TRACK-2 火の消えた街 6
「なにこれ。あれは本当に小猿ちゃんなの?」
ママ・ストロベリーが漏らした一言は、レジーニの胸中の声でもあった。おそらくドミニクたちも同様だろう。
この場にいる全員、エヴァンがアルフォンセをどれだけ大切にしているかをよく知っている。防犯カメラが捉えた青年の行動は、そんなエヴァンには似つかわしくないものだった。
「アルをあんなふうに無理やり引っ張っていくなんて、エヴァンらしくないよ」
と、ユイ。
「きっとアルも変だと思ったんだわ。なんだか嫌がってるように見えたもの」
ロゼットも同意して頷く。
誰もが、エヴァンの不可解な行動に戸惑っていた。
連絡が取れなかったのは、エヴァンがアルフォンセを連れてどこかへ行ったからだ、ということは判明した。だが、なぜエヴァンはそんな行動に出たのか。そこを明らかにしなければ。
ドミニクが黙ったまま、片手を口元にあてがって映像を見つめている。
何か気づいたことでもあるのかもしれない。レジーニが声をかけようとすると、それより先にドミニクが口を開いた。
「ママ、二人が外に出たあと、どこへ行ったか追えますか?」
「ちょっと待って。アパート周辺のカメラにも映ってるはず」
ママ・ストロベリーがコンピューターを操作し、映像をアパートのものから街頭カメラのものに切り替える。
アパートの向かい側から映された玄関口、アパートの裏手、同区画の曲がり角、区画を分ける十字路。
玄関から二人が出てくる。エヴァンはアルフォンセの手を引き、画面向かって左手へずんずん歩いていく。その姿は、アパート裏手の画面へと続いた。
アパート裏手に、怪しい黒い車が二台、縦に並んで停車していた。
エヴァンは迷いのない足取りで、車に近づいていく。後ろに停まった車から、一人の女性が降りる。
そのとき、ドミニクがはっと息を呑んだ。
「パーセフォン・レイステル……」
「〈VERITE〉か?」
レジーニが問うと、ドミニクは険しい顔つきで頷いた。
「ええ。私たちと同じ〈処刑人〉の一人です」
ということは、マキニアンだ。
さらに信じられない光景を目にした。エヴァンがマキニアンの女に、アルフォンセを引き渡したのだ。そして自身は、前に停まる車に乗り込んだ。
アルフォンセはパーセフォン・レイステルに促され、後方の車に乗る。
二台目の車は発進すると、あっという間に画面から走り去っていった。
しばらく誰も言葉を発しなかった。
「今の、何? アタシたち一体何を見たの?」
社会の酸いも甘いも知り尽くしたドラァグクイーンですら、我が目を疑う心境のようだ。
無理もない。レジーニでさえそう思うのだから。
エヴァンが、最愛の恋人を敵に引き渡し、そいつらと一緒に行方をくらませた。
これが悪い夢でなければ、なんだというのだ。
レジーニは、防犯カメラの映像を頭の中で反芻した。そして確信する。
(あれはエヴァンじゃない)
身体は相棒のものだが、中身は別人だ。エヴァンを深く知ろうとしてこなかったことを自覚した今であっても、はっきりそう感じた。
思い当たる節はある。レジーニ自身は遭遇したことはないが。
「ドミニク、まさかとは思うが……」
あえて口にせずとも、彼女には伝わった。ドミニクも察したのだ。
レジーニを見上げる藍色の目に、いくつもの感情が渦巻いている。悲しみ、絶望、そして怒り。
ユイとロゼットも然りだ。ただ一人、ママ・ストロベリーだけが事情を知らなかった。
「ねえ、どうしたの? 小猿ちゃんに何があったか、心当たりがあるの? だったら教えて」
どう説明すればいいものか。迷ったが、今さらごまかしても無駄だろう。
レジーニはドミニクに目配せした。エヴァンについて、ストロベリーに話してもいいか? すると ドミニクは、
「私から説明します」
沈痛な面持ちでストロベリーと向かい合った。
「信じてもらいにくい話だとは思いますが」
