INTERLUDE2 戦力外通告
サイファーがこちらに向けて、五本の紐状のものを放つ。その紐が自分の身体に巻きついてやっと、長く伸ばされたサイファーの指――ハンドワイヤーだと気づいた。
と同時に、シャラマンは強く引っ張られ、悲鳴を上げる間もなくマックスとディーノの方へ投げ飛ばされた。
ぶつけられるような体裁ではあったが、賞金稼ぎたちはなんとかシャラマンを受け止めた。
「ヘチマ! お前何してくれ……」
マックスが抗議の声を上げる矢先、耳を聾する轟音が響き渡り、何かが爆発した。ついさきほどまでシャラマンがいた場所を狙い、サイファーが細胞装置〈ハイドラ〉のショットで撃ったのだ。
サイファーの銃撃が命中したモノが、けたたましい叫び声を上げる。だが、何もいない。
ところがそう思ったのも束の間、燻る〈ハイドラ〉の硝煙の中で、巨大な影が蠢きだした。
それは徐々に形を成し、何もないと思われていた空間に姿を現した。
体長は異様に長い。全長四メートル近くあるだろうか。胴体と同様の長い手足が八本生えており、先端はヒトの指のような五本の鉤爪になっている。頭部には円錐状の目が複数あり、それぞれが独立してぎょろぎょろと動いていた。
例えるならば、カメレオンの頭を持つ巨大なナナフシ、である。
そいつが巨体をものともせず壁を這い、不気味な目でじっとこちらを凝視してくる。
「メメント……!? こんな場所に……」
シャラマンは目を瞠った。やり方は乱暴だったが、サイファーに投げられなければ、あの顎の餌食になっていたところだ。
当のサイファーは、シャラマンにも賞金稼ぎたちにも構わず、大股でメメントに歩み寄りながら、〈ハイドラ〉のショットを撃ち込んだ。
俊敏性に欠けるメメントなのか、避けることなく全弾命中している。怯みはするものの、逃げ出す様子は見られない。
ディーノがシャラマンを背にかばいながら、感心したような声をあげた。
「うわあ、本物のメメント、初めて見た。今まで画像でしか見たことなかったもんなあマックス」
「あんなん一生遭いたないわ! あのヘチマ、ここにアレがおるてわかってたんとちゃうやろな。見てみアイツ、笑ろてるで」
マックスは疑惑の眼差しでサイファーの動きを追いつつ、コートの内側からサブマシンガンを抜き――いつも思うのだが、こんなものをどうやってコートの中にしまっているのか謎だ――弾倉の確認を行っていた。流れるような手際のいい動作だ。
「いや、まさか。さすがにそれは……」
シャラマンは首を傾げたが、最後まで擁護の言葉が出なかった。サイファーの性分を考えると、そんな疑いもしたくなる。が、真偽はどうあれ、メメントと対峙した以上、逃れることはできそうにない。
メメントは標的をサイファーに絞ったようだ。大岩をも噛み砕きそうな口を開けると、中から毒々しい鮮血色の舌が姿を現し、鞭のように射出された。
サイファーは右腕を、〈ハイドラ〉の管手に変形させて塊状に束ね、メメントの舌を殴りつけた。巨体が叫び声を上げながら仰け反る。サイファーはすかさず舌を掴み、ショットガンに変えた左腕で、メメントの頭部を狙った。
しかし撃つより早くメメントが動いた。舌を掴まれたままサイファーを持ち上げ、背後の壁に叩きつける。衝撃で壁の一部が崩れ落ちた。
壁にめり込んでしまったサイファーだが、闘志はいささかも殺がれていない。左腕のショットガンを自分に巻きつく舌の根元に向け、数発撃った。メメントの鞭舌が千切れ、体液を撒き散らしながらのたうち回る。
メメントの絶叫の中、束縛から逃れたサイファーが壁を蹴って跳び、巨体の上に着地。容赦ない銃撃を浴びせ続ける。
シャラマンは賞金稼ぎたちに守られながら、瓦礫の陰まで移動した。サイファーに投げ飛ばされたときに本を落としてしまったが、しっかり回収している。
あのメメントには見覚えがある。マキニアン部隊〈SALUT〉の討伐記録に、よく似たメメントのデータがあった気がするのだ。
巨大なメメントを前にした恐怖心と戦いながら、シャラマンは必死に記憶を遡った。頭の中に収めた記録画面をスワイプし、必要なデータを探す。
シャラマンの覚えに間違いはなかった。該当する討伐記録はちゃんとあった。ただし、記録されているメメントと、今目の前で暴れているメメントは、まったく同じではないようだ。
「あれはクリーパーだ。以前〈SALUT〉で退治したことがある」
「おっさん、アレ知っとんのか」
身を隠した壁に背を預け、サブマシンガンを構えるマックスが、サイファーとメメントの対決を注視しながら訊いた。
「私自身は見ていないが、討伐記録があるんだ。それを思い出した」
「あんたホンマ、頭だけは一級品やな。他はポンコツやけど」
最後の一言は余計である。
