第百二十八話 『混濁ノ御寝』
「さあ、踊れ塵共。この世界は遍く下らない。ならばこの俺が、手ずから原初の無へと還してやろう」
俺は、周囲に存在する下らない生物の中でも、特に下らない気配のする黒いのに対し、右腕を軽く振るう。
それだけでソレとその奥の森は消し飛び、残ったのは広大な土の大地のみ。
アア、ナンテスバラシイ。
「さて、次は貴様らか。ちょうど固まっているようだし、皆まとめて還してやろう。喜ぶが良い」
そうして全てを零へと還すため、次の標的である4つの命を消し去ろうと、そちらに視線を向け、腕を振り上げようとしたその時、何故か内側にノイズのようなものが走り、腕を止めてしまう。
気にせずもう一度同じようにしようとしても、やはり何やら引っかかる。
心をざわつかせる何かが、俺の行動を否定する。
一体何が――――
「……だめ……」
よくよく見れば、何やら俺の腰にぶら下がった生物もどきのような奇妙な存在が、俺に否定の意思をぶつけてきている。
なんだ、これのせいであったか。
「黙れ」
俺はソレを睨み、手を伸ばして壊そうとするが、またしても俺の内側に嫌な感覚が走る。
これは……目の前の存在からではない。別のナニカが、俺の心を乱している。
「誰だ!! 誰が俺をこんなにも乱す!! 消えろ! 消えろ!! 消えろぉおおおお!!!」
俺は、煩わしいその間隔を振り払おうと、内に渦巻く力を解放し、周囲にまき散らす。
俺の身から放たれたその力は、森を消し飛ばし、雲を吹き飛ばし、大地を削り取る。
残るのは、何一つ目障りなものの無い、まっさらな大地――――のはずだった。
だが、目の前のちっぽけな存在3つが、何やら小癪な策を弄したのか、そいつらの後ろだけ森も大地も残ってしまっている。
無論、そいつらも存在を保っている。疲れたような顔をしているが、それだけだ。
そして、何より腹立たしいのは、その光景を見て、俺の内にあった、一層強くなっていたざわめきが掻き消えたことだ。
「なぜだ! 何が!! 何を!!!! 俺は……俺が……あああぁぁああぁああぁぁぁぁああああああああああ!!!!」
だが、その事実を否定すればするほど、消えたはずのざわめきが、俺の中で再び芽生え、肥大化して行く。
そしてそのあまりの激しさに、俺は思考を放棄し、ただ叫ぶ。
その煩わしい何かを紛らわすために。その消えぬ不快感を誤魔化すために。
だが、その瞬間、俺の中に何かが紛れ込んだような、交じり合ったような、奇妙な感覚を覚えた。
これは……?
「だめ……だ…………と……まれ……」
その違和感に戸惑っていると、俺の口が、俺の意思と関係なく、ひとりでに言葉を紡ぐ。
それはまるで、俺自身を否定するかのような言葉で――――
いや、俺の意思はそこにあるのか?
俺は間違っている?
俺は正しいから間違っていて、俺は俺でなく俺は俺だ。
……俺は何を言っている?
ああ……思考がめちゃくちゃだ。もう訳が分からない。
自分を手放せば楽になるような感覚と、自分を必死に保とうとする理性がせめぎ合う。
「……レイジ様」
不意に近くでした声に視線を向けてみれば、そこにいたのは、先ほどまで赤い布切れで身を包み隠していた人間。
それがその布を捨て去り、その美しい髪をなびかせ、可憐な笑顔を浮かべていた。
……美しい? 可憐? 俺は今、何を思った?
