ホセイちゃんとフラグくん
「おーい、起きてる?主人公くん」
頭上から声がする。
……誰だ?
オレはゆっくりと目を開ける。
すぐ近くに――小鳥のような女の子が浮いていた。
比喩というよりも、比較だろうか。
彼女はまるで大きく口を開ければ飲み込んでしまえそうな、とてもとても小さい体躯をしていた。
肩口まで伸びたピンク色の髪に、ファンタジー系のゲームでしか見たことがないような装飾のワンピース。
「……は?」
ティンカーベルとアリエッティというワードが脳裏をよぎった。
彼女はオレを見て、「目が開いたね、おはよう」とにこやかに言ったあと、「さぁ、冒険の始まりだよ!主人公くん、立って立って!」とオレの手を引っ張った。
オレは混乱しながらも言われるままに立ち上がる。
周囲には、見知らぬ森のような場所にいた。
……ここ、どこ?
この子は誰?
冒険って何?
主人公って何?
正面でふわふわと宙を舞う彼女を見つめると、その妖精らしき女の子は「冒険の始まりだよ!」と同じ言葉を繰り返した。
「いやごめん……状況が何も理解できないんだけど……まず1つ目からいくわ。ここはどこ?」
「ここは君達の言葉で言う異世界だよ、主人公くん。七夕の短冊に『異世界転生したい』って書いたのは君だよね?」
「え、あー……はい」
書いたかもしれない。
会社がクビになって、彼女とも喧嘩して……やけっぱちになってそんな事を書いた気がする。
だからって。
「本当にするとは思ってなかったんだけどな……」
「神様は意外と君達のことを見ているということさ。で、次は?」
「えっと……君は誰?」
「わたしはホセイちゃんだよ。主人公補正のホセイちゃん」
「主人公補正って……あの、主人公ならなんでも上手くいっちゃう、異世界転生あるあるのアレ?」
「御名答。君の冒険をサポートするよ、よろしくね」
ホセイちゃんと名乗った彼女は、可愛らしい顔に少し悪戯っぽい――見ようによっては邪悪な色を浮かべた。
何だか、嫌な予感がした。
「……あのさ、ホセイちゃん」
「何かな」
「せっかく呼んでくれたところ悪いんだけど、オレ別に冒険する気とかないんだよね」
「どして?」
「だって……元の世界で人生上手くいかなかったのに、異世界転生したくらいで上手くいくなんて思えないよ」
「心配ご無用!そのためのホセイちゃんだからね!」
ホセイちゃんは平らな胸を張った。
細い身体が誇らしげに「ふふーん」と浮かんでいた。
けれどもオレはそれどころじゃなかった。
「いや、なんて言うか……むしろ今は冒険より引きこもりたい気分っていうか」
「えー?そんなのつまんないじゃん」
「いいよ別に。今は刺激より安寧が欲しいんだ」
「ふーん……ねぇ主人公くん。そんな事言っちゃっていいのかな」
オレが視線を落とすと、彼女はオレの目をのぞき込むように移動した。
「……何だよ」
「この異世界から君のいた元の世界に戻るには、シナリオをクリアしないといけない」
「え?」
「ここでシナリオを放棄するってことはーー旅の終わりを意味する。つまりそれは」
彼女は言葉を切る。
「君の主人公としての死だよ」
「……元々、オレは主人公じゃない」
「ところがそうもいかないんだ。君は異世界転生を願ってしまったし、この世界も主人公を必要としているからね」
「理不尽だな」
「おやおや。でも君って、むしろそういう理不尽なのが好きなんじゃないの?」
「そんな事ないけど」
そんな奴いるか?
