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TRACK‐4 埋火(うずみび)4

 黄昏時は足早に過ぎ、街に紺色の闇が降りてくる。

 夜の冷え込みは日ごと厳しくなっていくが、通りの活気は昼間にも劣らない。

 極彩色のネオンや街灯に彩られた街並みは、ここに住まう人々の息遣いを反映しているように見える。

〈パープルヘイズ〉を飛び出したロゼットと、彼女を追いかけたユイは、しばらくあてもなく歩き続けた。

 自宅アパートにも帰る気になれなかったロゼットの足は、自然とグリーンベイに向かっていた。

 歩く間、ユイは黙ってうしろからついてくるだけだった。普段は鬱陶しくなるくらい元気で、物事に前のめりなユイである。しかし今は控えめに、余計な言葉をかけず、静々と歩いている。

 ロゼットの心境を慮ってくれているのだろう。ユイにいらぬ気遣いをさせてしまっていることに、ロゼットは恥じ入った。

 あんなふうに感情を、あられもなくさらけ出して。子どもみたいにわめいて。

 みっともない真似をしてしまった。ぜんぜん自分らしくない。でも――、

 吐き出した言葉は、すべて本心だ。

 ひゅう、と音をたてて色なき風が吹き過ぎる。数枚の落ち葉が、かさかさと小さなささやきを残して、ロゼットの足元を駆けていった。

 思い出したように寒さを感じ、ぶるっと震える。

 ユイが大股で近づいてきて、ロゼットの顔を覗き込んだ。すぐ近くの建物を指差している。

「中に入ろう。マキニアンはあんまり風邪ひくことないけど、寒さに強いってわけじゃないんだからさ」

 ユイが示しているのは、二人の行きつけのハンバーガーチェーン店〈バロンズバーガー〉だった。

「ね、行こう」

 ロゼットの手を引いて、ユイが店内へ誘う。中へ入る、と答えなかったロゼットだが、手を振り払うことはしなかった。


 店内は、十代二十代くらいの若い客でにぎわっていた。どの席でも、ハンバーガーやフライドポテト、ドリンクを片手に、和気藹々とおしゃべりに興じている。

 ロゼットとユイは、そんな喧騒から少し離れた、窓際のカウンター席についた。

 ユイは大好物のポテマヨバーガーを控え、オレンジジュースだけを注文した。ロゼットはホットチョコレートにした。

 並んで座り、しばらく黙ったまま、ガラス越しの往来を眺める。

 早足で通り過ぎていく人たち。彼らは知っているのだろうか。今日、セルマン派の政治家が、またひとり誘拐未遂に遭ったということを。その事件が、これから世界にどんな影響を与えるのかということを。

 ニュースになったとしても、大して気にかけていないかもしれない。大統領でもない政治家の二人や三人、いなくなったところで生活に変化が起こるわけでなし。大半の人は、そう考える。

 マキニアンでなければ、自分もきっと興味を持たなかっただろう、とロゼットは思った。そんなものなのだ、人間というのは。よほどの理由がない限り、自分の人生に影響のない事柄には注意を払わない。

「ごめんね」

 ぽつりと漏らされた謝罪で、ロゼットの意識は、街の景色から右隣のユイに向かった。

 ユイはテーブルの上で両腕を組み、オレンジジュースのカップを見つめている。

「ロージーがあんなふうに思ってるなんで、考えたこともなかった。ボクやニッキーと一緒にメメントと戦ってるとき、いつも辛かったの?」

「謝らないでよ……」

 ロゼットはホットチョコレートのカップを、両手で包み込んだ。中を満たす甘くてとろっとしたチョコレートが、じわりと指先を温めてくれる。

「ニッキーも言ってけど、ボクも同じ気持ちだからね。ロージーを弱いなんて思ったことなんかない。いつも助けてくれるじゃないか」

「でも私は前に立てない」

 後方支援特化では、誰の防壁役にもなれはしない。百発百中の光の矢を放てようとも、敵感知能力が高かろうとも、この身は仲間から離れた場所で守られているのだ。

「ロージー。後方支援が現場でどんなに重要な役回りになるか、ニッキーから充分教わってきたじゃないか。ロージーの援護のおかげで、これまで何度もピンチを乗り越えられたんだよ? どうして、まるで自分が役に立ってないみたいなこと言うのさ」

「援護なら誰だってできる。私には援護しか(・・)できない。あんたやニッキーの盾にはなれないの。誰の背中も守れないの。いつも誰かに守られながら、遠くから撃つだけよ」

