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TRACK-2 火の消えた街 7

 リカ・タルヴィティエは携帯端末(エレフォン)を握りしめたまま、小一時間ほどベッドの上でごろごろしていた。

「あー、どうしよう。思いきって聞いてみようかなあ」

 同じことをもう何度も呟いている。携帯端末の電話帳を開こうとしてはやめ、悩ましいため息をつく。しばらくして再び端末を操作しようとするものの、決心がつかずに腕をベッドに投げ出す。そしてため息。この繰り返しだ。

 仰向けになったり、うつ伏せになったり、寝苦しい真夏の昼寝のようにせわしない。

 リカは横向きになって、端末の写真フォルダを開いた。何枚かスワイプし、目当ての写真を見つけ出す。

 写っているのはエヴァンとレジーニのコンビ。八重歯が見えるほど大口で笑っているエヴァンに対し、レジーニは澄ました表情だ。

 この写真は、エヴァンの協力を得て撮った一枚である。レジーニに面と向かって「写真を撮らせてほしい」と言えなかったリカを見かねて、エヴァンがさりげなくツーショットで映せるよう、取り計らってくれたのだ。意外なところで気が利く。

 でもレジーニなら、そんな小細工などお見通しかもしれない。

 リカのため息の理由は、このレジーニにある。

 ママ・ストロベリーにこっそり教えてもらったのだが、もうすぐ彼の誕生日なのだ。

 ぜひともプレゼントを贈りたい。喜ぶ顔が見たい。

 だが、レジーニほどの男性へのプレゼントとは、一体どんなものだろうか。皆目見当がつかなかった。

 レジーニは立派な大人だ。服装や所作が洗練されていて、一分の隙もない。裏稼業者ということもあって、実年齢以上に人生経験が豊富そうだし、きっと世慣れてもいるだろう。

 レジーニの女性関係を考えるといつも、おなかのあたりがきゅっと縮む。絶対にもてるだろうし、特定の恋人を作らない主義かもしれない。そのあたりはリカの想像でしかないのだが、「彼女いるんですか?」などと聞けるはずもなかった。

 もし「いる」と返ってきたら……。また腹が縮んだ。


(でも、付き合ってる人がいないとしても、私なんか相手にされるわけない)


 リカはいまやはっきりと、レジーニへの恋心を自覚していた。

 はじめのうちは、命を助けてくれた年上の男性への憧れだと、自分に言い聞かせていた。が、本当の気持ちに蓋をし続けるのは、思った以上に困難だった。

 誕生日プレゼントを贈るとき、勇気を振り絞って想いを告げようかと考える。しかしすぐに取り消した。レジーニに比べて、リカはあまりに未熟だ。十八歳なんて、レジーニにしてみればまだまだ子どもの範疇に違いない。恋愛経験だって、ほぼないに等しい。


(レジーニさんは私に優しくしてくれるけど、それってどういう気持ちからだろう。“昔助けた女の

子”のまま? それとも妹みたいなもの?) 


 想像を巡らせれば巡らせるほど、この恋が成就する望みの薄さを思い知らされる。

 迂闊に告白して、ふられて、ぎくしゃくした関係になるくらいなら、妹としてでも可愛がられる方がましなのだろうか。それはそれで辛いものがある。

「はー…、どうしよう。困った……」

 問題が振り出しに戻った。

 本当は、恋の悩みばかりにかまけていられないのだが。

「ちょっと散歩してこよう」

 外の空気に触れて、頭をしゃきっとさせなければ。リカはベッドから起き上がり、ブルゾンに袖を通した。



 曇天の昼下がり。少し肌寒いが、のぼせた頭にはむしろ心地良く感じた。

 ラボの中庭を通り、建物をぐるりと巡る外周路をそぞろ歩く。

 刈り込んだ芝生に敷かれた道は天然木材チップ舗装で、長く歩いても疲れにくいらしい。研究室に閉じこもりっきりで、運動不足になりがちな研究員のために、ウォーキングもできるよう配慮したのだそうだ。

 リカは歩いてきた方向を振り返った。ライトグレーの合成コンクリートとガラス張りでできたACUのラボが、静かに佇んでいる。

 建物を出入りする人は多くない。職員や研究員はもっぱら室内で仕事をしているので、ラボのエントランスが賑やかになるのは、出勤時と帰宅時くらいのものだ。

 今日は日曜日。ほとんどの職員が休みなので、いつも以上にひっそりしている。中庭でくつろいでいる人の姿も、あまりなかった。

 本当ならリカも、ホーンフィールドの自宅アパートでゆっくりしているか、友人のスーとでかけているはずだった。

 しかし、ラボでの能力分析や実験が進むにつれ、そちらに費やす時間が増えたために、大学の課題が立て込み、夕べ遅くまで取り組んでいたのだ。

 おかげで寝過ごしてしまい、目が覚めたのは十時近くだった。眠くてホーンフィールドに帰る気力が湧かず、ごろごろしているうち、思い出したように恋心に悩まされるはめになった。

 

 ACU東支部のラボと自宅アパートを行き来する生活も、ようやく慣れてきた。

 ラボの居住区画に与えられた部屋の住み心地は悪くないし、研究が進んでパルス能力が成長すれば、それだけレジーニたちの役に立てるようになりつつあると実感できた。

 モルジット適合者(アダプテーター)の中でも、もっとも稀有な〈融合者(ハーモナイザー)〉という存在に向けられる好奇の目は、ときに不躾に思うけれど、自分で望んだ生活なのだから文句は言えない。