「それで、アレはどういう奴なん?」
ディーノも愛用のライフルの弾倉を確認している。
シャラマンは、記憶の中の討伐データを読み返した。
「ええと、大きな特徴は擬態だ。たしかね、身体の色素細胞と虹色素細胞を自由自在に操作して」
「難しい言葉無しで説明せえ!」
マックスが外の様子から目を離さないまま、ぴしゃりと言った。
「わ、わかった、すまない。つまり身体表面の模様を、周囲環境に溶け込むように変化させるんだよ。タコが見た目を変えて、岩や珊瑚に紛れ込んだりするだろう? あれと同じさ。クリーパーはそういう体表変化能力が非常に優れていて、複雑な模様を構築することができる」
「てことは、あのでっかいナナフシカメレオンは、この部屋の壁沿いの状態になじむように見た目を変えて、ずっと潜んどったっちゅーことやね」
理解したディーノが頷く。
「そのとおり。でもあのクリーパーは、過去に〈SALUT〉が討伐したものと、少し違うかもしれない。まず大きすぎる。データ上では、体長は三メートル未満だった。あれは四メートル近くあるだろう。それに行動範囲も違う。十年以上経って進化しているのかもしれない」
討伐データを思い出しながら、賞金稼ぎたちに説明していると、クリーパーの攻撃をジャンプして避けたサイファーが、シャラマンたちが潜む瓦礫のそばに着地した。
「ご高説は結構だが、奴の餌になるまでここにいるつもりか?」
寄こされた嫌味に、マックスがすかさず噛みついた。
「うっさいわ! 専門外の相手にむやみに突っ込むようなアホな真似するか!」
「そうだな、お前らはメメント相手じゃ戦力外だった」
「専門外じゃボケコラァ!」
「ベンチ入りもできねぇんなら、せいぜいスタンドで応援でもしてろ」
言うなりサイファーは、再びクリーパーに向かって行った。
「あのヘチマ頭が~~~~! いちいち癇に障るねん、腹立つわ!」
マックスとディーノの銃の腕は一級品だ。だが残念ながらサイファーの言うとおり、手にする銃がクロセストではない以上、彼らの実力はメメントには通用しない。そんなこと百も承知であるから、指摘されるまでもないことをわざわざ突かれると、余計に不愉快なのだろう。
「おっさん、クロセストとかいうやつ、なんか持ってへんのか」
「それが、あいにくと持ってないんだ」
シャラマンが首を振ると、マックスは顔をしかめて舌打ちした。そんな相方を、ディーノがなだめる。
「まあ、ないもんねだってもしゃーないやん。ここは専門家に任せとこ」
そのとき、低く太い風を切る音が聞こえたかと思うと、クリーパーの尾がシャラマンたち身を潜める瓦礫に迫ってきた。
「危ない!」
ディーノがシャラマンの服を掴んで瓦礫から引き離し、マックスは構えていた銃を下ろして退避する。間一髪、クリーパーの尾が瓦礫の壁に衝突し、粉々に砕いた。
シャラマンたち三人は、エントランスホールの壁伝いの階段を駆け上がった。サイファーとクリーパーの対決がよく見える。
サイファーはメメントとの距離を保ちつつ、銃撃を浴びせ続けていた。クリーパーが長い脚を何本も振り下ろすが、サイファーは余裕でそれらを躱す。
サイファーが回避すると、クリーパーが彼を目で追うために身体の位置を変える。そのたびに、巨体が室内のどこかしらに当たって、壁や柱や調度品を破壊した。
クリーパーの尾が再び、シャラマンたちの方に振りかざされる。急いで階段を昇りきり、吹き抜け廊下に辿り着いた途端、尾が階段を直撃した。あと数秒遅れていたら、押し潰されていただろう。
マックスが階下に向かって抗議の声を上げた。
「ヘチマあ! 戦るなら外に出るとかなんとかせえ! 誰も巻き込まんようジャンプひとつで採石場に移動する戦隊ヒーロー見習えや!」
「そんならライダーヒーローも見習っとこ」
ディーノがどうでもいい点を、穏やかに付け加えた。有事だろうとそうでなかろうと、自分たちのペースを守る彼らも、サイファーに通じるところがある。
マックスの苦情は届いておらず、サイファーとクリーパーの戦いは、ますます激化した。サイファーは〈ハイドラ〉の管手とショットを駆使し、クリーパーの頭部や、胴と繋がる関節部分を攻める。撃っては後退、殴っては後退を繰り返す。
クリーパーは巨体を揺らしてサイファーを追い、まるで岩場のようなごつごつした歯が並ぶ口を大きく開けて、噛みつきかかった。
四メートル近い体長が動けば、胴の一部が建物に衝突する。クリーパーは、今はサイファーを標的にしているものの、対決の余波は確実にシャラマンたちに振りかかっていた。
シャラマンは肝を冷やしながらも、サイファーが執拗に、クリーパーの頭部や胴との関節部を攻撃していることに気づいた。
(ああそうか、たしかそうだった!)
