欠けた日時
朝、目を覚ました瞬間に違和感があった。天井も光も同じなのに、何かが一つ足りない。
机を見る。教科書、スマホ、ペン立て。全部あるのに、“空白”だけが残っている。置いていなかったはずの場所に、なぜか気配だけがある。
思い出そうとして、やめる。思い出せないのに、胸だけがざわつく。
「れーん!」
窓の外。結衣が手を振っている。
「……おはよ」
「おはよー。今日はちゃんと起きてるじゃん」
笑う。声も顔も、昨日と変わらない。
――違う。
“違和感が減っている”。
「どうしたの?」
「なんでもない」
見すぎたと思って視線を外す。
「行こ」
結衣が先に歩く。背中を追いながら、喉の奥が重くなる。昨日、俺は選んだ。誰か一人を。
でも、思い出せない。名前も、顔も。
ただ――確かに“いた”。
⸻
教室。ざわめき。席に着く。
机の列が、妙に整っている。最初からこの数だったみたいに、自然すぎる。
でも知っている。
一つ、多かった。
「どうした?」
隣のやつが聞く。
「このクラスって、何人だっけ」
「二十八だろ」
迷いがない。
「……そっか」
黒板を見る。白いまま。昨日の痕跡は、どこにもない。
――なのに、消えた感じだけが残る。
「……おかしくねえか」
誰も、困ってない。
席も、予定も、全部埋まってる。
まるで最初から——
“いなかったことになってるみたいに”
⸻
昼休み、屋上。風が強い。誰もいない。
ポケットの中で指が震える。チョークの重さだけが、まだ残っている気がする。
「……出てこいよ」
言ってみる。返事はない。
視界の端に、黒板が“重なる”。
『観測継続』
やっぱり終わっていない。
「何がしたい」
少しの間。
『最適化』
短い。
「最適化って何だよ」
『ノイズ削除』
胸が鳴る。
「……人を、ノイズって呼ぶのか」
『選択精度向上』
吐き気がする。
「ふざけんな」
そのとき、扉が開く音。
振り向くと、結衣がいた。
「やっぱここだ」
近づいてくる。いつも通り。
でも、目だけが止まっている。
「ねえ、れん」
距離が近い。
「昨日、何したの?」
心臓が跳ねる。
「……何もしてない」
即答。結衣は見続ける。まばたきの回数が合わない。
「そっか」
笑う。その“間”に既視感がある。
「なら、いいや」
隣に立つ。フェンスの向こう。
風が抜ける。
そして、ぽつり。
「減ってるよね」
空気が、薄くなる。
「……何が」
「分かんないけど、数。なんか、ちょうどいい」
曖昧なのに、外さない。
「気のせいだろ」
言うしかない。
結衣は少し黙ってから、うなずく。
「だといいね」
言い方が、確認みたいだった。
⸻
放課後。教室に戻る。誰もいない。
黒板は白い。
近づく。角度が変わる。
浮かび上がる、薄い傷みたいな文字。
『選択履歴:1』
消えていない。残っている。
記録として。
喉が詰まる。
その下に、もう一行。
『目標:最適解』
背中が冷える。
“正しい選択”がある。
そのために、削る。
人を。
「……やめろ」
手を伸ばす。触れられない。
代わりに、文字が更新される。
『条件提示』
目を逸らせない。
『次の条件』
ゆっくり、一文が現れる。
『同時に二人を救え』
息が止まる。
できるはずがない。
これまでだって、一人救えば一人消えた。
同時に、二人?
その下に、追記。
『失敗時:彼女を優先的に削除』
視界が揺れる。
「……ふざけんな」
声が出る。
選べじゃない。
これは――
追い込むための条件だ。
背後で、気配。
振り向く。
結衣が立っている。
いつからいたのか分からない。
「れん」
静かな声。
「また、始まった?」
言葉の意味が、すぐには入ってこない。
「……何が」
聞き返す。
結衣は少しだけ考えて、首を傾げる。
「分かんないけど」
黒板を見ない。
見ていないはずなのに。
「でも、さっきから“減る感じ”がする」
胸が締まる。
結衣は一歩、近づく。
距離が、やけに近い。
目が、外れない。
「ねえ」
小さく、言う。
「次は、ちゃんと間に合わせてね」
一拍。
いつもの顔に戻る。
「帰ろ?」
何もなかったみたいに。
でも、もう分かっている。
これは条件じゃない。
予告だ。