オレが訝しげにホセイちゃんを見ると、彼女は首を傾げる。
「えー?だって、君はどちらかといえば『異世界転生』とか『主人公補正』みたいなものを冷笑してる側じゃなかった?」
「それとこれとは話が別だろ。……ていうかそんなもんを信じてないからこそ、そういう状況に置かれても困る。絶対ろくでもないに決まってる」
「ふーん……それでも願っちゃったんだね」
「……」
ぐうの音も出ない。
確かに、転生前のオレはその程度には追い詰められていた。
神を信じない無神論者が、死に間際に神にすがるように……異世界転生を冷笑していたはずなのに、それを願うほどに。
ホセイちゃんは意地悪な笑みを深めた。
「まぁそういう訳だからさ。仲良くしようよ、主人公くん」
「……オレの名前は主人公くんじゃない。呼ぶなら『ブラックナイト』と呼べ」
「ヒョー!!キター!!」
「何だその喜び方!!!!」
「安直〜〜!本名を英訳しただけじゃないか、『黒野貴志くん』」
「うるせぇ」
オレはホセイちゃんのニヤケ顔から逃げるように目を逸らした。
みんなそれくらいの厨二は心に飼ってるだろ。
「で、ホセイちゃん。オレはこの世界で何をすればいいの?」
「お、やる気になった?」
「まぁ……やっぱり帰りたいし」
「へー、ちょっと意外かも。しんどくても現実の方がいいなんて」
「……それは……色々あるんだよ、オレにも」
「もしかして、君の彼女のこと?」
彼女の問いに一瞬固まる。
ちらりと横目でホセイちゃんを見ると、彼女の表情はほんの少し愉悦の色を浮かべていた。
その不気味さに、一瞬慄く。
「……さっきからオレの個人情報、ホセイちゃんに筒抜けなんだけど……なんで?」
「ふふふ、それはわたしがホセイちゃんだからさ。この世界において、主人公補正は神と同義だからね」
「神……ねぇ。ちなみにオレのこと、どこまで知ってるの?」
「黒野貴志くん、27歳。元システムエンジニア。平均的なサラリーマン家庭に育つ。誕生日は6月4日。妹が一人。半年前に会社が倒産、彼女と同棲予定だったのに仲違いして破局寸前。趣味はゲームだが最近はソシャゲしかやっていない。それから……」
「あーうん、分かった分かった、詳しいな本当に」
「でしょ」
「そこまで分かってるんなら、オレが帰りたい理由とかいちいち聞く必要ないんじゃないか?」
「いやいや、そういう訳には行かないんだ。だって君が転生したのは――」
ホセイちゃんはさらに不気味な笑みを深める。
「打ち切りになったら終わる世界だからね」
「……?」
オレは首を傾げた。
ホセイちゃんの言っている意味がわからない。
打ち切りになったら終わる?週刊連載かなんかか?
「どういう事?」
「いま君は『週刊連載』というモノローグを思い浮かべた。違うかい?」
「人の頭の中を覗くなよ。悪趣味だな」
「ふふふ。君が転生したのはまさしくその『週刊連載の世界』だ」
「……メタだな」
「この世界は、数字が悪ければ終わる。上位存在である『読者』にウケなければ、続きを書かれることはない」
「……『読者』って」
オレの行動を誰かが見てるってことか?
オレは周囲を見回したが、それらしき存在は見当たらなかった。
……聞こえますが……今、あなたの脳内に直接話しかけています……
返事はなかった。でも、ホセイちゃんの説明によれば確かにいるらしい。
この異世界転生を『読んでいる』存在が。
ホセイちゃんは続ける。
「だから君が『主人公』を放棄したり、つまらないと読者に思われれば、それで終わりだ。残酷にも『打ち切り』によってね」
「……」
「そうすれば、この世界は続きを書かれず、元の世界に戻って彼女と仲直りすることもできない」
「……」
「だから君は主人公であり続けなければいけないんだよ、ブラックナイト君」
「……色々言いたいことはあるけど……とりあえずその呼び方やめてくれる?」
「なんだ、君が指定したんじゃないか、ブラックナイト君」
「やめろ。オレの名前は黒野貴志だ」
「じゃあ、タカシくん」
「……黒野の方にしろよ」
「いいじゃないか、タカシくん」
「いいけどさ」
ホセイちゃんは続ける。
「つまり君は、上位存在である『読者』のために、主人公として面白い展開を提供する義務を負うということさ。まぁ大丈夫さ、このホセイちゃんがいれば命を失うことはないからね」
「信じていいんだよな、それ……?」
オレは小さく息をついた。
「まぁ、まだ君は目覚めたばかりだからね。少しばかりわたしの力をみせてあげよう。ほら」
ホセイちゃんはそう言いながら、小さな手をくいっと動かす。
すると森の奥に白くて大きな「!」が浮かんだ。
「……RPGみたいだな」
「あれは『フラグくん』。わたしの良き眷属だよ。たまに野良の『フラグくん』もいるけどね」
ホセイちゃんにフラグくん。
何だかギャグ漫画っぽい世界線だな。
