TRACK-3 烽火を上げよ 2
ひとしきりの抱擁のあと、兄妹は改めてお互いの姿を見た。十年以上の歳月を経た兄の顔立ちは、父と母の両方の特徴が備わっているように思えた。
兄が生きていた、という喜びが、現実味を帯びていく。と同時に、多くの疑問が大波のように押し寄せてきた。
「兄さん、どうして……」
何を訊かれるのかわかっていたのだろう。ジークは妹の口を手で制し、一度頷いた。
「初めから話すよ。長くなるから、そこに座ってくれ」
ソファに並んで座ると、兄は、己がここまでに辿ってきた道を、滔々と語った。
〈イーデル〉を壊滅状態に陥らせた〈パンデミック〉が勃発したとき、ジークは父フェルディナンドと一緒にはいなかった。
マキニアン一掃作戦に投入された陸軍の精鋭部隊〈ブラスター〉は、マキニアンの拠点である〈SALUT〉の施設を攻撃対象としており、研究員がいる区画にまで押し寄せることはなかった。
が、その戦いによる死亡者がメメント化。変異が変異を招き、現場はたちまち怪物であふれた。
メメントの暴走は〈イーデル〉の研究区画まで及び、非戦闘員が大半を占める施設内は、阿鼻叫喚の様を呈した。
研究員たちは、マキニアンが攻撃を受けた、という知らせを受けた時点で避難を始めていた。しかし、避難が完了する前にメメントの群れが襲来。逃げ遅れた人々が無惨にも犠牲になってしまった。
その犠牲者もまたメメントとなり――。
〈イーデル〉はもはや、地獄絵図そのものと化していた。
研究員実習生だったジークは、そのとき、父と離れた場所にいた。数人の同僚とともに、資料室の整理をしており、不運にもその部屋は〈SALUT〉の施設に面した区画にあったのだ。
必然的に、惨劇の影響を真っ先に受けることになった。
どこからか不穏な騒音が聞こえてきたかと思うと、何が起きているかもわからないまま、化け物の襲撃に見舞われ、仲間が次々襲われるさまを目の当たりにした。
最も危険に晒される自分たちのいる区画まで、避難指示が届かなかったのは、この区画を生贄にして、貴重な頭脳を持つ博士クラスの研究員たちを逃がす時間稼ぎのためだったのではないか。
今にして思えばそう感じる、とジークは悔しそうに言った。
だが、父が逃げ延びているなら、それでもよかった。父こそは守られるべき頭脳の一人だ。いの一番に避難させられているに違いなかった。
同僚たちが次々とメメントの餌食にされるのを、ジークは助けることもできずに逃げるしかなかった。がむしゃらに走り、メメントの牙を必死でかわし、あと少しで屋上に出るという瞬間、背後から襲いかかられ、そこで意識が途絶えた。
次に目覚めたとき、ジークはまだ生きていた。死んであの世に来たのかもしれないと思ったが、左腕の強烈な痛みのおかげで、生を実感できた。
ジークは地面の上に仰向けになっていて、かすむ視界に、赤く燃える空が映っていた。
時間の感覚が失われていたので、夜明けなのか夕焼けなのか判別がつかなかった。そのどちらでもなく、建物が燃え上がる炎の光だったのだということを知ったのは、少し経ってからのことである。
「俺は長い時間、気を失っていた。その間に、屋上から避難させられていて、別の場所に移動していた。俺を助け出したのは、ディラン・ソニンフィルド長官だ。さっき会った仮面の男だよ。〈SALUT〉の総司令で、今は総統と呼んでいる」
アルフォンセは、黒い仮面の男の、圧倒的な存在感を思い出す。決して口数は多くなく、動作も控えめながら、ただそこにいるだけでその場を支配する風格。
彼が兄を救ってくれたのなら、アルフォンセにとっても恩人だが、どうしても“怖い”という印象が先に立ってしまう。
「運がよかった。屋上にいたおかげで見つけてもらえたんだから。左腕をひどく負傷していて、一時期まったく使いものにならなかったんだが、今はこのとおりさ」
ジークは左腕を持ち上げ、掌を握ったり開いたりした。
アルフォンセは兄の左腕を見つめる。その視線を、兄の顔まで移した。
