TRACK‐4 埋火(うずみび)3
〈VERITE〉の女科学者クロエ・シュナイデルが産み出した、おぞましい生物兵器フェイカー。素体はメメントで、マキニアンの細胞装置を模倣した機能が搭載されているのだ。すなわち、肉体が武器に変形するのである。
ドミニクがフェイカーの説明をすると、ヴォルフは忌々しげに、ふんと鼻を鳴らし、ルミナスは呆れたように首を振った。
「あの人は……いつか何か、とんでもねえことをやらかすんじゃねえかと思ってはいたが、やってくれたな」
「だが、フェイカーがアンソンに出現したというのは、どういうことだ?」
レジーニは顎に片手を当て、記憶をたどった。
レジーニたちの前にフェイカーが現れたのは、オツベルとリカを巡る事件のさなか――十月に入った頃のことだ。シャイン・スクエア・モールで急襲を受けたのである。
あのときは〈VERITE〉側のマキニアン、ベゴウィック・ゴーキーがフェイカーを引き連れていた。襲撃の目的は、フェイカーの性能向上のための戦闘データの収集だった。そして、エヴァンの現在の状況を把握するためでもあっただろう。
エヴァンを標的としている〈VERITE〉に、南の田舎自治区にフェイカーを放つ理由があるだろうか。
「お前様の話を聞くと、そのフェイカーとやらとアンソンに現れた奇妙なメメントは、少し違う気がいたしやすね」
ルミナスが不審そうに首を捻った。
「違う?」
「フェイカーは、完全に変形を行っているのでござんしょう? ですがアンソンに出たメメントは、そもそもから身体の一部が武器化していて、変形などはしませんでしたね」
何か思い当たったのか、ルミナスの表情が一層険しいものになった。眉間のしわが、さらに深く刻まれる。
「それは、どういう……」
レジーニは言いかけて、口をつぐんだ。ルミナスの峻厳な目つきの中に、小さくも確かな灯火が――かつて隊長を務めていた者の残光が見えた気がしたのだ。
「合点がいきやしたぜ。アンソンに現れた奴は、そのフェイカーの失敗作なんでしょう。アンソンのメメントというのは、実は、闇取引で売買されていたんですよ」
「なんですって?」
ドミニクが、信じられないとばかりに、藍色の両目を見開いた。
「己がアトランヴィル・シティまで来ることになった理由は、その闇取引を行っている連中を追い、出処を突き止めるためでござんした」
アンソンでメメントの売買があったのは、三ヶ月ほど前のことらしい。取引をしていたのは、よそから来たギャングたちだ。取引場所にアンソンを選んだのは、よもや田舎自治区で物騒な商売が行われるなど、誰も想像さえしないからだろう。
ルミナスがその闇取引を知ったのは、街の裏通りに逃げ出したメメントを発見したことがきっかけだった。
メメントを倒し、ギャングの一人を捕らえて、化け物の入手経路を吐かせようとしたものの、詳細は何も知らなかったという。だが、未知なる生物は“武器として”仕入れたこと。仕入れ元の組織がアトランヴィル・シティにあることは聞き出せた。
ルミナスがやるべきことは、ひとつだった。
「つまり、アンソンで取引されていたメメントの出処を探り、すべて片付けるためにここまで来た、ということか。〈VERITE〉と戦うためではないんだな」
やや皮肉を込めてレジーニが確認すると、ルミナスは決まり悪そうに頷いた。
「ええ、まあ……」
「あんまり突っついてやるなや」
ヴォルフがレジーニをたしなめる。
「わかった。今のは一言多かった」
渋々発言を取り消したが、まだ釈然としない。
「それで、メメントの出処は掴めたのですか?」
再び気まずくなりかけた空気を、ドミニクが本題へ引き戻した。ルミナスは、少し安堵したように肩の力を抜いた。
「ええ。そっちの方は、一応の片を付けやした。ただ、仕入れ元の組織にメメントを売りつけた奴の正体には至らずじまいで。そこから先へは行けなかった」
袋小路に入り込んでしまったかと思われた矢先、街頭テレビでアンブリッジ議事堂爆破事件のニュースを見た。
サウンドベルを訪れたルミナスは、事件の背後を調べ、この街にエヴァンがいたことを突き止める。ソニンフィルドが結成した組織の名が〈VERITE〉であることも、このとき知った。
そこまで把握できれば、爆破事件の目的を察するのはたやすかった。
〈VERITE〉は近いうちに再度行動を起こす。そう睨んだルミナスは第九区に身を潜め、今日までに至るのだった。
