TRACK‐4 埋火(うずみび)5
秋の月が、闇色の海に朧な明かりを注いでいる。
凪の海面に城塞の如く浮かぶ、海上基地艦〈ヴィスキオン〉のメンテナンスルームには、中枢の面々が集まっていた。
ここはマキニアンのメンテナンスを行う部屋だが、マキニアン専用の医務室でもある。部屋の中央に置かれたカプセル型のメンテナンスポッドの周りには、様々な機器やコンピューターが設置されており、専門のスタッフたちが忙しなく操作していた。
メンテナンスの指揮を執るのはシュナイデルだ。白衣ならぬ赤衣のポケットに両手を突っ込み、ふくれっ面でポッドとコンピューター画面に目を走らせている。
その様子を、ガラス窓を隔てた前室から、マキニアンたちが見ていた。
メンテナンスポッドの中で眠っているのはラグナだ。ベネット議員誘拐をルミナスに阻まれ、〈レーヴァティン〉の片翼を破壊された彼は、回収後ただちにメンテナンスルームに運ばれ、ポッドに収容された。
それから数時間経過しているが、まだ回復には至らない。シュナイデルによると、出撃可能な状態になるまで、最低でも二十四時間は必要だという。
シュナイデルはラグナの状態を診るなり、
「あの脳筋サムライ! 余計な仕事増やしてくれたわね! こっちに下ったら全裸にひん剥いてすごいことしてやる!」
と叫び、その後もしばらく口汚く罵った。
ソニンフィルドは、本営の武将のような佇まいで、メンテナンスポッドの近くを陣取っている。シュナイデルの金切り声を意に介さず、ポッド内のラグナを観察していた。
「細胞装置不使用でラグナ君戦闘不能にしちゃうなんて、さすがルミナス君だよねえ。絶対戦いたくないなあ」
ウラヌスが苦笑しながら、呑気なことを言った。聞きとがめたシーザーホークが、ぎろりと彼を睨む。
「何を悠長に言っている馬鹿者、敵を褒めるな! 貴様には矜持というものがないのか!」
「あるにはあるよ。君とはちょっと質が違うってだけ。だってさあ、この僕がだよ? 好きこのんで怪物級と戦いたいと望むなんて、君、本気で考えてる?」
「一ミリも考えていない」
「即答すぎない?」
「虚勢を張る意地くらい見せてみろ」
「僕が臆病なの、知ってるでしょ」
「鉄壁の防御力を持つ者が、何を情けないことを」
シーザーホークが顔をしかめると、ウラヌスはゆるく笑った。
「〈フレスベルグ〉って、つくづく僕に似合いのスペックだと思わない?」
「元コソ泥には過ぎたスペックだと思っていたが、よく使いこなせるようになったものだとは認めてやろう」
「コソ泥はひどい。〈盗賊〉って言ってよ」
シーザーホークの辛辣さに慣れているウラヌスは、適当に受け流した。少し表情を引き締め、別の話題を振る。
「ルミナス君、元気そうだったね」
「マキニアンに体調不良などあるものか」
シーザーホークは早口で吐き捨てるように返した。
「そういう意味じゃないってわかってるでしょ」
「裏切者がどうだろうと知ったことではない」
「対決は避けられないよ。〈細胞装置〉使われたら、僕ら全員でかかって、やっと抑えられるかどうかなんだから」
「剣の腕なら私の方が上だ」
「でも君、演習では負け越してたよね」
「さっきからどっちの味方なんだお前は!」
友人同士でもあるマキニアン第一世代の、緊張感があるのかないのかわからない会話が交わされる。
その二人から数歩程度離れたところでは、ベゴウィック、パーセフォン、そして副官のジークヴェルヌが並んでいた。
「妹さんには、このことを話したの? ラグナの負傷を」
胸の下あたりで両腕を組むパーセフォンが、ジークに尋ねた。副官は忌々しそうに鼻を鳴らす。
「なぜ話さなければならない? あいつと妹は無関係だ。知る必要はない」
「今、どうしてるの?」
「部屋でおとなしくしているさ」
「あまり食事に手をつけていないわ。心配事があると食欲に影響するのは兄妹一緒ね」
「食べるようには言っているが、誰に似たのか、妙なところで頑固なんだ」
繋ぎ服のポケットに両手を入れているベゴウィックが、嘲笑めいた短い笑い声を上げた。
「普通の生活送ってたのに、死んだと思ってた兄貴にいきなり拉致られて、一日中閉じ込められてるうえに、彼氏とも会わせてもらえないんじゃ、反抗的になってもしょうがねえだろ」
ジークはベゴウィックの言葉に敏感に反応し、きつく睨んだ。
「おぞましいことを言うな! 俺の妹とあれは、何の関係もない!」
「どう見たって付き合ってんのに、何がなんでも認めねえつもりだな。おいパーセフォン、副官殿は自分の妹がマキニアンと付き合うのは嫌だが、マキニアンの女を抱くのは好きらしいぜ」