そう前置きして、ドミニクはエヴァンに隠された真実を、ストロベリーに語り始めた。
彼の中に眠る――いまや目覚めたであろうもう一人の人格、ラグナ=ラルスの存在を。
ママ・ストロベリーの顔つきは訝しげだったが、口を挟まずドミニクの言葉に耳を傾けていた。
その間レジーニは、エヴァンの異変と爆破事件との関連について推考した。
アンブリッジ議事堂を爆破したのは、〈VERITE〉で間違いない。その狙いはロゼットの言ったように“陽動”だ。ただし、注意を引きつける対象はエヴァンではなく、彼の周辺の者たち――すなわち、レジーニやドミニクといった、エヴァンの側にいては邪魔な人間たち。
特にマキニアンであるドミニクは、エヴァンから引き離しておきたかったはずだ。
保守派政治家たちが集う会食、しかもセルマンJrまで参加する催しの会場を攻撃すれば、ドミニクは〈VERITE〉が動いたと考え、現場に足を運ぶ。そして事情を知るレジーニ共々、連中の思惑どおりに行動してしまったことになる。
(議事堂爆破が陽動なら、エヴァンの人格を変えさせるきっかけは何だ)
脳裏をよぎったのは、壊されたエヴァンの携帯端末。
おそらく、テレビを見ている最中に電話がかかり、エヴァンはその電話をとった。そのとき、人格交代のきっかけとなる何かがあったのだ。
(キーワードのようなものでも聞いてしまったのかもしれない)
たしかラグナは、ソニンフィルドの命令にしか従わないとのことだった。であれば、電話口で人格交代のキーワードを唱えたのは、ソニンフィルドではないだろうか。
どうやって電話番号を知ったのかという点は、疑問を持つだけ野暮だ。調べる手段はいくらでもある。
ソニンフィルドがついにエヴァンに接触してきた。
そうして己が手元に、自分の足で帰って来るよう仕向けたのだ。
まるでよく躾けた犬の如く。
(あのバカ猿。この僕の相棒ともあろう男が……)
敵に出し抜かれた苛立ちもさることながら、まんまと罠にかかったエヴァンも腹立たしい。戻ったらきつい灸をすえてやる。
――戻らなければ?
頭の片隅から、そんな声が聞こえた。すぐにかき消したが、ぬるついた手で心臓に触れられたような、厭な気分がひっそりと取り残された。
「OK、事情はわかったわ」
ママ・ストロベリーが、吹っ切れた明るい声で言った。ドミニクの説明が済んだらしい。
「小猿ちゃんの中には別の人格がいて、なぜだか知らないけどそいつが目を覚まして、アルちゃんを連れて、世界征服を企む悪の組織に行ってしまったっていうのね。つまり、アルちゃんを乱暴に扱ったのは小猿ちゃんじゃなく、もう一人の方ってことね。よかったわ、別人で」
「よくないわ。ラグナが敵に回ったのよ。私たちに勝ち目はない」
ロゼットが声に苛立ちを滲ませ、嘆息した。
「そうはいっても、身体は小猿ちゃんでしょう? 人格が違うってだけで能力に差が出るものなの?」
「エヴァンの細胞装置〈イフリート〉はカモフラージュらしい」
レジーニは、これまでに聞いた話を頭の中で整理し、補足する。
「本来の細胞装置は〈レーヴァティン〉というらしく、他のマキニアンをはるかに凌ぐ戦闘能力を備えているそうだ。だが、その〈レーヴァティン〉は封じられていて、その代わりに与えられた〈イフリート〉という偽装の細胞装置を、エヴァンは自分の正統な能力だと思い込んでいた。ラグナ状態になると〈レーヴァティン〉も起動できるようになるらしい。余分な感情を抑制され、主人の命令に忠実で、最強の細胞装置を駆使するマキニアンが相手だ。楽しそうだろう?」
「“主人の命令に忠実”って点では、どっちの人格でも変わらないのね、あの子」
「しょっちゅう首輪の存在を忘れて暴走するんだが」
「古巣の主人に負けてる場合じゃないわよ。取り返すんでしょ? ラグナって奴、なんとかならないの? ドミニクちゃんなら、どうにかできるんじゃない?」
