INTERLUDE2 終わりを告げる巨人
ダンハウザー図書館の裏手は駐車場になっている。
平日のためか、乗用車はあまりなく、駐車場の半分も埋まっていない。
観光バスが三台、大型車両用スペースに並んでいた。今日の図書館利用者は、観光客と、徒歩で来られる地元民で占められているようだ。
ディーノはカーキ色のSUV車を、観光バスの陰になる位置に停めた。ここなら人目につかず、マックスとシャラマンを待っていられる。
このSUVは、デヴォナを出発する際に、新しく用意したものだ。シャラマンはどこから調達したのかを気にしていたが、一般人の彼は知らない方がいいだろう。
後部座席にはサイファーがいる。長い足を組んで、頭を窓ガラスにもたせかけていた。目は赤いゴーグルに覆われてわからないが、眠ってはいないと思う。
馬鹿正直にサイファーの指示どおりに扮装して、図書館に入っていった二人は、目当ての本を見つけただろうか。
まんまと嵌められたマックスが、獰猛な犬よろしくサイファーに噛みつこうとしたのを止めたのは、毎度の如くディーノだった。
シャラマンと共に、ディスカウントストアで変装用の服を選んでいるとき、もしやと勘づきはしたものの、表面的には何の問題もない作戦だったため、ディーノは結局何も言わなかった。
心境としては、なんとなく複雑である。というのも、シャラマンとマックスの“父子扮装”が、想像以上に合っていたからだ。
幼なじみのディーノは、少年時代のマックスが育った家庭環境をよく知っている。はっきり言って劣悪だった。特に、“父親”という存在との関係は、非常に込み入っていた。
そんな背景を知っているからこそ、シャラマンとマックスの変装を、からかって笑うことはできなかった。
かと言ってサイファーを責めたりもしなかった。彼は事情を知らないのだ。悪戯心はあっても、悪意はない。
ディーノは気を取り直し、携帯端末を手にした。「宇宙航海記」について、自分でも調べてみようと思ったのだ。もっと前に調べるつもりだったが、移動の準備やら何やらで、結局あと回しになってしまった。
件の児童小説は、発行部数が極端に少なかったためか、電子書籍化されていない。だから敵のお膝元まで来ることになったわけだが。
「宇宙航海記」は、シャラマンが行方を捜していた人物“フェイト”の愛読書だということは聞いていたが、本そのものについては詳しい話がなかった。
端末に本のタイトルを打ち込み、検索をかける。真っ先に書籍情報が表示された。
第一巻出版は今から四十三年前。それから五年をかけて、シリーズ全五巻が刊行された。
あらすじはというと。
世界中を探検する冒険家〈エヴァン〉は、ある未開の森の遺跡内で、太古の昔に飛来したと思われる宇宙船を発見する。エヴァンが船に乗り込むと、眠っていた宇宙船ナビゲートAI〈ノルン〉が目を覚まし、彼を船長と認定。宇宙船〈スレイプニル〉を起動させ、エヴァンを乗せて星の海へ飛び立つ。
こうして冒険家エヴァンとAIノルンの、宇宙を股にかけた大冒険が幕を開ける。
物語は老エヴァンが、自身の冒険を振り返って語る文体で綴られている、とのことだ。児童向けとはいえ、あらすじを読む限りでは面白そうだ。
(主人公の名前は“エヴァン”。こっちが先って話やったなあ)
シャラマンは「宇宙航海記」について説明するとき、主人公の名前こそ、あのエヴァン・ファブレルの名前の由来だということも話してくれた。
名付けたのは“フェイト”だ。
フェイトにとって「宇宙航海記」がいかに大切な本だったか。そして、そんな大切な本から名前を付けるほど、エヴァンを大事に思っていたか。強い想いが窺い知れる。
「宇宙航海記」が特別である所以は、もうひとつあった。
ディーノは、端末画面の作者名をタップする。作者の簡単な経歴が表示された。本人の写真はない。
作者名は「カイン・ファタム」。これはペンネームだ。
本名は「カイン・アーテルナム」。
フェイト・アーテルナムの、実の父親である。
「あ」
作者経歴を見ていたディーノは、ある記述を目にして声を上げた。