 瞼が熱くなる。ロゼットは、また溢れそうになる涙を、どうにかこらえた。

「それでなくても、そもそも私のスペックは攻撃力が低いのよ。一人で倒せるメメントなんてたかが知れてるわ。この先もっと強い敵が待ち構えているに違いないのに、一人では戦えないなんて」

「ロージー……」

 ユイが黙り込んでしまった。ロゼットの頑なな言葉に、どう返せばいいのかわからなかったのだろう。

 ユイやドミニクが、ロゼットを足手まといだなどと考えていないことは、よくわかっていた。彼女たちは、充分にロゼットを必要としてくれている。

 ロゼットを足手まといだと見なしているのは、ロゼット自身だ。

 ドミニク、ユイ、ロゼット。戦いのとき、まず前に出るのは、攻撃力の最も高いドミニクだ。〈処刑人(ブロウズ)〉のメンバーの中にあって、最前線に立つ実力を持つドミニクは、仲間の拳にも盾にもなれる。

 次いでユイ。彼女は(はや)い。攻撃力こそ高くないものの、俊敏さと手数の多さで敵の群れを攪乱する。

 ロゼットは、二人のうしろで〈ヴィジャヤ〉の光の矢(グリムシュート)を放つ。二人が仕留め損なったメメントにとどめを差し、二人の視野外から襲おうとする敵を撃ち、感知能力で敵の位置を知らせる。

 たしかに、サポートはできているかもしれない。けれどロゼットは、ドミニクやユイと並び立って戦いたかった。

 いつも、二人ばかりが敵の牙に晒される姿を、うしろから見ているしかない。駆け寄って助太刀したくても、非力な自分にできることは多くなかった。

 離れて守られながら戦うのではなく、側で守りながら戦いたかった。

 二人と対等でありたかった。

 エヴァンとレジーニみたいに。

「ボクもニッキーも、ロージーに盾になってほしいなんて思ってないよ」

 それではだめなのだ。

 矢では防げない。

 今の自分に何ができるのか、ロゼットにはわからなくなっていた。


         *


 ルミナスは考えあぐねた。目の前のものをどうするべきか。

 白いリーフ型ボウルに盛られた鶏肉とキャベツの炒めパスタが、そこにあった。あたたかそうな湯気をくゆらせ、“さあ食え”と言わんばかりに、食欲をそそる香りで鼻を撫でてくる。

「あの、これは」

 ルミナスは戸惑いつつ、この旨そうなパスタを作った男の顔を見た。

 熊のような風貌の男――ヴォルフと呼ばれていたか――は、カウンターの向こうでコーヒーを飲んでいたが、ルミナスの視線に気づき、太い眉を片方つり上げた。

「ん? なんだ、こういうのは好きじゃねェか? やっぱり東方料理がよかったか。しかし俺ァ、あっちの料理は作ったことがねェからなあ」

「いえ、そうではなく」

「米でもありゃよかったんだが、あいにく切らしててな。ライス料理はたまにしかやらねェんだ。まあ、あり合わせのモンで作ったやつだが、勘弁してくれや」

 あり合わせで作ったにしては上等だろう。

 たしかに郷里の食べ物があれば嬉しいが、大陸(ファンテーレ)の料理にも好物はある。だが今の自分には、こんなもてなしを受ける資格はない。いくらドミニクの知己とはいえ、初対面の馬の骨に過ぎないのだから。 

 レジーニが〈パープルヘイズ〉を辞した、少しあと。外に飛び出していったロゼットと、彼女を追いかけていったユイが心配だと、ドミニクも店を去った。

 そのあとすぐヴォルフは、早々に〈パープルヘイズ〉を閉店した。

 ルミナスはひとり残されたわけだが、顔見知りがいないのに長居は無用。出て行こうとしたところで、ヴォルフに引き留められた。

 ちょっとそこで待ってろ、と言い残し、店主は厨房の方へ姿を消した。どうにも逆らえず、おとなしく待つ。しばらくしてヴォルフが戻り、パスタが盛られた皿を、フォークと共にルミナスの前に置いたのだった。 

 ヴォルフはわざわざ「食え」とは言わなかった。食事を出されたら食べるのが当然だ、と態度で主張している。

 しかしルミナスは、この据え膳をどうしたらいいか迷い、まだ手を付けられずにいる。

「そんな一生懸命見たって、毒なんざ入っちゃいねェよ」

 ヴォルフは、やや呆れているようだ。

「冷めちまうぞ、食いな」

「しかし、ですね。(やつがれ)は」

「腹減ってんだろ」

 正直に言えば、減っている。

「腹減ってる奴ァ、顔見りゃわかる」

 ふっと軽く笑い、ヴォルフはコーヒーを一口飲んだ。

「ここは飯屋だ。飯屋じゃ飯を食うもんだ。まずは食え。腹減ってるときに、頭抱えるような話はするもんじゃねェ」

 ルミナスは改めて、ヴォルフを見た。髭に覆われたがっしりした顎、丸太のような腕、押してもびくともしないであろう体躯。そして眼差し。

 彼が堅気の人間ではないことは、一目見てわかった。一般客向けの飲食店の店主ではあるが、同時に、一般向けではない方面とも繋がりを持っている。醸し出す雰囲気には、歴戦の兵士にも似た覇気が滲んでいた。