「エヴァンは――いやラグナは、ソニンフィルドの虎の子です。政府への宣戦布告には、必ずラグナを象徴として立たせるだろうと思いやしてね」
そう締めくくったルミナスは、ふうっと息を吐いて口をつぐんだ。
彼の話に矛盾はないように思える。政府に絶望してすべてに嫌気がさし、戦いとは無縁の田舎での暮らしに、癒しと救いを見出したのもわからなくはない。
平穏な生活は、しかし突如現れたメメントによって壊されてしまう。ルミナスは再び、人々を脅かす化け物と対峙することを選んだ。
だが、それは果たして、〈VERITE〉と戦うこととイコールなのだろうか。
――お前さん方を止めるのは、己の務めだ。
シーザーホークと呼ばれたマキニアンに対し、ルミナスはたしかにそう告げた。言葉だけを聞く限りは、彼が隊長としての使命感を取り戻したかと受け取れる。
しかしレジーニはまだ、ルミナスに懐疑的だった。十年も細胞装置を使わず、徹底して過去を忘れ去ろうとしていた者が、そう簡単に心を入れ替えられるだろうか。
ちらりとドミニクの様子を伺う。彼女は目を輝かせて、ルミナスの話に聞き入っていた。元上官がこうして姿を見せてくれたことに安心し、これから共に戦ってくれるのだろうと信じ、疑いもしていないようだった。ルミナスの人となりと実力をよく知るドミニクなら、当然かもしれない。
けれどレジーニは、ルミナスという男を知らないのだ。十年以上ブランクのある交遊が、一瞬にして埋まるほどの信頼関係があるわけではない。
ましてや、会ってほんの数時間という相手を、恩人だからといって手放しで歓迎できるような大らかさを、レジーニは持ち合わせていない。
心を閉ざし、常に疑うことで、裏社会を今日まで生き抜いた。寝首を掻かれないため、他者の一挙手一投足に注意を払ってきた。
そんなレジーニだからこそ、勘づいたことがある。
ルミナスが嘘をついているようには見えない。
だが、すべてを打ち明けたわけではないだろう。
「あんた、これからどうする気だ」
レジーニはそっけなく訊いた。すると、ルミナスは藤色の目を瞬かせた。彼には思いもよらない質問だったらしい。
ドミニクが前のめりに言った。
「それはもちろん、私たちと一緒に、エヴァンとアルを助け出してくださるんですよね?」
「……ええ」
頷くルミナス。その短い返答を口にする直前の、わずかな間を、レジーニは見逃さなかった。
それが決定打だ。
「わかった。なら、あんたはあんたで好きにするといい。手伝ってくれてもいいし、傍観を決め込んでもいい。ただ、僕の邪魔はするな。以上だ」
吐き捨てたレジーニは、冷めてしまったコーヒーを一口だけ飲み、カウンタースツールから降りた。
レジーニの性格を知るヴォルフは、やれやれと肩をすくめたものの、何も言わなかった。レジーニが今のルミナスをどう評価しているのか、どのような態度をとるべき――少なくとも今の時点では――と判断したか、察したようだ。
ルミナスの協力を受け入れなかったことに驚いたドミニクは、慌ててレジーニを引き留めようとした。
「待ってくださいレジーニ。隊長抜きでラグナと戦うのは無謀です」
「無謀でもなんでも最善を尽くすしかない。やる気のない者の協力があったところで、事態が好転するとは思えないしね」
「やる気がないなんて、そんな……」
純粋にルミナスを信じているドミニクにとっては、理解できない言葉だろう。今もっとも必要とする“ラグナに対抗できる戦力”を拒否したのだから。
レジーニはルミナスに視線を向けた。冷静さを装う彼の表情には、うしろめたさのような影が確かに滲んでいた。
レジーニから目をそらさないだけましなのかもしれないが、それではだめだ。
「お一人でどうにかしようとお思いで?」
ルミナスがためらいがちに訊くので、レジーニは睥睨し肩をすくめた。
「まさか。そこまで自惚れるつもりはないよ。あんたが協力しようとどうだろうと、僕は関知しないと言ってるだけさ」
「生身のお前様では、ラグナと戦り合うのは無理だ。死にに行くようなもんです」
「隊長さん。それを言えば、あんたの行動がもっと早ければ、という話の蒸し返しになるんだ。こうなった責任を、あんた一人に押しつける気はない。僕にも落ち度がある。それでも今のままでは、協力を素直に受け入れられない」
レジーニは右手を上げ、人差し指をルミナスの胸に突きつけた。