「なんだ」
後部座席から、サイファーが応じる。
「なあサイファーさん。『宇宙航海記』書いた人、シャラマンさんが捜してはったフェイトって人のお父はんやって言うてたやんか」
「それが?」
ディーノは首を回して後部座席を振り返った。
「この人、月面学術都市計画に参加してはるわ」
*
ダンハウザー図書館の一階には、歴史資料室やレファレンス室、カフェテリア、観光客向けのグッズショップがある。主に利用される閲覧室、シャラマンもお世話になった学習室、書庫などは上階だ。
エントランスホールから、美しく磨かれた白い石階段を昇って二階へ向かう。
一般図書だけでも七百万冊以上の書籍を所蔵する施設だ。閲覧室がジャンルごとに幾部屋も設けられている。目的の本を探すためには、階段を上がった廊下に設けられた検索機を使う。
シャラマンが検索機の検索バーに「宇宙航海記」と入力すると、すぐに書架番号が表示された。児童書と絵本ジャンル第二閲覧室C列だ。
マックスと二人で第二閲覧室に入る。すると意外や意外、児童書ジャンルにも関わらず、利用者の半数近くは大人だった。
「子どもより大人が多いな。子ども向けの本やで、ここ」
マックスも同じことを考えたようだ。
「そうだね。でも、子ども向けといっても、大人でも充分楽しめる本はたくさんあるよ。それに紙書籍の愛好家というのは、対象年齢に関係なく、紙の本を読めること自体を喜ぶものさ」
「物好きやなあ。俺にはようわからんわ」
マックスが怪訝そうに首を傾げ、シャラマンは苦笑した。
「さあ、C列の書架に行って、『宇宙航海記』を探そう。室内ではなるべく話さないようにね。話すときも声を小さく」
「わーっとるて」
閲覧室は、建物全体の造形にふさわしい、荘厳な設えだ。高い天井はドーム型で、壁には嵌め殺しの大きなアーチ窓が、燦々と外光を採り入れている。長い閲覧席は教会さながらに整然と並べられ、柔らかな明かりを灯すスタンドライトが、等間隔に設置されていた。
静かな空間だ。話し声は皆無ではないが、ほとんど聞こえない。靴音、ページをめくったときの紙の音、椅子を引く音、時おり控えめな咳。外から聞こえてくる車の走行音。
子どもの利用者でさえ、マナーを守って本を読んでいる。とはいえ、ここにいる子どもは、行儀を心得た年齢層の子たちだ。おとなしくしていられない幼い子は大抵、親が別室のキッズスペースへ連れて行く。
C列番号が振られた書架は、部屋の奥、隅の方に位置していた。作者名ごとにインデックスが設けられている。
「宇宙航海記」の作者カイン・ファタムの名が書かれたインデックスは、なかなか見つからなかった。本の作者は星の数ほど存在する。大陸中の出版物が集められる図書館とはいえ、知名度の低い本と作者を探すのは難しい。
ようやくシャラマンがその名を発見したのは、いくつもの書架を捜索した先、壁際の低い棚の、そのまた端の方だった。
「あった」
小さく声を上げる。
『カイン・ファタム』の名が記されたインデックスは、書架の片隅でひっそりと、シャラマンを待っていた。
「宇宙航海記」全五巻、たしかにそこにある。
シャラマンは五冊の本を棚から引き抜き、マックスとともに閲覧席へ移動した。長机を挟み、向かい合って座る。五冊の本を二人の真ん中に据えた。
「これ、全部読むんか?」
嫌そうに表情を歪めるマックスが、小声で言った。
「そうだよ。一冊ずつ手分けして読むんだ。流し読みでは見落としてしまうからね。気になる文章は、特に注意してほしい」
「かったるいわ~」
マックスは文句を呟きながらも、一番上の一冊、第一巻を手に取った。シャラマンは第二巻を手元に置く。一巻は読んだことがあるのでちょうどいい。
第二巻のサブタイトルは「星を渡る鎧騎士」。第一巻にも少し書かれている、首なし騎士を巡る物語だ。
トワイライト・ナイトメアの造形は、フェイトの記憶に刻まれた第二巻の内容が元になっている、と考えていいだろう。
(フェイト……、本の中にヒントがある。君はそう言っているんだね?)