 だが、邪な気配は感じない。あらゆる方面から社会を見つめ、修羅場をくぐり抜け、世の光と闇を知った先に到達した静けさが、ヴォルフにはある。

 彼もまた多くを得て、多くを失ったのだろう。

 ルミナスは居住まいを正し、パスタに向かって両手を合わせた。

「いただきます」

 フォークを手に取り、パスタを巻きつけ、口に含む。

 シンプルな、コンソメと塩コショウの味付け。全身にじわりと、旨味が広がっていくようだった。



 心づくしのパスタを平らげると、ヴォルフは今度は、ビールのグラスを持ってきた。二人分だ。

 ここまできたら、もう遠慮はできない。ありがたく頂戴することにした。

 ビールを飲み干す間、ヴォルフはエヴァンとの関係を話してくれた。

 今のエヴァンはこの〈パープルヘイズ〉の従業員兼、裏稼業者(バックワーカー)異法者(ペイガン)〉であり、その生活を世話したのがヴォルフだという。

 凍結睡眠装置が〈墓荒らし〉によって掘り起こされ、ヴォルフの手に渡り、知人の大学教授が解凍したことで、エヴァンは目覚めた。

 ヴォルフは成り行きで、記憶の一部が欠けて行く当てもないエヴァンの身許引受人となり、表と裏、両方の仕事を与えた。

 コンビを組むことになるレジーニと引き合わせたのも、ヴォルフだった。

 サイファー・キドナの事件。シェド=ラザの襲来。〈VERITE〉との因縁が始まった、人語を解するメメントを巡る一連の出来事。

 ヴォルフの口からは、驚くべき事実が次々と語られた。

〈パンデミック〉のさなかに行方不明になったと思われた凍結睡眠装置が、よもや裏稼業者の手で発見されるとは、ルミナスも予想していなかった。

 だがもっと想定外だったのは、エヴァンが記憶の一部を失っている、という点である。

 これまでの話を聞く限り、凍結睡眠から覚醒したそのときすでに、エヴァンは元の人格に戻っていたようだ。

 ラグナ・ラルスとして人格矯正された状態で凍結睡眠にされたはずなので、ラグナのままで目覚めるのだろう、とルミナスは考えていた。覚醒時に何らかの作用が働いたのか、眠っている間に人格矯正が解けたのか。

 それとも――、


(フェイトが何かしたのか……?)


 エヴァンがラグナ・ラルスに人格矯正されたとき、ルミナスは絶望に打ちひしがれるアンドリュー・シャラマンを、フェイトのもとへ連れて行った。

 

 ――まだ希望はあるよ、アンディ。あの子は、眠っているだけだから。


 ――でも、長く放っておくのはよくない。いつか限界が来るはず。


 ――なんとかしてみる。


 フェイトは、シャラマンとルミナスにそう言った。


 果たしてフェイトはどこまで読んでいたのか。エヴァンが自分のことまで忘れてしまう可能性を、予測していただろうか。

 フェイトは、人類とは一線を画する存在だ。ルミナスには考えも及ばない事態まで見通していたかもしれない。今となっては、真意を問うことはできないが。

 反対に、さもあらんと胸中で頷いたのは、シェド=ラザの復活だ。

 ラグナによって粛清廃棄されたシェドだが、あれで片がついたとはルミナスには思えなかった。エヴァンが重傷を負いながらも退けたというが、いずれまた姿を現すだろう。

 ラグナとシェド。もし両者が衝突したなら。考えただけでも陰鬱だ。

 そしてもう一点重要なのが、シャラマンがエヴァンの前に姿を見せた、ということだ。

 シャラマンは、今どこで何をしているのだろう。〈パンデミック〉を生き延びてくれたのは喜ばしいが、それならば彼も、〈VERITE〉から身柄を狙われる立場にあるはずだ。

