TRACK-3 烽火を上げよ 8
レジーニとドミニクが駆けつけたときには、すでに襲撃者の集団が、ベネット議員とSPたちを取り囲んでいた。
襲撃者はヒトの形をしているが、人間ではなかった。予想していたとおり、それはフェイカーだ。〈VERITE〉の女科学者が、メメントを素体に造り上げたヒト型生物兵器である。厄介なことに、マキニアンのような細胞装置を搭載している。
だが素がメメントである以上、クロセストが有効なのは変わりない。逆に言えば、クロセスト以外の武器では倒せず、従ってベネット側に対抗手段は皆無だ。
SPのうち、四名がベネット議員を囲み、護衛対象を逃がすため、ビルを回り込もうとしている。肉体を武器に変形させたフェイカーたちが追おうとするのを、残りのSPらが必死に阻止していた。
しかし、彼らの射撃の腕前がいくら一級品であろうと、通常の弾丸ではフェイカーを倒せない。レジーニはジャケットの内側のホルスターから、愛用のクロセスト銃QBを抜き、SPに襲いかかろうとしていたフェイカー三体を撃ち倒した。
何発銃弾を撃ち込んでも死ななかった怪物が、突然倒れ、異臭を放ちながら雲散霧消していくのを、SPたちが呆然と眺めている。理解を超えた出来事に、職務と立場を一瞬忘れてしまったようだ。
「議員を守れ! 行け!」
レジーニは片手を振り、ベネット議員が逃げた方向を示した。SPたちが、困惑の表情をレジーニに向ける。いきなり現れて指示を出す眼鏡の男を、信用していいものか、それとも怪しい人物として対処するべきか。彼らの逡巡が手に取るようにわかる。
だがプロらしく、柔軟に立ち回るべきと判断したようだ。ベネット議員の護衛につくため、踵を返して走り出した。
その行く手を、五、六体のフェイカーが阻む。しかしSPたちに襲いかかるより早く、ドミニクの細胞装置〈ケルベロス〉の浮遊砲台が、フェイカーをまとめて薙ぎ倒した。
「さあ早く! ここは私たちが引き受けますから!」
豪快な一撃を放った張本人が、呆気にとられるSPたちを促す。もはや迷いは無意味と悟ったか、我に返ったSPたちは足早に走り去っていった。
追いかけようとするフェイカーを、ドミニクの砲台が容赦なく屠り散らす。ドミニクの動きを正確に模倣した三基の砲台は、彼女の拳が冴えれば冴えるほど、威力を増して敵を粉砕した。マキニアン随一と呼ばれるにふさわしい攻撃力だ。
レジーニは銃をホルスターに戻し、得物を〈ブリゼバルトゥ〉に持ち替えた。氷の息吹を発する青い刀身が、冷えた晩秋の空気に映える。
剣を構えながら、ざっと周囲を見渡した。ひと月半前、コンテナターミナルで戦ったときと同様、フェイカーの武器は多種多様である。あの女科学者のことだ、以前より強化させているに違いない。
しかしレジーニは、フェイカーなど眼中になかった。ドミニクもだ。これから来るであろう大物が姿を見せるまで、この場を凌がなければならない。考えているのはそれだけだった。
(さあ、来い)
剣、銃、打撃、属性具象。各個体が特化した攻撃法で、レジーニとドミニクに仕掛けてくる。その動きは、前回の戦いより速く、鋭く、重い。多少手こずりはするが、対処できないほどではなかった。一体一体確実に仕留め、“彼”が出てくるのを待った。
レジーニは、彼が来ると確信していた。〈VERITE〉にとって彼は、政府に対する烽火の象徴であるはずだ。今回のセルマン派議員誘拐事件で、彼の姿をあえて政府に晒し、〈VERITE〉が――ソニンフィルドが何を手にしたのか、はっきり思い知らせようとするだろう。でなければ、こんなあからさまな連続誘拐などするものか。
だから、来る。必ず。
レジーニが七体目のフェイカーを斬り伏せ、ドミニクの鉄拳が巨体の銃器特化型を地面に沈めた直後。
赤い人影が、どこからともなく現れた。
いや、正確には空からだ。
それは全身に真紅を纏っていた。炎であり、血であり、罪の象徴でもある色に染められたボディスーツだ。頭部はフルフェイスマスクで覆われている。
背中からは、真紅の翼が生えていた。鳥のものではなく、機械の翼だ。この無機質な羽で、空から舞い降りたのである。
レジーニの心臓が、どくんと波打った。レジーニにとって、赤の象徴はもうひとつある。今か今かと、来るのを待ちわびていたものだ。
顔が見えずともわかる。
ドミニクが息を呑むのが聞こえた。
機械の翼が収縮し、赤い人物の背中に格納される。フルフェイスマスクも頭頂部が開き、ボディスーツの首元へ吸い込まれるように収納されていく。
マスクの下に隠されていたのは、茶色混じりの金髪。緋色の瞳。
よく見知っているはずの双眸は、しかし、あるはずの光を湛えてはいなかった。
地下街の主に「火のような瑪瑙」と例えられた、あの躍然たる目は、いまやその炎を消し、灰のように乾いている。
虚ろな眼差しはレジーニとドミニクに向けられているが、そこには何らの感情もこもっていない。ただ、あたりに転がっている石ころや、地を這う小虫がたまたま視界に入っただけ、とでもいうような無関心さだけがあった。
あんな目をした彼を、レジーニは初めて見た。
思えばサイファー・キドナとの対決のとき、強制的に一時覚醒したというその人格を、レジーニはまだ見たことがなかった。
同一人物でも、まったくの別人だと明確にわかる。それほどまでに、纏う雰囲気が違う。
あれはエヴァン・ファブレルではなく、ラグナ・ラルスなのだと。
一週間ぶりに現れた相棒――の姿をしたマキニアンに対し、レジーニはかける言葉を見出せずにいた。
それはドミニクも同じ思いのようで、困惑と悲しみの入り混じった表情で、じっとラグナを見据えていた。
レジーニとドミニク、ラグナ・ラルス。両者の間に流れる空気が、緊張で張りつめる。ラグナの顔が少しだけ動き、視線がドミニクの方に向けられた。
レジーニはブリゼバルトゥを握り直す。掌に汗を感じる。
ドミニクがレジーニの前に出た。
「レジーニ、申し訳ありませんが、私がいきます」
「そう言うだろうと思ったが、君一人に任せるわけにはいかない」
マキニアンでもない自分が、最強と謳われるラグナに、どこまで食い下がれるがわからない。だからといって、ドミニク一人に押しつけるつもりは毛頭なかった。
それに今なら、皮肉なことに、ある程度の負傷はどうにかなる体質だ。
しかしドミニクは首肯しなかった。
「いいえ、だめです。ソニンフィルドはおそらく、他のマキニアンの捕獲も、ラグナに命じているはず。標的の議員の前にマキニアンがいれば、そちらを優先するでしょう。だから私を見ているのです」
「だが……」
「私が倒れたら、あなたしかいません。体力を温存して」
まるで、倒される可能性の方が高い物言いだった。その言葉に込められた彼女の決意と、自分に対する信頼を汲みとったレジーニは、ドミニクの意志を尊重し、うしろに下がった。
ベネット議員は、すでに逃げ延びているだろう。ラグナはここで食い止めねばならない