もはや誰の手も届かない次元へ行ってしまった彼のことを思う。
父親が自分のために書いてくれた物語なのだと、嬉しそうに話していた。物語の主人公の名を、弟に付けるほど、彼にとって特別な本。
表紙を開くと、電子書籍では味わえない、年経た紙の匂いが鼻をかすめた。
そうしてシャラマンは、宇宙の冒険へと誘われていった。
身体が揺れて、シャラマンは我に返った。振り返ると、数冊の本を抱えた男性が、「失礼」と会釈して歩き去るところだった。シャラマンの背後を通り過ぎる際、椅子の背もたれにぶつかったのだろう。
現実に引き戻されたシャラマンは、気持ちを切り替えようと、頭を軽く振った。大事な調べもののために読んでいたはずが、いつの間にか物語の世界に没頭し、すっかり“ごく普通の読書好き”と化してしまっていた。
(カイン・ファタムの著書が、この「宇宙航海記」シリーズのみなのは惜しいことだな)
大人の読書好きをも唸らせる筆致だというのに、発行部数が少ないせいで、作者・作品名共に知名度が上がらなかったのは残念だ。
シャラマンは本を眺め、読んできた内容を思い返した。もう最終話に差しかかっているが、ここまでに〈ヴァノスとアテリアル〉に繋がりそうなシーンはなかった。
顔を上げ、向かいのマックスの様子を伺う。少年の振りをした賞金稼ぎは、真剣な眼差しで、食い入るように本に目を走らせていた。
あの目つきはよく知っている。本の魅力に気づき、のめり込んだ人間の、好奇心にあふれた目だ。
よく見れば、第一巻が無造作に脇に置かれている。第二巻はシャラマンの手にあるので、マックスが今読んでいるのは、第三巻だ。
シャラマンは思わず微笑んだ。はじめは面倒くさそうにしていたのに。読書の楽しさをマックスに理解してもらえたのが、なんだか嬉しかった。
第二巻の最終話を読み切ってしまおうと、シャラマンは視線をページに戻した。
その直後、足先を蹴られて、再度顔を上げた。
マックスがもの言いたげな目つきで、シャラマンを見ている。手元の第三巻を開いたまま、本の向きを変えてシャラマンへ差し出し、ある一ヶ所を指差した。
その行動の意味を察したシャラマンは、本を手元に引き寄せ、マックスが示したページに目を走らせた。
文章を追うにつれ、もしやという可能性が確信に変わっていく。心臓が早鐘を打ち、首筋は緊張で強張った。
表紙を確認する。「宇宙航海記」第三巻。タイトルは「終わりを告げる巨人」。
シャラマンが顔を上げると、マックスと目が合った。
――これだ。
二人は小さく頷き合い、同時に席を立った。本をすべて抱え、足早に所定の本棚へ向かう。
他の利用者があまり近寄って来ない、奥の壁際の書棚に、第三巻以外の四冊を戻した。
「よし、それじゃあ……」
シャラマンは極力声を落としたが、興奮で震えるのは抑えられなかった。
「私の利用者登録がまだ有効だといいんだが。なにせ最後にここで本を借りたのは、三十年くらい前のことだから。たしか期限などはなかった気がするけれど、三十年も経てば利用規約が変わることも考え……」
「いやええてそんなん、かまへんから」
マックスは面倒くさそうに言いながら、シャラマンの手から本を取り上げた。裏表紙を開いて、素早く周囲を確認すると、デニムパンツのポケットから携帯端末取り出し、カメラレンズを本にかざした。
何をしているのだろう、とシャラマンが不思議そうに見守る中、マックスは片手で端末を操作し、本に這わせるように動かす。
端末をポケットに戻したマックスの手には、代わりに小さなナイフが握られていた。
シャラマンの脳裏に嫌な予感がちらついた矢先、マックスがナイフの刃先を本に突き立て、容赦なく切り裂き始めた。
「な、何やってるんだ!」
「声でかいて。ええから見張っとけ」
慌てるシャラマンをよそに、マックスは平然と表紙を破り、中から粒のようなものを取り出した。人の指先に乗るほどの、小さな金属片だ。それが何なのか、シャラマンはすぐに察した。図書館の蔵書に埋め込まれる管理チップである。