「あんたにはまだ迷いがある。そうだろう?」
藤色の双眸が見開いた。ルミナスは弁解せずに食い下がる。
「どう思われても仕方がありやせん。ですがこのまま見過ごすわけには……」
レジーニの中に湧く激しい熱が、一気に噴き上がった。
「そんな中途半端な心構えでやれるほどのものなのか!? 僕の相棒にはその程度の価値しかないと言うのか!」
マグマを吐き出したあと、大きく深呼吸した。怒りで心臓が跳ね、耳の後ろがキリキリする。〈パープルヘイズ〉が沈黙に包まれた。
ここまで心の内を明かすつもりはなかった。ルミナスの態度があまりにも腹に据えかねたせいで、発作的に口をついて出てしまったのだ。
言葉や物言いの端々からこぼれるルミナスの逡巡こそ、レジーニが彼を信用できない理由だ。
エヴァンとアルフォンセの奪還は、命懸けになるだろう。〈異法者〉の手に余る、強大な組織を相手取るのだから、相応の覚悟は必定だ。
それなのにルミナスの煮え切らなさときたら、「片手間でもやれる仕事だが、気が乗らないので適当に合わせておく」と言わんばかりに見えて仕方がない。
たとえレジーニの思い過ごしで、本人に心底協力する気があるのだとしても、迷いが残っているのは事実だろう。
レジナルド・アンセルムの相棒は、どっちつかずの性根で救出に臨んでいい存在ではない。
ルミナスは返す言葉もなく、レジーニを瞠目する。沈黙が答えだ。
レジーニは鼻を鳴らして嗤い、店の出入り口に足を向ける。
外に出ると、秋暮の風が冷たく吹きつけた。ジャケットの乱れを整えたとき、背後でドアベルが鳴った。振り返ると、ドミニクが店から出てくるところだった。
「レジーニ、待ってください」
ドミニクは思いつめた表情で、レジーニを見つめる。
「何か不満はあるかもしれませんが、エヴァンとアルを取り戻すためには、隊長の力が必要です。たしかに今は、影があるように見えますけれど、それは決して」
「ドミニク」
必死に元リーダーを弁護しようとする彼女の言葉を、レジーニは遮った。
「言いたいことはわかるよ。でも申し訳ないが、君が信頼している人物だからといって、僕もすんなり信頼できるというわけじゃない。そういう性分なんだ」
「どうすれば信じてくれるのですか?」
「腹を括ってくれればね」
ドミニクは両手を握りしめ、さらに言葉を重ねようとしたが、口から出たのは小さなため息だった。ルミナスに関しての説得は無理だと悟ったのだろう。
「では、別の話をしても?」
「なんだい」
レジーニが応じると、ドミニクは一層悩ましげに眉根を曇らせた。
「ラグナと戦っているときの、あなたの動きを見ました。あれは……なんなのです?」
心臓が再び跳ね上がった。
当然と言えば当然だが、ドミニクはあの場にいたのだ。ラグナに対抗するため、レジーニが発動させた「時間乖離」を、彼女は目にしただろう。
あの現象について察してしまったことを、まだ話したくはない。
レジーニは動揺を見せまいと、努めて冷静さを保った。
「君の目には、どう映った?」
逆に質問されたドミニクは、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。
「瞬間移動……と言うべきなのでしょうか」
「……そうか」
レジーニの予想とは違う回答だった。
ドミニクの質問を受け流したまま、彼女にいとまを告げる。去り際、車の停め場所を聞き、足早に向かった。
ドミニクはレジーニの車を、〈パープルヘイズ〉の一区画隣にあるパーキングスペースに駐車していた。レジーニも普段からよく使う所だ。
車に乗り込み、料金を払ってパーキングを出る。自宅マンションへ走らせながら、ドミニクの言葉の意味を考えた。
彼女はレジーニの動きを「瞬間移動のようだ」と言った。
レジーニの感覚では違う。
瞬間移動ならば、A地点からB地点まで、一瞬にして移動するということだろう。その際、歩く・走るなどの動作は必要ない。
だがレジーニは、ちゃんと動いていた。ならば瞬間移動とは言わないだろう。
自分と他者の時間の流れに大きな差が生じ、その結果レジーニは速く、他者は遅く動いているように見えるのだと、そう認識していた。
(時間乖離、じゃない)
ドミニクには――他者の目には、レジーニが瞬間移動しているように見えるのなら。
(高速移動か……)
それもおそらく、弾丸に匹敵するほどの。