ベゴウィックがパーセフォンを横目で見て、下卑た笑みを口元に浮かべた。パーセフォンは彼に白い目を向けると、厚みのある胸板を思い切り叩いた。
下品な冷やかしを口にしたベゴウィックだが、それ以上は掘り下げなかった。代わりに、疑わしげな顔つきでジークを見やる。
「真面目な話、お前、妹をどうする気だ? まさか〈キボトス〉にまで連れて行く気じゃねえだろうな」
「当然、連れて行くに決まっている。アルは俺の側に置いておく」
「やめとけよ。裏稼業者とは関わってたんだろうが、一般人に違いはねえだろ。家に帰してやれ」
「君にとやかく言われる筋合いはない。これは俺たち兄妹の問題だ」
「お前一人の問題、だろ。自分の都合だけで、妹の人生めちゃくちゃにしようとしてるじゃねえか」
ジークが、先ほどよりも鋭い睨みを、ベゴウィックに投げつける。
「アルを守るためには、こうするしかなかった。これから起こることを知りながら、たった一人の妹を放り出せと言うのか」
「そういう考え方がエゴだっつってんだよ。妹のことなんざ一つも考えてねえ。全部自分のためだろうが!」
「ずいぶんと優しいじゃないか、ベゴウィック。そんなに妹のことを思いやってくれていたとはね」
嘲りを帯びた笑みで口元を歪めるジーク。対してベゴウィックは、抗議するような目つきで副官を見返した。
「めそめそ泣いてる一般人がアジトにいるのが鬱陶しいんだよ。ここにいたって何も出来やしねえだろうが。妹を守るとかなんとか体のいいこと言ってるが、ただ罪悪感から逃げたいだけだろ」
「ベゴウィック、もうやめて」
パーセフォンが二人の間に割って入る。口論に気づいたシーザーホークとウラヌスも、三人の方に顔を向けた。
ベゴウィックもジークも互いに退かない。ジークの相手を見る目つきに、一層の蔑みが込められた。
「体がよかろうがエゴだろうが、どうとでも言えばいい。アルを守れるなら憎まれても構わないさ。たった一人の肉親なんだ、どんな手段でも使ってやる。守れなかった君と一緒にするな」
空気が瞬時にして凍りつく。ジークの放った言葉が、ベゴウィックの逆鱗に触れたと、その場の全員が察した。
「……んだとテメエ!」
激昂したベゴウィックが、琥珀色の瞳に憤怒をたぎらせ、ジークに掴みかかった。ウラヌスが慌てて駆け寄り、ベゴウィックを羽交い絞めにして抑え込む。パーセフォンはジークを押しやり、双方の距離をとった。
「二人とも、いい加減にして! ジーク、今のは失言よ」
パーセフォンに睨まれ、ジークは口を閉じた。
しかしベゴウィックの方は怒りが収まらず、歯を剥き出しにして、今にもジークに飛びかかりそうだった。そのたびにウラヌスが「ベゴ君、抑えて」と必死で止める。
ベゴウィックが暴れて身をよじると、開いた繋ぎの襟元から、ボールチェーンがこぼれ出る。そこには二枚の認識票が提げられていた。
鈍い銀色の表面に刻まれた文字は小さくて、近づいて見なければ読めない。
戸籍上死亡していることになっているマキニアンには、ドッグタグは作られない。しかし、通常の部隊に所属していた兵士からマキニアンになった者は、そのままタグを所持していることが多かった。
ベゴウィックが肌身離さず身につけているタグ。一枚は彼自身のものだ。もう一枚には、一体誰の名前と識別情報が記されているのか。ここにいる全員、それを知っていた。
鼻息荒く、肩で息をしていたベゴウィックは、ウラヌスの腕を乱暴に振り払い、大股で出入り口に向かった。通り過ぎ様、ジークを憎々しげに睨み、前室を出て行った。
静けさが戻った途端、今度はシーザーホークが苛々した大声を上げた。
「まったく、ここは新人養成所が何かか? 青臭い口論など聞くに堪えん! もっと態度をわきまえるべきだろう!」
生徒会長か役員のごとく、一人ひとりを指差してそう言い、シーザーホークも退出した。
間を置かず、ウラヌス、ジーク、パーセフォンが部屋をあとにする。
室内がにわかに閑散とする。壁際の長椅子に座るエブニゼルだけが残った。
エブニゼルはずっと、息を潜めるように座り続け、部屋の中のみんなのやりとりを黙って見守っていた。
ベゴウィックたちはエブニゼルがそこにいること知っていたが、一人でいる方が気楽な性格もわかっていたので、無理に話を振ろうとしなかっただけだ。
その気遣いはありがたかったが、ベゴウィックがジークの言葉に怒気を発し、あわや一触即発という状況になったときは、さすがに立ち上がりかけた。
とはいえ、自分などでは諍いを止められないだろうし、割って入るには勇気がいったので、ぐずぐずと立ったり座ったりを繰り返していた。
そうこうしているうちに、ウラヌスとパーセフォンが仲裁に入ってくれたおかげで事なきを得た、という顛末だ。