シャラマンの脳に刻まれたメメント討伐データが、再びクリーパーの項目を表示する。そこには、弱点も余さず記録されていた。サイファーはそれを覚えていたのだ。
「クリーパーの弱点は、頭と胴体を繋ぐ関節部分だ。だからサイファーは、その部分を狙って攻撃しているのか」
シャラマンが独り言のように言うと、マックスは眉根を寄せた。
「弱点? メメントめちゃめちゃ硬そうやんけ。弾、効いとるように見えへんぞ」
「いや、硬そうに見えるんだが、ダメージは受けているはずだよ。クリーパーの頭部の関節は伸長するんだ。普段は表皮の下に隠れているけれど、首を伸ばせば、蛇腹のように折りたたまれている関節の接合皮があらわになる。そこが最も薄くて、攻撃が内臓まで通るんだよ」
「ほんなら、その部分を引っ張り出させたらええんやな」
ディーノが、承知したというように頷く。
「そうなんだが、いくら君たちの腕がよくても、クロセスト以外の銃では効果が低い」
シャラマンが懸念すると、マックスが鼻を鳴らしてせせら笑った。
「一流の仕事人っちゅーんは、道具がどんなもんでも一流の仕事をすんねん。で、俺らは一流や」
マックスの目は、自信の光に満ちている。どんなに不利な状況下でも、己にできることを常に考え、最善の行動をとろうとしているのだ。その光はシャラマンには眩しく、羨ましくさえ思えた。
マックスが不敵な笑みを消し、鋭い視線を階下へ向けた。彼につられて、シャラマンとディーノもそちらを見やる。
瓦礫だらけになったエントランスホールで、サイファーとクリーパーが正面から睨み合っていた。凶悪な顎で食いつかんとするクリーパーに、サイファーが応戦している。
クリーパーの攻撃は絶え間なく、サイファーに体勢を変える隙を与えなかった。
彼の背後に、何かが忍び寄っていく。長く伸ばされたクリーパーの尾だ。先端が針状に尖っており、死角からサイファーを狙っていた。
シャラマンは危険を知らせようと、口を開けた。だが声を発するよりも、マックスの方が早かった。サブマシンガンを階下に向け、引鉄を引いたのだ。
銃弾の乱射音が響き渡り、シャラマンは思わず身をすくめる。銃の発砲音には慣れたつもりだったが、急に至近距離でやられると、まだ驚いてしまう。
マックスが銃を下ろし、険しい目つきで、階下を注意深く睨む。
クリーパーがけたたましい叫び声を上げてもがき苦しんでいる。クロセストではない銃弾だが、ダメージを与えることはできるのだ。
メメントの発する声が変わった。古い扉の錆びた蝶番が軋むような鳴き声だ。長い脚を振り回しながら、クリーパーが上階のシャラマンたちを見上げた。
「いけない、こっちへ来る!」
シャラマンがそう言う間に、クリーパーが立ち上がる。シャラマンたち三人が走って退避した直後、メメントの巨体が廊下を圧し潰した。
足元が揺れ、転倒しかけたシャラマンを、ディーノが支える。礼を言う暇はない。今は逃げるだけで精一杯だった。
マックスは身体をうしろに向け、後退しながら、迫りくるクリーパーの反撃を余裕綽々と回避している。
「ほほー、痛いは痛いんやな。俺の腕やったら案外イケるんちゃうか」
「いや無理だ! 痛覚があるからダメージを感じるだけで、倒すに至る決定打にはならない!」
「おっさん、なんでクロセストとかいうやつ以外でも効く弾、造らへんかったんや。それ今ここにあったら、俺が華麗にササっと仕留めたったのに」
「それはどうしようもないよ、メメントにはクロセストしか効かなかったんだから」
「マックス、右!」
