30・絶望の中の光
「アタシはジーン。ここで布地屋を開いて2年になるの。結構軌道に乗って来たから、そろそろ従業員を雇おうかと思ってるんだけど、アナタどう?」
冗談めかして言うジーンの後について二階を登る。
「私は理世って言います。こっちはフォイアー」
理世は無言のフォイアーを肘で突く。
フォイアーは顔を背けながら、「…よろしく」とボソリと呟いた。
「ごめんなさい、ジーンさん。彼、人見知りだから…」
「アハハ、気にしないで。うん、リセとフォイアーね。ところでフォイアー、アンタ羽付きでしょ?何でこんな所にいるの?女王が相手を決定したって話はまだ届いてないけど、もう決まったの?それでアンタは選ばれなかった組?」
「いや、ボクは…」
フォイアーはチラリとリセを見る。
その視線を受け、理世は微かに頷いた。
ジーンとは初対面だが、逆に見ず知らずの理世達を家に招き入れてくれたのだ。
ここはきちんと説明しておかなければ、彼女の信頼を裏切る事になる気がする。
「ボクは、選んで貰ったんだ…。女王、ここに居るリセに…」
「へぇ~、そうなん…」
階段を登り切った所で、ジーンの動きがピタリと止まる。
そのままゆっくりと振り返り、震える指でリセを指差した。
「……蟻人の女王?」
「え、えぇ…まぁ…」
ジーンは大きな目を零れんばかりに見開いた。
地走派最大派閥・蟻人の女王の伴侶選びはジーン達甲虫人のみならず、地走派の昆虫人達にとっても関心の深いニュースなのだ。
女王が複数の伴侶を選べばそれだけ強い蟻人が生まれる。
強い蟻人が増えると、物流ルートも多く奪えるし地走派昆虫人達の生活も豊かになる。
「じゃ、じゃあ今回は一人って事?それは良いけど、何で二人してこんな所フラフラしてるの?繁殖活動は?女王の卵はどうなってるの?」
矢継ぎ早に聞くジーンは、ふと幼い頃、祖母から聞いた話を思い出していた。
『ごく稀にね、羽の無い女王や姫が現れる事があるんだよ。その者達は、全ての昆虫人の女王であり姫でもあるんだ。そして――』
「ま、まさか…”羽無し”の女王…?」
ジーンは全身に鳥肌が立つのを感じた。
さっき、リセを狙っていた若者。遠目だったから彼女に羽や触角が無い事には気付いていない筈。
まぁ見えていたとしても、その意味には気付きはしないだろうが…。
(あ、危なかった…!)
「やっぱり、ご存知だったんですね。フォイアー達や蜂人達は”無垢の”って言ってましたけど」
素直に感心するリセに引き換え、その背後の大男が一気に殺気を漲らせて来るのが分かった。
それもそうだろう。アタシが何も知らないと思ってるから、彼も真実を伝えて来た訳だし。
”羽無し”の存在を知っているのは、蟻人や蜂人ですらほんの一握りなのだから。
「ちょっと待ってくれるかな、フォイアー君。何故アタシが”羽無し”の事を知ってるか理由を話す。店閉めて来るから、部屋に入って待ってて。お茶持って来るよ」
理世とフォイアーを押し退ける様にして再び階段を降りて行くジーンを、理世は目を丸くして見送る。
フォイアーはそんな理世を片手で抱き寄せながら、反対側の手で素早く武器を呼び出し、マントの下に隠しておいた。
********
「ありがとう。貴女はここで待ってて下さい」
美琴は扉の外側で待っている様に、シュタヘルに促す。
「いいえ!私も参ります!」
「ううん。あのね、私も過信している訳じゃないの。もし、皆が心配してる様な事が起きたら、貴女に助けを呼びに行って貰わなきゃいけないから。だから、お願いします」
何かあったら、悲鳴を上げますから。
そう毅然と言い切る美琴に、シュタヘルは承諾する事しか出来なかった。
◇
シュタヘルから受け取ったランプで暗闇を照らしながら、扉の中を一人進む。
ガチガチ…ガチガチ…
奥の方から、何か硬いモノが擦り合わされる様な音が断続的に聞こえる。
フォイアーを目にしていた美琴には、それがカイザーの顎を打ち鳴らす音だと言う事が分かった。
灯りに照らされた鉄格子の影が浮かび上がった所で、美琴は一度立ち止まり、大きく深呼吸をした。
よし、と頷くと、意を決した様に歩を進める。
そして鉄格子の前に立ち、ランプを薄暗がりにかざした。
ガキンッ!