はあ、と陰気なため息をつく。化け物と戦う力を持っていようと、生来の意気地のなさはどうにもならない。〈細胞置換技術〉で変えられるのは肉体だけだ。
任務中なら「泰然自若な自分」を演じられる。感情を押し殺し、やるべき仕事に集中していれば、余計なことを考えずに済む。
険悪な雰囲気は嫌いだ。昔を思い出して息苦しくなる。もう怯える必要はないのに、怒鳴り声や理不尽な暴力がふるわれる音を聞くと、身がすくんでしまう。
どうしてこんな自分がマキニアンに選ばれたのかと、今でもつくづく思う。
扱いの難しいスペック〈サトゥルヌス〉の適合者が他におらず、自分しかいないと言われたから、受け入れるしかなかった。
自分でなければできないことがこの世にあるなど、考えたことすらなかった。
けれどマキニアンになったメリットもある。
それまでの、奴隷同然のゴミためのような暮らしから抜け出せたことだ。あの頃に比べれば、今はずいぶんましだと言える。世界に反旗を翻す組織に属しているとしても。
皆、表社会では無価値だったエブニゼルを尊重し、仲間として受け入れてくれた。居場所を与えてくれたのだ。
しかしながら、不平がまったくないわけではない。
目下の不満は、ベゴウィックと同じだ。ジークヴェルヌの妹アルフォンセの処遇である。
〈ヴィスキオン〉に連れて来られたときの、彼女の様子を思い出すと、胸が痛んだ。まるで猛獣の檻に放り込まれた子羊のように怯えていた。
穏やかな生活を送っていたのに、突然こんな外洋の城塞まで連行され、わけもわからないまま軟禁状態にされてしまった、副官の妹。
(かわいそうに……)
彼女には何の落ち度もない。こんなことになるなら、実兄は死んだと思い込んだまま、何も知らずに生きていった方がよかったのではないだろうか。
自分を誘拐させ、閉じ込めている張本人が兄なのだから、同情もしたくなる。
ベゴウィックはあえて乱暴な言葉で表したが、彼もまた、アルフォンセの現状を憐れんでいるのだ。
パーセフォンも、口には出さないが、アルフォンセを気にかけている。
ウラヌスはどうだろう。飄々としていて、腹の中がわからない。可愛い女性が近くにいることには喜んでいるかもしれないが。
シーザーホークに至っては、完全に無関心で眼中にないらしい。
(本当にこのまま、〈キボトス〉まで連れて行くんだろうか)
ジークなら、そうするだろう。兄が、世界を壊すさまを見せつけることになろうとも、妹を側に置くと決めたのだ。その意思は揺るぎない。
エブニゼルは長椅子から立ち上がり、ガラス窓に歩み寄った。
メンテナンスルームでは依然、ラグナ・ラルスの整備調整が行われている。シュナイデルが引き続き陣頭指揮を執っているが、ソニンフィルドの姿はなかった。いつのまにか、メンテナンスルーム側の出入口から退出したようだ。
ポッドに視線を移す。内部まではよく見えないが、仰向けに横たわるシルエットは確認できた。
(なんであのとき、オレを見たんだろう)
ソニンフィルドに付き従い、メンバーのもとを訪れたとき。誰のことも目に止めなかったラグナが、一瞬だけ、エブニゼルを見た。
無表情のようでいて、その目には好奇の色があったように思える。ラグナが興味を持つような要素など、何一つないだろうに。
ふと、何かの気配を感じた。はっとして前室をぐるりと見回す。
誰もいないし、誰も入室していない。エブニゼルだけだ。
ガラス越しに、メンテナンスルームの機械音が聞こえる。
誰もいない。でも、何かはいる。
エブニゼルは気配のもとを探るため、部屋の隅からゆっくりと視線を移動させた。
向かって左側の壁際まできたとき、目の動きを止めた。
いるなら、そこだ。
エブニゼルの心臓が、緊張で早鐘を打つ。視えない何かに向かって右手を伸ばし、徐々に壁まで歩み寄る。
気配が強くなった気がした。
そのとき、出入り口の自動ドアが開いた。外の廊下にパーセフォンが立っている。
傍目には、壁に向かって手を伸ばすという妙なポーズをとっているようにしか見えないエブニゼルに対し、パーセフォンは怪訝そうに首を傾げた。
「ゼル、何をしてるの?」
「あ、え……えっと……」
視えない何かの気配の元を探っている、などと言えない。
「そ、そっちは? なんで戻ってきたんだ?」
「あなた、うしろからついてきてると思ってたのに、いなかったから。まだここにいるつもり?」
「いや、……行くよ、一緒に」
エブニゼルは手を引っ込め、足早に出入口へ向かう。パーセフォンはエブニゼルの行動について、それ以上の追究はしなかった。
前室を出る間際、エブニゼルはもう一度室内を見渡した。やはり何もいない。
気配も消えていた。