 彼の頭脳と、彼の持つ〈細胞置換技術(イブリディエンス)〉の知識は、ソニンフィルドにとって喉から手が出るほど欲しい才能だろう。

 シャラマンは戦闘訓練など受けていない科学者だ。もし一人きりで行動しているなら、いつ〈VERITE〉に連れ去られてもおかしくない。

 彼もそのあたりは承知していて、ボディガードを雇うなり何なり、対策はとっているかもしれないが。

 こん、と音を立てて、ヴォルフがビールのグラスをテーブルに置いた。泡まできれいに飲み干している。

「さてと、俺が話せるのはこのくらいだな。ここで起きたことは、だいたいわかったか?」

「ええ。お話聞かせていただき、ありがとうございやす」

 ルミナスもグラスを置く。ヴォルフは二つのグラスを持って、椅子から立ち上がった。

「それじゃ、あとはレジーニと話しな。俺もお前さんに聞きてェことがいろいろとあるが、レジーニが先だ。エヴァンと背中預け合ってンのは、あいつだからな」

 ルミナスの脳裏に、眼鏡の奥の、氷の眼差しが蘇る。ルミナスを簡単には信用してくれそうにもない、あの頑なな、しかし揺るぎない信念と責任感を湛えた碧眼。

 ルミナスが隠そうとしていた迷いを見抜いた目。

 その迷いのせいで、覚悟の中途半端さが滲み、鋭く察したレジーニに叱責されたのは当然の結果だ。自分でも情けないと思う。

「あいつ顔がいい分、キレると迫力あるだろう?」

 ヴォルフがにやりと笑った。たしかに、死地をくぐり抜けてきた元軍属が押されるだけの圧はあった。

「ああ見えて気が短けェし、それだけ必死なのさ。自分で気づいてるかどうかわからねェが、ありゃ相当()()()()やがる」

 言いながらヴォルフは、二つのグラスとパスタボウルを奥の厨房へ持っていく。片づけを手伝おうとついていったが、やんわり断られた。 

「お前さん、自分(てめェ)のやるべきことはわかってそうだ。が、まだ何かに迷ってて歯切れが悪い。レジーニはそれに気づいたようだが、迷ってる中身までは察してねェかもな」

 食器を洗う手を止めず、ヴォルフが目だけをルミナスに向けて、意味ありげに笑った。

「女か」

「……え?」

「女だな」

「い、いや」

 そんなにわかりやすく顔に出ていたのだろうか。平静さを保とうと努めていたルミナスだが、人生経験豊富な裏稼業者の前では無駄な努力だった。ヴォルフは豪快な笑い声を上げ、洗い終えた食器類を乾燥機に入れてスイッチを押した。

「人間臭くていいじゃねェか。気に入ったぜ。昔お前さんみてェに、生真面目すぎたせいで似たような迷いを抱えてた奴が、一人いてな。まあ、紆余曲折あったが、うまいこと元サヤに戻って、今じゃ娘がいる」

 シェフエプロンを腰から外した店主は、簡単にたたんで入口近くのテーブルに置く。壁のフックに掛かったボア裏地のレザージャケットをはおりながら、言葉を続けた。

「要するによ、簡単な話だ。捨てたくねェもんは捨てるなってこった。どれかひとつを選ばなけりゃならねェ場面ってのは、生きてりゃ何度でも出くわすもんだ。だが、どれも選べるってこともある。お前さんはどうだ? どっちも選びたいが、堅物すぎてそれじゃ不義理だ、なんて考えちゃいねえか?」

 大勢の客を相手にする飲食店の経営者というのは、顔を見るだけで腹の中を読めるものなのだろうか。

 何か言わねばとルミナスは口を開きかける。しかしヴォルフは、ルミナスの肩にどすんと手を置き、二、三度軽く叩いて厨房を出る。

「おおかた、答えは出かかってンだろ。一晩ゆっくり考えな」

「旦那さん、(やつがれ)は……」

「行くとこねェだろうから、奥の部屋使え。戸締りだけしといてくれ」

 ヴォルフが無造作に鍵を放る。ルミナスは戸惑いつつも、それを空中で掴んだ。食事をごちそうしてくれたうえ、今夜の寝床まで貸してくれるという。ありがたい限りだが、これ以上厚意に甘えるのは気が引けた。

 しかしヴォルフは、ルミナスが遠慮しようとするのを無視し、すたすたと出入り口まで歩いていく。

「明日は、俺が来るまで待っててくれりゃ、朝飯作ってやる。そんで、一泊二食の礼をしてくれるってんなら」

 ヴォルフはドアの手前で足を止め、ルミナスを振り返ると、

「あいつらのこと、頼むわ」

 そう言い残して、秋夜の風の中へ出て行った。

 ひとり残されたルミナスは、閉じられたドアをしばし見つめた。

 穏やかな静けさの中、この店で交わされた言葉、自分に投げかけられた言葉を、ひとつひとつ思い浮かべる。

 やるべきことはわかっていた。

 すべて己次第だ。

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