ストロベリーが期待を込めた眼差しをドミニクに送る。しかしドミニクは、途方に暮れたように首を振った。
「残念ですが、ママ、私の〈ケルベロス〉ではラグナを止められません。多少の抑止力にはなれるかもしれませんが、打ち負かすには至らないと思います」
「ボクやロージーが加勢しても、戦力差を埋めるほどじゃないよね」
ユイが悔しそうに俯いた。
「それじゃあ、どうするの? どうやって小猿ちゃんとアルちゃんを連れ戻すのよ? そのラグナとかいう別人格を引っ込ませて、小猿ちゃんの目を覚まさせるにはどうすればいいわけ? 誰ならそいつに勝てるの?」
「ラグナと対等に渡り合えるマキニアンは二人だけです。そのうちの一人なら、私たちの味方になってくれる可能性はありますが……」
ドミニクの言う“二人”の中には、あのシェド=ラザが含まれているだろう。当然、味方ではない。
「今は行方がわかりません。彼がいてくれればどんなに心強いか」
「それって、隊長のこと?」
ユイが尋ねると、ドミニクは頷いた。
「ええ。私たち〈処刑人〉を率いていた彼なら、ラグナを止められるはずです」
行方不明のマキニアンの隊長、だと? レジーニのこめかみが無意識に引き攣れた。
(そいつはいまどこにいる。元部下の暴挙を止めるのはリーダーの務めだろうが。十年以上もその本分を放棄して、自分は雲隠れか)
上に立つ者の役目を負っていながら、果たすべき責務を放棄し、姿を現さない男。会ったこともない相手だが、もう嫌いになりそうだ。
「ACUにも知らせるべきじゃない?」
ロゼットが提案した。
「ACU自体が動いてくれるかわからないけれど、少なくともガルデは力になってくれるはずよ」
たしかに、〈VERITE〉がラグナ・ラルスという強大な駒を手中に納めるのは、相対する立場にあるACUにとっても看過できない問題だろう。
それにロゼットの言うように、エヴァンと親しく、且つエヴァン以上に熱血で義理堅いガルデなら、単身でも助勢に駆けつけてくるに違いない。
ACUといえば、リカのことが思い出される。
リカは今、本人たっての希望でACUのラボの世話になっており、自分の能力の分析や活用法の研究に打ち込んでいる。
週に何度か、電話で進捗状況を話してくれるが、研究そのものは順調のようだ。
本心を言うなら、あまり無理はしてほしくなかった。能力を使いすぎると低体温症になってしまうのが気がかりだ。研究時は医療面でのサポートも万全だから心配はいらない、とリカは言っていたが、自分の見ていないところで大切な女性の身に何か起こるのは、もう耐えられない。
だが、リカの意思を尊重すると決めた以上、レジーニに口を出す権利はなかった。彼女を信じるのみだ。
「わかった。とにかくエヴァンたちの向かった先を突き止めるのが先決だ。ストロベリー、どこまで追える?」
「このサイトが網羅しているのは、大陸内のみ。つまり、陸の外に出られたら、それ以上の追跡はできないわ。もっと広範囲を、高精度で追跡できるシステムがないと。アタシに協力できることはここまでね。ごめんなさい」
ドラァグクイーンは、申し訳なさげに肩を落とした。ユイがなぐさめるようにその肩に手を置き、マッサージする。
「ママのおかげで、エヴァンに何があったかわかったんだから、謝ることなんてないよ」
「そのとおりだ。助かったよ、ストロベリー」
実際彼女の助力がなければ、ラグナが目覚めや、〈VERITE〉が接触してきたことを知るのは、もっとあとになっていただろう。
差し当っての対処はガルデに連絡し、可能ならACUの協力を得て、エヴァンを連れた〈VERITE〉の行方を明らかにすることだ。
行方がわかるまでは、できることが何もない。
焦っていない、といえば嘘になる。
――エヴァンがいなくなった。
気のせいか、仲間と一緒にいるのに、レジーニは閑寂な空間に取り残された境地だった。