 母イザベルには、この生活やパルス能力のことは秘密にしたままだ。真実を話すには、リカが自分の出自についてすでに知っている、ということを打ち明けなければならない。

 それでは、リカを守るために本当のことを隠し続けてきた、母イザベルを傷つけてしまう。

 母を悲しませたくはなかった。いつか頃合いをみて話すつもりだが、もう少し先にしたい。

 パルス能力の研究に打ち込むのは、産みの母のためでもあった。

 望まぬ妊娠だったのに、産んでくれた実母アンジェラ。リカを出産したあと海に身を投げたが、メメントとして生まれ変わり、娘に会いに来てくれた。

 海に還ってしまった実母を想うと、まだ胸が痛む。

 この命はアンジェラから――オツベルからの贈り物だ。身に宿った能力(ちから)を、誰かを助けるために使う。それが、最後まで母と呼んであげられなかったオツベルへの、せめてものはなむけだと信じて。


(がんばらなきゃ。私には、返さなければならないものがたくさんある)


 能力の研究、学業、そして恋。

 リカは今、これまでの人生で一番忙しいけれど、充実した日々を過ごしていた。

 先日、ラボの装置なしでマインド・ダイブができるかどうか試してみたら、予想以上にうまくいき、部屋でひとりガッツポーズをとったものだ。

 ダイブの対象がエヴァンだったから、ということもあるだろうが、それでも試みが成功して嬉しい。

 本来なら装置なしのダイブは、心身に負担がかかりすぎるので、担当研究員からは止められている。バレたら怒られそうだ。

 パルス能力者同士、という共通点があるからだろうか。出会った頃よりエヴァンに対して、強く親近感を抱くようになった。

 エヴァンへの親愛の情は、兄弟・家族へのそれと同じものだと思っている。動物が同種に向ける“仲間意識”に近いだろう。


(そういえば、エヴァンと初めて会ったとき、どこかで会ったかって訊かれたっけ)


 今ならわかるが、エヴァンは本能的にリカを“仲間”だと感じ取ったのかもしれない。ただあのときは、エヴァンもリカも、その親近感の正体を知らなかったのだ。

 大学を襲ったシェド=ラザに対しては、恐怖はあれど親近感は湧かなかった。シェドの気配は明らかな敵意と狂気に満ちていて、決して“仲間”などではないと、本能が告げていた。


(エヴァンは私以上に特別な〈融合者〉。能力(ちから)が完全に覚醒したら、何が起きるんだろう。ちょっと怖い)


 エヴァンが秘める力の強さは、質の違うリカとは比較できない。どちらかといえば、シェドに近い気がする。太陽のように元気で快活な彼が、パルス能力に呑み込まれるようなことにならなければいいが。


(でも何かあっても、レジーニさんがいるから大丈夫だよね)


 もしもエヴァンが暴走したとき、止められるのはきっと彼だけだ。 

 エヴァンとレジーニ。性格の違う、対照的な二人。

 いつも口喧嘩しているくせに、いざとなったら息の合った見事なコンビネーションで立ち回る。

 ちぐはぐで、でこぼこで、噛み合わないのに噛み合っている。

 おかしいけれど、素敵なコンビだ。

 レジーニの姿が脳裏に浮かんできて、また顔がほてってきた。

 かすかに熱を帯びる頬を、両手で挟んで揉んでいると、背後からよく知った声が聞こえてきた。

「リカ、ここにいたんだね。捜したよ」

 振り返れば、背の高い白衣の人物が、こちらに駆け寄ってくるところだった。

 ツーブロックのショートヘアで、ハンサムという表現がぴったり似合う女性、ヒルダ・グローバーだ。彼女はリカの研究チームの責任者で、ACU総指揮官ケイド・グローバー中佐の妻である。

「ヒルダ先生、どうしたの? 今日はお休みだったんじゃ?」

「そうだよ。でも旦那が急に呼び出されてね。なんか嫌な予感がしたから、私も来たんだ。案の定だった」

「どういう意味?」

 ヒルダの顔つきは険しい。リカがのんきな悩みに心を揺さぶられている間に、よからぬことが起きたようだ。

「ニュースは見た?」

 訊かれたリカは首を振った。

「寝坊して、テレビはまだ何も見てないの」

「今日、サウンドベルのアンブリッジ議事堂で予定していた、保守派政治家たちの会食のことは知ってる? その会場が爆破されたんだ。その時点で〈VERITE(ヴェリテ)〉の犯行を疑ったんだけど、旦那が呼び出されたから確定だと思う。間違いなく奴らが関与してる。それに、もう一つまずいことが」

「なに?」

「こっちはガルデの筋から入った情報。エヴァン・ファブレルが、メイレイン博士のお嬢さんを連れて、〈VERITE〉と一緒に姿を消した。ラグナ・ラルスが覚醒してる可能性が高いって」

 リカは息を呑み、口元を手で覆った。

 ラグナ・ラルスのことは聞いている。エヴァンの中に眠る、もう一つの人格だ。エヴァンとは似ても似つかぬ、無感情で冷酷無比な戦闘マシンだというが、そのラグナが目覚めたというのか。それなら、エヴァンはどうなったのだろう。彼の人格は無事なのだろうか。

 そこでリカは、ヒルダが自分を捜していた理由に思い至り、彼女を見上げた。

 リカの思考を読んだかのように、ヒルダが頷く。

「マインド・ダイブが必要になりそうだ。出番だよ、リカ」

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