シャラマンの隣でディーノが叫んだ。マックスの右側、サイファーを狙っていたクリーパーの尾針が、今度は忍び寄るのではなく、堂々と襲いかかる。
尾の動きは速く、すでにマックスの目と鼻の先まで接近していた。避けられない。
尾針がマックスの身体を貫く。そんな絶望的な結果が訪れると思われたとき、まばゆい稲光が炸裂した。
一瞬、その稲光によって、シャラマンたち三人の目が眩んだ。
シャラマンが目を開けると、そこには無事に生きているマックスの姿があった。そしてクリーパーの尾針は千切れ、勢いよく水が出ているホースのように、体液を放出させながらのたうち回っていた。
クリーパーの背に、サイファーが乗っている。彼は右の管手に稲妻をまとわせ、その背に叩きつけた。
雷の轟音が空気を引き裂き、クリーパーの胴を焼く。メメントの巨体が震え、絶叫が響き渡った。
「おいチビ、余計な手出しするな! 戦力外はスタンドに引っ込んでろと言っただろうが!」
サイファーのゴーグルが、自身の発する稲光を反射して、ぎらぎらと輝いている。
窮地を救われたとはいえ、戦力外呼ばわりされて黙っていられるマックスではない。
「なんやとゴルァ! 命救われたくせに何ぬかしとんじゃワレ! そんならさっさと始末せえや!」
「目障りなお前らがとっとと離れてくれりゃ、すぐ片付けるって言ってんだよ!」
こんなときでも隙あらば口喧嘩とは。シャラマンは呆れを通り越して、思わず感心してしまった。だが、ディーノは正しく緊張感を保っていた。
「二人とも、この状況でそんなん言うてる場合とちゃうやろ! サイファーさんはメメントに集中! 俺らは早よ退避しつつ援護! わかった!?」
普段温厚な人物からの叱責ほど、効果の高いものはない。血気盛んな二人が、ぴたりと口論をやめた。
クリーパーが奇妙な動きを見せた。長い前脚の一本を、高らかに上へ掲げたのだ。それはさながら人間のようで、虫やトカゲではありえない関節の動かし方だ。
クリーパーの五本の鉤爪が、サイファーを薙ぎ払った。サイファーは防御が間に合わず、腕をまともに喰らい、クリーパーの背から瓦礫だらけの一階部まで叩き落とされた。
「サイファー!」
反射的に名を叫んだシャラマンの足元に、赤い何かが落ちてくる。拾ってみると、それはサイファーのゴーグルだった。メメントの腕が運悪くゴーグルにも当たり、外れてしまったのだろう。
しかももっと悪いことに、ゴーグルのフレームが割れ、赤いレンズにヒビが入っていた。フレーム内部には、熱感知システムなど、サイファーの目を補助する装置が組み込まれている。レンズのヒビは小さなものだが、装置の方はもう使い物にならない。
盲目のサイファーにとって、このゴーグルは命綱だ。それが破損してしまったのなら、彼は“目”を完全に失ったことになる。
「ああ、まずい……。これじゃサイファーは……」
「もっとまずいことになったで、おっさん」
壊れたゴーグルに気を取られ、俯いていたシャラマンに、マックスの緊迫した声がかけられた。
はっと顔を上げると、賞金稼ぎたちが各々の銃を構え、シャラマンを囲んで周囲を警戒していた。
クリーパーは、いない。あの巨体の姿が、どこにもない。
メメントが体表変化能力を発揮し、周辺環境の中に同化したのだ。
「あんなデカいのに、物音ひとつ立てへん。気配もせえへん。尾っぽの体液は止まったかもしれん。新しく流れ出た痕が全然ないわ。動きが追えん」
消えたクリーパーを唯一視ることができた男の“目”は奪われた。
建物内は不気味な静寂に包まれていた。