「兄さんは、あの人に助けられたから〈VERITE〉にいるの? 兄さんはここで何を? あの人たちのしていることを、手伝っているわけではないんでしょう?」
兄が、エヴァンやレジーニたちと敵対関係にある組織に属しているとは、わずかでも考えたくなかった。
だが、兄の答えは無情だった。
「アル。今の俺は〈VERITE〉の副官。つまり、ソニンフィルドの側近だ。総統の指揮のもと、組織をまとめ、策を練り、クルーに命令を下す。そういう立場にある」
「どうしてそんなことを? 命を救ってくれた恩を返すため? そのためにこんな……」
「俺は、ただ命の恩を返すためだけに、ソニンフィルドに与したわけじゃない。利害の一致だ」
ジークの瞳がぎらりと光る。強い意志を湛えた光だ。
「〈パンデミック〉のせいでメメントが激増した。その〈パンデミック〉を引き起こしたのは、政府の下したマキニアン一掃計画だ。〈イーデル〉での研究は、世界に平和と安寧をもたらすためのものだった。そのためにみんな心血を注いでいたんだ。俺も、父さんも」
ジークの瞳に宿る意思に光を灯すもの――。それは、憎しみ。
「政府はすべてを台無しにした。メメントを殲滅するどころか、生物兵器にするつもりだったんだ。どんな結果を招くか考えもしないで……。挙句の果てに、もてあましたマキニアンを放棄だ。軍部を使って襲撃させ、そしてどうなった? 殺し合いだ。メメントの大量生産だ。俺や父さん、同僚のみんなが人生を懸けてきたのに、その結末がこれだ」
ジークは両腕を広げ、力なく降ろした。
「政府は報いを受けるべきだ。そうだろう? 多くの命と尊厳を奪い、都合の悪いものには蓋をし、そのくせ甘い蜜だけ吸おうとする。俺たちが守ろうとしてきたのは、こんな歪んだ世界じゃなかったはずだ」
兄は子どもの頃から、一本気で正義感が強かった。真面目すぎるあまり、時にはわずかな過ちも許さなかった。それは彼の美点であり、同時に欠点でもある。
ジークの心は政府への厭悪に満ち、恨み晴らすべし、という一念に突き動かされているように思えた。
アルフォンセは兄の腕に手を添え、訴えかけるように目を見つめた。
「そうかもしれないわ。でも、兄さんたちが今していることは、その政府とどう違うというの? 政府と同じように、メメントを素体にした生物兵器を造ってしまったじゃない」
〈VERITE〉の科学者が開発したというフェイカーを、アルフォンセは直接見てはいない。だが話に聞いたとき、〈スペル〉を思い出さずにはいられなかった。
〈スペル〉は兄妹の父フェルディナンド・メイレインが造った、モルジットを探知・捕捉するための装置だ。
フェルディナンドは、対メメント専用武器クロセストの開発者でもある。メメントにより有効なクロセストを造り出すため、不可視のモルジットを捉えて研究する。それが〈スペル〉の本来の開発理由だった。
ところが政府は、〈スペル〉を別の目的に利用しようと目論んだ。モルジットを収容した〈スペル〉を用い、任意でメメントを生み出し、生物兵器とする軍用化計画だ。
それだけではない。
政府は〈スペル〉の人体投与も企てていたのだ。生物の死骸をメメントに変貌させるモルジットを、生体に与えるとどうなるのか。有効な活用性が認められれば、新たな戦力として使えるかもしれない、と考えたのである。
これらの恐るべき計画の実行のため、政府はカプセルサイズの〈スペル〉を造るようフェルディナンドに命令。逆らえなかった父は、それを造りあげてしまった。
政府は、自分たちの利益のためだけに、多くの人々を犠牲にしてきた。のみならず、愚かにもメメントすら利用しようとしている。
果たして、そんな政府と〈VERITE〉、いったいどこが違うというのだろう。
「兄さんは、お父さんの思いを踏みにじっているようなものよ。ずっとお父さんの研究姿勢を見てきたはずでしょう? なのにどうして?」
アルフォンセはジークの腕を強く握って揺すった。