「きゃあぁっ!!」
目の前の鉄格子に、いきなり大顎が食らいついて来た。
後もう少し、牢に顔を近付けていたら危なかったかもしれない。
シュタヘルに聞こえてしまっただろうか、と焦るが幸いそこまで大きな声では無かったからか聞こえてはいない様だった。
良かった、と胸を撫で下ろす。
まだカイザーと接触すらしていないのに、ここで人を呼ばれる訳にはいかない。
「カイザーさん…?」
少し後退り、距離を測りながら全体像が掴める様に、ランプを高めに掲げる。
「あ…」
――灯りに照らされ、カイザーの全貌が見えた。
フォイアーよりも、一回り大きい巨大な羽蟻。胴体には薄い縞模様がついている。
大きな顎は短いが太く、美琴の胴体など一噛みでバラバラにされそうだった。
ガチンガチンと顎を擦り合わせながら、美琴の方に頭部を向ける。
「カイザーさん。美琴です!しっかりして!」
無機質な蟻の眼。そこに意思がある様にはとても思えなかった。
美琴はカイザーの眼をしっかりと見つめる。つい最近、コレと同じ色の目を何処かで見た気がした。
『…行っておいで、美琴。俺は待ってるから』
そうだ、弥未。送り出してくれた時の、弥未がこんな目の光を宿していた。
「…カイザーさん。貴方は今、とても深く絶望しているのね…」
これは自分では駄目だ。
美琴は素早くそう判断した。理世を、連れて来なければ。
「待っててカイザーさん。直ぐに理世を連れて来てあげるから」
ガチ…
美琴が理世の名前を出した途端、カイザーの動きが止まった。
ゆっくりと後ろに後退り、後ろの壁にぶつかった所で、まるで犬が”伏せ”をする様にその場に蹲る。
「…やっぱり、理世の名前には反応するのね。大丈夫、理世に会わせてあげるから。良い?カイザーさん。理世に会うまでは、誰も傷付けては駄目よ?勿論、貴方自身も。理世が悲しむから」
”理世”を連呼しながら様子を見る。
案の定、カイザーは大人しく顔を俯け、美琴の話を聞いている様だった。
「待ってて。出来るだけ早く理世を連れて来るから!」
美琴はクルリと踵を返し、急ぎ元の道を戻って行った。
◇
「姫様!?」
ご無事で、と言うシュタヘルの言葉を遮る様に美琴は「理世を!理世を急いで探さないと!」と言いながら食堂に向かって駆け出して行く。
シュタヘルは石扉にしっかりと錠前をかけ、慌てて美琴の後を追った。
********
「それじゃあ、アタシが何で”羽無し”の事を知ってるか教えてあげるね」
2階の部屋でフォイアーと共に待っていると、程無くしてジーンが部屋に入って来た。
飲み物の入ったコップが3個、載ったトレーを片手で器用に持っている。
小さなテーブルには椅子が2脚しかないので、フォイアーはベッドに腰掛けていた。
「はい、お願いします。あの、その前に…」
「何?」
「私がここにお邪魔するとご迷惑がかかるんじゃ…」
――ジーンとフォイアーの反応から、”無垢””羽無し”の存在はごく一部の者しか知らない様だった。
もし、他の甲虫人達にその事が知られたら、ジーンに迷惑がかかるのではないかと心配になったのだ。
「ううん、むしろ逆。この街に滞在するならアタシを頼った方が良い。リセ、後で採寸させて。妹の形見で触角と羽を作ってあげるから」
「え?あ、はい…」
妹さんの形見…?
首を捻る理世に「…甲虫人は、親しい人が亡くなると触角と羽をとっておくんだ」とフォイアーが解説をしてくれた。
「さて本題。と言ってもそんな大層な話じゃないんだけどね?アタシの曾祖母、名前は”ユキコ”って言うんだけど」
「……え」
「うん、そう。曾祖母は”羽無し”だったんだ」
――アタシの曽祖父は傭兵だった。
ここから山に向かう途中に銀蘭の群生地があるんだけど、そこに曾祖母が倒れてたらしいの。
曽祖父は傭兵として、蟻人や蜂人の依頼をよくこなしてたらしいんだけど、それで”羽無し”の姫を見かけた事があったらしいのね。
それで、倒れてる女の子が”羽無し”だって事が直ぐにわかった。
本当はその時点で直ぐに、蟻人に届け出ないといけなかったんだけど、その時既に蟻人には女王が、蜂人には姫がいたの。
噂では聞いた事があったらしいんだ。”羽無し”が複数現れる年があるって。
曽祖父は一目で曾祖母を好きになった。
それで届け出ないで、こっそり奥さんにしちゃったらしいのね。
最初は、自分と見た目が全然違う曽祖父を嫌っていたらしいけど、曽祖父は本当に優しい人だったみたいで、最終的にはとっても仲の良い夫婦だったみたい。
「…と言う事なの」
理世は予想外の話に口をポカンと開けていた。
まさか、そんな事が。だからジーンは、蟻人並みに人型に近いのか。
「あ、あの…。ひいお祖父さんは、どんな形…じゃなくて見た目の人だったんですか?」
ひょっとして巨大カブトムシとか?
「どんな見た目って…。アタシよりも大きくて、アタシよりも大きな角で、手足はアタシよりも硬い皮膚で覆われてて…。あ、肖像画見る?」
「はい!」
……。
「本当だ…。腕が4本ある以外は、ジーンさんよりちょっと虫っぽい位…」
「何、その”ムシっぽい”って?」
「いえいえ!何でもないです」
うーん、何だかこの世界の成り立ちがよくわからなくなって来た。
昆虫人達は、皆そもそもある程度の人型だったの?
でも、百足人とかは”人”とついていながらも見た目はただの喋る巨大ムカデだし、蟷螂人は顔や腕は人っぽかったけど、身体は普通にカマキリだったし…。
蟻神と蜂神の好み、と言うか気分次第なんだろうか。
「リセ?大丈夫?」
考え込む理世を、ジーンが心配そうに覗き込んだ。
「あ、はい、大丈夫です。すいません」
まぁ何でも良いか。もうアレコレ考えるのも疲れちゃったし。
「そう?あ、そうだ。夕飯なんだけど、せっかくだから一緒に食べない?アタシ、料理得意なんだ」
「本当ですか!?わーい!」
「もう店閉めちゃったし、これから準備するね。夕方になったら裏の自宅に来てくれる?それまで、銀蘭でも二人で見て来れば?今、シーズンだからすっごい綺麗だよ」
そう言い置くと、ジーンは慌ただしく部屋から出て行った。
◇
「銀蘭かぁ…どんな花なんだろう。フォイアー、早く見に行きましょ?」
理世はフォイアーの腕を引っ張って上目遣いで甘えてみせる。
「わかったよ…しょうがないなぁ…」
本当はリセと二人でゆっくりしたかったのに。
その言葉を飲み込みつつ、フォイアーは渋々ベッドから立ち上がった。




