫人の少女に、ジーンとお客の女性はビクリと身体を震わせた。
「え、な、何?」
「ジーンさん。この度は採用して頂いてありがとうございます。貸していただくお部屋は二階で良かったんでしたっけ?」
可愛らしく小首を傾げ、ジーンの返答を待つ。
二階に新品の食器類。誰か越して来るんだったか?
その会話を聞き、理世はジーンの”記憶違い”でごり押しする作戦を決行した。
何としても押し通すのだ。これで。
そんな強い決意が功を奏したのか、ジーンは慌てふためき、手をバタバタとさせた。
「や、やだ!やだアタシったら!こんな大事な事忘れてたなんて!そっか、だから二階に色々準備してあったのか、やだもうごめんなさいー!」
「いえいえ。雇って頂いた上に、賃貸契約は引っ越し当日で良いとまで言って下さって、とっても感謝しています。ありがとうございました」
ジーンは相変わらずそそっかしいわねぇ。そう笑うお客が帰って行った後、ジーンは「…家賃、1ヶ月無料にさせて貰うね」と申し訳なさそうに言った。
「いえ!そんな事お気になさらず!」
…流石にそこまでさせたら、罪悪感で逆にこっちが居たたまれなくなる。
そう思った理世は必死にそれを断った。
「そう?じゃあお詫びに、夕食を奢るよ。さっきのお客さん、街で評判のレストランのオーナーなの。今夜はそこに連れてってあげる!」
「あ、ありがとうございます…」
ここで断ると少し不自然になるかなぁ。
理世は引き攣った笑みを浮かべながら、ジーンに感謝の意を述べた。
「本当にごめんね、えーと…」
「リッカです」
「リッカね。うん、リッカ、じゃあ二階に行って荷物整理したら店に降りて来て。簡単な仕事から説明するから」
「わかりました!」
理世は、ジーンに名乗る際、”リッカ”と言う偽名を使った。
新しい人生を生き直すのだから、名前も新しくしよう。
そう考え、亡くなった母が”理世”と迷ったと言う”六花”の名前を使う事に決めた。
決して”リセ”と呼ばれていた自分を思い出すと悲しくなるからじゃない。
――そうして理世は”リッカ”になった。
********
「では、今後ともよろしくお願いいたします」
無事に商談を終え、理世はホッと一息をついた。
今日の相手は雑貨屋を営んでいる蝶人の女性。
蝶人は見た目が華やかな者が多くセンスも抜群なのでかなり緊張をしたが、理世のデザインした、布で作られたネックレスをいたく気に入ってくれたのだ。
自信作なので、かなり思い切った金額を提示したつもりだったが「まぁ!お安くして頂けたのね!」と感動され、理世の方が逆に驚いてしまった。
ジーンが戻るまでに、書類を仕上げておかなければ。
理世は店奥の机に向かい、書類を広げて羽ペンを手に取った。
◇
「あー疲れた!」
一日の仕事を終えた理世は、二階の自室に戻りベッドに寝転がっていた。
交渉も上手くいき、ジーンにも褒めて貰った。
『やったねリッカ!さすがアタシが見込んだ子!』
ジーンに褒められた時の事を思い出すと、思わず顔が綻んでしまう。
優しくてしっかり者のジーン。何処か姉を彷彿とさせる彼女の事が、理世は大好きなのだ。
◇
理世の姉・美琴は蜂人の姫として、玻璃鐘城で平穏に暮らしている。
この度、2つ目の卵を宿したそうだ。
最初、”姫の卵が無事に孵り、蜂人の幼子が15人生まれた”と言うニュースを街中で聞いた時には仰天した。
その驚きをジーンに話すと「リッカ何も知らないんだねー。姫と女王の卵はアタシらとは違うんだよ。生まれた卵は”卵室”に納められて、そこから”赤ちゃんの卵”が産まれるの。蜂人は一度に10~20人、蟻人は100~150人位。蟻人は羽付きと女王じゃないと卵出来ないから数が多いんだ」と丁寧に教えてくれた。
そして、蟻人の方も女王が配偶者選びに取り掛かっている様だ、と情報が入った。
噂では”夢の様に美しい”女王らしい。
こうした情報が入る様になったのも、美琴が働きかけた事により、女王と協定が結ばれ、”飛天派”と”地走派”が和平を結ぶ事になったからだ。
近々、両者による会談も予定されているらしい。
「お姉ちゃんはやっぱり凄いな…」
そう呟くと、理世は布団を被り、灯りを消して眠りについた。
◇
「おはようリッカ!聞いたんだけど、一昨日からこの街に蟻人の女王が来てるんだって!」
「へぇ…」
翌朝、興奮した面持ちで理世に告げるジーンを前に、理世は何とも言えない表情を浮かべた。
何で女王様が?