「お父さんは、三年前に亡くなったの。自殺扱いされてしまったけど、誰かに殺されたんだと思う。お父さんが亡くなったあと、私のところに遺品が届いた。そのなかに私あてのメッセージ映像があったの。それで、メメントの軍用化計画や、モルジットの人体投与計画があったことを知ったわ。そして『政府は信用するな』とも言っていた」
アルフォンセの言葉と手に、だんだん力がこもっていく。ジークは眉根を寄せ、じっと妹を見下ろした。
「お父さんがなぜ殺されなければならなかったのか、ずっと調べてきたけれど、真実はわからなかった。〈スペル〉を渡せって脅していたマキニアンがいて、最初はその人が犯人かと思ってたけど、証拠はないの。お父さんは、平和のためだと信じてがんばってきたのに、こんなのあんまりだわ。お願いだから同じことを繰り返さないで」
黙って聞いていたジークは、アルフォンセの手をそっと離した。
「父さんのことは知っている。いずれゆっくり話し合おう。そのマキニアンは無関係だから気にすることはない」
ジークは優しげな微笑みを浮かべ、アルフォンセの肩をぽんと軽く叩いた。その表情と口調だけは、昔のままだ。
「お前には改めて、我々の目指す道を説明するよ。さっき、組織に加わったのは利害の一致だと言ったろう? ソニンフィルドとともにいれば、目的を果たせるんだ」
「兄さん、私は……」
「お前は何も心配しなくていい。これからはずっと、俺がお前を守る。たった二人だけの家族だ。どんなことがあっても、お前だけは守ってみせる。そのためならなんだってやるさ」
ジークが背を向け、部屋から出ていこうとするのを、アルフォンセは慌てて追いかけた。
「待って兄さん! どういう意味なの? それに彼は……エヴァンはどうなるの? お願い、エヴァンに会わせて」
エヴァンの名を口にすると、兄はあからさまに不快感を示した。
「あれはもうエヴァンじゃないし、お前が気にすることでもない。一刻も早く忘れてしまえ。どうせもう二度とエヴァン・ファブレルは出てこない。忘れるんだ、いいな?」
最後の言葉は命令だった。冷たく言い放ったジークは、それ以上の追及は許さないとばかりに、屹然たる足取りで退室していった。
一人残されたアルフォンセは、ただただ不安と悲しみに震えた。
兄が生きていてくれたというのに、〈VERITE〉の副官として君臨していること。
政府と同じ過ちを犯そうとしていること。
何よりも、エヴァンともう会えないかもしれないこと。
明日も続くと信じて疑わなかった平穏な日々が、たった数時間で、足元から崩壊していく。
もはやこの先、一日後、数時間後、いや数分後でさえ、無事でいられる保障などない。
エヴァンに会いたい。
太陽のように明るく輝く緋色の瞳。優しくも朗らかな笑顔。その場を和ませる笑い声。温かく包み込んでくれる、あの腕に抱き締めてほしかった。
エヴァンはこれからどうなるのだろう。もう一人の人格のまま、〈VERITE〉の計画に利用されてしまうのだろうか。
優しいエヴァンが、陰謀に加担させられるなど、アルフォンセにとっても耐えがたいことだった。
(どうしよう……、どうすればいいの)
今頃は、レジーニやドミニクたちが異変に気づき、エヴァンとアルフォンセの行方を捜しているかもしれない。
だが、こんな大海原の只中まで、助けに来られるとは考えにくかった。何より危険だ。〈VERITE〉の戦闘員に加え、マキニアンまでいるのだから。
マキニアン。
一瞬、アルフォンセの頭の中で、その名称が引っかかった。
何が引っかかったのだろう。
そうだ。兄の言葉だ。
――そのマキニアンは無関係だから気にすることはない。
父を殺した犯人がマキニアンではないかと疑っていたが証拠はない。アルフォンセはそう言った。
それなのにジークは、マキニアンは関係ないと断言した。なぜ。
理由はひとつしかない。
アルフォンセは、早鐘を打つ心臓を抑えようと、両手を胸に当てた。
兄は、父の死の真実を知っている。