こんな矮小で煩わしい存在が、美しいなど――――
「私は、前に言いましたね。どんなあなたでも、ついて行きますと。だから、もしあなたがそのままで、世界の全てを排するというのであれば、私はそれを受け入れましょう。世界全てに救いをもたらすというのであれば、それも受け入れましょう。ですから、あなたはあなたのしたいようにして下さい。私は、いつでもあなたの味方でいますから。貴方の側に、いますから」
その口が紡いだ言葉の意味は、今の俺にはよく分からなかった。
だが、そのよくわからないものは、きっと俺を認めてくれたもので、先ほどまで感じていた不快感も、支離滅裂な思考も、嘘のように引いて行く。
その人間の存在が、そこにいるという事実が、とても心地よく思える。
俺は全てを破壊する存在なのに。全てが煩わしいはずなのに、何故……
「俺は、全てを消し去る者。この世の全ては煩わしく、全てが下らない……はずだ」
「そうですか。では、なぜそうなさらないのすか? その迷いは、どこから来るものなのでしょう?」
「……わからない。お前らを消そうとしたら、嫌な感じがした。だから、できなかった。それはどんどん大きくなって、思考すらもかき乱されて……でも、お前の言葉で、全部嘘のように掻き消えた」
「でも、迷っているのですよね?」
「そうだ。お前は矮小で下らない、煩わしい存在の一つでしかないはずだ。だが、お前の存在を美しいと感じた。お前の存在が、心地よいと感じた。それは、矛盾だ。自分がわからない。すべきことが不明瞭だ」
「ならば、私に委ねて下さいませんか? きっと、良い方向へ導いてみせますから」
「貴様が、俺を? フッ……まあ、それも悪くないと思えてしまう自分が居る。理解できん。だが今は、それに縋っても良い」
「ありがとうございます。では、自らの内にある衝動に抗わず、身を委ねて下さい。きっと、楽になりますから」
ふむ。先ほどからこの身を襲う不快感に抗うなと言うのか。
だがまあ、自分でどうにもならぬのだから、従ってみるのも手やもしれんな。
それに、こ奴の言葉はどこか心地よい。そのまま眠りにつきたくなるような――――
そうして意識を希薄にして、抵抗をなくすと、先ほどまでの不快感が嘘のように、すっとした気分になる。
まるで、今まで身に抱え続けていた不調が、一気に解消されたような、そんな感覚。
「――――ああ……これは、良いな……俺は――――」
そこで、俺の意識は心地の良い闇へと落ちていった。
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私は、倒れ込んできたレイジ様の御身体をそっと支え、静かに地面に寝かせる。
本当はもう少しマシな場所まで運んで差し上げたかったのですが、魔晶龍騎士と化したレイジ様の御体は重く、それは難しそうだ。
「フィルス! 大丈夫!? 怪我は? レイジにぃは!?」
すると、後ろから硬直の解けた香奈が、まだ少し混乱を残した様子で、それでも私とレイジ様を心配する声を上げて駆け寄ってくる。
「私は大丈夫。レイジ様は……お目覚めになるまではわからないけれど、身体の色が黒くなる前の色に戻っていらっしゃるから、大丈夫だと思う」
「そっか……良かった……」
そうつぶやくと、香奈は何故か今にも泣きそうな、どこか悔しそうな顔をする。
どうしたのだろうか?
「……ごめん。私、何もできなくて――――」
ああ、なんだ。そういう事だったのか。
確かに気持ちはわかる。私も逆の立場なら同じことを思っただろう。
でも――――
「あまり気にしないで。私は前にも一度、レイジ様が暴走するのを目にしていて、香奈より少しだけ心の準備ができていただけ。香奈も次はきっと――――」
「そんなことないよ! そんなことない……私は……私はフィルスとは違って、ただの妹みたいなものだから。だからきっと、レイジにぃも私じゃ――――」
「怒りますよ、香奈。レイジ様はそんなに仲間を、家族を想えない御方ですか?」
「っ!? そ、それは……違う、と思う」
「ならば、信じて。レイジ様を。そしてあなたの中にある、レイジ様との確かな絆を。私はあなたが羨ましい。私の知らない、幼い頃のレイジ様を知っていて、私には手に入らない、特別な絆を持っているあなたが。だから誇って。でないと、私が馬鹿みたいじゃないですか」
「あ――――……うん。ありがと」
ようやく、僅かに笑みを浮かべてくれた香奈。
でも、少し前まであんなにびくびくうじうじしていた私が、他人にこんな説教をする日が来るなんて……これも全部、レイジ様のお陰ですね。
ですから、レイジ様。どうかご無事で。
またお元気なお顔で、お目覚めになってください。
前と変わらぬ、どこか子供っぽい、無邪気で楽しそうな笑顔を、私に見せて下さい。
でないと、私……きっと耐えられなくなってしまいますから。




