17・女王の覚悟と狂い往く蟻
「樹星が!?」
玻璃鐘城に衝撃の一報が飛び込んで来たのは、翌日の事だった。
城主、弥未は部下達を集め、広間へと向かう。
「どういう事だ?」
「やはり、女王は樹星様が手中にしておりました。羽付き達が奪還に訪れた際、我を失ったフォイアーの攻撃から女王を庇って被弾し、そのまま息を引き取られた様です…」
弥未は天を仰ぎ、そっと目を閉じた。
まさか、あの樹星が。
幾ら女王と言えども、女を庇って命を落としたとは。
「樹星は悪い奴じゃなかった。ただ愛を知らなかっただけだ。女王と上手くいってくれればきっと、奴は変わった筈なんだ。この俺が、美琴と出会って愛を、信じる事を知った様に」
「お館様…」
「雁城はどうなってる?」
「わかりません。今の所は大きな混乱は無い様ですが…。どうやら女王はまだ雁城に居る様です。カイザーとフォイアーは分かりません。クーゲル、アルメー、シュバルツの3名は王国へ戻っておりますが、その際に蜂人の女を連れていたそうです」
「蜂人の女を…」
弥未はこめかみに手を当てながら、暫く何事かを考えていた。
雁城に行ってみるべきか。しかしその間、美琴の側を離れなければならない。
離れる理由について、美琴に何と説明すれば良いのか。
結果的に女王を取り巻くゴタゴタを隠そうとしたのが、裏目に出た形になってしまった。
(困ったな…)
「俺が行こうか…?」
悩む弥未の側に、包帯で身体中を巻かれた男が一人近付いて来た。
「瀬黒…」
よ、と片手を挙げ、近付いて来る瀬黒に弥未は「よぉ…」と同じく片手を挙げて応えた。
「もう大丈夫なのか?」
「まぁまぁ」
「頑丈だなー…」
確かコイツは”瀕死の重傷”じゃなかったか?
そんな事を思いながら、雁城に行く事を進言して来る瀬黒の言葉に、少し考えた後に頷く。
「お前が行けるんなら頼むよ。何ならそのまま残って新しい城主の選定に立ち会って来てくれ。もし妥当な奴が居ないなら、俺とお前で二分して治めれば良い」
「分かった」
返事をすると、瀬黒は踵を返し早々に玻璃鐘城の外へと向かう。
しかし途中で足を止め、弥未の方を振り返った。
「女王、まだ城に残ってるんだっけ?どうすれば良い?」
「うーん…取り敢えず、話を聞いてみてくれよ」
「わかった。それでフォイアーの奴は?落とし前を付けさせるか?」
「…いいや。それを言うならお前だって樹星にやられただろ。今はもう、そう言うのは良い」
瀬黒は片眉を少し上げ、弥未の顔をじっと見た。
「…何だよ」
「いいや。やっぱりお前、変わったな」
雰囲気が柔らか過ぎて逆に怖えーよ。
と揶揄う様に言う瀬黒を睨み付けながら、「早く行けよ!」と苛立たし気に言う弥未。
はいはい、と言いながら雁城へ向かうべく、瀬黒は城外へ飛んで行く。
それを見送りながら、弥未は今後はどうしたものか、と頭を悩ませた。
「理世の事をどうしようかと思ってるのね?」
「そうなんだよ。これを機に瀬黒に押し付けてしまうか、カイザーに引き渡すか悩んで…て…」
バッ!と音が出る勢いで振り返った弥未の目に飛び込んで来たのは、胡乱な眼差しの美琴だった。
弥未の顔から、サァッと血の気が引いて行く。
「み、美琴。あの、これは」
「弥未?私に隠し事なんて出来ると思ってるの?瀬黒さんが怪我をして運ばれて来たのを見た時に、大体の事は把握してたわよ」
う…と言葉に詰まる弥未に近寄ると、美琴はふわりと甘える様に抱き着いた。
「ごめんなさい、弥未。私の妹の事で。あの子の事は私がどうにかすべきだった。貴方達蜂人を巻き込むべきじゃなかった」
「美琴、そんな寂しい事言わないで。俺はただ、美琴が喜んでくれれば良いと思って…」
美琴はふっと、弥未から身体を離しその胸をトンと押した。
一気に不安そうな顔になる弥未の顔を軽く睨みつけながら、「季彩に瀬黒さんの後を追わせても良い?理世に、玻璃鐘城に来る様に伝えて貰うわ」と言い置き、クルリと踵を返した。
「美琴!?」
縋り付く様に腕を掴む弥未の手を素っ気なく振りほどき、勢い良く振り返るとその額にデコピンをした。
「痛っ!?何!?」
「弥未の馬鹿!私に隠し事したのも許せないけど、一人でアレコレ抱え込もうとしたのはもっと許せない!理世が来るまで、お腹の卵にず――っと!弥未の悪口言い続けてやるから!」
お腹の赤ちゃんって結構外の世界の話を聞いてるらしいのよ?
