INTERLUDE2 戦士の休息
パトカーの追走を振り切ったのは、図書館を出てからおよそ一時間過ぎた頃だった。
ヘリコプターからも追われていたので、逃亡劇の一部始終の映像が配信されていたに違いない。おかげで何台ものパトカーが次々と追走に加わり、シャラマンは自分が凶悪犯罪者になった気分だった。
もし捕まったとして、被害がたった一冊の児童書だとわかったら、警察は拍子抜けするのではないか。物の大小に関わらず、窃盗に違いはないけれど。
あんな大所帯の警察から逃げられたのは奇跡だ。いや、それこそ、有事の際の対応に慣れた、若衆三人の力あってのことだろう。
サイファーはパトカーの車両を撃とうとしたが、それはやめておけとマックスが止めた。さすがの彼も、警察に発砲して事態を悪化させるのはまずいと判断したようだ。
パトカーを振り切った直後、四人は車を乗り捨て、足での逃亡に切り替えた。警察はすぐに追いついてくるだろうし、ヘリコプターはまだ上空にいる。休んでいる暇はなかった。
空の監視の目から逃れるため、住宅街の中に広がる林に駆け込む。現在地を見失わないよう、木々の隙間から住宅街が確認できることを常に意識しながら、ひたすら移動し続けた。
体力があり余る若手三人は問題なかったが、シャラマンはそろそろ限界だった。足がもつれ、一歩前に出すたびに力が入らなくなっていく。
先へ進む三人と、シャラマンとの間の距離が、みるみる開いていった。ちょっと待ってくれ。そう呼びかけようとしたが、息が上がって声が出ない。
そのとき、足と足がぶつかり合ってしまい、身体のバランスが崩れた。運悪く傾きのある場所だった。慌てて体勢を戻そうとしたが間に合わず、シャラマンは斜面の下り側に転げ落ちる。
かと思った瞬間、たくましい手がシャラマンの腕を掴み、引っ張り上げた。助けてくれたのは誰かと顔を向ければ、サイファーだった。
「あ、ありがとう」
疲れて渇いた喉から、絞り出すように礼を述べると、サイファーは小さく鼻を鳴らして、シャラマンの腕から手を離した。
マックスとディーノも、近くまで戻ってきてくれていた。
「シャラマンさん、大丈夫? ごめんな、もっと気い配ったらなあかんかったな」
ディーノが心配そうに言った。
「いや、私こそすまない。これでも以前よりは体力がついたと思っていたんだけど」
マックスが肩をすくめる。
「まあ、ようついてこれた方ちゃうか。もっと早よへたばる思たわ」
辛口判定である。いや、マックスにしては中辛か。
シャラマンは早鐘を打つ心臓をなだめようと、何度か深呼吸した。
「ヘリコプターの音が聴こえないな。もう逃げきれたんじゃないか?」
「まだ油断せん方がええ」
と、マックス。
「そうやね。慌てて林の外に出て、住宅地に逃げ込んでも、そこはおまわりさんらも行動読んどるやろうし」
ディーノも同意して頷いた。
サイファーは何も言わない。ということは、彼も賞金稼ぎたちに賛同だということか。シャラマンは無愛想なボディガードを振り返った。
サイファーは、シャラマンが転倒しかけた斜面の側に立ち、下の方を眺めていた。
「サイファー、何かあるのかい?」
いちいち返事をするような相手ではないとわかっていつつも、声をかける。案の定無視されたので、サイファーの側へ寄ってみた。マックスとディーノもあとに続く。
サイファーの隣に立ち、同じように斜面の下を見てみると、ぽっかりと開けた空間になっており、そこに古びた建物がひっそり佇んでいた。
円形型の建物が、大小二つくっついている。建物の隣には大きな長方形の穴があり、緑色に濁った水が溜まっていた。はしごも設置されている。あれはプールか。廃業になって久しい宿泊施設かもしれない。
「ちょっと隠れとくにはええかもしれんね」
おそらく全員が考えているだろうことを、ディーノが代表して言葉に出した。
勾配が緩やかになっている場所から下へ降り、プール脇の通路を縦断する。プール内には藻が生えており、それが緑色の濁りの原因だった。プールサイドのタイルはひび割れ、目地からは雑草が伸び放題だ。
プールへの出入り口から建物内に入った。シャワールーム、更衣室などを通り抜けて奥へ進むと、エントランスホールに辿り着いた。
エントランスは吹き抜け構造になっており、天井はガラス張りで、外光がたっぷりと射し込んでいる。
壁に沿うように設置された階段、二基のエレベーター、半分以上開いたままの玄関自動ドア。放置された調度品には、埃まみれの布が被せられていた。
雑草のみならず、木のツタまで内部を侵食している様子は、どこからどう見ても立派な廃墟だ。どのくらい年月が経っているのかはわからないが、建物のデザイン自体は古い、という印象だ。おそらく、二十年以上は昔のものだろう。
