32・少女の決断
ジーンが表通りをうろついていた二人に声をかけ、二階に連れて来てくれた後、最初に聞いたのは季彩の悲鳴だった。
「う、うわぁっ!?元に戻ってる!」
フォイアーは己を指差し、叫び声をあげる季彩を煩げに一瞥し、そっぽを向いていた。
「…あの、ところで何かあったの?新しい女王様はいらっしゃった?カイザーは?どうしてクーゲルが季彩君と一緒にいるの?」
矢継ぎ早に問い掛けられた質問に、クーゲルは硬い表情で逆に質問を返して来た。
「…あの。新しい女王、とはどう言う意味でしょうか?」
「あ、それは…。ええと、そもそも理世が女王として機能しなくなった場合は、新しい女王が来るって言ってたの。で、理世はフォイアーとカイザーを選んだんだけど、後からフォイアーだけにしたの。でもフォイアーは”狂い蟻”の完全体になっちゃったから卵は作れないって事だったのね。だから、てっきり…」
「…私達の女王は貴女だけですよ、リセ。因みに、その話は何方が?」
「蟻神様」
「……」
唖然とする一同を前に、理世は慌てて弁解をする。
「本当!本当なんだってば!」
クーゲルは眼鏡を弄りながら「ま、まぁ良いでしょう。貴女がそう仰るのなら」と咳ばらいをしつつ言った。
そして気を取り直す様に、真っすぐに理世の顔を見ながら驚くべき事を口にする。
「リセ。カイザーが狂い蟻の完全体になってしまいました。我々には彼としての意識は残っていない様に思えるのですが、ミコト姫は”僅かながら意識がある”と仰っています。私達は、彼を楽にしてやるつもりです。その前にリセ、一目貴女に会わせてやろうと、こうして探していたんですよ」
「……嘘」
何で。どうしてカイザーが。
そんな素振り、全く無かったじゃない。いつだって冷静で、落ち着いてて、理性的で。
言葉を失う理世の代わりに、フォイアーが問い掛ける。
「カイザー、何も喋らないの…?」
「えぇ。言葉は発しません。しかし、姫が話をすると大人しく聞いてはいる様です」
俯き、両手で口元を押さえていた理世は、ふと顔を上げた。
「あの、お姉ちゃんが来てるの?」
「はい。あの方はそもそもリセを探しにいらした様ですね。貴女としっかり話がしたいと仰ってました」
理世は再び顔を伏せた。
お姉ちゃん…いきなり”もう二度と会う事は無いだろうけど”って理世が言っちゃったから…。
あの時の姉のショックを受けた顔が、まざまざと思い出される。
お姉ちゃんの彼氏に腹が立って、ついあんな事言ってしまった。お姉ちゃんは何も知らなかったのに。
理世は、この世界に来て何度目かになる激しい自己嫌悪に陥っていた。
「リセ達の行方は、途中までは分かったのですよ。ここに来る途中、蟷螂人の宿に泊まりましたよね?ご夫妻がリセの事をよく覚えていました。その時我々はフォイアーが元の姿に戻った事など知りませんから、裏付けを取るのに時間がかかってしまいましたが…」
そこでクーゲルは季彩に目を向けた。
「姫が、玻璃鐘城に使いを出して彼を呼んでくれたんです。我々だけでは集められる情報にも限りがありますし、蜂人は長時間飛行も可能ですから」
「あの、女王。お館様が、”申し訳ない事をした”って伝えておいてくれと仰ってました…。今、城は大変なんです。姫が出て行ってから”城落ち”の元城主達が反乱を起こして来たり、都万赤隊長が裏切ったり…。瀬黒様と二人で、必死に混乱を鎮めようとなさってるんです。僕からもお願いします。どうかお館様を許してあげてください…」
顔を伏せたままポツポツと話す季彩を見つめながら、理世は小さく息を吐いた。
(お姉ちゃんは、本当に大切に愛されてるのね…)
理世の話した内容が周りに広まり、姉を狙う者が増えたのだろう。
いい気味、と思う気持ちはまだあるが、姉に危険が及ぶのは喜ばしい事ではない。
「…ともかく、一度王国に戻るわ。カイザーに会う。フォイアーは待ってる?一緒に行く?」
「行くよ、勿論…。カイザーにも会いたいし、リセから離れたくないし…」
うん、と頷きながら、理世はこの時一つの決断をしていた。
散々浅はかな行動を取って、周りを傷付け振り回して来た自分が出来るたった一つの事。
蟻人も、蜂人も、お姉ちゃんも、皆が幸せになる為に。
多分だけど、これは理世にしか出来ない方法なのだ。
********
心配そうなジーンにお礼と別れを告げ、理世は再び地底王国に戻って来た。
作って貰った触角カチューシャと羽の留め具は、妹さんの形見だからと返そうとする理世に対しジーンがそのまま持っておく様に言ってくれた。
確かに、これが無いと今後が大変かもしれない。
理世はそう思い、有難くそれを貰っておいた。
◇
「理世!」
飛びつく様に抱き着いて来る姉を受け止めながら、理世もしっかりと抱き締め返す。
お姉ちゃん。理世の大事なお姉ちゃん。色々迷惑かけてごめんね。
「リセ!」
「元気そうで良かった。フォイアー、お前も元に戻れて良かったな」
「女王様…!」
理世を取り囲み、口々に喜びと安堵の言葉をかけて来る皆に笑顔を返しながら、理世は即、本題に入った。
「カイザーは?」
「牢に入ってるよ。連れて来るから待ってて、リセ」
「待って。理世が行く」
カイザーを連れて来ると言うアルメーを引き留め、理世は自らが迎えに行くと言い切った。