弥未、絶対に嫌われちゃうんだから。自分の子供に。
腰に両手を当て、むくれた顔で文句を言う美琴を唖然とした顔で見ながら、弥未の頭を過ったのはただこの一言だった。
――何、この可愛い生き物。
********
「リセ…新しい城主の大体の候補…絞れたよ…」
「ありがとう、フォイアー。じゃあ、その人達と面接するから、此処に呼んで来てくれる?」
「う、うん…」
樹星の使っていた執務室を使い、候補者の情報が記載されている書類をパラパラ捲っていた理世は、ふと顔を上げた。
所在無げに立っていたフォイアーが、おずおずと理世に向かって手を伸ばし、その頬をそっと撫でる。
「どうしたの?」
「リセ…ボクのせいで、こんな事になっちゃったんだけど…ボク、頑張ったんだよ…?候補者絞るの、大変だった…。だから、リセ…ご褒美、ちょうだい…?」
癖のある前髪に覆われた顔から微かに覗く、金色の瞳。以前見た時と、何となく色味が違って見える。
(何?何だろう、くすんだ様な色に見えるけど…)
「あ、えっと、ご褒美ね?何が良いの?地底のお屋敷に帰ってからでも良い?」
「駄目…。今、欲しい…」
「今?何?」
フォイアーは理世の両脇に手を差し込み、まるで子供にする様にして抱き上げた。
くすんだ金色が、理世の瞳を射抜く。
「リセ…このまま、ベッドに行っても、良い…?」
「ちょ、ちょっと待って、」
「ボクとカイザーを選んだんだよね…?ボクはリセの旦那さんでしょ…?だったら…ね?もう、これ以上は我慢出来ないから…」
瞳のくすみが、酷くなっていく。もう少しで金色では無く、鈍色になりそうな感じだった。
流石に理世も異変を感じ取り、フォイアーの前髪をかき上げてその目をじっと見つめた。
(樹星さんは”狂った蟻達”と言っていた。もしかして、”狂い”の度合いが進んで来たの…?)
