TRACK-3 烽火を上げよ 12
ラグナが低い姿勢で、左足をうしろに下げる。次の瞬間、ルミナスとの距離を一気に詰めてきた。
初手からパンチとキックの連続攻撃を、凄まじい速度で繰り出すラグナ。負傷しているとは思えない、切れのある身ごなしだ。手負いの獣さながらの殺気を放ち、ルミナスに肉迫する。
ルミナスはラグナの猛攻に、冷静に応じた。
ラグナの動きは非常に速く、正確で威力があり、並みの人間ならたった一撃受けただけでも、戦闘不能になりかねない。
ルミナスは、疾風怒濤で畳みかけてくるラグナの攻撃の一切を、かわし、防ぎ、受け流した。
隙をみて反撃を試みるも、ラグナにことごとく防御され、一進一退の攻防が繰り返される。
拮抗状態が続くかと思われた戦局だが、ルミナスはついに勝機を見出した。ラグナの動きが鈍りつつある。とうとう体力の限界がきたようだ。
ラグナの呼吸が荒くなり、額には脂汗が滲んでいた。全身のノイズが治まる様子はない。
決着をつけるなら今だ。
左側からラグナのハイキックが放たれた。ルミナスは上体を反らしてこれを回避。振り上がったラグナの足が空を切る間に、左足を軸にして身体を回転させ、後ろ回し蹴りをラグナのこめかみに叩き込んだ。
鞭のようにしなる強烈な一撃を、まともに喰らったラグナは、膝から地面に崩れ落ちた。
動く気配はない。完全に気を失ったようだ。ルミナスは小さくため息をついた。
「すまねぇな……」
昏倒したラグナを抱き起そうと歩み寄る。手を伸ばした、そのとき。
目に見えない、重く強固な何かが、ルミナスの身体に衝突し、吹き飛ばした。
後方に倒れたルミナスだが、すぐさま立ち上がった。
さきほどの謎の衝撃によって、ラグナから数メートル引き離されてしまっている。
「今のは……」
ルミナスは、用心深く周囲を確認した。
不可視の衝撃の原因は、圧縮された空気の塊だ。そのような芸当ができる者は、一人しかいない。
戦闘のあおりを受けて横倒しになった電動車の向こうから、背の高い男が姿を見せた。
シナモンブラウンの短髪と、群青色の瞳の持ち主で、ロングコートを纏っている。
ルミナスを睥睨する険しい表情は、昔と少しも変っていなかった。
「今頃になってようやくお出ましか。十年以上のバカンスは、せいぜい楽しかったことだろうな、ルミナス」
皮肉たっぷりに言い放ち、男が鼻で嗤った。
「シーザーホーク……」
ルミナスはかつて右腕として、相棒として、ともに戦った男の名を呟く。
「貴様がどこぞで、怠惰に時間を潰していた間にも、我々は着実に前進していたぞ。停滞しているのは貴様だけだ。〈処刑人〉の隊長ともあろう男が、無様なものだな」
冷ややかな眼差しで、シーザーホークが辛辣な言葉を並べる。彼の痛罵には慣れたものだが、今は少し耳が痛い。
「穴蔵から這い出てきたところで、今さら貴様に何ができる。我々を止めるか? であれば、もっと早くにすべきだったな」
「遅すぎたのは自覚している。だが、もう見過せねぇ。お前さん方を止めるのは、己の務めだ」
ルミナスの答えは本心である。しかし、自分でも虚しくなるほど、薄っぺらく聞こえた。シーザーホークがルミナスの何に憤りを感じているか、わかっているからだ。
元・相棒ならどう受け取るか。想像するまでもない。
シーザーホークが柳眉を逆立て、右手を前方に突き出した。すると、彼の周りに、黒い小さな物体がいくつも出現し、ルミナスに向かって飛んできた。
黒い物体がルミナスを囲む。首を、両手で絞められているかのような圧迫感が襲い、呼吸が苦しくなる。
「ぐ……ッ」
絞めつけるものを取り除こうと、本能的に手を首元へやるが、掴めるものは何もない。圧縮された空気が、手の代わりにルミナスの喉を絞めつけているのである。
これがシーザーホークの細胞装置、〈アポリオン〉の力だ。
そのスペックは「気体操作」。
黒い物体は〈アポリオン〉のデバイスで、形状は正八面体。このデバイスが取りかこんだ範囲内の気体を、自在に操る。
他の細胞装置のような派手な攻撃方法はなく、有効範囲も狭いが、使い方次第では最も恐ろしいスペックとなる。
一瞬で対象を真空状態にも、ガスで中毒死させることも可能なのだから。
「務めだと? どの口がそんな戯言を吐いている。この期に及んでリーダー気取りとは、笑わせるな!」