少しの間、二人で話がしたかった。
(…だって。これがきっと最後だから)
「大丈夫、理世を信じて待ってて」
不安そうな面々に安心させる様に微笑んでみせると、理世は一人、カイザーの収監されている牢獄へと向かった。
◇
「シュタヘル!」
「女王様!!」
理世は自分より少し背の高い、シュタヘルの顔を見上げて照れ臭そうに笑って見せた。
「カイザーは中ね?理世が一人で行くから。皆もその事は知ってる」
「か、かしこまりました…」
女王に何かあったら、と思うと気が気では無いが、言い出したら聞く女王でもない。
それに姫の話も素直に聞いていると言う。
ならば、女王であれば尚更、聞く耳を持つのではないだろうか。
「行ってらっしゃいませ」
「うん」
扉の向こうに消えて行く、理世の華奢な背中を見つめながら、シュタヘルは祈る様な思いでいた。
◇
「カイザー?」
理世は声をかけながら、薄暗い石造りの廊下をゆっくり歩いて行く。
奥に進むにつれ、ガチンガチンと言う音が、次第に大きくなっていくのが分かった。
牢はもうすぐそこなのだろう。
「カイザー!」
ガチン…
顎を擦り合わせる音が、ピタリと止まった。
理世は駆け出し、牢の前でランプをかざす。
「あ…カイザー…」
――フォイアーとは形状の違う、巨大な羽蟻。
鉄格子を触角でカツカツと叩きながら、首を傾げている様に見える。
理世はシュタヘルから預かった牢の鍵を取り出し、鉄格子にかかっている南京錠を外した。
「カイザー…ごめんね…」
躊躇う事なく中に飛び込み、その硬い頭部を腕に抱く。
羽蟻は触角で軽く理世に触れると、大顎を広げ、理世の細い腰をやんわりと挟んだ。
「馬鹿…こんな時も優しいんだから…!」
大粒の涙を溢し、自身を抱き締め続ける少女を羽蟻はじっと見つめていた。
◇
「理世!」
待機場所になっていた食堂に、カイザーを伴った理世が姿を現すと一同は驚愕の表情を浮かべた。
「カイザー、やっぱり理世の言う事は聞くんだね」
「俺の腕を吹っ飛ばしたクセにな」
軽口を叩くシュバルツとアルメーを、咎める様な眼差しでクーゲルが諫める。
「でも…理世が来ても元には戻らないのね…。フォイアーさん、貴方は何がきっかけで戻れたの?」
「あ…ボクは、その…」
まさか、リセと愛を交わしたら戻った、とはこの場で言いにくい。
しかも確証は無いのだ。
「お姉ちゃん。そこはもう良いの。大丈夫。全部上手く行くから」
「理世…?」
ふんわりと微笑む妹の表情に、美琴は何処か不穏なものを感じ取った。
「ねぇお姉ちゃん。理世が、何で元の世界に帰りたがってたかわかる?パパもママも、何ならお姉ちゃんだっていない世界に」
「それは、元の世界の方が慣れてるから…」
「ううん違う。向こうでは理世は必要とされていなかったから。だから、何としてでも帰ってお祖父様に存在を認めさせてやりたかっただけ。”あぁ、あのいらない方が居なくなったのか、良かった”って思われたくなかっただけ」
「何言ってるの!?」
悲鳴の様な声をあげる姉を、理世は優しく見つめた。
お姉ちゃんにはきっと、一生わからないだろう。いつだって必要とされていたお姉ちゃんには。
「あのね?施設から引き取られる時、お祖父様は本当はお姉ちゃんだけ連れて行くつもりだったの」
「そんな筈無いわ!いい加減にしなさい理世!」
「だって理世、聞いちゃったもの。”上の娘だけで良い。下のは何の役にも立たない”ってお祖父様が弁護士さんに言ってるの。でも弁護士さんが”見た目が良いから何かに使えますよ”って言って、それで理世も引き取って貰えたの。因みに、16歳になったら79歳のおじいさんの所にお嫁に行く予定だったんだよ?」
――衝撃的な話を聞いた美琴は、今にも失神しそうな面持ちになり慌てた季彩に支えられている。
そんな馬鹿な。どうして理世が。
「…この世界に来て良くわかった。理世って本当に馬鹿なの。お姉ちゃんとは違うんだよ。それに」
「もう止めて理世!アナタは馬鹿なんかじゃない、私の大事な妹なのよ!?」
理世は話しながら後退り、他の面々と少し距離を取った。
傍らにいたカイザーが、心配そうに羽を震わせる。
「…お姉ちゃんには内緒にしてたけど、理世ね、何人かに告白されてちょっとだけお付き合いした事があるの。って言っても、お茶したり映画観たりしただけだよ?でもね、向こうから告白してきたのに、理世、ほとんどフラれちゃって。皆、何て言ったと思う?”お前といると、疲れる”って」
ここでフォイアーがビクリと反応した。
焦った顔で理世を見つめ、その側に駆け寄ろうとする。
「動かないでフォイアー」
理世は片手を前に出し、近付こうとするフォイアーを制止した。
「でね?こうも言うの。”姉さんと全然違うんだな”って」
――静まり返る食堂内に、理世のクスクス笑う声だけが響く。
「理世は馬鹿で我が儘で、何の役にも立たないし周りに迷惑をかけてばかり。理世のせいで樹星さんは死んじゃってフォイアーもカイザーもおかしくなって。フォイアーは元に戻ってくれたけどカイザーは元に戻らない。そのフォイアーも疲れさせちゃうし、お姉ちゃんの彼氏も大変な事になっちゃったし」
だからね?と理世は背後を振り返り、「はい、もう出て来て良いわよ蟻神様」と楽しそうに言い放った。