「ちょっと見に行かない?」
「え?」
「だって、蟻人の女王なんてなかなか見る機会無いよ?」
「そ、そうですね…」
理世は悩んだ末に、一緒に行く事にした。
女王が居ると言う事は、皆も居る筈。彼らの現状を、確認しておくのも良いかもしれない。
◇
「うわ…凄い人…」
――普段もそれなりに人通りがあるとは言え、歩けない程ではない。
表通りは、女王を一目見ようと言う甲虫人達でごった返していた。
身長の低い理世には、全く様子が窺えない。おまけに、ジーンともはぐれてしまった。
「来たぞ!」
誰かが叫んだ途端、後ろから物凄い勢いで押された。
後方の人々が女王見たさに前に押し寄せたからなのだが、小柄な理世の存在に誰も気付いていない様だった。
「え…ちょっと…!きゃ…っ!」
――グイグイと押された挙句に、小柄が故に人々の隙間に上手く吸い込まれる様な形になり、理世は通りに飛び出してしまった。
急にぽっかりと空いた空間に押し出され、そのままベシャッと転んでしまった理世は、慌てて顔を上げる。
「あ…」
先頭を歩く、背の高い鋭い眼差しの蟻人。
理世に一瞥をくれ、まるで傷が無いか確認するかの様にその全身を眺める。
そしてそのまま何事も無かったかの様に歩いて行った。
そして女王。
薄紫のふわふわした髪は腰の辺りまであり、艶のある触角にガラスの様に繊細な羽。大きな瞳は濃い桃色でこの世の者とは思えぬ美しさだった。
「まぁ…大丈夫ですか?」
転んだ理世に向かって、心配そうに話掛けるその声もうっとりする程美しかった。
「あ、はい…」
「女王。見ず知らずの小娘なんぞに近寄ってはいけませんよ」
冷たい声で女王の前に立ち塞がったのは眼鏡の蟻人。
理世をまるで野良犬でも追い払う様な手つきで、言外に”下がれ”と伝えて来た。
「おい、そんな言い方ねーだろ」
「この子まぁまぁ可愛いね。僕らの女王には遠く及ばないけど」
小柄な蟻人と痩せぎすの蟻人が小気味よい会話を交わしながら通り過ぎて行く。
最後尾からは見上げる程の長身の蟻人。
少し猫背気味で歩きながら、理世の目の前に差し掛かった時「鈍くさい子…」と一言呟いた。
(何よもう!ムカつくー!あんなにリセリセ言ってたクセに!)
理世は埃をパタパタと払いながら立ち上がり、頬を膨らませた。
だが直ぐに思い直す。
これが本来の彼らであり、自分なのだ。
”女王”と言うフィルターを外した自分なんて、所詮こんなものだった。
(でも良かった、皆元気そうで。今まで本当にありがとう。どうか幸せに)
理世は彼らを見送った後、ジーンを探すべく急いでその場を離れた。
********
「なぁ、何で急に女王がこの街に来たんだ?」
「今回の女王は変わり者みたいでな、自分の配偶者候補の羽付き一人一人に”今一番行きたい所は何処だ”って聞いたんだと。で、その場所に自分も行くって」
「何で?」
「うん、何か”貴方達が見たいものを見てみたい”って言ったとか何とか…」
「で、この街?」
「どの蟻人か知らないけど、ここの銀蘭の丘に行きたいって言った奴がいたんだってさ」
「銀蘭が見たけりゃ、鈴目城下に行けばもっと沢山咲いてるのにな」
「何でこの街だったんだろうな」
********
理世は何となく足が遠のいていた、銀蘭の丘に登ってみた。
以前ここに来た時には、自分の身体を包んでくれる温かい存在があった。
その温もりを思い出すと、鼻の奥がツンとする。
(駄目だな、理世は。自分で選んだ道なのに)
――理世は大きく深呼吸をしながら、少しの間、一人で泣いた。
歩いて行かなければ。新たな未来を。自分の力で。
「皆――!お姉ちゃーん!理世、頑張るからね――!」
銀蘭の丘に、少女の声が響く。
少女は涙を拭い、よし、と頷くと、銀の光の中を力強く駆け下りて行った。
これで”第一部・完結”です。
第二部は、最後まで空回りし続けた理世の、愛と成長の物語になります。
まとめて書きたいので、一先ず完結設定にしますが、二部スタート時には外します。