理世は唇を軽く噛み、俯いた。
もう、これ以上引き延ばすのは無理だろう。ここは、覚悟を決めるべきなのかもしれない。
蟻側も、宿すのは卵なのだろうか。
それなら、思った程身体に負担はかからなそうだし、元の世界に戻っても何とか誤魔化せるかもしれない。
――理世は、未だに元の世界に帰る事を諦めてはいない。
彼らは、子孫さえ手に入れば良い筈だ。
卵を一つ二つ、産んで家に帰れるならそれで良しとすべきだろう。
「…良いわ」
理世はフォイアーの腕の中で、そっと目を閉じた。
◇
雁城に到着した瀬黒は、出迎えの蜂人に弥未からの伝言を伝えた。
蜂人の男は少し困惑した表情を浮かべながら、瀬黒を客間に案内してゆく。
「女王は?まだ居るんだろ?」
「はい、そうなのですが…。2時間程前にフォイアー殿が新しい城主候補の資料を持って執務室へ行ったきり、戻って来ないんです。侍女の一人が、フォイアーが女王を樹星様の部屋へ連れて行く所を見たそうなので、女王が体調でも崩したのかと、皆で話していた所です」
「へぇ。それは困ったな」
来る途中で、猛スピードで追って来た弥未の側近の少年。
彼が「美琴姫が女王を玻璃鐘城にお連れする様に、との事です」と伝言を持って来た。
しかし、女王が具合が悪いとなると、無理をさせるのはどうだろう。
考えながら、取り敢えず出された茶を飲んでいると、部屋の向こうが何やら騒がしい。
「ん、何だ?」
湯呑を置き様子を窺いに行く。
曲がり角から覗き込もうとした途端、ヌッと大きな影が現れ、瀬黒の視界を遮った。
「うぉっ!?」
――2m近い長身の、クセ毛の蟻人。
フォイアーが軍服のシャツをだらしなく着崩し、微かに汗ばんだ顔で瀬黒の前に現れた。
左手には脱いだ上着を持ち、右手には紙の束を持っている。
両目を覆い隠すクセ毛の隙間から見え隠れする、美しい金色の瞳。
「な、何だフォイアーか。女王、具合悪いんだって?」
「…瀬黒。何しに来たの」
「弥未に頼まれたんだよ。雁城の様子見に行ってくれって。そもそも、女王を迎えるのは俺だったんだからな?樹星に襲撃されて、横取りされちまったけど」
瞬間、フォイアーから凄まじい殺気が噴き出て来るのを感じた。
瀬黒は咄嗟に背後に飛び、手の甲の紋様から槍を取り出そうとする。
しかし即座に諦め、両手を上に挙げた。
ハラリ、と落とされた上着の下から、ガトリングガンが此方を向いていたからだ。
金色の瞳が、急速に濁り始めて行く。
「リセは、渡さないから…!」
(うわ、こいつヤバい!)
銃の回転音が聞こえ始めた所で、瀬黒は大声を上げた。
「待て!待てって!女王を奪いに来たんじゃねぇから!」
「…本当?」
「ホントホント!俺はただ、新しい城主の選定を頼まれただけなの!でも、もうお前らが決めたんなら」
「まだだよ。丁度良かった。じゃあ…瀬黒が選んで。これ資料だから」
フォイアーは瀬黒の足元に紙束を無造作に放り投げた。
「おい、女王の具合は?美琴姫が、玻璃鐘城に来てくれって言ってたぜ?」
「別に、具合悪くないよ。ボクがちょっと疲れさせちゃったから」
「は?」
瀬黒はマジマジと目の前の大男を見つめる。
はだけたシャツ。汗ばんだ顔。乱れた髪。そして、女王を疲れさせた。
「えっ!?マジで!?」
「…何だよ。ボクはリセに選ばれたんだから、当然だろ?リセが可愛過ぎて少し無理させちゃったけど」
「あ…そう…」
じゃあ後よろしく。
そう言い、部屋に戻ろうとしたフォイアーがふと足を止める。
前を向いたまま、瀬黒に低く声をかけた。
「…ねぇ」
「何だ?」
「カイザーを、殺してくれない…?」
「はぁ!?何言ってんだお前」
瀬黒は仰天の余り、思わず声を裏返させる。
「リセはカイザーの事も選んだ…。でも、ボク以外に抱かれてる事想像しただけで、頭がおかしくなりそうなんだ…。カイザーが死んでくれたら、リセはボクだけのものになるだろ…?」
「…カイザーは仲間じゃないのかよ」
「仲間だよ…?でも、死んでくれたら、今よりももっと好きになるかな…?」
ゆっくりと振り返り、熱に浮かされた様な目つきで、薄い笑みを浮かべながら虚空を見つめているフォイアー。
その瞳を見た途端、瀬黒の背中に戦慄が走る。
(コイツ…!完全に”狂い蟻”になりやがった…!)
――ほんの一時前に見た美しい黄金は、すっかり濁りきった金色になっていた。




