第百二十七話 『破滅の産声』
放たれた闇の魔力は、集約され、濃密な死となって俺へと迫る。
俺はそれに対し、闇とは対となる光属性のブレスを放ち、相殺する。
しかし、それは読まれていたようで、魔のぶつかり合いで視界が眩んだ隙にこちらの懐へと飛び込んできていた敵は、その手に持った剣で下段から切りかかってきた。
俺はそれを、すんでのところで白雪を抜き、何とか受け切る。
「くっ!! 何が目的でこんな――――」
「目的など決まっているでしょう? 穢れし神の使徒である貴様を殺すのに、何か他の理由が必要ですか?」
「っ!? 貴様、邪神教徒か!!」
「あっひゃっひゃ!! 全ては邪神様のためにぃ!!!!」
つばぜり合いになっていた相手の剣に力が込められ、弾かれるように後ろへ飛び退いた敵は、懐から何やらどす黒い液体の入った瓶を取り出す。
手の平サイズの小さな瓶ではあるが、その中に入っている液体からは、何やら強烈に嫌な気配を感じる。
魔力や魔素とは違う、それよりもずっと強力な何か。
生理的に嫌悪を感じるほどの、闇など生易しいほどのナニカ。
先ほどまでは感じなかったのに、なぜ取り出されて初めて……これほどのものなら、持っていればわかるだろうに……何か専用の保管ケースにでも入れていたのか?
俺はソレに言い知れぬ危機感を覚え、カバンから魔導具を取り出すと、すぐさま詠唱を開始する。
「我は混在の生、純然たる無。虚にして万を成し、理を排し刻を喰らう。我が生は虚像、我が死は幻想。過去は夢幻で未来は幻象。来たれ、無限の現今。刹那に生き、逝くが良い――――"刻縛"」
敵は俺を舐めてかかっているのか、詠唱が終わるのを待つかのように、ゆったりとした動作でその黒い液体を飲む。
そしてその液体が奴の身体へと流れ込んだその瞬間、俺の詠唱が完了した。
刻縛の効果は、簡単に言えば"時間停止"だ。
まあ、より正確に言えば、"半径50m以内の術者を除くすべての物体の運動を停止させ、その座標に固定する"という効果なのだが。
これなら、敵がどれだけ強化されようとも、関係なしに――――
「クハハハハハッ!! コレガ魔法カ? 笑ワセル!!」
「なっ!?」
だが、俺の前には、黒いオーラを全身に纏い、高らかに笑う異形のヒトガタ。
その外見は、既に人の形を保っただけの闇。
目の部分だけが赤黒い妖しい光を放る、黒き異形。
そしてその全身から、先ほどの液体に感じた不快な気配を放っている。
いや、それよりも……なぜこいつは、この空間内で動けている?
確かに魔法は発動している。
現に、奴と俺以外の木々や草花はその動きを止め、術の境界に存在することごとくが切断されている。
「……貴様、何をした?」
「フッフッフ……知リタイカ? 良イダロウ。冥途ノ土産ニ教エテヤロウ。コノ力ハ邪神様ノ御力ノ一部。神ニ魔術如キガ通ジルハズガナイ」
つまり、あの液体は邪神の力とやらを液体化したもので、それを飲んだことにより、奴は神の力を得て魔法が効かなくなったと……クソが!! そんな無茶苦茶な話があってたまるか!!
だが、あれをわざわざ今飲んだという事は、この状態には時間制限があるのだろう。
とはいえ、魔法が一切通じないこいつ相手に、それまで耐えきれるのか?
