第21話 共に生きる
墓地には再び静寂が戻っていた。 先ほどまで傍にいた人々の姿は、もうない。 ヴォルフが一人でルカとの別れを噛みしめていた。
ヴォルフは墓標に立ったまま、静かに呟いた。
「……ルカ。お前の事で泣くのは、もうこれで最後にする」
その声は、泣き出しそうなほど震えていたが、同時に不思議なほど澄んでいた。彼は墓標の木肌を撫で、まるでそこにルカの柔らかな髪があるかのように愛おしげに指を這わせた。
「……どんな形でもいい。この世界のどこかで、お前が息をしていてくれるだけで、ワシはそれだけでよかったんだ……お前に生きていて欲しかった」
ヴォルフの瞳から溢れた雫が、乾いた大地へと吸い込まれていく。彼にとっての「幸せ」の定義は、世間から見れば歪で、叶わぬ夢だったのかもしれない。だが、その想いは何よりも純粋な祈りだった。
「いずれ天命が尽きたら、ワシは真っ先にお前をあの世で見つけるから。……どんなに広い場所でも、どんなに多くの魂がいても、必ずお前を見つけ出す。だから……それまで待っていてくれ。ルカ…ルカ」
これが最後の涙と言わんばかりに、彼は墓標に取りすがって泣いた。
空はすでに夜の帳が下りようとしていた。 彼はようやく歩き出すことができた。
彼が立ち去った後の墓地には、冷たい空気だけが残されていた。しかし、その夜の星空は、かつてないほど美しく、ヴォルフの行く先を照らしていた。
――
ヴォルフが墓地から族長の家に戻ると、食卓の準備が整っていた。 ルカとの別れを終えて、ようやく彼は周囲の事に目を向けた。
マーサはグレゴリウス14世とニコラを送るために、一足先に馬車で帰っていた。 族長の家に、今いるのは、レニードと自分の姉達、そして…。
ラシードとその下の弟と妹とは随分と昔、子供の頃に会ったきりだ。でも面影があるので、なんとなくわかる。だが、黒髪の少年と赤い髪の幼い子供には見覚えがなかった。
姉のアイラの子供にしては随分と年が若い。
黒髪の少年と赤い髪の幼い子は二人並んで座っていたので、ヴォルフはその二人の方を指さした。
「姉さん…ラシードの子供か?こっちの二人は」
という言葉にスープを飲んでいたラシードがむせた。
「ラシードにはまだ子供は居ないよ」
アイラが慌てて否定する。
「ん?じゃあ二人ともアイラ姉さんの子供か?いやでもそっちの黒髪の子はわかるが…赤い髪の子供はどう見てもまだ10歳もいってないように見えるが…姉さん…また随分無理したな」
無自覚にかなり失礼なことを言っていた。ヴォルフは元来、気の利く男ではなかった。
「ヴォルフ、あんたって子は相変わらずだね。全く…黒い髪の子はあたしの息子だよ。モリス…挨拶しなさい」
とアイラに促されて、モリスは立ち上がると背筋を伸ばし、ヴォルフに丁寧に頭を下げた。
「こんにちは、ヴォルフ伯父さん。モリス・ルベルコルスです」
すると、モリスの横で、赤い髪のヴィクトリアが小首を傾げながら座ったままで言った。
「えっと……私はヴィクトリアです。おっちゃん」
「おっちゃん?」
何故初対面の子供におっちゃんと呼ばれなければならないのか。
「姉さん……このチビスケは随分と口が悪いんじゃないか? 躾がなってないぞ」
ヴォルフが眉をひそめて吐き捨てた。いくら何でも小さな子供相手に言い過ぎではないかと、レニードは咎めるような視線をヴォルフに向けた。
その時だった。
ヴィクトリアの双眸から、子供らしからぬ鋭い光が放たれた。
「……チビスケ言うな! このクソ親父!!」
室内が一瞬で凍りついた。あまりの剣幕に、レニードもヴォルフも呆気にとられた顔をしていた。
「ク……クソ親父?」
ヴォルフは困惑のあまり喉に何かが詰まったかのように、間抜けな声を漏らした。
そんなヴォルフをよそに、モリスが溜め息をつきながらヴィクトリアを嗜めた。
「トーリィ、駄目じゃないか。昨日あんなに練習したのに」
モリスは呆れ顔でヴィクトリアを見下ろした。
トーリィというのはヴィクトリアの愛称である。
「ちゃんと『お父様、ヴィクトリアです。はじめまして』って言えって、僕があれだけ言ったのに」
その言葉が、雷鳴のようにヴォルフの耳を打った。
だがそんなはずはないという思いが、まだ彼の心を支配していた。
「姉さん、ワシを騙そうとしているのか?」
「なんで、あんたを騙す必要があるんだヴォルフ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたら、やっぱり馬鹿だ!お前は。よく顔をみなよ。誰に似てる?その子は」
「誰に似てるって…」
ヴォルフは突き放すように言われ、迷いながらも、ようやくその赤い髪の幼い子の方へと視線を向けた。
周囲の物音が、ふっと遠くなった気がした。 食器の触れる音も、姉たちの話し声も、まるで水の底に沈んだように遠のいていく。 ヴォルフは幼女の顔をまじまじと見た。
整った眉の形、少しだけ吊り上がった意思の強そうな青い瞳。ルカそのものだった。 ただひとつ違うのは、自分と同じ赤い髪だけだ。
息をするのを忘れていたことに、彼は今更気づいた。 ヴォルフの鼓動が、遅れて激しく早鐘を打ち始める。
……嘘じゃない。これは芝居などではない。
「……ルカ」
ヴォルフの口から、掠れた声でその名が漏れた。