もしかして、思ったより楽なシナリオなのかもしれない。
「タカシくん、あのフラグくんにちょっと触れてみてくれないか?」
「なるほど、そういうシステムか……」
オレはそう言いながら宙を漂うビックリマークに触れた。
すると、木の上からサバイバル向きの黒いグローブが落ちてきた。
「お、アイテムゲットじゃん!良かったね」
「……そうはならないだろ。何だこの雑な仕込み」
「あはは、まぁそう言わずにさ。それがあればうっかり毒草に触っても大丈夫でしょ」
「そりゃどうも……毒草あるんだ」
「あるよー」
オレはそのグローブを手に嵌める。
そういえば、今まで自分の服装なんてきにしていなかったけど……コンビニに行くような部屋着にスニーカー、それにグローブなんて随分心もとない軽装だ。
オレはジャージのポケットを探った。
思った通り、何も入っていない。
「はぁ……」
オレは肩を落とす。
こんな何もない状態でどうしたらいいんだ。
確かにあったところで役に立つとも思えないけど。
すると、さらに奥の方に再び『フラグくん』がふわふわと浮いていた。
「ホセイちゃん、あれは何?」
「さぁ?触ってみればわかるんじゃない?あ、もしかしたら次は新しい仲間……運が良ければヒロインかもよ?」
「ヒロインねぇ……オレが彼女持ちなの知ってんだろ」
「いいじゃん、異世界ならノーカンだよ。ていうか君、結構一途だね」
「……別にいいだろ」
とは言え、他に何をするでもないし――この状況で味方が現れるならありがたい。
オレはフラグくんに手を伸ばし、そこに触れる。
すると、森の奥からガサリと物音がした。
そちらに目を向けると――奥から巨大なイノシシのような獣がこちらに突進してきた。
刹那、そいつと目が合う。
その目は血走り、鼻息は荒く足音は素早い。
――野性の、本物だった。
「……は?」
「よし!戦闘開始だよ、タカシくん!!」
「おいふざけるな!仲間どころか中ボスじゃねぇか!こっちは丸腰なんだけど!!」
「大丈夫、このフラグちゃんがいれば命に別状はないさ」
「命があればいいってもんじゃねぇ!!」
オレは十数メートルの獣に背を向け、一目散に駆け出した。
あんなのと戦えって?冗談じゃない、オレはただの会社員だぞ!
デスクワークばかりやってた人間がイノシシなんか倒せるわけないだろ!!
「タカシくん、逃げるのかい?」
「当たり前だろ!死んだらどうする!」
「大丈夫だって。このわたしがーー主人公補正がついてるんだぞ?」
「じゃあこのシーンはどうしたらクリアできるんだ、チュートリアルじゃなかったのかよ!」
「それは君次第だね」
「クソが!!」
オレは走りながら必死で考えた。昔動画で見た闘牛士の映像では何をしていた?
あぁ駄目だ、背後に回り込んで剣で刺してたんだ。
今のオレにはひのきの棒すらない。
どうしろと!!
オレはちらりと後ろを振り返った。
そのイノシシは見た目の荒々しさに反して、走るスピードはそこまで速くないようだ。
……それとも、主人公補正によってオレが速くなっているのか?
こんな本物の獣を前にして、万年運動不足のオレが逃げきれるとは思えない。
しかし――このままでは、いずれにせよピンチだ。
オレは走りながら周囲を見回し、うってつけの場所を見つけた。
息を切らしながら走り、そこに飛び込む。
「――南無三!」
オレは自らの身体を倒木の隙間に滑り込ませた。
木の枝がグローブ越しに突き刺さる感触が伝わる。
数秒後の後、視界の外で遠くに去っていく獣の足音が聞こえた。
その後も数分間、オレは身じろぎもせずにそのままじっとしていた。
背中に嫌な汗をかいていた。心臓はあり得ない程にどくどくと大きく鼓動していた。
「…………は、はぁ……し、死ぬかと思った……」
「でも生きてるね!おめでとう!」
「…………」
いつの間にかホセイちゃんは隣に来ていた。
にやにやと、どこまでも愉悦の色を浮かべたまま。
「ほ、本当に……ふざけるな……」
「うんうん、とりあえず第一話のつかみとしては悪くないと思うよ。読者人気どのくらい出るかなぁ」
「馬鹿じゃねぇの……どんなに頑張ったって……この手の展開も、何度もやり尽くされてんだろ……」
「じゃあ、打ち切りでいい?」
ホセイちゃんは小さな頭を傾げた。
その瞬間、あいつの顔が脳裏をよぎった。
「…………『やれやれ。面倒事に巻き込まれちまったみて―だな。だが……やるしかないんだろ?』」
「あは!それでこそ主人公だよ!」
オレが主人公っぽいセリフを言うと、ホセイちゃんは他人事みたいにけらけらと笑った。
……本当は、こんなに痛くて怖いこと、もうやりたくない。
けれどもここで諦めてしまえば、もうあいつに謝ることすらできない。
オレはため息をつき、倒木の隙間から出た。
周囲はまだ、静かなざわめきに満ちていた。