俺はまだしも、皆やニールさんは……いや、絶対に無理だ。
だからといって、どうすれば――――
「サア、ユクゾ古龍。愚カナ貴様ハ此処デ死ニユケ!!」
だが、敵が考える時間などくれるはずもなく、その黒に包まれた腕を伸ばし、こちらへと迫ってくる。
俺はそれに対し、咄嗟に光属性の魔晶龍騎士と化し、両腕をクロスさせ受け止める。
――――が、
「がぁっ!?」
ヤツの手が俺に触れた瞬間、身体の奥底で何かが脈動し、俺を呑み込まんとする感覚に襲われる。
そのあまりの衝撃に、俺は防御に集中できず、思いっきり吹き飛ばされてしまった。
だが、それすらもどうでもいいと思えるほどの衝動が、俺の中を駆け巡る。
『コロセ』
ただ、その言葉だけが俺の頭に響く。
繰り返し、何度も、何度も――――
この感覚には覚えがある。これは、古龍の力に呑まれた時のそれと同じだ。
あの時に比べて、ずっと強力だが。
「う……ぁ……」
「レイジにぃ!?」「レイジ様!?」「お兄さん!?」
俺は焦点すら定まらぬ視界の中、何とか自分の身体を起こすが、すぐに耐えられずに片膝をついてしまう。
皆の声が聞こえるが、その距離感すらつかめない。
身体の感覚もあいまいで、属性が上手く固定できず、闇と光の属性を行き来しており、形状も随時変化している箇所があるような感じがする。
「な……にを……した……」
俺は、ぼんやりと見える、道の奥から歩いてくる黒い影に向かって、声を絞り出し問いかける。
「クハハハハッ! 私ハ何モシテハイナイサ。 ダガ、コレハ傑作ダ!! 貴様ノソノ気配。正シク邪神様ノ御力!! 貴様モマタ、邪神様ノ使徒デアッタトイウコトカ? シカシ、ナラバドウダ? 貴様モコチラ側ニ来ナイカ? 貴様モ邪神様ニ連ナル存在デアルナラ、皆モ受ケ入レテクレルダロウ」
「はぁ……はぁ……ふざ……けるな……俺は……お前らとは違う」
だが、どういうことだ? これが邪神の力?
確かに、おかしいとは思っていたんだ。
温厚な性格で有名な魔晶龍を器としておきながら、破壊衝動に呑まれるなんて……
そして、奴は何もしていないという。
ならばこれは、俺の中に元からあったもので、奴との接触で刺激されただけ……?
だが、なぜだ? なぜ古龍に邪神の力が? 邪神も神の一柱である以上、器である古龍にもその力が注がれているという事か?
『……コロセ……コロセ!』
うるさい!! 俺はもう、あんなのは御免だ!! 自分の手で、大切なものを傷つけるなんて……
「ナンダカワカランガ、マア動ケナイヨウダシ、一旦貴様ハ保留だ。先ニ確実ナ敵デアル勇者カラ片付ケルトシヨウ」
なっ!? 駄目だ! やめろ!!
だが、どれだけ思っても、身体は動かず、衝動を抑えるので精一杯。
これを受け入れれば、動くことはできるのだろうが……今度こそ、戻れる保証が無い。
何より、皆を殺してしまうかもしれないという危惧が、俺の心を引き留める。
だが、このままでいても、結局――――
「死ネ、勇者!!」
ヤツの黒い腕が、香奈の胸へと伸びる。
香奈は必死に構え、それを受けようとしているが……無理だ。
香奈のスキル構成は知っているが、あれはそれでは受けられない。
それは、梨華ちゃんでも同じだろう。
フィルスの吸血鬼の力でも、一度受けられるかどうか……
つまり、これを受ければ香奈は確実に――――死ぬ。
「っざっけるなぁぁあああああ!!!!」
それを察した瞬間、俺は他の全てをかなぐり捨て、ありったけの力を込めた一撃を眼前の敵へと放つ。
ヤツはそれを察知して避け、結果としてその奥に広がる広大な森に、抉られたような道ができた。
前にも見たような光景だが、前と一つだけ違うのは、その断面全てが黒い靄に覆われていたことだ。
それはまるで、奴の身体を覆うオーラと同じ――――
「がっ――――ぐぁああアあアぁァアアァアアアハハハハハハハハハハハ!!!」
そこで俺の思考は途切れ、先ほどまで内側で渦巻いていた黒い衝動が、俺の身体中を駆け巡り、染み渡る。
肉体を構成する魔素は全て邪に染まり、奴よりも数段濃密な黒いオーラを放っている。
だが、先ほどまでの苦しみが嘘のように、思考がクリアだ。
前に暴走した時は、もっと頭が真っ白になって何も考えられなくなる感じだったのに。
なんだ、大丈夫だったじゃないか。俺は何を心配し、悩んでいたのだろうか。
何もかも壊してしまえば、それで全て解決するというのに。