さきほどの端末を用いたおかしな作業は、このチップの存在を確認するためだったようだ。賞金稼ぎが持つ端末には、そういう機能も必須なのだろうか。
シャラマンが呆然としている間に、マックスは管理チップを本棚の奥に隠し、チップを抜き取った本をシャラマンのバッグにしまい込んだ。
「え? え? ちょっと、まさか」
「よっしゃ、ほなさっさと出るで」
マックスはシャラマンの腕をとり、引きずるようにして歩き出した。閲覧室をあとにし、脇目もふらず廊下を進む。
シャラマンは気が気ではなかった。バッグの中には、図書館所蔵の本が入っている。これはれっきとした窃盗だ。誰かに見られてはいないか。監視カメラに映ってはいないか。ああ、職員と目が合った。怪しまれたかもしれない。
「キョロキョロすんなやおっさん、怪しんでくれ言うてるようなもんやぞ。堂々とせえ」
マックスは落ち着いた足取りでエントランスに向かっている。小柄な彼だが、修羅場をくぐり抜けてきた裏稼業者にふさわしい腕力で、自分より背の高いシャラマンを苦もなく引っ張っていく。
「ど、堂々となんて……。ペンの一本すら万引きしたこともないんだよ私は」
「せやろな。背筋伸ばせ、外に出るで」
抵抗する暇もなく、シャラマンは図書館の外に連れ出された。管理チップを抜き取っているので、出入り口の警報は鳴らなかった。警備員には止められなかったが、またしても目が合った気がして、シャラマンは引き攣った微笑みを向けた。
マックスに腕を掴まれたまま、図書館裏手の駐車場へ足早に進む。
無事に外へ出られても、シャラマンは安心できなかった。図書館職員と警備員が追いかけてくるような気がして、何度もうしろを振り返る。
「なにも盗む必要はなかったんじゃないか? ちゃんと手続きどおりに借りておけば、うしろめたいこともなかったろうに」
「アホか。この先のん気に返しに来られるとでも思てんのか? いつ返せるかわかれへん上に、本一冊丸々重要なこと書いとるかもしれへんねんぞ。せやったら、こうするしかあらへんやんけ」
それは、一理ある気がするけれど。
シャラマンはまだ抗議しようと口を開いたのだが、
「腹あ括れや。あんたが相手しとんのは、中途半端に常識守って立ち向かえるような連中とちゃうやろ」
喉から出かかっていた言葉を飲み込んだ。〈VERITE〉や〈政府〉に狙われている自分より、マックスの方が――おそらくディーノも――よほど事態の重さを理解している。
ディーノは車を駐車場の奥側、観光バスの陰になる位置に停めたはずだ。近づくにつれ、車体のボンネットが見えてきた。
運転席に座るディーノが、シャラマンとマックスに気づいた。すぐさまエンジンがかかる。二人は車に駆け寄り、急いで乗り込んだ。
「おかえり。収穫あった?」
ディーノが、まるで買い物から戻ってきたかのように尋ねる。後部座席のサイファーは何も言わない。
ディーノに答えようとシャラマンが口を開いたとき、背後から「あそこだ!」
という声が聞こえた。
振り返ると、駐車場の入り口に警備員と図書館職員が複数人、こちらを指差しながら走ってくる。
「まずい、気づかれた!」
血の気が引くシャラマンだが、マックスは落ち着き払っていた。
「おっさんの態度が怪しかったんとちゃうか。ノンちゃん、行こや」
「はいはい」
助手席に乗ったマックスに促されたディーノは、警備員や図書館職員たちが追いかけてくる理由を聞きもせず、車を発進させた。
駐車場の出入り口は一つしかない。こちらに走ってくる追手に向かって行くことになるが、ディーノは危なげなく彼らを回避。追手らもまた轢かれぬよう、蜘蛛の子を散らすように逃げた。
図書館を脱し、ほどなくしてパトカーとの鬼ごっこが始まる。もうカーチェイスは映画だけで充分だと、シャラマンはつくづく思うのだった。