ディーノが駆け足で玄関へ向かい、自動ドアのガラスとガラスの間を通って外へ出た。建物の正面を見上げ、しばらくすると戻ってきた。
「イズモ薬品社員保養所、って書いてあった」
「イズモ薬品だって?」
意外な名前を聞き、シャラマンは思わず声に出した。まさかこんなところでその社名を耳にするなんて。
「知っとんのか?」
マックスに聞かれ、シャラマンは頷いた。
「東方の大手製薬会社だよ。〈イーデル〉はイズモと薬品の取引があったんだ」
流れ流れて、わずかなりとも過去に関わりのあった会社の施設に辿り着くとは。
この旅では、思いがけない出来事に遭遇してばかりだ。
四人はエントランスホールの片隅、直射日光を避けつつも明るい場所に、ひとまず腰を下ろした。
マックスは少年の扮装を解き、いつもの服装に着替えた。シャラマンの方は大した変装ではないので、着替えより休息を優先した。
時刻を確認すると、まだ午後一時を過ぎたばかりだった。クッキーバータイプの携帯食で、簡単すぎる昼食を摂る。これだけでは腹は満たされないが、少なくとも栄養はあるし、なかなか美味しい。
「で、どうだったんだ」
やや離れた所で一人座るサイファーが、唐突にシャラマンに尋ねた。
「どう、とは?」
「本の内容だ。見つかったから持ち出してきたんだろう」
「ああ、そうだったね」
シャラマンは指先についたクッキーバーの欠片を払うと、バックパックから「宇宙航海記」第三巻を取り出した。
逃亡の熱気が冷めたシャラマンの全身に、今度は別の興奮が沸き起こる。フェイトが示したサイン。未知のメメント〈ヴァノスとアテリアル〉の正体を紐解く鍵が、この児童書の中に書かれている。
シャラマンは本を開き、おおまかなストーリーと、肝心な場面を若者たちに語って聞かせた。
第三巻「終わりを告げる巨人」のあらすじはこうだ。
ナビゲートAIノルンとともに、果てしない宇宙の旅を続けるエヴァン船長は、新たな星系に辿り着く。その星系で最初に着陸したのは、緑豊かで多くの生命に彩られた美しい惑星だった。
現地の住人たちは、二つの大きな国に分かれており、高度な文明を築いていた。
どちらの国も、外の世界から来た船長に対しては友好的で、それぞれの国で歓迎の宴を開いてくれた。
二つの国は各々、赤い龍と青い龍を、守護神として信仰していた。龍たちは各国の大地の下で眠っており、その身体の一部が、所どころで地面から露出していた。
赤い龍は水を清め、土を肥し、果実や穀物を実らせてくれる。
青い龍は、鉱石や石油、ガスなどの天然資源をたくさん生み出してくれる。
二つの国の人々は、こうした龍神の恩恵によって、何不自由なく暮らしていた。
平和で美しく素晴らしい星だ、と感動する船長。だが実のところ、二つの国は長い間、いがみ合っていたのだ。
どちらがより優れた人種か。我々こそがこの星の覇権を握るにふさわしい。
表面的には親しく交流しているように見えたが、水面下では惑星全土の支配者となる機会を、虎視眈々と狙っていたのである。
そしてある日、ついに戦争が勃発してしまった。
二種族間の争いは急速に激化していき、美しかった惑星全土は、みるみるうちに荒廃していった。
苛烈な戦争の中、大地の揺れとともに、赤と青の龍神が目を覚ます。戦争を起こした住人たちに怒り、罰を与えるために動き出したのだ。
二柱の龍神が互いの身体を絡ませ合うと、やがて一体の巨人へと変貌した。その身体は山より大きく、一歩踏み出せば兵士の一群を踏み潰し、腕のひと振りで町を破壊した。
住人たちは戦争のことも忘れ、逃げ惑い、守護神に許しを乞う。だが巨人となった龍の怒りは鎮まらず、滅びをもたらす歩みが止まることはなかった。
エヴァン船長は戦禍から逃れるため、宇宙船〈スレイプニル〉に戻る。船長が上空から見た惑星は、炎と稲妻をまとった大風が荒れ狂い、すべてものが破壊されていた。龍神の怒りが、いかに強いかを物語っている。
高度な文明が築かれた、美しく豊かだった星は、そこを守護する神自身の手により、終焉を迎えることになるのだった。
「全滅エンド? 子ども向けの本やのに、そんな鬱展開なん?」
シャラマンの解説が終わると、ディーノが意外そうに声を上げた。反対にマックスは、皮肉めいた笑みを、口の端に浮かべている。
「ええやんか。欲の皮が突っ張った奴にはバチが当たるんやでっちゅー教訓や。そういうのは、子ども向けやろうと、しっかり教えたらななあ」
「それで、肝心な部分ってのは、龍神とやらが巨人になる件か?」
サイファーは、終始興味なさそうな態度に見えたのだが、話はしっかり聞いてくれていたようだ。シャラマンは頷いた。