怒りを声に乗せ、シーザーホークはルミナスを絞め上げる。よく見れば、〈アポリオン〉のデバイスが、離れた場所にいるドミニクと眼鏡の男も、それぞれに囲っていた。ルミナスの態度いかんで、二人の命はたちまち奪われるだろう。
「やめろ、その二人には……」
手を出すな、と言いたかったが、ルミナスが口を開いた途端、圧縮空気の拘束力が強まり、声が堰き止められた。
車が近づいてくる音が聞こえる。SUVタイプの電動車が二台、タイヤを軋ませながら走ってきて、ルミナスとシーザーホークの横につけて停車した。
その一台から、男が一人、慌てた様子で降りてくる。
「駄目だシーザー君、よせ!」
長いグレイッシュシルバーの髪に、知的な宵藍の瞳。ルミナスにとっては、シーザーホークと同じく懐かしい顔だった。
ウラヌスにたしなめられたシーザーホークは、不服そうに〈アポリオン〉を解除した。
ルミナスの首を拘束していた圧縮空気が消失し、ドミニクと眼鏡の男を取り囲んでいたデバイスも、シーザーホークの周囲に舞い戻った。
彼がロングコートを少しめくると、隠れていたウエストホルダーに、デバイスが自動で収納されていく。その様子は、帰巣する蜂さながらだ。
シーザーホークが矛を収めたからか、ウラヌスがほっと息をついた。そして、おもむろにルミナスへ視線を向け、苦笑する。
「やあ、ルミナス君。久しぶり。相変わらず、シワ寄ってるね」
言いながら、眉間を指差してみせたあと、ドミニクにも声をかけた。
「ドミニク君も久しぶり。君の美しさも変わらないね」
ドミニクは、突然現れた元〈処刑人〉のナンバー2と3を、複雑そうに見つめている。
ウラヌスの興味は、もう一人の人物――眼鏡の男に移った。
「君のことも少し知ってるよ。エヴァン君の相棒なんだよね? あ、今はラグナ君って呼ぶべきなのかな。でもラグナ君の相棒ではないんだし、間違ってはないか。シーザー君、どっちで呼ぶべきだと思う?」
「知るか! どうでもいいわ!」
空気を無視した能天気な話を振られたシーザーホークは、怒声を上げ、車に足を向けた。
一度だけルミナスを振り返り、
「忘れるな。背を向けたのは貴様の方だということを」
そう吐き捨て、シーザーホークはSUV車に乗り込んだ。
ウラヌスが倒れたラグナを抱え上げ、もう一台の車へ歩いていく。彼もまた、車に乗る前にルミナスへ顔を向けた。
「ごめんよ、ルミナス君。もう烽火は上がってしまったんだ」
旧友は柔和だが寂しげな笑みを、口の端に浮かべる。
「またね」
かつての仲間三人を乗せた二台の車は、崩壊したビルとルミナスたちを残し、走り去っていった。
――またね。
また。
この次に会うとき、再び旧友たちと戦うことになる。場合によっては、命のやりとりも辞さない覚悟で。
ルミナスがソニンフィルドに下らない限り、同士討ちは続くだろう。
そして、向こうに下るつもりは、ない。
腹は括ったはずだった。だが、胸の痛みを無視できるほど、ルミナスは非情になれなかった。
ふっと息を吐き、歩き出す。地面に転がった愛刀〈桂丸〉を拾って鞘に差し、ドミニクと眼鏡の男の方へ近づいていった。
二人は互いに支え合って、なんとか立っている様相だった。どちらかというと、ドミニクの方が眼鏡の男を支えている。男は、かなり体力を消耗している具合だ。
「隊長……、来てくれたのですね」
ドミニク・マーロウが安堵したように嘆息し、ルミナスに微笑んだ。彼女はまだ、上官として敬意を払ってくれている。ルミナスの良心が軋んだ。
「ドミニク、大丈夫か?」
「ええ、さすがにまだ傷は塞がってませんけれど、なんとか。私より、彼が」
ドミニクが気づかわしげに、眼鏡の男を見やる。
間近にする男の顔立ちは、遠目で見た以上に端麗だった。だが今、その整った顔は血色が悪く、目の周りが充血していた。
男は、胡散臭いものを前にしたような鋭い眼光で、じっとルミナスを見ている。睨みつけているといってもいい。
「あんたが……」
口を開いた途端、男が身体のバランスを崩した。
ルミナスは彼を支えようと、とっさに手を伸ばした。すると、男はその手を跳ね除け、ますますきつくルミナスをねめつけた。
男の碧眼の中には、明らかな軽蔑の色がある。
ルミナスは動揺を覚えつつも、その眼差しから逃れるすべを知らなかった。