「そう、まさにそこなんだ。ここに登場する“龍”というのは、形状の表現からして東方の、蛇のような身体の長いタイプだ。それが赤と青の二体いて、地面の中にいる。まさに〈ヴァノスとアテリアル〉そのものじゃないか?」
「ほんなら、あの〈観測所〉ん中で埋まっとるでっかいやつ、そのうち巨人に変身するっちゅーことか?」
しらけた顔つきのマックスが、胡散臭げに鼻を鳴らす。
「そんなん信じられへんわ。本の内容と同じバケモン? 地面から出て来て巨人になるて? 本のとおりになるとは限らんやろ」
「それはそうかもしれないが、トワイライト・ナイトメアの前例がある。〈ヴァノスとアテリアル〉は、トワイライトと同じく、フェイトの生体パルスの影響で生まれたメメントだ。トワイライトの形状が、フェイトの『宇宙航海記』の記憶をもとに造られたものなら、〈ヴァノスとアテリアル〉もそうだと考えていい。現に、本の内容と一致しているだろう? 地面に埋もれている、長くて巨大な赤と青の物体。偶然でこんなものができると思うかい?」
「誰かの記憶をもとに生まれたバケモン? 今までさんざん聞かされたけど、俺はまだ信用でけへんわ。俺もディーノも、そのフェイトっちゅー奴を知らんねんで。知らん奴の記憶なんぞ、どう信用せえ言うねん」
シビアなマックスらしい主張だ。だが、これが普通の反応だろう。
「君の言うことはもっともだ。冷静に考えればこじつけかもしれない。でも、私はこれを、無理な解釈と切り捨てられない。それだけ様々なことが起きたし、この目で見てきた。あの〈ヴァノスとアテリアル〉が、いずれ巨人に変異するのかどうか、今の段階ではわからない。けれど“何か”にはなる」
「で、そいつは世界に“終わりを告げる”と。なるほど、楽しそうじゃねえか」
サイファーがシニカルに笑った。
「そうやなあ。たしかにマックスも俺も、フェイトって人を知らんから、なんとも言われへんけど」
ディーノが唸りながら首を傾げる。
「けどシャラマンさんは、そのフェイトさんを信じて、危険を承知でここまで来てるんやし。あの血管の化け物が捨て置かれへん存在やっちゅーのは、信じてもええんちゃう? そやから〈政府〉が隠してんねやろ?」
そう言う相棒に、マックスは懐疑的な顔を向けた。不服半分、納得半分、といった表情だ。
「ほな、それを信じたとして、や。あの血管のバケモンが、そのうち何かでっかいやつになんねやったら、それどないすんねん。本のとおりやったら、めちゃめちゃでかいのが出て来んで。そいつと戦え言うんか? そんなん俺らの仕事の対象外や。そこまではやらへんぞ」
サイファーが賞金稼ぎたちを指差した。
「まあ、クロセストを持ってないお前らは、メメント相手じゃ戦力外だからな」
「あ? なんやコラ、なめとんのかヘチマ」
戦力外呼ばわりされたことが頭にきたらしい。マックスは歯をむき出して、サイファーを睨みつけた。
ディーノが考え込むように眉を少し曲げ、両腕を組んだ。
「ほんで、もしシャラマンさんの言うように、〈ヴァノスとアテリアル〉がそのうち、巨人なり何なりになるとして。どないしたらええの?〈観測所〉に乗り込んで、変異する前に片付けるとか? それにはちょっと手が足りひんと思うけど」
「たしかにね。厳重に管理されている中に侵入して、〈ヴァノスとアテリアル〉を退治するというのは、現実的には難しいだろう。なにせ警備隊は、あの〈ブラスター〉だ」
マキニアンを壊滅状態に陥れた、陸軍の生え抜き部隊を相手にするには、さすがに無理が過ぎる。
自分たちだけではどうにもできない。協力を請う先として、シャラマンの脳裏に浮かんだのはACUだ。
しかし、メメント対策機関とはいえ、ACUも政府に属する組織である。政府管轄施設への軍事介入はできないとして、協力は得られないかもしれない。
ならばアトランヴィル・シティにいる、エヴァンを始めとするマキニアンたちは? シャラマンは以前彼らと会ったとき、わざといい印象を与えない態度で接した。そんな自分が、のこのこ助けを求めに行ったところで、快く引き受けてくれるだろうか。いや、今はそんなことを悩んでいる暇はない。
「そんなもん全員倒しゃいいだろ」
こちらの陣営にいるマキニアンは、一人でやる気に満ちているようだが。
「そらお前だけでやれやヘチマ」
マックスがすかさず突っ込んだとき、サイファーは一瞬表情を強張らせて立ち上がった。
顔を天井に向け、赤いレンズのゴーグルでじっと何かを見ている。視線をゆっくりと下へ移動させ、やがてシャラマンがいるところで止めた。
サイファーの口元が愉快そうに歪み、シャラマンを指差す。
「遊び相手のお出ましだ」
「え?」
背後で不気味な物音がし、首筋に生暖かい風を感じた。




